13:「故郷を案内させてください」
「よ、ようこそお越しくださいました」
白い髭を蓄え、人族にしては大柄なその人は、わたしも古くから知る故郷の外相だ。しかし威厳ある彼の声が裏返っているのは、初めて聞いた。
――それもそうだろう。月彌ノ国に魔族の王が訪れるなど、長い歴史の中で初めてのできごとだ。彼の緊張も、手に取るように分かった。
魔王・ヴォルフラムがわたし――妻の故郷を訪れると決めてから、ふた月ほど。その間に仕事を詰め込みに詰め込んで、どうにか確保した数日間だった。
「シヅル様も、お帰りなさいませ」
外相の横で白髪の女性が柔く微笑む。彼女は侍女の取り仕切り役、いわゆるメイド長のような存在で、侍女・ミヅキの祖母にあたる女性だ。
彼らだけでなく、ヴォルフラムも今までになく緊張している様子だった。緊張のあまり表情筋が固くなり、そのせいで不機嫌に見えてしまっている。だからわたしはいつも以上に意識して穏やかに微笑み、ヴォルフラムに寄り添うように立っていた。
「ヴォルフラム、行きましょう」
名前を呼んだのも意図的なものだった。仲の良さを見せつける――とまではいかないが、夫を呼び捨てにすることを許されていると知れば、故郷の人々も安心するだろうと思ったのだ。
実際、わたしがヴォルフラムを呼び捨てにした瞬間、出迎えてくれた家来や侍女たちの間にざわりと動揺が広がり、外相は目を真ん丸に見開いていた。
悪くない手ごたえを感じて、今度はヴォルフラムの様子を窺う。彼の顔は固まったままで、思わず苦笑がこぼれる。
ヴォルフラムの緊張を解くために、強く握りしめられたその手にそっと触れた。瞬間、彼は弾かれたようにこちらを見る。
(だいじょうぶ)
声には出さず、言葉の輪郭を唇でなぞった。
わたしの言わんとすることを理解したのか、ヴォルフラムはは、と息を吐きだすようにして笑う。力んでいた体からも、少しではあるが力が抜けたようだ。
いくらか和らいだ雰囲気の中、和の心を感じさせる城内を通り、やがてこの国の王である父さまの許までたどり着いた。ヴォルフラムを気遣ってだろう、畳の上に似つかわしくない椅子が用意されていたが、その椅子を後目にヴォルフラムは正座する。すると座る意思がないことを察した家来たちが、素早くその椅子を片づけた。
ヴォルフラムは真正面から父さまを見つめる。
「ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ございません」
頭を大きく下げたヴォルフラムに対して、父さま――月彌ノ国の王は慌てふためいた。胡坐を解き、今にも立ち上がらんばかりに片膝を立てている。
父さまの額には汗がびっしょり浮かんでいた。こんなに焦っている父さまは初めて見る。王同士は度々会議等で顔を合わせているだろうから、初対面ではないと思うのだけれど――やはり会議と今回とでは、全く違うのだろう。
「とんでもございません! こちらこそ、御挨拶が遅れてしまい……わざわざご足労頂き、誠にありがとうございます」
父さまはそこで一旦言葉を切ると、ちらりとこちらに助けを求めるように視線を投げかけてくる。
その視線を仕方ないなぁと笑顔で受け止めて、ヴォルフラムに両親を紹介した。今この場で月彌ノ国と魔族の国の架け橋となれるのは、わたししかいない。
「ヴォルフラム、紹介させてください。父のヤマト、母のミコトです。先ほども出迎えてくれたあちらの白髪の女性は、ミヅキの祖母のユヅキ」
ヴォルフラムは律儀に一人一人頭を下げる。父・ヤマトは困ったような表情で、母・ミコトは優しく見守るような表情で、侍女・ユヅキは凛とした表情で、彼からの礼を受け取っていた。
きっとヴォルフラムは彼らの名前なんてとっくのとうに調べていたに違いない。けれど形式上の紹介に嫌な顔せず付き合ってくれた。
「父さま、母さま、ヴォルフラム陛下です。部屋に畳を作ってくださったり、月彌ノ国の料理を出してくださったり……本当にとてもよくして頂いています」
百聞は一見に如かず。手紙では信じられなかったわたしの言葉も、故郷にいたときより綺麗な巫女装束を身に纏い、夫と言葉を交わしている姿を見れば信じてくれるだろう。
確かに拒否することは許されない、強引な結婚だった。だから父さまの後悔も無念も、娘を心配する気持ちも分かる。けれどそれらの感情で、瞳を濁らせて欲しくはなかった。
ヴォルフラムの腕にそっと手を添える。それに気づいたヴォルフラムが、包み込むようにわたしの手を握る。――ふ、と父さまの顔に笑みが浮かんだのを見た。
「ヴォルフラム殿、どうか娘のことを、よろしくお願いします」
父さまの言葉に心の底から安心した。どうやら彼の誤解を解くことができたらしい。ヴォルフラムにわざわざ来てもらったにも拘わらず、誤解を解けなかったらと思うと不安で不安で、ここ数日は眠りが浅かったのだ。
ほっと息をついたわたしの横で、ヴォルフラムは父さまの言葉を噛み締めているようだった。彼も安心したのだろう、わたしの手を握る指先に、徐々に体温が戻ってくる。
「今は都の桜の花が見ごろを迎えております。私はご一緒できませんが……ご希望でしたら案内させます故、お申し付けください」
父さまはこの後抜けられない仕事があるようで、一旦この場は解散する運びとなった。
ヴォルフラムには教えていないけれど、故郷は春という季節を何よりも大切にする国。春を全ての始まりの季節とし、桜が都を覆いつくすように咲き誇る時期、様々な催し事が開かれるのだ。わたしも巫女であったとき、春は寝る間も惜しんで舞を捧げた。
父さまが忙しくしているのも例年通りだから、この時期の里帰りは迷ったのだけれど――忙しいヴォルフラムのスケジュールがまたいつ空くかも分からない中、先延ばしにするのは賢明ではないと考えた。それに、春は最も故郷が美しい季節でもある。だからこそ、ヴォルフラムに見てもらいたかったのだ。
とりあえずこの後は、わたしが城内と都をヴォルフラムに案内することに決まった。
正座で足が痺れたヴォルフラムを気遣って、のんびり準備をしていたところに、
「ヴォルフラム様、シヅル、少しよろしいでしょうか?」
母・ミコトが声をかけてきた。
ヴォルフラムは小柄な彼女に目線を合わせるようにして背中を丸める。その些細な気遣いが嬉しくて、母さまもそれは同様だったようで、彼女の目が細められた。
「どうなさいましたか?」
「実は、私たちからヴォルフラム様に贈り物があるのです」
母さまの言葉がきっかけだったのか、後ろに控えていた侍女が“それ”を差し出してきた。
それ――落ち着いた色で統一された着物一式に、ヴォルフラムは目を瞬かせる。わたしはその隣で、「わぁ!」と声を上げてしまった。
見るからに高価な生地で作られた着物だ。ヴォルフラムに似合うに違いない。採寸は――抜かりない母さまのことだ、ザシャさんやファティマさんあたりと裏でやり取りをしていてもおかしくないな、なんて思う。
「ヴォルフラム様用に仕立てておきましたの。よろしければ月彌ノ国にいる間、お使いくださいな」
驚き固まるヴォルフラムの背を押したのは、ずっと後ろで控えていたファティマさんだった。その際彼女の華やかなウインクがこちらに飛んできて、母さまの協力者の正体を知る。
ファティマさんと侍女に促されるまま、着物を手に別室に入るヴォルフラム。わたしは襖の前で、ヴォルフラムの着替えを心待ちにしていた。
「素敵な殿方のようで、安心したわ」
母さまが小声で囁いてくる。
「心配なんてしていなかったでしょ?」
「あら、そんなことないわ。ヴォルフラム陛下がじゃじゃ馬に振り回されていないか、心配していたのよ?」
ふふふ、と笑う母さまにため息をついた。
親にとっていつまでも子は子。けれどそれにしても母さまの中のわたしは、あまりに成長していない。
木から落ちてじゃじゃ馬だと称されたのは随分と幼い頃の話だ。巫女になってからは振舞は改めたし、“雨巫女”は民たちの間では「お淑やか」で通っているというのに。
しかし反論したところで母さまには勝てっこない。母は強しという言葉があるけれど、母さまはまさしくその言葉通りのお方で、兄さまたちも父さまも頭が上がらないのだ。
再びこぼれそうになったため息を飲み込んだ瞬間、室内から侍女たちの母さまを呼ぶ声がした。きっとヴォルフラムの着付けが終わったのだろう。
「さぁさぁ、どんな感じかしら?」
部屋に入ろうとしたわたしを母さまは「まだシヅルは駄目よ」と制止する。そして一人で入室した。
襖の向こうから聞こえる母さまの歓声に、もどかしく思う。侍女たちの仕事は迅速かつ的確だから、きっと着付け自体に問題はないだろうに、母さまは何を焦らしているんだろう。
我慢できずに声をかけようと口を開いた瞬間、襖が素早く開く。目の前に立っていたのは、着物を着こなしたヴォルフラム――
わずかに青みがかったグレーの着物に、同系色の羽織。それらと比べて袴は明るいグレーで、裾に向ってグラデーションがかかっている。これ以上ない見立てだった。
居心地が悪そうに揺れる赤の瞳を見上げる。そのとき、なんだか違和感を覚えて、あ、と気が付いた。前髪を左右に撫でつけて、耳にかけている。きっとこれが母さまが行った最後の仕上げだったのだろうと思い、いつもとは違う雰囲気の彼を、つま先からてっぺんまで何度も見る――
「お似合いでしょう、シヅル」
すっかり言葉を失ってしまったわたしに、促すように母さまは言った。ハッとなって、反射的に脳裏に浮かんでいた言葉を叫ぶ。
「すごくかっこいいです、ヴォルフラム!」
ヴォルフラムはぐわっと首まで赤く染め上げた。そして赤く染まった顔を隠すように片手で覆い、思わず目線を逸らす。
――かっこいい、なんて、初めて言ったかもしれない。
ヴォルフラムの反応に釣られるようにして、数秒遅れてわたしも頬を赤らめる。そんなわたしたちの様子を「あらあら」と母さまは暖かな笑顔で見守ってくれていた。
「夕餉まで、ごゆるりとお過ごしくださいな」
わたしたちの邪魔をしないようにか、母さまは侍女を引き連れてそそくさと退室する。
部屋に残されたのはわたしとヴォルフラムの二人だけ。互いに顔を赤くして、ヴォルフラムは目線まで逸らしている。それをいいことに、着物を身に着けた夫の姿をよく観察した。
当然だが、ヴォルフラムが着物を着たのは初めてだろう。そわそわと落ち着かない様子でいるのは誰の目から見ても明らかだったけれど、長身の上元々立ち姿が美しいのもあって、随分と様になっている。
何より、夫が自分の故郷の服を着てくれたことがこんなに嬉しいなんて、思いもしなかった。
心の中で母さまに感謝しつつ、そっとヴォルフラムの横に寄り添い、その腕をとる。
「わたしの故郷を案内させてください。ヴォルフラムに見てもらいたいものがいっぱいあるんです」
――いつかヴォルフラムと一緒に、故郷を歩きたいと思っていた。自分が愛する故郷を、夫に案内したいと。しかしその日がこんなにも早く訪れるとは、思っていなくて。
破願して頷いたヴォルフラムの腕を引っ張って、わたしは部屋を出た。




