6話
「本当昔に比べて死ぬ事が怖くなったな」
剣一振り。短剣と投げナイフを始めとしたいつもの装備を確認し、戦闘準備を整える中で感じる心境の変化。それを自然と独り言で吐露していた。
あの時まで死ぬ事、命をかける事。その意味が全然違ったのだ。戦う中で自分の存在を示し、立場を強化する事に喜びがあった。全てはあの子と共にあるため名声と実績とを必要としていたのだ。そして手に入れて、訪れたあのタイミングで逆転するとは考えもしなかった。
死を恐れる事。この事実と、自分の環境の変化がこれほどのものか、と思い知らされる。結婚したり、子供を儲けた同僚が生と死の間で覚える恐怖はフォルクには笑えなくなった。義父もそうだったのか、聞いてみたい所でもあるがその機会は訪れるだろうか。
「気軽に逢えるという約束するのはやっぱりいかんか」
自嘲気味に笑うと部屋を出る。負けると思わないが、絶対はこの世になく何が起きるのかわからないのがまさしく戦場であると理解していたはずなのに、約束をしてしまった。戻るべき所に帰る事の難しさもある。でも約束をした以上フォルクはとにかく戻らねばならないと必死になっていた。
「頼むから強敵はいないでくれよ」
フォルクの切実な願いのこもった一言は静かに消えた。
町外れの賊の隠れ家への強襲依頼があったのは先程の事だ。まさか殆ど時間的余裕がない位の指示とは思いもよらない事であったが、いつでも戦う準備はできていた。支配人室で内容を確認したフォルクが自分に割り当てられた部屋に戻り準備を整えるのに15分とかからず、最後にフォルランにいつもの様に外出を告げて劇場から外にでる。
「空気が変わったな」
日は既に傾いている中、街中の緊張感が高まっている事にフォルクが気がつく。街の警備が目に見えて変化したわけではない。それでも微妙な街の表情の機微の変化を感じとったのはギドをはじめとした傭兵達の動きがあるからだろう。
「ふむ」
思わずフォルクが呟いた。異国人があるけば目立つこの街でフォルクの姿は相手から簡単に発見される。特にそれを感じたのは先日覚えた気配が自分を追跡している事だ。何もこのタイミングで、と思ったが避けて通れないとも同時に感じられた。追跡している相手が明らかに敵意があった事が最大の判断理由である。
「ノワールだったか。どういうつもりだ」
敵対すると考えていなかった男がまさかこの場、このタイミングでこの様な動き。あの様子ではいつ仕掛けてくるか、判断がつかないというのが問題である。もし捕り物の最中に妨害行動を取るようなら、賊を取り逃がす事も考えられる。それほどまでに強い意思のある気配はフォルクにとって本当に脅威でしかない。
「先に処理するか、追跡を撒くか」
フォルクがそう判断に迷う中、得物に手を置いて考える。無駄に時間を取られるというのは宜しくない。
「リンドヴルム殿。難しく考える必要はありませんぞ」
そんな思考を中断する様に背後から追尾していたノワールから声がかけられる。
「少しの間、私と剣を交えて頂ければそれで構いません。これも仕事でね」
仕事。つまりノワールが積極的にかわからないが、誰かしらに雇われて戦いに来た。理由はどうであれ、それは確実の様子である。とすればフォルクとしても早期にノワールを撃退か退かせるしかない。
「任務中」
退いてくれ。願いを込めそれだけ口にするがノワールは笑顔のままで抜剣するとフォルクへと構える。
「それを妨害するのが私の役目でしてね」
どうやら戦って撃退しかない。それを悟ればフォルクも無駄な言葉を発する必要はない。諦めて剣を抜くとノワールに向けて構える。敵側にわざと雇われた可能性もあるノワールだが、下手をすればギドとの対立、すなわちギベリニ伯爵と対立する事にもなりかねないのに簡単に賊と思われる人間に雇われたのか、と考えたが直ぐにその思考を振り払う。考えるのは後でよい。今は目の前の戦いに集中しなければならない。
「やはり手強い」
そのフォルクを見てノワールが笑いながら呟く。最初の出会いでのフォルクの動きから強いとは思っていた。だが真剣を手に実際相対するとフォルクの気配が大きく変化している。隙のない構えと冷静に感情をコントロールする姿。
自分の想像以上であり、これ程の使い手がいた。無名に近い男だが実力は申し分ない。ノワールの中に歓喜が渦巻く。戦えば自分が死ぬかもしれない相手だが、だからこそ自分が鍛え上げてきた剣が通用するか試したい。生と死の心地よい緊張感。そういった感情がノワールを突き動かす。
『病気だな』
武技を極めようとする人間の悪癖を見抜いてフォルクが思う。昔の自分もああだったのか、と思うと見捨てられずに済んだなとあの子の寛大さに感謝の念が大きくなる。死ぬかもしれないのに、自ら進んで想い人が戦場に赴くなど不安と心配で心が押しつぶされそうになるだろう。そんな思いをあの子にさせてきたのか、と。家督を継げば無論戦場に出る事も増えるだろうが、関係のない戦には無用に出る事はしないでくれ。そう一度言われたのを思い出す。
実戦から離れ、負けないという自負もあったのだろう。先程フォルクが自分を戒めた直後だというのに、無意識に思考が別に飛びフォルクの口が動く。
「後悔ばかりだな」
独り言の母国語の呟きだが、思いもしないノワールが反応を示す。
「後悔しているならやり直せば宜しいでしょう?」
フォルクの母国語を流暢な発音でノワールが返した事での一瞬の驚き。だがそれだけでノワールは十分だった。構えた剣がフォルクへと急激に伸びる。
『初動が見えない』
驚きに支配されながらも胴体に伸びる剣を弾くが、すぐさまノワールが剣を一太刀、また一太刀と立て続けに打ち込んでくる。これもまた動きの初動が見えない。上段、下段と打ち込もうとすれば呼吸、構えや腕や剣の振りと自然と動作に現れる。それをできる限り、初動を無くす。動き最小化する事でを消す。これらでフォルクに察知されない様にしているのだ。何とか連続で打ち込まれた斬撃を凌ぎきり、ノワールの初手をいなすと大きく間合いを取り呼吸を整える。
「強い」
改めてフォルクも感想を漏らす。ベータらの強さを基準に考えていたフォルクとしては大きな誤算であった。決して油断はしてはならない相手。少なくてもハンス程ではないが、対人戦闘慣れした剣の使い手であるのは間違いないとフォルクには感じられた。
「いやぁ、タイミングも完璧で殺す気でやったのに、全部凌ぎますか」
呆れたという表情のノワールだが、別段悔しそうな表情ではない。本当に自分が本気で戦えると思って心底楽しんでいるのだろう。
「お前も俺の国の言葉を知っているのか?」
「ええ。あなたが捕らえた男とは実は同門でしてね。剣を修める時に学びました」
隠す必要もないのかあっさりと答えるノワールがじりじりと間合いを詰めながら言葉を続ける。
「本来は一族のみに伝承されるらしいのですが、私は気に入られた様で色々と教えてもらいました。
その代わり、私も色々と学んできた剣を教えるという条件でしたが」
外部との交流を極力避ける目的なのかもしれない。元々剣の思想が違いすぎるというのもあっただろう。そういった所から門外不出にできるだけしようとした上で、外部の剣術をしろうとした結果なのだろうか。いずれにせよ表に出ない剣術なのは間違いなさそうである。
「綺麗な戦い方ではなく実戦に即した戦い方も学びましたよ。上品な戦い方しか知らなければ既に私は死んでいたでしょう」
という事は、あの時のハンスが使った技のいくつかは習得しているか、とフォルクが判断して構えを少し変える。
「この剣術をご存知なのですか?」
「一度真剣で戦った事がある」
「なるほど。だから初手を簡単にいなされたわけですね」
言い終わると同時にノワールが動く。動きは直線的。やはり動きの初動が見え難いが足運びからそれを察知してフォルクが剣でノワールの打ち込みを防ぐ。速さ、重さ共に申し分ない一撃で一度でもミスを犯せば確実に絶命に至るのは必至。
「構えを変えたのは体術対策ですか。相当な使い手とまみえているのですね。そんな話は聞いた事ありませんでしたが」
切り結びながら、ノワールがマシューらから得た情報を思い出すが、彼ら一族がフォルクの様な猛者と戦ったという報告はない。また死亡した人間の経緯からみてもフォルクが絡んだ様子もない。あえて報告していない人間もいるかも知れないが、名前が出てこないというのは流石におかしいとノワールが再度感じる部分である。
「しかし、ここまで見事に攻撃に対応されるとは思いもしませんでしたよ。
やはり貴方とあいまみえる事ができて本当に幸運です」
嬉しさのあまり爛々と瞳を輝かせるノワールに比べてフォルクは辟易としているのが何とも対照的であったが、この様な機会を逸するのは人生最大の損と考えているノワールに遠慮はない。
「何とか俺の状況を伝える事ができないかな」
あくまでも冷静にフォルクが自分が動けない事を伝える方法を模索する。一応作戦失敗等の合図は決まっていたが今それを行えば異変が街中に広まる。もし、ノワールの雇い主が賊でなかった場合、作戦が発動もしていない状況でそれをするわけにはいかない。最低でもギドが片方を捕縛できればまだ挽回のしようがあるのだ。
情報が漏れてのノワールを足止めに出してきた、という可能性もあり、ノワールが何故この様な行動に出たか何とか聞き出したいフォルクだが、とてもノワールがボロを出すとも思えず、やはりぎりぎりまで力でねじ伏せる方法しかない様にフォルクには思えた。
「良い表情ですね」
フォルクを観察していたノワールが誘う様に隙を見せる。わざとらしい誘いであるが、フォルクも簡単に乗る事はせずに自分の間合いを測りつつ、距離を詰めていく。
慎重すぎるきらいがある。そんなフォルクを見てノワールが結論を出す。フォルクの強さからいくと信じられないとばかりにノワールが動きを見守る。初手を繰り出した時もそうだが、反撃に転じる隙があったはずなのはノワール自身が理解していた。にも関わらずフォルク自ら攻勢に転じる事がない。何か目的があるのか、と誘いをかけてみたがやはり乗る事もない。
「時間を簡単に稼げるというのは楽でいいんだけど、折角なんだしもう少し積極的に剣を交えたいな」
そんなノワールの考えが透けて見えたフォルクであるが、やはり自分から積極的に前には出ずにいる。ハンスの技が伝わっている場合、厄介な体術を習得している可能性がある。フォルクとしても安易に近寄れぬ理由だが、そういった要素の積み重ねから結果的にフォルクが消極的になり、時間を稼がせている事も理解しているが手の打ち様がない状態となっていた。
「どうしたものか」
フォルクとノワールが双方膠着を破るための方法を模索しているが、基本的に負けない戦い方に徹したフォルクを崩すのは難しい。フォルクを本気にさせる何かが、劇場への揺さぶりで特に変化はなかった。他にあるとしたら若手一番といわれるリタあたりだろうか。あの娘がフォルクに熱を上げているという情報は入手している。とはいえ、それらに反応するとは思えない。
「私を倒さねば任務を果たせませんよ?」
「挑発には乗らんさ」
母国語が通じる。なんと楽な事か。フォルクが言葉の不自由さから脱した状況は本当に嬉しい。のだが状況が大きく変化するわけでもない。互いに睨み合いながら更にノワールが誘いをかける。防御は十分に見た。今度は何としてもフォルクに攻撃させ太刀筋を見たいと積極的に隙を見せる。
『ハンスと同じ剣と体術を体得していると予測すると注意すべきは足と手、か』
話や情報は集めていたが実際戦ったのはたった一度である。だが、手の指に魔力を集中させて暗器の様に使い体を攻撃したり、腹に風穴を開けるという荒業ができ、実際多様していた男がハンスであり、実戦でそれを経験した。他にも油断を見せれば足を潰しにも来る。剣だけではなく体と環境全てを駆使してくる相手だった。
無論実戦に則した戦いを教授する流派であれば同じ様な内容を教えるのだが、そんな戦いをされるというのは骨が折れる。
「時間がないですよ」
「そうだな」
からかう様にノワールが口を開くが現実的な問題として貴重な時間が失われているのは事実である。フォルクには肯定するしかなかった。