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01:「……ひとめ惚れだ」



 ――魔族マギルト人族ヒュマートが共存の道を選んで、五百年。

 幾度となく繰り返された魔族マギルト人族ヒュマートの戦いはすっかり過去のできごととなっていた。


 力と魔力に秀でた魔族マギルトと、技術に秀でた人族ヒュマート

 寿命も、生活に必要な環境も、常識さえ違う彼らは自然と、領地を魔族の国と人族の国に分けた。それは共存のために必要な区別であった。

 魔族マギルトは一人の王の元に一つの国を成している一方で、人族ヒュマートは複数の国にそれぞれ王を持ち、同盟国として協定を結んでいた。

 干渉しすぎず、互いを尊重し、必要なときは手と手を取り合い、世界はより豊かに成長していった。


 過去の凄惨な争いを二度と繰り返さぬように。

 これからも手と手を取り合い、共に歩んでいけるように。


 講和を結んでから五百年経ったとして、魔族マギルト人族ヒュマートは、五百年祭と銘打った盛大な祭りを催した。このときばかりは種族も国境も超えて酒を飲みかわし、肩を組み、未来を語らった。

 そして何十日にも及ぶ祭りの最後、喜ばしい報せが世界中に届いた。国民たちはその知らせに熱狂し、二種間の関係が今後、より良いものになると確信した。

 世界中の魔族マギルト人族ヒュマートが心を一つにして祝福したその報せとは――


 魔族マギルトの王・魔王の許に、人族ヒュマートの姫が嫁入りする、というものだった。



 ***



 魔族マギルト人族ヒュマート

 異なる二つの種族が手と手を取り合うこの世界を、わたしは愛している。



「シヅル様」



 背後から名前を呼ばれて、わたしは振り返る。そこに立っていたのは妖艶な魔族マギルトの女性だった。

 一見すると人族の女性に見間違えてしまいそうだが、尖った耳は魔族特有のもの。きっと魔法でその姿を人族に寄せているのだろう――おそらくは、人族ヒュマートであるわたしを怯えさせないために。

 わたし――シヅル・ツクヤは極東の小国・月彌つくやノ国の末姫だ。父は確かに王だが、小国であるが故に同盟国の中でそこまで強い発言権があるわけでもなく、魔族との交流もほとんどなかった。それなのにどうして自分がここに立っているのか、不思議で仕方ない。


 ――わたしは今日、魔族の王である魔王さまに嫁入りする。


 それを告げられたのは突然だった。

 五百年祭の直前、父から呼び出されたかと思うと、彼は開口一番に言ったのだ。『魔王と結婚してほしい』と。

 意味が分からなかった。けれどわたしには、父の言葉に逆らうことなどできなかった。

 何も言わずただ一度、頷いた。だから今、こうしてこの場――花嫁の控室にいるのだ。



「シヅル様、とてもお綺麗です」



 故郷から“持参する”ことを許された数少ないものの中に、幼い頃から親しい侍女・ミヅキの存在があった。

 彼女は古くから王家に仕える家系の出で、母も祖母も、辿れるだけ家系図を辿っても、全員がなんらかの形で王家に仕える職についている。ミヅキは偶然わたしと数日違いで生まれたことで、幼い頃は友人として、今は侍女として誰よりも傍で支えてくれていた。

 信頼する彼女に褒められたことで、幾らか肩から力が抜ける。



「ありがとう、ミヅキ」



 鏡に映る、見慣れない自分。

 アシンメトリーの黒髪を揺らし、不安げに青の瞳を揺らすわたしは、人生初となる純白のドレスに身を包んでいる。

 純白どころか、ドレスを着ること自体初めての経験だ。和の国として知られる月彌つくやノ国は、今でこそ洋服を着る国民も多いけれど、わたしは“巫女”のお役目を与えられていたから、巫女服ばかり着ていたのだ。

 国が信仰する龍神さまの声を聞き、国民にその言葉を伝えるのが巫女の役目だ。とはいっても長い歴史の中で巫女の血も力も薄れ、龍神さまの声を直接聞ける巫女はもういない。今や肩書だけ残っているようなものだった。

 それでも巫女は龍神信仰の象徴ともいえる存在で、巫女の舞は龍神さまから言葉を頂くための対価として捧げるものであり、国民の前で舞を披露する機会が年に何度もある。わたしが舞を披露するとかなりの確率で恵の雨が降ることから、雨巫女様、なんて呼ばれ親しまれていた。

 ――しかし、それはあくまで小さな故郷の中での話だ。雨巫女様という呼び名は他の国では全く知られていないし、小国の末姫であるわたしの存在なんて、魔王さまが知るはずもないと思っていた。

 だから。



「シヅル様、我が王がお待ちです」



 魔王さまに嫁入りすることになるなんて、あの日父さまに言われるまで、ちらりとも考えたことはなかった。

 魔族の女性に促されて控室を出る。慣れないドレスの裾をどうにかこうにかさばきながら、わたしは魔王さまが待っているという謁見の間に向かった。

 結婚が決まってから今日まで、夫となる魔王さまと会う機会は一度も与えられなかった。きっと、これは政略結婚に違いない。

 五百年祭のフィナーレに、魔族の王の許に人族の姫が嫁ぐ。なるほど魔族と人族の共存を祝う祭りの最後に相応しい。自分は人身御供に選ばれたのだ。



「この先で魔王様がお待ちです」



 大きな扉の前で魔族の女性が振り返る。わたしは思わず生唾を飲み込んだ。

 ――あぁ、怖いひとだったら、どうしよう。

 恐怖を必死で振り払う。

 結婚の話が決まってから、必死で魔王さまについて調べた。会議で顔を合わせているであろう父さまに話を聞こうとも思ったが、五百年祭の準備でとても忙しそうにしていて、遠慮してしまったのだ。

 どうやら歴代最年少で魔王の座についたらしい今代の魔王さまは、優秀だが冷酷と称されることも多く、一部から不正や腐敗を何よりも嫌う潔癖すぎる王だと揶揄されていた。古くから仕えてきた家臣だろうが、少しでも後ろ暗い部分があれば容赦なく切り捨てる。一方で優秀な者は出生に拘らず積極的に取り立てて、側近の中に人族がいるという噂まであった。

 魔王さまの噂を調べて、わたしは夫が自分に興味を示すことはないだろう、と結論付けた。誰がどう見ても、五百年祭の余興の結婚。胸は痛むけれど、表向きとはいえ小国の末姫である自分が異種間の架け橋ともいえる大役を任されたことに、誇りと使命感を感じていた。



(魔王さまの花嫁というお役目を、全うしなければ)



 目線をあげ、胸を張る。

 扉の前に立つ魔族と目を合わせ、小さく頷けば、目の前の扉が開かれた。

 大きな両開きの扉が開いた先。そこに立っていたのは、魔族を統べる王――



「あなたが、シヅル殿か」



 魔王さまは、人族によく似た姿をしていた。もしかするとわたしを慮って、その姿に化けていたのかもしれない。

 くすんだ茶髪に、妖しい光を纏った赤の瞳。花婿衣装を着こなした“夫”は、魔王というより王子さまのような出で立ちだ。

 ただ一つ、彼は二対の立派な角を持っていた。瞳と同じ赤のそれは、彼が魔族だと視覚的に訴えかけてきて。しかし、不思議と恐ろしさを感じなかった。

 こちらに向けられた赤の瞳が、ふ、と優しく緩められたからだろうか。



「シヅルと申します」



 その場で頭を下げて挨拶をする。声が震えた。

 こうして顔を合わせてもなお、目の前の魔族と結婚するのだという実感が、魔王さまの妻になるのだという実感が、どうしても湧かなかった。

 異種間での結婚は、共存から五百年経った今でもとても珍しいことで、前例がほとんどない。そのためどのような結婚生活を送ることになるのか、全くイメージできずにいた。それだけ珍しいことだから、魔王の許に人族が嫁ぐという報せにここまで国民が湧いたのだ。

 魔王さまがこちらに歩み寄ってくる足音を、頭を下げた体勢のまま聞いていた。その足音が近くで止まった瞬間、意を決して顔を勢いよく上げた。

 ――正式に結婚する前に一つだけ、はっきりさせたいことがある。



「どうして魔王さまは、わたしを妻に選んでくださったのですか?」



 魔族と人族の結婚を五百年祭のフィナーレとするのであれば、わざわざわたしを選ぶ理由はない。むしろ大国の姫の方がより話題になっただろう。

 気まぐれと言われてしまえばそれまでだ。しかしどうして自分が選ばれたのか、その理由が知りたかった。

 顔を合わせて早々の問いかけに、魔王さまは固まっていた。見開かれた赤の瞳を見て、タイミングを誤ったかもしれない、と後悔が胸の内に滲み出す。

 しかしそれでも、尋ねるなら今しかないと思った。正式に国民たちの前で結婚を誓う前に聞きたかった。



「――だ」



 ぼそり、と魔王さまの口が動いた。しかしわたしと魔王さまにはかなりの身長差があり、独り言のような声量ではうまく聞き取れない。

 聞き返すのは不敬ではないかと思いつつ、言葉では問いかけずに首を傾げた。すると魔王さまは片手で口元を覆い、わたしから目線を逸らす。



(ご、ご不快にさせてしまった……?)



 恐怖で心臓が竦みあがり――しかし次の瞬間、魔王さまの耳が赤く染まっていることに気が付いた。

 え、と思わず驚きに声がこぼれ落ちたとき、



「……ひとめ惚れだ」



 思いもしなかった言葉が、鼓膜を揺らした。



(ひとめ、惚れ。……ひとめ惚れ!?)



 わたしからしてみればにわかに信じがたい言葉だったが、そう言った魔王さまは耳まで真っ赤に染め上げている。この表情が演技だとしたら、彼はとんでもない役者だけれど――そもそも、こんな嘘をつく理由もない。

 今わたしの目の前で頬を赤らめる魔族の男性は、恐れる魔王さまからは程遠い、ただの恋する若者のようだった。



(今の言葉は、ほんとう?)



 唖然と魔王さまを見上げる。彼はちらりとこちらを一瞥し、赤い頬はそのまま、なんとその場に傅いた。そしてわたしの手を、まるで壊れ物でも扱うような優しい手つきで掬い上げる。

 魔族唯一の王が自分に傅くその様を、わたしは信じられない気持ちで見つめていた。



「どうか私と、結婚してほしい」



 はい、と、小さく頷くだけで精いっぱいで。

 ――その夜、純白の婚礼衣装を纏い並び立つ“魔王夫妻”に、世界中の人々が祝福の言葉を送ってくれた。



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