11 どうしても
「ねぇ。なにか、言いたいことがあるって顔してるわよ」
「え?」
時は夕刻より少し前。
場所は相変わらずの西塔の崖下。
アルムは、ユナとともに歌劇の練習をしていた。
が、ふと休憩中、うろんな視線を投げ掛ける少女に詰問される。青い瞳には「言ってもらったほうがスッキリするんですけど」と言わんばかりの、じとっと睨むような光があった。
「えぇと……(なんで、わかったんだろう)……」
答えづらく、笑顔でたじたじと後ずさるアルムを、同じ距離だけユナは追い詰める。
(嬉しいんだけど……何だろう、この逃げられない感。可愛いのに怖いとか詐欺だな、可愛いけど)
ちいさく諸手をあげ、困り顔で笑むアルムの濃い緑の瞳と彼女への思考は、あいかわらず甘い。
あれから二日。雨の日の夕刻は練習が中止になる約束なので、マルセルから話を聞いてからは、今日がはじめての練習となる。
アルムは躊躇したが……結局は、情報を当事者である彼女からも聞いて確認しようと決断した。「あの」と、重々しく口をひらく。
ユナは「うん?」と小首を傾げたあと、ふと湖に背を向け、少し離れた場所にあるベンチまでたどり着くと、すとんと腰を降ろした。アルムを見ながらぽんぽん、と左側の座面を手のひらで叩いている。
――どうやら、“こっちに来て?”ということらしい。
愛らしい仕草に、思わず暗緑色の瞳を細めたあと。少年は、勧められるままに指定された場所へと足を向けた。
ユナが一瞬目をみはり、誤魔化すように目を逸らしたことに、かれ自身は気づかない。これから話す内容の重さのまま、芝を踏む足元ばかり見つめている。
やがてゆっくりと、楽譜一枚分ほどの距離をあけて座った。立ちっぱなしの練習はそこそこ疲れる。歌うことの高揚感が、疲労を疲労と感じさせないだけで……
ふぅ、と脱力したあと。吐息を湖からの風に紛れさせるように尋ねた。
「……ユナは、湖の民なの?」
* * *
暁色の髪の少女は、じっと左隣の横顔を見つめている。それこそ、穴が空くほど。
刺さるほどの視線が痛くて、アルムは負けた。ちらっと横目でユナを窺う。暗緑色と澄んだ青色の視線が近い距離で絡む。――青色の視線の主は、目を逸らすことなく、何の気負いもなく答えた。
「そう。マルセル殿下から聞いた?」
「うん」
そっか、と呟いた少女は立ち上がり、アルムに背を向けて三歩ほど湖に近づいた。さく、さく……と、芝を踏む音。少女は色を変えつつある空を仰ぎ、後ろに手を組んで佇んでいる。
「あー……うちね、って言っても。もうわたししか居ないんだけど。代々伝えられてたらしいわ。“青ではない瞳の者と婚姻してはならない”って。
十歳のとき、母を看取るときに言われたの。父は、それより少し前に亡くなってたから……納得したわ。『あ、だからか』って。
特に病気でもなかったのに、風邪でもひいたみたいにある日、寝込んで。そのまま……眠るみたいに」
「――ユナ」
アルムの呼び掛けを聞き流し、ユナは滔々と語る。部外者の少年に、口を挟ませないためであるかのように。
「マルセル殿下の心配も、ごもっともよ。大事なご学友に、得体のしれない娘を近づけるわけにはいかないもの」
「ユナ!」
(そう……かもしれない。けど、そうじゃない……!)
もどかしさを持て余し、アルムは立ち上がると素早く少女のもとへと大股で歩み寄る。細い肩に後ろから手を掛け、やや強引に振り向かせた。
長い髪がたなびく。
少女の瞳は青さを増し、感情の昂りを窺わせる。挑むような眼差し。涙は影も見当たらないのに、なぜか慟哭の気配を感じた。
案じる瞳の少年に、ユナは更に痛みを伴う言葉を選び、わざわざ重ねてゆく。
「違う、なんて言わないでよ。でなきゃ殿下がそんなこと、一々引っ張り出さないわ。もう、わたし一人がいなくなればこの国から短命の因子はなくなるも、の……っ!? て、アルム??!」
――ことばが、もどかしい。
考えるよりも前に体が動いて、アルムは小柄な体躯を腕のなかに閉じ込めてしまった。そのままぎゅっと抱きしめて、暁色のふわふわとした髪に口もとを埋める。
ふわりと、惹かれてやまない少女の匂いが鼻腔を満たして、アルムは軽い酩酊を覚えた。更に腕に力を込め、彼女の髪に右手を差し入れて華奢な首筋に触れる。――あたたかい。
「……君が」と、髪に唇を埋めたまま囁くと、少女の肩がビクッと震えた。
――温かくて、柔らかい。生きてる。
そのことに、ひどく満たされる。満たされた分だけ、同じだけ胸が苦しい。
その、矛盾する恍惚に促されるまま、ちいさく告げた。
「好きなんだ……手遅れだよ」




