8話
ギド・モルバスの捕り物の失敗と賊の逃亡。街の中ではこの話題で持ちきりである。この戦いに傭兵の一部が雇われて敵に付いたという話しも広まっているのは内部からの情報提供があるのは間違いない。というのが街の人間達の予測だった。
ただ、個人の武勇でギドとフォルクが活躍した。という事は同時に知られている。これはギドの手の者がそう広めている部分がある。少しでも雇い主のギベリニの名に傷が付かぬように、部分部分ではこちらが圧倒した戦いであったと広めておくというのは「名誉」を守るためにも必要なのでギドとしては面倒だがしないわけにはいかない。おかげでまたもフォルクの活躍は知られる事になった。
その事を説明するのも含め賊の追撃で街を後にするギドが挨拶に来た時のにこやかな笑顔でまた会いましょう。という言葉を思い出す。あの娘と同じ様な言葉を送ったフォルクだがここまで会いたくない相手というのも珍しいものである。
(まったく余計な事を)
そういった貴族階級の問題を承知しているフォルクとしては頭の痛い所である。問題をごまかすために自分とギドを持ち上げる事で必要以上に目立つのは本来問題がある。無用な詮索を生むし、挑戦を求めたり、見学に訪れる人間が増える。劇場が繁盛する理由の一つだとはいえ、フォルクには何ともいえぬ状態にある。色目を使う女性客も、戦いや引き抜きのために訪れる男もフォルクにはただただ余計な存在なのだ。
そういったお客様との対応をこなしながら警備の時間以外は剣に使う時間を増やすか。先の戦いでの反省もフォルクは考えている。言葉もある程度理解してきた。一時劇場の警備から離れ、噂が落ち着くまでどこかにこもるべきか。とも考える。というのも、一度「あの場所」に戻って様子を見てみたい。という考えがフォルクにはあったのだ。そのまま戻るもよし。戻らぬもよし。ギドという男に関わった以上、ここに腰を落ち着けるのも少し問題がある様にフォルクが感じたというのもある。ただ一番は負けたと感じたフォルクの精神的な問題と、腕が落ちたという危機感の方が問題が大きい。今日も一日。フォルクはフォルクなりの難題と戦っていた。
「あのかなりの使い手のノワールと戦ったそうだ」
「とてもあの傭兵と戦える程に剣を使える様に見えんな」
「体つきもそこまで大柄でも屈強な筋肉があるわけでもない。ただ魔法が使えるというし、それもあるのでは?」
「きっと異国の魔術なのかもしれないぞ。でなければあのノワールと弓の援護を切り抜けるのは不可能だ」
やっとひと段落した事で落ち着いた気分で門に立てば、先の大立ち回りで注目を集めたために、フォルクは今日も別の意味で人を集める客寄せになっている。今日もフォルクがどの様な人間か見極めるために多くの人間が劇場を訪れる。同時に彼らは観客としてお金も落とす。元々質の高い劇団員を抱えているが、更に人が集まる事でその人気と相まって利益は大きくなるものと思われる。フォルランとしては嬉しい流れである。
が、人が増えれば当然警備も忙しくなる。ベータとして中々面倒な事この上ない事態でもある。そして想像もしていない事が舞い込んできた事でフォルランからの相談を受けて更にベータを悩ませるのである。
「フォルクを師として貴族のお嬢様に半年武芸を仕込む。か」
フォルランから真顔で相談されたのは、今は男子がなく落ちぶれた伯爵家門地を継いだ令嬢が護衛の騎士を雇う事すら間々ならず、その分自分を強くするために巷で噂のフォルクから武芸を学びたい。という話を受けたという事である。
裏があるのでは? と思ったが、父親とフォルランの交友があった事で門地を継いだ令嬢の性格を知っているフォルランはそれを否定している。本当に護身術を学びたいのだろうと結論付けていた。その辺はフォルランの見る目は確かである。問題はないだろう。そうベータが思うがだからといってフォルクを師とする事はあまり賛成ではなかった。
「あまり、賛成というわけではない様だな」
「まぁ、な。いくら剣豪といえど、剣の技量と同等に人に教えるのが上手いか、と言われればそれはまた違うからな」
ベータがお茶をすすりながら苦笑する。
「優れた女優や男優が皆優れた演出家や教える側になれるか?」
「そういうことか」
ベータの説明がわかりやすく、フォルランが理解を示す。
「元々言葉の不自由もある。ただでさえ教えるのは難しい。その上に会話が成り立たない、成り立ち難いとなると教えるのも教わるのも難しくもなろう。
それにだ、護身術程度であれば家の傭兵でも充分。フォルクを充てるというのは流石に人材の無駄遣いだ。本気で剣術を学ぶつもりだったとしても、半年やそこらでどうにかなるものではない。余程の天才なら違うが、そういった人間は一握りだ」
ベータの言葉にフォルランが顎に手を充てさすっている。すんなりとお断り。という結論を出せないという所を見ると、令嬢やその父親との関係から簡単に断れない関係があるのかも知れない。落ちぶれたというところを考えれば友誼以上の、恩義か。娘の将来に関して頼まれたか。
「どうしてもというのならば、フォルクも拒否はしないだろう。というか、そのご令嬢は家を空けて問題はないのか?」
「ある。が陛下のお膝元にも定期的に逗留はしなければならない。その間に仕込むという形になる」
流石にフォルランも護衛となると人をその令嬢に送るわけにもいかない様子で対応に苦慮している様だ。領地の経営ならば自分が助言するなり、主計の人間を派遣して赤字らしいので暫く財政が健全化するまでは貸し出し、経営をしながら令嬢に教える。という事も可能でやるつもりなのだがと笑う。
「この街に逗留するというのであれば、教えるのは問題はないだろうとは思うが、どこで教える?」
「家の敷地内。という事になる。出迎えは必要ないという事だ」
まぁ街中なら問題はなかろう。ベータもそう考えるが先のギドの捕り物の一件もある。これが心配の種であるが危険があるかもしれないというのは承知の上。と回答があったと言われればこれ以上言う事はベータにはない。
「で、その令嬢のご尊名を伺いたいのだが?」
「アスティア・アイバンホー」
アイバンホーという家名はベータも聞き覚えがあった。仁の人と知られる穏健派貴族で領民にも慕われる伯爵だったが、先年病で早死にした事で、彼の名声と手腕で支えられていた領地がかなり窮しているとも。いまだ領民や譜代の臣が離散せずにまとまっているのは父親の遺産と、美しい娘の努力の賜物だとも。
そして、このままでは配下の騎士や使用人に給金が払えず、暇を出さざるを得ない状況で実際だしているのにも関わらず、住み込みや食事を館のまかないで済ませるという節制で凌ぎながら奉公を続けるという美談とも言われている。養えないのに人が集まる悲劇でもあるわけだが、これは傭兵のベータとしては面白いものとしてみていた。ある種のフォルランに近い人徳が先代当主にあったのだろう。
「旦那が断れないわけだ」
ベータが楽しそうに笑う。こういった人情味のあるフォルランだから断れないのだろう。そして事情を聞けばフォルクの事、やはり断れないだろう。人が好いというのも考えものだ。ベータの考えを正確に読み取ったのかフォルランが苦笑いを見せる。
「お姫様が心配になるだろうから、ちゃんとそこを考えておいてくれよ?」
美しい貴族の娘がフォルクの元で学ぶとあればリタを始め娘達も心配で集まってくるのは目に見えている。暫く賑やかな毎日になりそうだ。そんな光景を思い浮かべて笑うベータと、手間がかかるという表情のフォルランが対照的であった。
「頼めるか?」
フォルランからの直接の頼みにフォルクが悩ましい。という感情を完璧に表情に出す。
「教える、苦手」
フォルクのまだ上手くない言葉にフォルランも頷く。これは以前劇団員や同じ傭兵仲間から教えを請われた時に同じ様に答えている。指導が嫌だというわけではなく、性格的に教えるという事に向かないのだ。ただでさえ言葉が上手くない事で難しい所もある事も難しさを格段にあげていた。
だが、フォルランから経緯を聞くとベータが言った様にフォルクが拒否する事はできなかった。アスティアの話と先代の話を聞けばフォルクとしては少しだけなら協力しても良いか。そう結論をだしたのは、報酬として上手くいけばアイバンホー家にある書物や文献を調べる事もできるかもしれない。という所である。帰るために情報を集めるのに役に立つかも知れない。元々、フォルクがここで雇われたのも言葉を学び、言葉を覚えるだけではない。知識人との交友を持てるかもしれないという淡い期待もあったからである。
「報酬ほしい」
「報酬といっても、アイバンホー家から金は期待できないぞ?」
報酬といわれてフォルランが苦笑いする。正直その分の金はフォルランが出すつもりでいた程、アイバンホー家は追い詰められている環境である。
「金、要らない」
フォルクも苦笑して答える。
「まさか体で払えなぞいわぬよな?」
アイバンホー家の令嬢は若く美しい娘と知られている。冗談で口にしたフォルランだがフォルクは迷惑そうに首を振る。まじめというか、噂の君へ一途というべきなのか、フォルランにはわからないが、フォルクが求めているものはそういった内容ではなさそうである。
「知識、欲しい」
「知識、か」
想像していた報酬と違う内容にフォルランが首を傾げる。
「伯爵家の蔵書、秘蔵の情報」
またとんでもない事を言い出したぞ。とフォルランが笑う。貴族のステータスの中には個人の図書館を抱えている。その内容、本や地図、技術書といった内容の充実が貴族の財力や能力を示すものになっている。それだけに秘蔵の技術として隠されたりもするし、簡単に見せられないものになっている。幾ら零落しているとはいえ、その様な情報を簡単にだすであろうか? まぁ読むだけなら何とかなるか? と冷静に考える。
「そこら辺は一度先方に確認を取らんとならんな。一応明日には王都に来るし、顔をだす予定だから直接確認した方がよいだろう」
「構わない。無理なら、報酬諦める。教える」
随分とお優しい事だ。フォルランがそう思ったが、一時的にとはいえ娘が家を継がなければならない状態は見て知っている。フォルクは放っては置けないものがあった。ましてフォルランがここまで助けようとしているのだから、悪い人間ではないだろう。
「そういって貰えて助かるよ」
フォルランの安堵した顔から見ると、相当心配だったのだろう。問題は生徒なる貴族の娘とやらがちゃんと聞いてくれる生徒であるかどうか、そこが最大のフォルクの心配であった。
翌日不満顔のリタに周りの傭兵や同僚はまぁた始まったと苦笑いを浮かべている。リタがフォルクに御執心なのは知られている。そのフォルクが何やらフォルランの友人の若い娘に武芸を仕込むという話。純粋に羨ましい。という感情がリタの中に渦巻いている。しかも、その教える相手が街では噂の美貌の伯爵家の当主である。
「そんなに不安なら護身術を学ぶという点からもリタも教わればよいぞ。他に希望者を数人募っておけばよい。
流石に嫁入り前の貴族の年頃の娘をフォルクと二人だけにするのは噂になっても困るだろう」
ベータに言われていた事の対策であるこの一手をフォルランが口にすると、直ぐに数人の劇団員が立候補した。意外だったのはリタが参加しなかった事である。元々雑技もできるリタとしては投擲などの特技から学ぶ必要がなかった。それなのに自分が無理に入れば他の人間の学ぶ機会を奪うと考えての行動だが、フォルランにはこのリタの行動が好ましいものに見えた。
結局、アスティアと一緒に教わるのは散策好きの劇場の劇団員が数人と決まったが、何を教えるのか、という事で傭兵達の中では興味からか予想が乱立し意見が割れていたりする。やれ剣だ、槍だ、弓だ、と色々と予測する声が上がる中、フォルクが選んだのは細身の剣と鞭、短剣、護身の体術を選択してフォルランに確認を求めた。
もっともフォルランには何が最良なのかわからなかったのでベータに確認を求めた所、そんなものだろう。という同意を得られたのでフォルクに任せる事にしている。フォルクが得物を選んだのには理由がある。細身の剣は女性の筋力の問題と、貴族としての見た目という点での選択である。鞭は実用性の高さと間合いの広さ。短剣は元々護身術の中に入る事もあるし、投擲にも使える。体術は得物がない中でも使える。意外と考えてもいるし理解もしているのだな。というのがベータの感想であった。この辺りの得物の選択はフォルクも護身術を過去一人に教えている所が生かされていたりする。
いずれにしても、そんなファルクが指導するという事を羨むリタの悶々とした表情は晴れる事はなく、訓練を行うであろう空き地を頬杖をついたまま見つめている。恋する乙女というのは厄介なものだ。改めてリタを隙あればと狙う傭兵達は考えている様で水面下での争いや牽制は続いていた。
そんな事が起きているなど思いもしないフォルクはフォルランの部屋に呼びだされて支配人室に向かう。フォルクの教え子となるアイバンホー家の若き当主のお出ましなのだろう。別段服装を気にする事もなく、いつも通りの警備員様の制服姿で緊張もなく歩く姿は貴人とと会う事に慣れている様に見え、傭兵達も劇場関係者も奇妙なものに映る。
「お、来たな。入ってくれ」
開け放たれた支配人室の扉の前にフォルクが立つと声をかける前にフォルランが気が付いて手招きする。
「貴方が噂の傭兵リンドヴルム殿ですね。初めまして、アイバンホー家当主アスティアと申します」
入室直後にまさか伯爵家の当主である相手から先に声がかけられ、しかも先に相手が名乗るとは思っておらず、驚いているフォルクだが、声の主を確認して更にフォルクの動きが止まる程に驚きを見せる。
「リルフィー?」
呆然としたフォルクの言葉。そんなフォルクの姿を初めてみたフォルランが驚いた様子で、違う人間の名前を呼んで硬直しているフォルクにアスティアがそれほどまでに自分と似ているのだろうかと首を傾げた。