05:「わたしと一緒ですね」
「遠征、ですか?」
ある朝、わたしの許に届いたのは、夫・ヴォルフラムからの花束と遠征の誘いだった。
首を傾げると、ヴォルフラムの側近であるザシャさんが「遠征というほど遠くではありませんが……」と詳しい説明を始める。
「ようやく陛下の仕事が一段落つきそうなので、休息をとっていただこうと思いまして。あの方は王都にいるとすぐ仕事をしてしまいますから」
仕事中毒なんですよね、陛下、とザシャさんはため息交じりにぼやく。
つまりはヴォルフラムに休みを取らせるための、慰安旅行のようなものに誘われているらしい、と判断し、わたしは笑顔で頷いた。願ってもない話だった。
――その会話が数日前。ヴォルフラムと二人で王都からそう離れていない観光地に向かう馬車の中で、わたしはザシャさんとの会話を思い出していた。
「どちらに向かわれるんですか?」
庭師アヒムさんに師事をお願いして、ヴォルフラムが治める魔族の国について日々学んでいるけれど、まだまだ知識は乏しい。今取り組んでいるのは主に魔族の歴史で、地理はまだ手を伸ばせていない分野だった。
「メジ湖だ。王都から近いが自然豊かな場所で、休息には持ってこいだとザシャが言っていた」
かくいうヴォルフラムも、あまり詳しくはないようで。
「すまない、私も初めて行く場所なんだ。もっと詳しく説明できればよかったんだが……」
あからさまに落ち込むヴォルフラムに、ばれないようこっそり笑う。
夫、それも一国を治める王に、かわいい、と思うのはおかしいだろうか。それも、まだ互いのことを良く知らないというのに。けれど“魔王”ではなく恋に浮かれる一人の若者のような姿は、愛おしく思えた。
「でしたらわたしと一緒ですね」
フォローも込めてかけた言葉に、にわかにヴォルフラムの表情が明るくなる。ぱぁ、という音が聞こえてきそうなほどだった。
ヴォルフラムは多くを語るタイプではないけれど、その分顔に出る。目は口ほどに物を言う、なんて言葉がここまで当てはまる人――正確には魔族――は初めてかもしれない。
「ヴォルフラムはあまり旅行には行かれないんですか?」
この明るい雰囲気のまま会話を続けようと問いを重ねる。
どんな些細なことでも、わたしにとっては“初めて知る”ヴォルフラムの一面だ。だから彼の負担にならない程度に様々なことを教えてほしかった。
「勉学と仕事で王都にこもりきりだった。今思えば、若い頃もっと視察に行くべきだったな」
前王――つまりヴォルフラムのお父さまは病に臥し、そのまま亡くなったとアヒム先生から教わった。そのためヴォルフラムは王になる前から代理として父の仕事を手伝い、前王がご逝去なされた後は、戴冠の儀も行わずかなり慌ただしく魔王の座についたとの話だ。
だからヴォルフラムには自由に視察に行けるような時間はなかったのだろう。旅行なんてもっての外だ。
――もしかしたら、悲しい過去を思い起こさせてしまったかもしれない。
話題選びを間違えた、と後悔の念に駆られるわたしの顔を、ヴォルフラムが覗き込んできた。身長差があるせいで、彼は背を丸め、首をかなり前に突き出すような格好になっていた。
「もし今後、視察に行くようなことがあれば……その、付き合ってくれるか」
それはヴォルフラムの、精一杯の誘い――と考えていいのだろうか。
魔族特有の容姿的特徴である尖った耳が赤く染まっているのを見つけて、わたしは大きく頷いた。未来の約束が、嬉しかった。
「ぜひ、連れて行ってください」
そうか、とほっとした様子で破顔したヴォルフラムに、わたしも笑みを深めた。
わたしは巫女として、故郷にいた頃は国中に足を運んだ。実際にこの目で見、現地の人々と触れ合い、想いを交わした。それと同じことを、この国でもできたなら。
ヴォルフラムの妻として――王妃としてこの国に何ができるのか、まだ分からない。けれどお役目を見つけるためにも、わたしはこの国のことを、そしてこの国の魔族たちのことをもっと知りたかった。
***
やがて到着したのは、美しい湖のほとりに立つ宿だ。ほとりの景観を壊さないようにかそこまで大きくはないがかなりしっかりした作りで、一泊どれくらいするんだろう、なんて小国育ちのわたしはついつい考えてしまう。
一国の王が泊るのだから当たり前というべきかもしれないが、宿は貸し切っているらしい。近衛兵に見慣れた使用人の姿もあり、正直旅行に来たという気はあまりしなかった。
「手前が陛下のお部屋で、奥がシヅル様のお部屋になっております」
部屋も別々に用意してくれたようだ。きっとヴォルフラムが気をつかってくれたのだろう、と見当をつけて、取り急ぎ荷物を解くために用意された部屋へ向かった。
「うわぁっ、綺麗なお部屋ですねぇ」
侍女のミヅキが部屋に入るなり歓声を上げる。わたしも彼女と同じように、目の前に広がる光景の美しさに感動していた。
入ってすぐ、わたしたちの視界に飛び込んできたのは湖に面したバルコニーだった。ガラスの扉越しにキラキラと光る湖面が眩しい。
二人並んで荷解きも忘れてぼぅっと見入っていたところ、不意に扉がノックされた。ミヅキが慌てて出ると、そこに立っていたのはヴォルフラム――ではなく、魔族の女性だった。
人族に近い姿をしているのは、わたしたちを驚かせまいと考えてのことだろうか。長い金髪をさらりと揺らし、まさに大人の女性といった出で立ちの彼女は、「ファティマ」と名乗った。
「シヅル様、お着替えをお持ちしました」
そう言って彼女が差し出したのは純白のワンピースだ。
わたしは普段、故郷で着ていたものと同じ巫女装束を身に着けている。ワンピースを着たことは人生の中で一度もなかった。そもそもドレスを着たのだって、結婚式が初めてだったのだ。
フリフリのワンピースを着るなんてハードルが高い。思わず身構える。
「あの、わたしは……」
「湖のほとりを歩かれるのでしたら、巫女装束よりワンピースの方が動きやすいと思いますわ。ねっ」
ファティマさんは初対面にもかかわらず、随分と押しが強い女性だった。しかし彼女の言っていることには一理あると感じたため、最終的に押し切られ、あっという間にファティマさんとミヅキに着替えさせられてしまう。
「きゃー! よくお似合いですよ、シヅル様!」
ずっと着て欲しかったんです、とミヅキは無邪気に喜んでいる。
確かに鏡に映る自分の姿を見て、そこまでひどくはない、と思う。しかし全体的に生地が軽く――肌触りがいいから、かなり高価な生地なのだと想像はつくが――心もとなさを感じてしまった。少し強い風が吹けばめくれてしまうのではないか。
やっぱり元の服に、と言いかけたとき、
「や~ん、素敵! きっと陛下もお喜びになるわ~!」
ファティマさんの言葉に、ぴたりと動きを止めた。
果たして彼女の言う通り、ヴォルフラムは喜ぶだろうか? 彼が巫女装束を着るわたしを見て、「よく似合う」と嬉しそうにはにかんだのは記憶に新しい。
「そ、そうでしょうか……」
自信が持てないわたしとは対照的に、ファティマさんは「えぇ!」と大きく頷いた。
「とっても似合っていますもの~! きっとお顔を赤くして、『に、似合っている』と仰るに違いありません~!」
きゃいきゃいとファティマさんはミヅキと手を取り合ってはしゃいでいる。大人っぽい容姿とは打って変わって、言動はとても弾けた女性のようだ。
真正面から褒められ、正直悪い気はしない。ただ恥ずかしいだけだ。けれど、ヴォルフラムが喜んでくれるのなら――
結局元の装束に着替えることはせず、純白のワンピースのまま、今日一日を過ごすことにした。