4話
「状況は常に流動する」これは師であり義父がフォルクハルトに剣を教える時に徹底的に教え込んだ内容の一つである。故に必要なのは冷静さ、思考と分析力、全てを持って状況に対応する様に言われてきた。それだけに、今までギドの思惑通り進み、ある程度ギドの思惑ににのり、当面の問題を処理しようとしていたフォルクにおいて、この人物の登場は困惑意外の何者でもなかった。そして、困惑しかしてない事が、師の教えを生かせていないという現実を指し示してもいる状況であった。
「私、旅の傭兵でノワール・マディランと申します」
若く中性的な顔立ち。女性の人気は高そうだな。などとフォルクがノワールと名乗る傭兵を眺めている。突然現れたノワールは無造作にフォルクの前に立つと名乗り始めたのだ。
「リンドヴルム殿が優れた剣術を修められていると聞き、是非一手手合わせができればと参上いたした」
まさか、仕事中に勝負を求めてくる人間がいるとは考えてもいなかったせいで周囲にいた警備の傭兵達が驚きの表情を見せる。暗黙の了解で任務中、その性格上対立する組織ならいざ知らず無関係なら戦いを求めないというのが存在する。それを正面から堂々と破るのだから、周囲にいた者らも同様であっただろう。
「おいおい、坊や。今任務中だという事はわかってるのかい? それにフォルクは言葉が堪能じゃない。いきなりそんな人間に願いでるのは問題あるだろう」
ファルクと同様に正門警備を担当しているヴィクターが呆れた様に声を出す。ベータと共に戦場を駆け抜けてきた男で隊長職でもある男である。こういった果し合いを求める輩の対応もヴィクターにはある。呆れた様に持ち場を他の傭兵に変わりフォルクとノワールの元へと歩みよって来る。
「承知しております。非礼を承知でこうしてお願いに参上した次第です」
ぬけぬけとノワールが微笑を浮かべて答えるのを見ると随分と肝が据わっているなと思う。下手をすれば傭兵仲間から制裁を受けるかも知れないのにこの行動なら相当自分の力に自信があるのかもしれない。実際、無造作に立った様に見えたが、フォルクの間合いおよそ5cmで止まっている。決して侮ってもよい相手ではなさそうだ。そうフォルクは結論付けた。
「折角来てもらって申し訳ないが、ごらんの通り任務もあるし、暫くはその性格上戦う事も無理だ」
ばっさりと切り捨てるヴィクターであるが、ヴィクターもノワールの技量を悟ったのだろう。表情が変わり、ノワールとの間合いを計っている。
「あまりお時間は取らせません」
粘るノワールであるが功名心に目がくらんでいる様には見えない。それでも暗黙の了解を虫して粘るというのはそれなりの理由があるのだろうと想像はできるのだが、フォルクもヴィクターも目的が解らずに顔を見合わせる。
「先日のリンドヴルム殿が捕らえた賊は報復を必ず行います。そうなってはリンドヴルム殿と最良の状況で戦う事ができなくなります。そうなる前に是非手合わせできればと考えまして」
ギドの仕込みか? と瞬間的にフォルクが考えたが、既に状況は作られた以上これ以上ギドがとどめをさしに来たとは考えにくかった。まして、これだけの人間を抱えているのなら別にフォルクを捕り物に巻き込む必要がない。
「残念ながら、リンドヴルム殿では賊には勝てぬでしょう」
ノワールの言葉にフォルク本人よりもヴィクターの方が大きな反応を示す。言葉の理解力もあるから仕方がないというのもあるが、そこまで驚く事かと思う所もあり苦笑いを浮かべる。
「何も勝負は直接的な勝敗に直結はしませんから」
つまり、劇場や劇団員に何かあるという事か、言葉にはしないがフォルクが判断する。そしてそれでフォルクが負傷する事も考えられる。そんな所か、ノワールの言葉から判断するとノワールはただ単に万全の状態で戦いたいという事なのだろう。己が武技を磨く事に身命を賭す人間は思考が読み易い。信用が置ける切欠があれば信じる事はできるのだが、問題はその理由である。
「どんな理由があろうと、やはり受けさせる事はできぬな。申し訳ないが」
再度拒否の言葉を告げるヴィクターにやれやれとノワールが頭を振る。その僅かな挙動にフォルクも体の重心のかけ方をかえる。ほんの一瞬での出来事だが、ノワールがフォルクの動きを感じ取り、二歩後退すると深く一礼する。
「無理を承知で失礼を申しました。許して頂けると幸いです。では、本件が解決したら改めてお願いに参ります」
急に態度を一転させノワールが謝罪を口にした事で何か心境の変化でもあったのか、ヴィクターが奇妙といった感で引きが去って劇場を後にするノワールを見送っているとフォルクがため息混じりに呟く。
「抜剣、しようとした」
「ノワールがか?」
「間合い、取る。奇襲、狙う」
肯定するフォルクを見てると、どうやらフォルクとノワールで駆け引きが行われたのだろう事はわかったヴィクターだが、この様な話をされると自分の剣の腕に自信はあったのに、フォルクと出会って以降、自分の技量に信用が置けなくなってきている。少なくてもフォルクとノワールは互いの間合いを測れた様だが、結局最後までヴィクターはノワールの間合いを把握できなかったのだ。
「俺の動き理解。手強い」
フォルクが褒めるというのも珍しい。それだけノワールが手錬なのだろうが、そんなのが集まりつつある状況はあまり好ましい状況とは言えず、ヴィクターが頬を掻いていると交代の警備の傭兵がやってくるのが見える。
「まったく、ギド・モルバスといい、面倒なのが集まってきてるな」
「本当、面倒」
お前もその面倒な一人だぞ、とヴィクターが言いかけたのを飲み込みむ。面倒な人間というのはフォルク本人も理解している様子がある。だからこそ、目立たぬ様に、最大限こちらに協力してくれている。その気になれば破格の条件で雇われているだろう事も考えると、あまり苛めるのも可哀想ではあるというものだ。
「いやぁ、あの男は強いね」
暫く裏路地を歩いて立ち止まるとしみじみとした声色でノワールがそう大きく声を発する。先程の敬語とは違い、砕けた口調でもある。それに合わせて男が一人姿を現す。昼間フォルクを観察していた男の一人である。
「話に聞いた通り、相手はとんでもない男を引きずり込んでいるんだね」
ノワールが本気ではなかったが、僅かに奇襲を仕掛けようとタイミングを探っていたが、明らかに呼吸の変化を察知して重心移動を行い奇襲に備えた姿勢に変えた。噂以上にとんでもない使い手である。そう判断するしかなかった。それがわかった時点であのまま粘っても無駄と引き上げたか、もっとどこまで気配を察知できる範囲があるのか、測りたかったと思っていたのでそれが叶わず残念であった。流石に時間をかけるには難しい相手と状況であり、ノワールとしては不満のある接触であった。
「ケルンが完敗してる程だからなぁ」
「相手が悪すぎるよ、マシュー、ケルン、ハウィット同時に戦っても厳しいだろうね」
「修行が足りない、か」
降参の意を示すマシューにノワールが笑う。
「というか相手が悪いというだけだよ、マシュー。君達の実力はそこらの傭兵や騎士より強い。並以上の実力者が集まっているのが異常。ということさ。
それより不思議なのは、あれだけの男が噂に出てこなかった事だけどね。僕ですらあの少しの活動で噂は流れているんだ。傭兵であの実力、異国人、言葉がしゃべれない。これだけ揃って噂にならないのは余程の事さ」
ノワールの指摘にそういえば、とマシューが頷く。確かに過去の戦場での手柄や手合いを調べ、フォルクの戦闘傾向や剣術の流派を知ろうとしたのだが、フォルランの人間が襲撃された時に初めてフォルクの名前が出ただけで一向にそれ以前の足跡が掴めないでいる。これは実に奇妙な事であるといえた。
「そんな人間を雇う度胸も据わったものだけどね。それよりも、君らの一族が代々伝えている言葉を彼が知っていたんだって?」
「その様な話をハウィットがしていたな」
マシュー達の剣術の創始者が使っていた異国の言葉を代々伝えている。技の伝承と一緒に行っているのだが、同じ言葉をしゃべるのであれば、あのフォルクという男は創始者と同じ国の出自になる。これはこれで興味を惹く事実でもあった。
「まったく、火を付けたのは我らではないのに、その火を消す為に行動していたら得たいの知れぬ剣豪が紛れ込むか。
これだからお主らに協力するのは面白い」
くつくつと笑うノワールを見ていると、やはりマシューとしては剣に生きるケルンとは完全に異質なノワールは異常な人間としか見えない。ノワールが求めているのは剣を磨く事、これに尽きる。そのために色々な流派に教えを乞う事も厭わない姿勢、強敵と戦い実戦の中で己が剣を鍛え試す為に傭兵家業に身を置き、新たな経験を積んで相手の技を盗む。その中で仮に自分が死んでも良いとすらノワールが考えている所。これは命を懸ける戦いをするマシューとしても理解の限界を超えている。
「やっぱり理解できないわ」
「何が、だい?」
「ノワールの生き方って奴だ」
決して誇れる生き方をしてきていないマシューであるが、それでも大義の為と今回の作戦に参加している。だがそれでもマシューには生活があるし、人生を楽しみたいとも思っている。命を懸けているつもりだったが、本当に命を懸けるのであれば、ノワールの様な生き方になるはずだ。生き方が甘いのか、考えそのものが甘いのか、マシューにとって考えさせられる生き方であった。
「強い敵と戦う事の喜び。これは実戦で武技を磨く人間の性というべきなのかもしれないな。そんな考えでいけばリンドヴルムという人間はマシューに近いだろうね」
「剣の技量が高くても生き方は同じ、というわけではないのか」
「才能というものもあるし、優れた師と出会う事も必要だからね。結果千差万別の形になるさ。
まぁ、彼が動くのであれば僕が相手をするよ。時間稼ぎはできるんじゃないかな」
つまり、時間稼ぎ以上はできないという事か。マシューがノワールの言葉を正確に理解すると頭を掻く。
「ギドの作戦に関しては探れてるのかい?」
「近日中に急襲をかけてくる様だが、日程に関しては部下にも語っていない様だ」
ギド・モルバスも大概であったが、マシューの諜報能力も大概だな。とノワールが思う。この様な諜報活動はノワールでは絶対できない事だ。それに、ある程度自分達の行動が割れているのにそのままにして泳がせているというのも普通ではない。自分の生き方がわからないといっていたが、マシューの駆け引きも十分ノワールには理解できないものだ。
「ここで僕と会ってて問題はないのかい?」
「大丈夫。連中は無人の隠れ家を今も監視しているから気にしないでかまわない。動きがわかり次第、伝えるからいつでも動けるようにしておいてくれ」
それだけ口にして闇に姿を消すマシューを見送ると夜空を見上げる。
「しかしあの男。一体何者なんだろうかな」
フォルクと戦うのに言葉は要らない。近いうち戦いの場であえるのであればノワールにはそれで十分だ。だがそれでも疑問は尽きるものではない。
「もしあの男から故郷の話が聞ければ一流所の剣士と戦えるかな?」
あれだけの剣豪を輩出した国だ。その国へと行けばきっと自分の力を磨けるだろう。なんとしても故郷の事を聞き出し、是非修行の為に訪れたいと希望を膨らませるノワールの姿はただの子供の様であった。