029『朝日:桧垣』
目覚めると窓越しに朝日が昇っていた。
思わず窓を開けそれを確認した。――本当に雨がやんでいる……。
昨晩までの雨で濡れた木々たちが、朝日を浴びてキラキラと誇らしげに輝いていた。
昨晩、セイラは大分ショックを受けていた。助手の米沢、その他救助に来た二人も共にアマヌシャになってしまった事に責任を感じているのだろう。自らの探究心を優先した結果そんな事態を引き起こしてしまった自分が許せない、そんな感情が渦巻いている様だ。
私の隣に布団を敷きそのまま眠りに就いてしまった。
十吾さんが朝食を運んできた。
今朝のメニューもとろろご飯に、生卵。それにオクラのポン酢和えとお味噌汁である。
「これ食って、精力つけるたい」
「いただきます……」
多賀谷はこの村で記憶を引き継げるのは自分とさくらさんだけと言った……だが私的にはこの十吾さんも実はそれと同じようなことが出来ると思っている。そしてその上でループしている振りをしていると思っている。だけどそれを確認しない方が良いだろう……十吾さんとお花さんそしてさくらさんの人間関係は結構複雑なのだ。もうこれ以上首を突っ込みたくはない……私の危機察知能力が警鐘を鳴らす、絶対に蛇が出て来ると……。
私とセイラは同じ卓袱台で朝食を頂いた。
落ち込んだままのセイラと、考え事をしながら静かに食事を済ます。食器を洗い十吾さんのところへ持っていくと……。
十吾さんはロビー横の厨房で機械を操作してラムネの瓶を量産していた。
逆さに管に刺さった瓶にラムネが注がれクルリとひっくり返る。その瞬間、中の炭酸ガスの圧力でビー玉が栓になる。見ているだけで楽しい……。
「ラムネですか」
「神社の子供たちへお土産たい」
そう言いながら十吾さんは出来上がったラムネを猫車(手押しの一輪車)に乗せた木製ケースの中に詰め込んだ。
「あの十吾さん、お願いがあるのですが、ちょっと荷物を運びたいのでカバンか何かありませんか……」
和泉田夫妻は料理などを作って夕方から神社に向かうそうだ。私は十吾さんにお願いして軍人たちが忘れて行った雑嚢袋(軍支給のショルダーバッグ)を一つ貰った。ついでにラムネも二本……。
部屋に戻りセイラにラムネを手渡す。
「今から、桧垣さんのところに行くけど、どうする」
「付いて行く……」
「それなら早く準備しろ」
私たちは服を着替え準備を整え出発した。
雨上がりの水たまり。草木にキラキラと輝く雫。今日は七月十日、午後からは暑くなりそうだ……。
こんな雨上がりの夏の日は決まって子供の頃の夏休みを思い出す……。真っ青な青い空に入道雲。せわしげになく蝉の声。そして……。どれも懐かしい。
私とセイラは宿前の坂を下り吊り橋まで小走りに歩いた。
神社の大鳥居まで来ると桜色の小紋を着たさくらさんがすでに待っていた。
「おはようございます浅間殿。これ頼まれていたものです」と言って風呂敷包みを渡された。
「ありがとうございます」私はそれを受け取り雑嚢袋へと入れた。
「では、参りましょう」言葉少なくさくらさんは大鳥居から南へ下る道を降りて行った。
和装なのに滑るようにスタスタと前を歩くさくらさん。遅れまいと私たちは足早に後をついていき、お地蔵様のある四辻に出た。そのまま南へ、石橋で沢を渡り道を左へ折れたところで酒蔵が見えて来る。
人気を感じさせない塀に囲まれた建物。固く閉ざされ門。その横の戸口をさくらさんはおもむろに叩いた。
「ごめんくださいまし」
待つことしばし……。
「何の用な……」カチャリと音を立てて開いた戸の隙間から桧垣さんが顔を出し、そして、さくらさんの笑顔を見て固まった。
――うん、わかる。知っている人ならこの人の笑顔は恐ろしい……。
「泡嶋神社のさくらです。今日は桧垣殿にお願いがあってまいりました」
「……」
固まったままの桧垣さんの横をすり抜けて、さくらさんは素早く戸の内側に入り込む。
「先ずはこちらの二人にいくつか道具を貸していただきたいのです……」
私もすかさず戸の内側に入り込み言葉を続ける。「すみません、ペンチと金鋸があればお借りしたいのですが。後それと四合瓶を十本ほどいただけませんか」
「……おお、ええで、道具じゃったら三番蔵の戸口にあるけえの。瓶はその辺にあるけえ好きなように持ってきんさい」再起動を果たした桧垣さんは、そう言って事務所の中へ鍵を取りに行った。
どうやら桧垣さんは私とセイラの記憶を既に失ってしまったみたいだ……。一抹の寂しさを覚える。
ふと、背後を見るとセイラが何か言いたげな表情で言葉をこらえて立っていた。
――こいつはここへ逃げ込んで十六日間も桧垣さんと共に過ごしてきたのだ、言いたいことは一杯あるだろう……だが、それを言葉に出して言った見たところで意味はない、既にその記憶は失われているのだから……。
私とセイラは鍵束を受け取ると、そそくさとその場を後にして一番南にある三番蔵へと向かった。
蔵の鍵を開けるとすぐそこのテーブルに工具が乱雑に置かれていた。ここにはボイラーがある。その修理のための工具だろう。
私はその中から金鋸と大きなペンチとバールを取り出し雑嚢袋にしまい込んだ。
「ん、何だ?」背後で俯くセイラに聞いてみた。
「私まだ桧垣に御礼を言って無いの……」
「でも、もうあの人に記憶はないぞ」
「うん、わかってる……それでも……」
私たちは鍵を閉めて三番蔵を後にした。外には桧垣さんとさくらさんの姿が見えない。恐らく事務所の中に入ったのだろう。
――よし、いいチャンスだ……。
「ちょっとここで待っててくれ。一番蔵の中を見て来る」
そう言ってその場にセイラを残し、私は素早く一番蔵の扉を開けた。
開け放たれた扉から、外の明かりに浮かび上がる室内。
埃と薬品の臭いが充満している。沢山の棚と机がなんでいる。セイラに聞いた通りビーカーとフラスコと試験管があちこちに散乱していた。奥の方に高さ四メートルほどの鉄の檻が三つ……。足元に気を付けながら奥へと進んだ。
書類の類は一切見当たらない。持ち出されたのだろう……。奥の棚に大きな瓶が並んでいるのを見つけた。
ホルマリン漬け……。
心臓・肝臓・脾臓・膵臓・腸・・・・・。サイズから見てもおそらく人間の物だろう……いや、アマヌシャか……。
一際長い三メートルの瓶に右手と右足も入っている……。
――奴らはここで一体何をやっていた?
辺りを見回す。
大きな体重計に巨大なばね秤。電気を使う何かの測定機器がいくつも置いてある。向こうの棚には、ラベルを剥された沢山の薬品……。
――成る程……どうやらここでアマヌシャの性能テストをやってたんだな……。
私は一番右の檻を見上げた。――そしてトラブルを起こして中止した……。
その見上げた檻の鉄棒は見事にひん曲がって広げられていた。周囲の壁には弾痕の跡。床の焦げ跡は手りゅう弾だろうか?
そして、最後は恐らくマヒトが鎮めたのだろう……。それで彼等は悟ったのだ……アレは自分たちにはコントロールできないと……。
私は一番蔵の外へ出て鍵を掛け直した。
事務所の前に戻り四合瓶を探す。
そこに合った木製ケースに十本ほど詰めて持って返えることにした。
事務所の中からさくらさんと桧垣さんの声が聞こえてきた。
「さくらさんそんな風に言われてもわしには行けんのよ。そんだけの事をやったんじゃけえあんたが言うようには出来んのよ」
「どうしても来てはいただけませんか」
「わしには行けんよ……」
「そうですか。ですがあなたをこのまま此処へ残しておくことは出来ません。ですので、これからマヒト様に会って頂きます」
「そりゃ、どうしてもかいの」
「ええ、どうしてもです」
「それじゃったら、ちょっと着替えて来るけえ待っとりんさい……」桧垣さんは建物の二階へと上がって言った様だ。
「しばらくお待ちください」一人事務所から出てきたさくらさんが少し悲しげにそう言った。
「禊を行うのですね」私はケースを抱えそう訊ねた。
「ええ……残念です」
さくらさんは寂し気に晴れ渡った空を見つめた。
しばらくして、桧垣さんが黒い紋付き袴の姿で現れた。
「それでは、参りましょう」さくらさんがそう声を掛け四人は酒蔵を後にした。
足取りも重く四辻まで引き返してきた。
私とセイラはここで右に曲がり温泉へと帰る。
セイラが進み出て桧垣さんの前に立った。
「桧垣さん、あなたはもう覚えて無いのかもしれませんが、私は以前貴方に命を助けてもらいました」
桧垣さんが少し困惑気味に答える。「おう、ここが少し変なんはわかっとる。けどわしにはもう記憶にないけえ気にせんでええよ」
「ですけど……」セイラが詰め寄る。
「そんなんいちいち気にしとっても、たいぎい(面倒な)話じゃろ、気にしんさんな」
「桧垣さん!」セイラはさらに詰め寄りいきなり抱き着いた!「ありがとうございます!」
瞬時に真っ赤な顔になる桧垣さん。「……」カチコチに固まり言葉を失った。
私も地面にケースを置き近づいてお礼を述べる。「桧垣さん、色々とありがとうございました」
そして、桧垣さんと握手した。
私とセイラは次第に小さくなっていく痩せっぽちの桧垣さんの背中を見送った……。これから桧垣さんは一人マヒトに会い未練となる記憶を消し黄泉路に向かうのだ。
何故、今日までここに残っていたのかは本人のみにしかわからない。だが、セイラと私は彼に助けられたことは事実なのだ……。
そして、私とセイラは温泉に向けて歩き出した。
ちなみに、大変に不謹慎ながら私はこの時、桧垣さんが 〝別の意味で昇天してしまうのでは?〟 と心配した事は内緒である……。




