49話
「いやぁ、疲れてるからか実に美味いですね」
「そう云って戴けるとわたくしとしても腕を振るった甲斐がありますわ」
「おや、母上自ら食事を用意してくれたので?」
「ええ。これまでは母親らしいことあんまりしていないでしょう? ま、偶には……ね?」
「頑張った我が子へのご褒美?」
「ふふ、そうと云えばそうかも。期待に応えてくれたようで母親冥利に尽きると云うもの」
和やかな家族の食事風景である。
まあ、約一名ほど箸を持つこともなく黙り込んでいるが。
「……」
「源三郎、疲れで食欲が無いの? それなら寝所を用意させるけれど案外軟弱ですのね」
「いやいや、兄上も腹は減ってると思いますよ? 道中でも腹を鳴らしていましたし」
「そうなの? なら、遠慮なく食べれば良いのに」
「不思議ですねえ」
「不思議ですわ」
「ところで母上、髪切った?」
「あら目敏い。ええ、ちょっとした小細工と気分転換がてらに」
「~~ッッ!」
信之はもう、限界だった。
「母上! 源二郎! そうではないだろう!? 色々と他にもっとこう……あるじゃないか!!」
生きていた昌幸と顔を合わせた瞬間、色々な思いが込みあがった。
込みあがって言葉にならなかった。
昌幸から何か説明があると思っていた――のに何故か食事が始まったのだ。
昌幸はともかく信繁は何か云えよテメェコラと憤慨する信之であった。
「兄上はしょうがないなぁ……」
ゴホン、と咳払いをする信繁。
おお、未だ混乱の只中にある兄に代わって母を問い質してくれるのか。
そう期待する信之だったが……。
「犯人は昌幸」
「わたくしがやりました、ごめんなさい」
「真面目にやらんか!!」
何だかとってもふざけていることぐらいは分かる。
だって昌幸も信繁も口元が笑っているから。
「母上! 何故、武田を裏切ったのですか?! 何故、織田に寝返ったのですか!?
何時からですか!? 何時から誰も彼もを欺いておったのですか!? お爺様達はどうなるのですか!?」
もうちょっと順序立てて聞きたい。
信之本人ですらそう思っているのだが、如何せん混乱している。
信繁も信之もまだ齢十二、確かにそこらの人間では出来が違うがそれでもまだまだ子供。
それゆえこんな状況で落ち着けと云うのが無理は話だ。
何でもないように振舞っていた信繁ですらそうなのだから。
おちゃらけた振りをしながらどうにか精神状態を立て直していたのだ。
予想はしていた、そうかもと気付いたのは確かに信繁だ。
それでもいざ目にした母親の本性。怖じてしまうのも無理はない。
ただ、それを怖じた己を見せることを恥じたからあのように振舞っていた。
まあ、昌幸はその辺もしっかり見抜いていたが。
「何時から、と云うのならばそれこそ物心ついた時から実の親や兄ですら欺いていましたが何か?」
本当の顔を見せたのはそれこそ信長が初めてだった。
それまではずっと綺麗な仮面を被って野心を秘めて機を窺っていたから。
「そしてあなた達にとってのお爺様や伯父上については切り捨てましたわ。
時勢も読めず、童である信繁が気付いたことにすら気付けない以上、武田と運命を共にして戴く以外にはないでしょう?」
昌幸の本性に気付けと云うのが無理な話だし、気付いても昌幸に就いたかどうかは怪しい。
それゆえ昌幸の中では初めから切り捨てる対象だった。
「何故、武田を裏切ったのか? それは単純に武田に先がなかったから。武田が弱かったから」
「義は無いのですか!? 弱いからと裏切るなど……それでは畜生と変わらない!!」
「義はありますわ、大義が――まあ、野望とか野心なんて云い変えることも出来ますけど」
我が子からの糾弾ですら暖簾に腕押し、柳に風で糠に釘を刺しても意味は無い。
まあ、この程度で揺らぐようなら初めから謀反などしないだろうが。
「信濃は常より大国に左右される哀れな場所。
あなた達は信濃で育っていないから実感は沸かないでしょうが、そう云う土地であることぐらいは知っているでしょう?
あっちに頭を下げろこっちに頭を下げろと強いられ続け、実に惨め極まりない。
わたくしは幼少の頃より、この状況をどうにかせねばと考え続けていました」
昌幸は信長に語ったのと同じように我が子に自身の夢を語り始める。
おちゃらけた雰囲気は一切無く、先ほどまで怒りを露にしていた信之ですら聞き入るほどだ。
「……母上の御考えは分かりました。しかし、武田でそれを目指すことも出来たのでは御座いませぬか?」
信之は織田に――信長に良い印象を抱いてはいない。
単純に恐ろしいと云うのもあるが、それ以上に環境が良くなかった。
誰も彼もが信長にヘイトを溜めてる武田で育てばそりゃ影響だって受ける。
幾ら聖剣と云う正当な名分を持っていたとしても、だ。
それはそれ、これはこれ。生まれた場所でそこに居た主に忠を尽くす。
それこそが武士の生き方だと信之は信じている。
「時間はかかるけれど可能か不可能かで云うのならば……まあ、可能ではあったでしょう」
自身の手で信濃を治めることは出来ずとも武田を利用して信濃を護る手段も一応は模索していた。
とは云え面倒な道のりで時間も膨大に消費してしまうのは目に見えている。
「ならば何故!」
「だって手っ取り早いんですもの。強い織田の下でならば容易に強い信濃を作り上げられる。
そして、あなた達兄弟に託すことが出来る。大体、武田は最早腐れ堕ちるだけの果実」
反信長包囲網に加わり織田と敵対した時点で破滅は避けられない。
ならばこれ以上付き合う義理は無いのだと昌幸は語る。
「それに、仮に武田に属し続けていたとしても、ですわよ? あなた達――――父親と殺し合いたいのかしら?」
『………………は?』
黙って聞いていた信繁までもが素っ頓狂な声を上げる。
兄弟はこれまで昌幸や周囲の人間に父親について訊ねたことはない。
最初から居なければさして気になることでもなかったから。
「ち、父親……? 拙者と源二郎の父は、織田家中の……人間、なのですか?」
「織田家中と云うより織田そのものと云う方が正しいでしょう」
「は、母上。そ、それって……」
さしもの信繁も黙っては居られなかった。
恐る恐る問い掛けると昌幸は実に良い笑顔で肯定を返す。
「第六天魔王織田信長――――わたくしの旦那様にしてあなた方のお父様ですわ」
『はぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?』
「源二郎、源三郎、うるさいですわ。もうちょっと静かになさい」
「し、静かにって……そんな……さ、流石にそれは……お、俺達の父親が信長……?」
「い、一体何故母上が!?」
「むかーし、織田が今は無き斎藤と敵対し始めた辺りの頃の話よ」
信玄の旅に同行し、高野山にて偶然信長と対面。
そこでこの男こそが天下人だと定め、アプローチをかけた。
表向きは信玄の命によりハニトラとして動いたが願ったり叶ったりであったこと。
惚気を交えつつこと細かに当時のことを語る昌幸に兄弟二人は驚きはしたが同時に納得もした。
「……信玄公や勝頼様が拙者達を気にかけてくれるはずだ」
「表向き忠臣やってたんだし、そりゃ気遣うわなぁ……いやでも、そうか……」
十二年の時を経て信濃を賜ると云う約定が果たされようとしている。
この状況を作り出した昌幸もそうだが、武田を滅ぼせる状況まで漕ぎ付けた信長の方が恐ろしい。
四方をわざと敵に囲ませ、それを喰らって肥え太ると云うやり方は尋常ではない。
押し潰されずに跳ね除けて天下獲りに王手をかけんとしている現状を鑑みるに昌幸の人を見る目は正しかった。
正しいからこそ、今の状況があるのだ。
「納得したようで何より。これから、海津が突破されれば砥石が戦場となる。
旦那様が武田を滅ぼすまで上杉を凌ぎ切ることで信濃は完全にわたくしのもの」
誰も文句は云えないだろう。
裏切りによって信玄を確保し、武田軍を混乱させることだけでも大功。
実際、現状でもう信濃が手に入ることは確定している。
その上に軍神の攻撃を凌いだと云う功績も相まれば真田昌幸に文句をつけられる人間は居ない。
「あなた達にも駒として奮闘してもらいますわ、腹を括っておきなさい」
「御任せあれ! 織田に就いても切り捨てられることはないと安心出来ましたし存分に戦働きをしてみせましょうとも」
信繁としては武田に思い入れが無いと云えば嘘になるがそれ以上に面白いことが好きだった。
それゆえ、現状はこの上なく面白いので迷いなど微塵も無い。
「……」
が、信之だけは揺れていた。
こうして理由を説明されれば昌幸の行動にも理解を示せる。
信濃で生まれ育ったわけではない自分にその苦悩を糾弾する資格は無い。
昌幸は信濃と信濃に住まう民草がために戦っているのだ。そこには確かな義がある。
それでも、御世話になった武田へと義理もあるからこそ信繁のように答えることが出来ない。
「とは云え、海津が陥落るまでまだ時間もあるし、しばらくはわたくしだけでも保つでしょう――――ちょっとお父様に会って来なさいな」
と云うより初めから双子を戦力には数えていなかった。
信繁はともかく信之が葛藤することを読んでいたから。
それゆえ、そのための対策も当然考えていた――それが昌幸と云う人間である。
『は?』
「源二郎と源三郎が砥石に来られた場合は、顔を出させると旦那様にも云ってますもの」
信長と直に顔を合わせ、語らい、何が一番良いのかを理解させる。
信長ならば上手いこと信之をやる気にさせてくれるだろうと信じている――だから別に押し付けるとかそう云うことではない。
大体、子育ては父母で行うものなのだから父親側にも負担があってしかるべきだ。
「そう云うわけで今日はもう休みなさいな。わたくしはこれから正武や昌相と相談したいこともありますし」
ご馳走様、と両手を合わせてきちんと挨拶をして去って行く昌幸。
残された双子は思わず顔を見合わせ、
「……兄上、どうしよう?」
「いや、拙者がお前に聞こうと思っておったんだが……」
信長に会って来いと云われるなど予想もしていなかった。
片や天下人にほぼリーチかけてる今この日ノ本で一番ホットな男織田信長。
片や信濃の国衆の息子二人――身分的な意味で云うなら天と地ほども差がある。
一ヵ月後に面談する、とかだったらそらまあ覚悟だって出来るさ。
しかし昌幸の口ぶりでは恐らく早朝には砥石を発って信長が根城としている躑躅ヶ崎館へ向かわねばならない。
「一々弟に聞くなよ!? あんた兄貴だろ!!」
「兄貴と云っても双子で拙者が先に顔を出しただけではないか!!」
「いいや、例えほんの少しであろうとも先に生まれたなら兄貴だ!!」
「ええい! 都合の良い時だけ兄を頼るな! お前、飄々と振舞っておっただろうに!!」
「ありゃハッタリだよ! つーか途中でボロも出てたしぜってー母上気付いてたよ!」
喧々諤々。
取っ組み合いの喧嘩を始める二人だが止めてくれる人間は誰も居ない。
十分ほどで虚しくなり、とりあえず出された食事を平らげようと云うことで和解が成立する。
「…………なあ、源二郎」
「…………何だよ」
「何か……母上の本性がああだったことも驚きなのに……まさか我らの父親が……なあ?」
ひいこら云いながらようやっと砥石城に辿り着いたと思えば立て続けに衝撃の事実が襲い掛かった。
十二歳の子供には少々――いや、かなり堪えたことだろう。
「うん、織田の家臣とかだったらまあ……分かるけどさぁ。まさか信長とは……」
「会って何を話せと云うのだ? 大体、俺達を子と認めているのか? 母上の言を信じぬわけではないが……」
身分違いと云うのならば信長と昌幸もそうなのだ。
大大名と国衆の娘、昌幸が信長にぞっこんだと云うことは分かった。
しかし信長はどう思っているのか。
信濃をくれると云うぐらいだからその能力を認めてはいるのだろう。
が、
「大体、源二郎。お前、母上のような妻を持ちたいか?」
問題はそこだ。
旦那様などと云って妻のような振る舞いをしているがどうなのか。
昌幸が妻として認められないなら連座で自分達も子供とは認めてもらえないだろう。
信長としては普通に娶るつもりなのだが第三者から見ればとても信じられないことだ。
「いや、俺にゲテモノ趣味はねえし」
「だよなぁ……拙者も嫁を娶るならあんな毒々しい女は娶らんぞ絶対」
「見た目だけ良くても人間重要なのは中身だよな」
「うむ」
さらりと信長がゲテモノ趣味とディスられたわけだがあながち間違いでもない。
竹千代やマーリン辺りはまだセーフかもしれない。
しかし、自分をガチで殺そうとしたスネークガール帰蝶。
千人喰いを果たしたモンキーガール斉天大性藤乃。
表裏比興のハイパーリバーシブルガール真田昌幸。
少なくともここら辺は云い訳のしようもなくゲテモノだ。
確かに見た目は良いが中身がちょっとアレ過ぎる。
「つかさ、逆に子供と認められても困らねえ?」
「ううむ……云われてみれば…………」
「一個人として親子とかそんなの関係なく信長と話せるってんなら俺も喜んで向かうんだがなぁ……」
はぁ……と仲良く同時に溜息を吐く。
「源二郎、寝て醒めたら夢だったとか無いだろうか?」
「ねえよ」




