10 湖の民びと
「で、歌わずにお喋りして帰ってきた、と」
「えぇ」
「それから、毎日毎晩逢ってる、と」
「えぇ……え? それは違います、マルセル。日が暮れたら寮に戻るんです。それで、帰寮がたまたま夜になるだけで……!」
慌てふためく黒髪の少年は、頬をうっすらと染めた。
(お前は乙女か)と白銀の髪の親友が心で呟いたが、もちろん聞こえていない。本人は未だに必死になにか言い募ろうとしている。
空は曇天。やや厚い灰色の雲が空を覆うため、窓に臨む視界は鈍く色合いを落としている。やがてぽつ、ぽつと降り始める音。さあぁ……という細い雨の音が響き、白銀の髪の親友――マルセルはやれやれと肩をすくめた。
「ご執心なのは結構だがな、アルム。次期国王としては、彼女はあんまりお薦めしない」
マルセルの背は窓辺に寄りかかっており、しかも開いている。未来の主君や、寮の自室を雨で濡らすわけにもいかない……と、備え付けの机の椅子から腰をあげたアルムは、不精な親友に代わり、ぱたん、と窓を閉めた。
――雨音が遠くなる。
「理由をお訊きしても?」
まったく動じることのない黒髪の少年に、青年は琥珀色の視線を流した。組んだ腕はそのまま、足にかかる体重を少し、ずらす。
「彼女は、おそらく“湖の民”の末裔だ」
「……みずうみの、民――?」
聞いたことのない単語に、アルムは素で繰り返した。マルセルは珍しく真面目な表情になり、こくんと頷く。
曰く。
湖の民とは、昔レガートがこの島に入植する前に、ここで暮らしていた民だという。
事の仔細は伝わっていないが、穏やかな気性の人びとで、楽の音を好み、当時皇太子であったのちの二代皇帝からの執り成しで追放や虐殺の憂き目に合うこともなく、ゆるやかに融和していったらしい。――当初は。
事態が変わったのはかれらと、レガートの民との混血児の問題が露見してからだという。
* * *
―――――
いったん、二人の間に沈黙が降りる。
窓の外は未だ雨。窓硝子を打つ滴のぱた、ぱたた、という音だけが二人の沈黙を繋いだ。
そろそろ朝食を摂りに行かないと、食堂が閉まってしまうのだが……
アルムはしかし、納得できない。肝心のところを、まだ話してもらっていない。
「混血児……、そうですよね。融和政策をとったなら、そうあるべきです。何があったんです?」
さらに長く重い話になろうとも、聞かないわけにはいかない。アルムは椅子に座らず、机に浅く腰掛けた。
マルセルは、ふぅ、と吐息を漏らす。いかにも「言いたくないんだが」と、いわんばかりだ。
組んでいた腕をほどき、左手を腰にあて、右手で首の後ろを撫でほぐしている。慣れない話題で、肩が凝っているのかもしれない。
徐に、淡々と告げた。
「出生率の低下と、短命だ」
「……!」
もたらされた言葉を吟味する前に、反射でアルムは疑問を心に並べ立てる。
(待て待て、短命といっても――ユナは健康そうだ。確かに線は細いけど。それに“末裔”というなら……他にもいるのでは? 生き延びた者がいないとおかしい。マルセルのいう通りなら、すでに滅んでいても)
不吉なことばが胸を過った瞬間。暗緑色の瞳がハッ……とみひらく。
アルムは、唇を噛んで思考を止めた。
混乱の収束の気配は伝わったのか、マルセルは再び語り始めた。
「第二世代に、その特徴は顕著だった。青いレガート湖の瞳、妖精のような風貌、暁色の髪。――これは純血の、或いは血の濃い者に受け継がれる要素らしい。ユナは『身寄りがない』と言っていたろう? おそらく最後の純血種か、それに近い血の持ち主だ。
貴重な楽士伯家に、今は特に混ぜるわけにいかない、というのが皇王からのお達しだ。……すまん」
「混ぜる、て……え、陛下に確認取ったんですか? こんな私事で?!」
ぎろり、と琥珀の瞳がアルムを睨む。
あまりないことだ。黒髪の少年は、すん、と咄嗟に黙り込んだ。
「私事じゃない。お前にも、私にも卒業後は“公”しかないよ、アルム。大事な大事な、側近候補の伴侶になるかもしれん娘だと思ったから、調べたまで。予想以上の娘で私も驚いた。調べなきゃよかった、ともな。……だから、謝ったんだ」
そこまで、ぼそぼそと述べたあと。マルセルは、ふい、と視線を逸らした。
ふて腐れたように腕を組んでいる。それは、「もう喋らないぞ」という固い意思表示にも見えた。
「少し……考えさせてください、マルセル」
「あぁ」
いま出せる、精一杯の答えはそれだけ。
――未来の君主と側近候補は、言葉少なに部屋を出る。
とん、とん……と階段を降りながら、アルムはしかし、これだけはと親友に伝えた。
「あの……ありがとうございます。真剣に調べていただいて。正直、まだ混乱してるんですが……私も身寄りはないですから。そういう意味では、ユナに寄り添いたいと思ってます。すみません」
前をゆく青年の背中から、ふっと空気が軽くなる気配がした。
「うん。まぁ……なんだ。見守ってやる。あとは、好きにしろ」
若干素っ気ない、放り投げたような台詞。けれど、青年独自の柔らかな響きをもつ温かい声音に思わず癒される。
アルムは息を止めざるを得ないような、喉の奥にぐぅっと引っ掛かる衝動をこらえつつ、辛うじて「……御意」と、呟いた。




