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11:「ホッとする」



 ヴォルフラムの叔母さま――ではなく、お母さまであるルフレさまとの秘密のお茶会は、あの日以降開かれることはなかった。お父さまに「見つかった」からか、安心されたからかは分からないけれど、とても不思議で貴重な時間だったとしみじみ思う。

わたしはルフレさまから教えていただいたヴォルフラムの好物のスープを作りたいと思い立ち、料理長の許を訪ねた。



「あのぅ、料理を作りたいのですが……」


「王妃様をキッチンに立たせるなどできません!」



 ――が、しかし、断固として断られてしまった。

 予想できた反応ではあるから、諦めずに食い下がる。



「陛下に手料理を作りたいのです。だめでしょうか……?」



 上目遣いで見やる。料理長は一瞬言葉に詰まったが、すぐに「駄目です駄目です!」と大きく首を振った。

 レシピを教えてもらった翌日、ルフレさまに改めて確認したが、料理長もこのスープの作り方は知らないらしい。その上私たちだけの秘密、と言外に門外不出と言われてしまっているから、レシピを教えて作ってもらうことも憚られる。



「もしお怪我でもされたら、陛下からどのような罰を受けるか……」



 料理長はヴォルフラムを恐れて、わたしを厨房に立たせてくれないようだった。つまりはヴォルフラムに許可を取ってくれば断る理由がなくなるはず。

 そう判断し、高らかに宣言した。



「でしたら陛下に許可を取って参ります!」



 ――そうして相談を持ち掛けたのはヴォルフラム、ではなく、側近のザシャさんだ。

 忙しいヴォルフラムを約束もなしに訪ねるのは憚られて、それはザシャさんも同じだったため、毎朝彼がわたしの部屋を訪れるタイミングで話を持ち掛けた。



「ザシャさん、わたし、ヴォルフラムに料理を作りたくて……厨房に立つ許可をください!」


「分かりました。私から言っておきましょう」



 ――勝算はあった。けれど一切迷わず頷いたザシャさんに、わたしの方が驚いてしまった。

 目を丸くするわたしに、こうしてはどうかとあれこれ提案をしてくれるザシャさん。彼の言葉に頷いていたら、あっという間にヴォルフラムと一緒に夕食を食べることが決まり、その場でわたしが作ったスープを振舞う、という話になった。

 ザシャさんはつくづく有能な側近だ。



 ***



 ヴォルフラムとの食事会の会場に選ばれたのは、沈みゆく夕日を一望できる一面ガラス張りのダイニングルームだった。

 詰めて座れば何十人も食事ができそうな大きく長いテーブルに、ヴォルフラムとわたしの二人分の食事がぽつんと用意されている様は、正直滑稽だ。どうやらヴォルフラムも似たようなことを考えていたらしく、元々王族用に作られたこのダイニングルームは、今は城に勤める人々に開放して食堂として使用しているらしい。



「夕日がきれい……」



 王族専用のダイニングルームとして作られただけあって、眼前に広がる景色は絶景だ。

 沈みゆく夕日が照らす西の空はどこか妖しげで、寂しくもあり、ルフレさまとの秘密のお茶会を思い出した。

 やがて運ばれてきたスープに、ヴォルフラムは赤の瞳を見開く。どうやら見た目と香りだけで、このスープの“正体”が分かったらしい。



「シヅル、このスープは……」


「ふふふ、レシピを教えて頂いたんです」


「母に、か?」


「……おそらくは、きっと」



 もう亡くなったお母さまから、スープのレシピを聞いた。そんな現実ではありえない話も、ヴォルフラムは決して疑わなかった。



「母と、どんな話を?」


「ヴォルフラムの小さな頃の話をたくさん聞かせて頂きました。お気に入りのぬいぐるみのお話も」



 どうやら“お気に入りのぬいぐるみ”に思い当たる節があったらしい。ヴォルフラムは苦笑して、指先で空間を“裂いた”。そしてその裂け目に腕を入れる。

 魔族マギルトはそんな便利な収納方法を持っているんだ、なんて羨ましく思っていると、ヴォルフラムは裂け目からぬいぐるみを取り出した。白くて、丸い――



「これか」



 写真に写っていたぬいぐるみと比べると、随分とくすみ、形も崩れてしまっていたけれど、気の抜ける顔が同じだ。

 ルフレさまの予想通り、ヴォルフラムは大切に持っていた。



「えぇ! やっぱり、まだお持ちだったんですね。ルフレさまもどこかにしまっているんじゃないかって……」



 ヴォルフラムはこちらにぬいぐるみを手渡す。両腕ですっぽり抱えられるほどの大きさだ。

 ふわりと鼻腔をくすぐった甘い香りは、もしかすると花の香りの移り香かもしれなかった。



「随分と情けない姿になってしまった」



 おそらくは中の綿がくたびれているのだろう。過去、母さまがお気に入りのぬいぐるみの綿を入れ替えてくれたことを思い出す。

 この子も同じことをすれば、ふわふわの体を取り戻せるかもしれない。



「……中の綿を入れ替えれば、少しは元に戻るかもしれません。ヴォルフラム、お借りしてもいいですか?」


「あぁ、よろしく頼む」



 ヴォルフラムは躊躇いなく頷く。思い出のぬいぐるみを預けてくれたことが嬉しかった。

 腕の中でぬいぐるみを抱えなおして、その間抜けな顔を改めて見つめる。刺繍で描かれているからところどころ糸が切れ、左右非対称な顔になってしまっているけれど、それがまたかわいらしかった。

 このぬいぐるみはわたしの知らないヴォルフラムを、たくさん知っているんだろう。そう思うと少しだけ羨ましい。



「名前はあるんですか?」


「……なんだったかな」


「覚えてるのに誤魔化してます?」



 突っ込むように口を挟むと、ヴォルフラムは苦笑した。嘘をついているようには見えなかった。



「忘れてしまったよ。シヅルがもう一度つけてやってくれないか」



 思わぬお願いをされて、瞠目する。

 百年以上昔の話だ。忘れてしまったというのも頷ける。しかしわたしが名付けるなんて――

 もう一度、ぬいぐるみの顔を見た。しかしこの間抜けだがかわいい顔に相応しい名前がなかなか思いつかない。それならば、と全体のシルエットを見て、頭を捻った。



「白くて……まん丸だから……しろ丸? そのまますぎるでしょうか」


「いいや、いい名だ」



 ヴォルフラムは顔を綻ばせる。どうやらしろ丸くんで決定のようだ。

 わたしの思いつきで名づけられてしまったしろ丸くんを椅子に座らせて、ヴォルフラムにスープを勧めた。冷める前に食べて欲しい。

 スプーンで口に運ぶその横顔を、じっと見つめる。そして、



「おいしい」



 彼の口から零れ落ちたシンプルな感想に、これ以上なく安堵した。



「よかった! 塩加減がいまいち分からなくて……」



 甘味の甘さもそうだが、故郷の味付けと比べると魔族の国は全体的に濃い味付けだ。だからルフレさまが言った「塩少々」の加減に随分と悩んでしまった。最終的には自分の味覚を信じたのだけれど、ヴォルフラムの好みから大きく外れていなかったようだ。



「ホッとする」



 ルフレさまの言葉を思い出す。ヴォルフラムがスープを好きな理由は「ホッとするから」だと。

 それならば彼の今の言葉は、何よりの誉め言葉かもしれない。



「ふふ、飲みたくなったらいつでも言ってくださいね」



 ヴォルフラムはこくりと言葉もなく頷いて――二度目の頷きの途中で、動きを止めた。かと思うとスプーンを置き、神妙な面持ちでこちらを見る。



「シヅルは何か、思い出の料理はあるのか?」



 このスープはヴォルフラムにとって、母の味と言っていいだろう。だからわたしにとっての母の味を尋ねられているのだと判断し、答えを導き出した。



「思い出……となると、お味噌汁かもしれません。毎日飲んでいましたから。今もおかげさまで、親しんでいる味ですが」



 まさしく故郷の味であり、母の味と言って差し支えがないだろう。今でもヴォルフラムや料理長の努力のおかげで、夕飯時には必ずついてくるのだけれど。

 なぜか険しい表情でううむ、と腕を組むヴォルフラム。――何を考えているかなんて、手に取るように分かる。



「……作ろうとしなくていいですからね?」



 言い当てられたことに驚いたのか、ヴォルフラムは頬を赤く染めて狼狽した。



「だ、だが、私ばかり……」



 真面目なヴォルフラムのことだ、自分も何かお返しをしなければ、と考えているに違いない。けれどさすがに魔王を厨房に立たせるわけにはいかないだろう。

 いい落としどころを考え、思いついたのは。



「でしたら、今度からはお時間があるときは、一緒にお夕食を頂きませんか? 料理長が作ってくれるお味噌汁はとってもおいしいから、ヴォルフラムにも飲んでみてほしいです」



 ――それはかねてから密かに願っていたことだった。

 食事を共にする。その行為は家族を強く結びつけてくれると思っている。ヴォルフラムが忙しいのは重々承知の上で、それでも叶うことなら、同じ食卓を囲みたかった。

 ヴォルフラムは束の間目を丸くして、それから顔を綻ばせた。



「もちろんだ。……私から言うつもりだったのに、先に言われてしまったな」



 へにゃり、と眉尻を下げて笑うヴォルフラムに、ルフレさまの面影を感じた。



 ***



 それから、数日。わたしの願いは早々に叶えられることになった。ヴォルフラムから夕食の誘いがあったのだ。

わたしは綿を入れ替えたしろ丸くんを抱えて、食堂へ向かった。



「しろ丸くん、ふわふわになりましたよ」



 席に着く前にヴォルフラムにしろ丸くんを差し出す。

 一度全部綿を取り出し、生地も何度か繰り返し洗って、新しい綿を入れなおした。新品同様とまではいかなかったが、随分とふわふわな体になったと思う。



「すごいな、ありがとう」



 ヴォルフラムはぽんぽんとしろ丸くんを軽く叩くように撫でて、その感触を確かめているようだった。その口元は綻んでおり、完璧な仕事はできなかったが彼に満足してもらえたのだと安堵する。

 ふと、ヴォルフラムが背後に何かを隠し持っていることに気がついた。黒くて丸い、なにかを。



「……その、よかったら、だが……」



 ヴォルフラムが恐る恐る差し出してきたのは――しろ丸くんの色違いだった。

 黒の生地でつくられたそれは、さながらくろ丸くんだ。



「くろ丸くん!」



 思わず抱きしめるように両腕を広げる。するとヴォルフラムはわたしの腕の中にくろ丸くんを置いた。



「シヅルが持っていてくれ」



 ――お揃いになるよう、探してくれたのだろうか。

 百年以上前に買ったであろうしろ丸くんと対になるくろ丸くんが未だに生産されていたことが驚きだし、それを忙しい中探してくれたヴォルフラムにもびっくりだ。そして何より、「お揃いで持っていたい」と思ってくれたヴォルフラムの心が愛おしくて、嬉しい。



「ありがとう、大切にします」



 お互い隣の席にしろ丸くんとくろ丸くんを座らせて、初めてのお味噌汁に感動するヴォルフラムを微笑ましく思っていたら、穏やかな夕食の時間はあっという間に過ぎていって。

 ――その日から、わたしの部屋の枕元にはくろ丸くんが、ヴォルフラムの部屋の枕元にはしろ丸くんが飾られるようになった。一緒に夕食を食べられない日も、くろ丸くんを見ればヴォルフラムをすぐ傍に感じられるようで、わたしたちの距離がまた一段と近づいたような気がした。



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