3話
ここまでの根回しは完璧だ。ギドはそう自負している。この街一番と称される剣の腕を持つ異国人を巻き込む事に成功した。昨晩の捕り物も、態々劇場まで賊を追い詰めたのだ。最悪、フォルクが動かなくても、捕らえた男一人ならギドで捕らえる事はできた事である。本来であれば劇場の警備の傭兵達が動いた事で芋づる式にフォルクをと考えていたが、まさか本人がいきなり出てきたのは嬉しい誤算であった。
問題は賊に連携されて動かれる事。これが最大の問題であり、流石のギドも賊の二人を同時に相手どれば勝利は不可能。だがそれもフォルクに片方をぶつけてしまえば、残り一人をギドが捕らえれば解決できる。残りの賊の隠れ家も密偵が把握している。
「完璧に遂行できればいいんですけどねぇ」
戦場は何が起きるか解らない。如何に強いとされるフォルクであっても運や事故で取り逃がす事や命を落とす事も考えられる。
「そうなればギベリニ伯が報酬を支払う必要がなくなるだけで特に問題はないでしょう」
どこまでもいってもギドはドライな考えであった。
そんなギドの考えも知らず、リタは不安と怒りによって精神が支配されている。自分達が人質にされたのだ。それだけでも許せないのだが、そうなると解かっていて支援要請を出したという行動である。フォルクが狡いと言葉にした意味を理解して、ギドを睨み付けるが、当のギドはそんな視線も意に介した様子もなく食事に手を伸ばしている。
「情報、いつ?」
諦めたのかフォルクも自分の料理を口にしながらギドに確認する。フォルクは言葉になれていないだけで、この手の行動には慣れている様子にギドが安心してよいかなと、フォルクの評価を上げる。
「決行日、場所は当日人をやりますので、その時に確認の程を」
できるだけ情報を秘匿するのは間違いではない。まして作戦において無関係なリタがいるのだから。面倒な事に巻き込まれたな。とフォルクがスープを口に運びながら視線を感じ、視線を動かすとリタと絡まる。
「大丈夫なの? 支配人に確認も取らないで話を受けても」
傭兵は個別の契約を結んでいるが、勝手にこの様な話を進めていたら問題がある。まして集団組織として行動する事も念頭に、傭兵団を中心に組織化された状態なのだ。
「私の方からも話を入れておくので大丈夫ですよ。報復のおそれがあると知れば支配人も動くしかありません。
それに昨夜の捕り物はリンドヴルム殿が勝手に外に出たわけでもありませんからな」
フォルクの捕り物参加に辺り、隊長の処分を匂わせた発言であるが、随分と内情を知っている事にフォルクが目を細める。余程内部に食い込んで情報を得ている狸と思って間違いなさそうで、食えない男という認識が更に高まる。
「最初からこうなる様に動いていたなんて卑怯です」
恨みががましくリタがギドを睨む。
「全ては下手人を捕らえるため、ご理解ください」
慇懃無礼なギドに噛み付かんばかりなリタだが、情勢は覆せない。支配人に言ってギドという男を劇場に近づけない様にしないと。と硬く誓うリタであった。
食事を早々に終えてギドを残して料亭を後にすると、結局当初の予定を殆ど消化する気も置くなくなったリタが渋々諦めて劇場に戻る事をフォルクに提案する。ギドの話の内容が内容だけに他言も出来ない。ただ支配人には報告しないとまずいという内容である以上、リタもフォルクと一緒に支配人のフォルランに報告のために支配人室に向かう事にした。
支配人のフォルランは年齢的に初老に入ったばかりの男で、元々地方の役人で財を成した人間である。財務管理に置いて手腕を発揮した事で順調に昇進を果たしたが突然仕事に嫌気がさして、寂れた劇場を買い上げると支配人となった。そこから劇場の建て直しと自前の劇団を作り上げ、わずか10年で街でも屈指の劇場とまで成長させている。だがたたき上げの人間らしく、芸で名声を得たという自負があるせいか、硬すぎる人物とも知られる。
「私の方もギド・モルバスから話はあった。ただフォルクが受ける前に一度こちらにも確認を入れるべきだったな」
そんなフォルランにフォルクとリタが報告をすると、状況が状況と理解しているが、フォルランが一言注意をする。この発言は正しい。この点フォルクが謝罪すると面倒そうにフォルランが手を振って笑う。
「話を保留して持ってきても結果は同じだったから気にするな。しかし、ギド・モルバスが動いているのは厄介だな」
「支配人はあの嫌なおっさんをご存知なんですか?」
「役人だった頃色々あってな。油断できない男だよ」
ギドをおっさんと呼んだリタにフォルランが笑いをこらえるのに咳払いをする。
「見た目は害のない顔をしているが、今回の様な絡め手で無理やり参戦させたり、第三勢力を囮に使い、全滅させて手柄を一人納める。
そんな事を平気でする男だ。本来は関わり合いになる事はさけるべきなのだが、ギドから来るとなるとそうもいかんからな」
どうやら支配人ではギドを遠ざけるのが難しそうだぞ。とリタが戸惑いを覚える。役人時代の顔の広さや人脈があり、捕まえる事こそできずとも「あの事件」において相当の落とし前はつけている。そのフォルランがギドに対して有効な対策が立てられないというのはリタとしても想定外な状況である。
「警備だけで済むと思ったんだがな」
母国語で呟くフォルクにリタが今度は心配そうな表情でフォルクを見つめる。フォルクが言葉を理解を進めていた様に、リタもまたフォルクの言葉を少しずつ学習し習得していたのだ。互いの意思や考えを伝えるにはまだまだ拙いものであるが、少しでもフォルクを知りたいと思うリタの行動である。
「ギドが動いているという事は余程賊を捕まえたいと見える。内容は知ろうとするな。ただ役目だけ果たすだけでいい」
フォルランも相当ギドに面倒をかけられてきたのだろう。本気の忠告にフォルクも頷くのだが、あの男から逃げられるのかが問題なのだ。手駒として利用できると思えば今回の様に搦め手で巻き込みに来るかもしれない事を考えると気分が重くなる。
「フォルクはやはり傭兵で食っていくのは不満か?」
不満を押し殺そうとしているフォルクにフォルランが声を掛けると、小さく頷いて肯定を示す。元々、フォルクが命を賭けた戦いというのを嫌う傾向なのは知っている。剣の力量は優れたもので、それはこの劇場の警護を担当する傭兵達の団長ベータを始め多くが認めており、本気で戦えば、ベータら全員でかかって勝てるかどうか、ともフォルランに伝えている程の使い手なのだ。
「上手く言えない」
言葉を捜すフォルクを見ていると、やはり実戦を嫌うというのは何ともフォルランには不思議であった。別段戦いを忌避する事も人を手にかける事も必要とあらば行えるフォルクである。不殺を掲げているわけでもない。それだけに、その気になればもっと高い額で雇われる力を持つだけにここに燻る様な男ではないと考えていたのだ。
「死ぬ場所、違う。約束した。また逢えると」
何とか表現したフォルクの言葉にフォルランもリタも何となくだが理解した。命を賭ける場所ではないと言いたいのだろう。命を賭けるに足るシチュエーションが人の生き方によって違うが、フォルクには決まった相手がいる様だし、また逢えるという言葉も、そういった事なのかも知れない。
「いいなぁ」
フォルクが一人の時、胸のペンタントや指輪を弄っているのはリタが一番良く知っている。その中にあった小さな女性の肖像画も見た事がある。恋人なのか、妻なのか、明言をフォルクが避けたが大切な人なのは嫌でもわかる。ここまで相手を想っている。というのは羨ましいく、そして何故相手が自分じゃないのか、と悔しくもある。そう思い、自分の現状を知れば知るほど小さく声が漏れ出てしまう。
「遠い異国で待つ人と、今ここにいる私か。折角近くにいると有利な状態なんだし、絶対負けないんだから」
相手がいる。だからといって諦められるわけはない。右手を握り締めて自らに誓う様に呟くリタにやれやれとため息を付く。恋する乙女は本当に元気で一直線で周りが見えぬ。フォルランとしては下手な噂が立たぬ前にはしかの様な恋から醒めて欲しいのだが、年の若い娘の思い込みは相当に強い。まして対象が傍にいるのだ。フォルクも、はっきりと拒否してくれた方がまだリタの為になりそうなものだが。と、最近どうも年頃の娘を預かる身として父性に目覚めた気がしてフォルランとしては何とも奇妙な気分である。
「いずれにせよ、ベータには私から伝えておく。それまでは通常通り、警備任務を頼んだぞ」
どんな突発的な仕事が入ろうと、結局いつもの仕事はフォルクにもリタにも存在し、給金を稼ぐ為には働かなくてはならない現実があった。
今日も一日、ギドの思惑やリタの想いがあってもフォルクの仕事は変わる事はない。定刻通り正面門を開放後、観客の入場が始まる。途中不審者のチェックをしながら、異国人目当ての観客と挨拶や誘いを断り続けていたがフェルクの仕事はまだまだ長い。
『このまま平穏に終わってくれればいいんだけどな』
母国語で呟きながら周囲を見渡し、迷子の子供を見つけては受付に案内し、巡回の警備を確認する。今日ギドからの話があった事で警備が強化されている。襲撃や報復は無いと思われているが、それでも報復という話を持ち出されれば備えない訳にはいかない。早く解決するには賊を捕らえるしかなく、フォルクが協力して捕まえるべきという雰囲気は確実に醸成されつつあるのは間違いなかった。
そんな中、現状不審者が侵入した形跡もなく、とりあえずは安全。と思って正門にて警備に付いていた、完全な副産物で正門前には観客とは似ても似つかぬ者が集まる様になった。
『できれば無駄に戦いをするのは避けたい所だが……』
昨夜の捕り物の話を聞いたのだろう。どうやら負傷させられた者の中にそれなりに名の知られた傭兵も居た様で、早速腕試しがしたいという者や手っ取り早く名を挙げたいという者もいるのだろう。機会がないか、どんな相手か見極めに集まっている様子である。
『ここは闘技場じゃないのに気楽なものだ』
表情にこそ出さないが、随分と殺気だった者や、フォルクを見定めようと真剣に観察している者が多い。それこそいきなり決闘や勝負を求める人間がいないのが救いであるが、有象無象の集団が集まるのは劇場の評判や治安の点からあまり宜しい状態でもない。手っ取り早く追っ払うにはどうするべきか考えながらフォルク目当てに集まる人間を確認して思わずフォルクが上唇を舐める。
『とはいえやっぱり、何らかの対処は必要、か』
侮っていたわけではないが、どうやらそれなりの使い手も混ざっている。例えば先程通り過ぎた護衛の騎士の男。主人と共に来たのだろう。身のこなしや動きに無駄のなく、遣り合えば昨晩の男より苦戦はするだろう。対面の遊技場の屋根に身を隠している弓の狙撃手が独り、完璧な穏行をしないでこちらを測っているのだろうが、只ならぬものを感じる。広場の噴水には二人組みだがこれも手錬だろう。目立ってしまった手前仕方のない事だが、平穏無事にありたいという願いは暫くは叶いそうもないのは確実である様だ。
『いや、逆にこれだけ一流所の手錬がいるなら、昨晩の連中も開演中の間の報復を考えていた場合暫くは手が出せないか』
下手に騒ぎを起こせば周囲に潜んでいる人間の介入を招く事にもなる。そう考えればこの状況を積極的に逆に利用してやればよい。考えを切り替え改めて周囲へと視線を走らせていると、姿勢を正す。折角状況を有効利用しようと考えた矢先にどうも面倒そうな相手から面倒を抱えてやってきた様子である。