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03:(陛下のお隣に胸を張って立てるように)



 ――魔王の花嫁として迎える朝は、巫女だった頃と比べると随分と余裕がある。



「おはようございます、シヅル様」



 起こしてほしいと前夜に頼んでいた時間ぴったりに、侍女のミヅキがカーテンを開け、朝日を部屋に招き入れてくれる。

 程よく固く寝心地のいいベッドに後ろ髪をひかれつつも、上半身を起こして窓の外を見た。今日もいい天気だ。城内散策にはもってこいの一日になるだろう。



「シヅル様、今日はどちらに行かれますか?」



 着替えを手伝ってくれるミヅキが声を弾ませながら尋ねてきた。

 魔王・ヴォルフラム陛下と結婚してから、今日で十日が経つ。ここ最近は時間を持て余して、毎日城内の散策に繰り出していた。広すぎて、数日かけても回りきれない。

 ヴォルフラム陛下は五百年祭の後片付けに追われているようで、きちんと会話できたのは初日の夜だけだった。しかし、夫に放っておかれているとは露ほども思っていない。確かに顔こそ合わせていないけれど――



「おはようございます、シヅル様」



 毎朝、側近であるザシャさんが大きな花束を持って自室を訪れてくれるのだ。

 今日の花束は赤と白の薔薇をメインに青の小花があしらわれた、おそらくはわたしが着ている巫女装束をイメージしたと思われるものだった。青の小花はもしかしたら、わたしの瞳の色かもしれない――なんて、浮かれたことを考えてしまう。

 立派な花束に埋もれるようにして、小さなメッセージカードが潜んでいる。それはヴォルフラム陛下からの、簡素ながらも想いのこもったメッセージだ。



『おはよう。不便はないか? 庭師のアヒムに話を通しておいた、時間があれば庭園を訪れるといい』



 美しい文字で綴られた言葉は胸に響く。

 ――今日の城内散策での行先は決まった。

 ぎゅっと花束を一度抱きしめてからミヅキを振り返る。彼女は「もう花を挿す花瓶がありませんよ」と肩を竦めた。

 毎日ヴォルフラム陛下が届けてくれる花束で、自室はいっぱいになっていた。



「用意させておきましょう。ですからシヅル様は庭園へ」



 スマートな動作でわたしから花束を受け取ったザシャさんは、大きな机の上にそっとそれを置く。そして庭園へ向かうように促してきた。

 散策をしている間に部屋を整えてくれるつもりなのだろう。至れり尽くせりだ。

 ついつい恐縮して「自分でやりますから」と口走りそうになったが――故郷では専属の侍女がミヅキ一人だったこともあって、できることは自分でやっていた――却ってザシャさんを困らせるだけだと思い、飲み込む。



「それでは、行って参ります」



 行ってらっしゃいませ、とザシャさんはモノクル越しの瞳を細めて見送ってくれた。

 自室を出ると、いつものようにメイドが廊下に待機している。彼女はわたしが行きたいと望んだ場所に連れて行ってくれる、とても優秀な案内人だ。



「庭園へ行きたいのですが……」



 メイドはにっこり微笑んで「こちらです」と歩き始めた。

 長い長い廊下を歩く。赤いカーペットはしかし上品な色で目に痛くなく、等間隔で飾られている花々も趣味が良い。豪華絢爛ながら落ち着いた装飾で彩られる城内は、とても美しかった。

 正直言って、まだ魔王さまの花嫁になった実感がない。広すぎる場内を散策していても、どこか他人事のように感じていた。

 長い廊下を抜け、大階段を降り、中庭へと出る。そこには色とりどりの花が咲き乱れる庭園が広がっていた。



「わぁ……っ!」



 感嘆の声が思わず口からこぼれる。誰の目から見ても立派で素晴らしい庭園だった。

 背の高い植物が作った道を、メイドに先導されながら進んでいく。一人で来ては迷子になってしまいそう、と心の中で苦笑したときだった。一気に開けた場に出た。

 辿り着いたのはおそらく、庭園の中心部分だ。大きな噴水が飾られ、休憩用のガーデンテーブルとチェアが置かれている。



「いい香り……」



 花の香りに交じって、茶葉の香りが鼻腔をくすぐった。その香りの元をたどれば、テーブルの上に淹れたての紅茶が置かれていることに気が付く。

 あれ、と首を傾げた瞬間、



「お待ちしておりました、シヅル様」



 背後遥か頭上から、声をかけられた。

 慌てて振り返る。そこに立っていたのは――二本足で立つ、大きく立派な狼だった。

 驚き、固まるわたしに、狼は慌てて挨拶をする。



「庭師のアヒムと申します」



 庭師の、アヒム。その名は、ヴォルフラム陛下がメッセージに綴っていたものだ。しかしまさか、庭師が狼――獣人だったなんて!

 ぴるぴるとせわしなく耳を動かすアヒムさんは緊張しているのだろうか、ゴホン、と一つ咳払いをしてから座るよう勧めてくれた。



「陛下よりお話は伺っております。本日は庭園を案内するように、と命を受けました」



 狼の獣人は穏やかに微笑んだ。

 獣人は魔族マギルトに分類される。ただ魔力は持たず、その代わりに桁外れの怪力を持っていた。それ故、他の魔族に奴隷として扱われ、差別を受けていた時代もあったとか。――結婚してから魔族について調べた、付け焼き刃なわたしの記憶が正しければ、の話だけれど。

 未だ目を丸くしつつも、勧められた通り椅子に座ると、アヒムさんは紅茶を差し出してきた。大きく毛むくじゃらの手は、優しく優雅に、そして繊細に動く。



「ミヅキ様も、よろしければ」



 ミヅキにも優しく声をかけてくれるアヒムさん。そこでようやく自己紹介がまだだった、と思い至る。

 慌てて居住まいを正し、アヒムさんに向って挨拶をした。



「シヅルと申します。今日はよろしくお願い致します」



 よろしくお願します、と同じように頭を下げるアヒムさんはどこまでも穏やかで、優しい。

 わたしは今日、初めて獣人を見た。だからついつい構えてしまったのだが、口にした紅茶が美味しかったこともあり、恐怖心はあっという間に無くなっていく。

 城の魔族は皆、わたしを大切に大切にもてなしてくれた。魔王の伴侶だから、という理由が大きいだろうけれど、そうだとしても心の底から嬉しくて、自分も彼らに誠実に向き合いたいと思うようになっていた。



「この庭園は陛下お気に入りの場所なんです。お忙しいときは度々息抜きにいらっしゃるんですよ」



 へぇ、と頷いてあたりを見渡す。

 美しい花々に美味しい紅茶。なるほど確かに癒されるに違いない。



「毎朝陛下が送ってくださる花束は、この庭園の花で作られたものなんですか?」


「えぇ。陛下が直々に選ばれた花を、私がブーケにしております」



 アヒムさんの口から知れた事実にますます嬉しくなった。花束を贈ろうとしてくれたその心だけで嬉しかったのに、まさかヴォルフラム陛下自ら花を選んでくれていたなんて、と。

 すっかり上機嫌になって、気の向くまま質問を重ねる。



「アヒムさんは昔から庭師として働いていらっしゃるんですか?」



 あの見事なブーケを作る彼のことだ、さぞや長く庭師をやっているのだろうと予想しての質問だった。しかしわたしの予想を裏切って、アヒムさんは「いいえ」と首を振る。



「ヴォルフラム様が魔王になられるまで、前王様の近衛兵として働いておりました」



 アヒムさんの答えに、何年前の話だろうと考えて――気づいた。ヴォルフラム陛下がいつ魔王になったのかすぐに思い出せないことに。

 浮足立っていた心はあっという間にしぼみ、己の無知さを恥ずかしく思う。

 末姫として、巫女として、わたしは国を出る未来なんて考えもしなかった。そのため、わたしは魔族の歴史の知識にかなり乏しい。もし魔王に嫁入りするという予想外のできごとがなければ、魔族のことを一切知らずに、この生涯を終えていたことだろう。

 しかし、今わたしはヴォルフラム陛下の伴侶として、魔族の国に身を置いている。それならばもっと魔族について学ばなければいけない。無知を罪だと罵るような方はいないだろうけれど、わたし自身が己の無知を許せなかった。

 ヴォルフラム陛下は、わたしのことを大切にしようとしてくれている。ならばわたしもその想いに応えるべく、彼のことを、そして彼が治めるこの国のことを、大切にしたいと思った。

 魔族について知るには、魔族に教えてもらうのが一番だ。

 そう思い、ぐっと拳を握りしめて、自分の無知をアヒムさんに白状した。



「わたし、勉強不足で……恥ずかしい話なのですが、陛下がいつ即位されたのかも、すぐに思い出せないくらいなんです」



 顔を上げる。そして身を乗り出して、アヒムさんに頼み込んだ。



「どうか、教えてくださいませんか? 魔族のことを……そして、陛下のことを」



 わたしの言葉に、アヒムさんは数秒黙り込む。

 鋭い獣人の瞳にじっと見つめられて、しかし目を逸らさなかった。目の前の庭師が内心で自分のことを嘲笑っていたとしてもかまわない。今のうちにたくさん恥をかいてしまおう、とすら思っていた。

 遠い将来、無知だった自分を笑い飛ばせるように。



「……私も陛下について、詳しく存じ上げているわけではございませんが」



 そう前置きをおいてから、アヒムさんは力強く頷いた。



「こんな私でよろしければ、できるかぎりのことはお教えいたしますよ」



 優しく細められた目に、「ありがとうございます!」とわたしの口から出てきた声は弾んでいた。

 ――かくして、庭師アヒムさんによる授業が行われる運びとなったのだ。



 ***



「ヴォルフラム様が魔王の座に即位されたのは、今から十年前のことでございます。ヴォルフラム様のお父上……前王様は若くして病に倒れ、亡くなられました」



 魔族が言う若くして、という言葉がどれほどの年齢を指すか分からないが、ヴォルフラム陛下が歴代最年少で魔王になったことは、結婚が決まってから本で読んだ覚えがあった。

 今から十年前。わたしはまだ子どもだった頃だ。



「質問よろしいでしょうか、先生」


「はい」


「魔族の寿命はどれほどのものなのでしょうか?」



 ヴォルフラム陛下の年齢を直接尋ねるのは流石に気が引けたので、魔族の寿命について尋ねてみた。するとアヒム先生は「ううん」と言葉を濁す。



「魔力の強さによって、寿命は大きく異なります。魔力を持たぬ我ら獣人はシヅル様たちとそう変わらない寿命ですが……陛下ともなれば、何百年、もしくは千年近く……」


「せ、千年……」



 あまりに永いときに、途方に暮れてしまう。それと同時に、魔族と人族の異種間結婚が未だに珍しい理由を身をもって知った。

 あまりにも寿命が違いすぎる。伴侶を一人残して逝く人族も、伴侶を亡くしてから更に永いときを一人で過ごさなければならない魔族も、あまりに辛い。――そしてその辛さを、自分は夫に強いてしまうことになるのではないかと、恐ろしくなった。

 自分が死んだ後、ヴォルフラム陛下には別の伴侶を娶って欲しい。

 わたしが心配なんてしなくても、自然とそうなるに違いないと思いつつ、小さな不安が胸の内に生まれたことを自覚した。



「ヴォルフラム様はこの十年、前王様が体調を崩されている間に進んでしまった腐敗を断ち切るために必死でした」


「腐敗、ですか?」


「一部の大臣や貴族……所謂権力者たちが、前王様がご不在なのを良いことに、好き勝手していたのです」



 不正や腐敗を嫌う潔癖王。嫁入り前に耳にした噂を思い出す。

 末姫として甘やかされて育ったわたしにはとても想像がつかなかったけれど、きっととても大変で苦労されたのだろう、ということだけは分かった。



「ヴォルフラム様は家柄よりも本人の実力を重視しました。若い血を迎え、一人一人の適正を見抜き……臆病な近衛兵は、庭師になることを許されました」



 臆病な近衛兵。それはアヒム先生のことに違いない。

 彼はとても大きな体を持っていて、見た目だけで言えば近衛兵に取り立てられるのも納得だ。しかし優しい人柄が兵士に向いていなかったのではないか、と出会ったばかりのわたしでも分かる。

 ヴォルフラム陛下は見た目で判断せず、きちんと一人一人を見て、話を聞いて、本人が一番力を活かせる立場を用意しようとしているのだと、アヒム先生は語る。



「即位から十年、陛下は身も心も国のために捧げておりました。休むこともせず、ずっと……。五百年祭の後片付けが終われば、ようやく一息つけるのではないでしょうか」



 アヒム先生はこの十年を懐かしむように、慈しむように手元のティーカップを撫でた。

 話を聞けば聞くほど、ヴォルフラム陛下は歴史に名を残す名君のように思えた。冷酷だと評されるような強引さもあったのだろうけれど、すべては国のため、国民のため、身も心も削ってきたのではないだろうか。

 それと同時に、わたしの心に不安が芽生えつつあった。小国の末姫である自分が、魔王さまの隣に相応しいのだろうか。隣に立つことが、許されるのだろうか。

 心が揺らぎ――いいえ、と強く頭を振る。



(陛下のお隣に胸を張って立てるように、今日から努力しよう!)



 不安なら、自信をつければ良い。

 無知を恥じるのなら、学べば良い。

 至極簡単な話だ。落ち込んでいる時間が何よりももったいない。

 決意を固めたところで、昼時を告げる美しい鐘の音が庭園に響いた。もうすぐ昼食が自室に運ばれてくる。それまでに戻らなければ迷惑をかけてしまう。



「アヒム先生、ありがとうございました。お時間があったらまた色々教えてください」



 椅子から立ち上がり、頭を下げる。するとアヒム先生は「いつでもお待ちしております」と目を細めた。

 案内役を務めてくれているメイドと侍女のミヅキと共に、慌てて自室に戻ろうとし――ふとあることを思いついて、足を止めた。そしてアヒム先生を振り返る。



「あのっ、花束の作り方を教えてくださいませんか?」



 毎朝ヴォルフラム陛下から一方的に花束をもらうだけではなく、自分からも贈りたい、と思ってのことだった。

 アヒム先生は鋭い目を丸くして、それから「それはいいですね!」と大声を上げる。とても嬉しそうな声だった。



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