40話
数日後――葬儀の日には各方面軍司令官は全員、葬儀の会場たる古渡城へと集まっていた。
藤乃も勝家も、長秀も、光秀も、タッキーも、佐久間も、少し前に四国方面軍司令官となった半兵衛も。
全員が集まれた、つまりはそれだけ織田には余裕があるのだ。
まあ、この機に乗じて仕掛けて来る可能性もあるが、それにしたってそこまで高くはない。
信長の必殺技であるネガキャンの煽りを大いに喰らった敵対勢力だ。
この上、葬儀に乗じて仕掛けて来るとなれば更なる低下は免れない。
尚且つ、信長の怒りを更に買ってしまうと云う恐れもある。
特に寺社勢力はアウトだ、死者を弔う彼らが殺すだけでも十分におかしいが葬儀すら邪魔するとなれば最悪である。
これが重臣くらいの葬儀ならばまだしも、織田の先代当主なのだから他勢力としては仕掛け難いこと極まりない。
それでも仕掛けて来るとしても、葬儀が終わり自分達が戻るまでは現地に居る人間だけで何とかなる。
そう判断したからこそ司令官らも現場を離れて来たのだろう――結局のところさして心配は要らぬと云うわけだ。
「しかし、云われた通りの装いをして来たが……」
控え室――のような場所で待たされている勝家が戸惑いがちに口を開く。
彼は今、戦装束を身に纏っている。
荒々しい鬼を象徴するかのような真紅の具足に真槍。
柴田勝家が最も奮い立つ装い、それが戦装束で信長の云う通りに着ているのだがどう考えても葬儀にして来る格好ではない。
と云うか葬儀の必要な人間を生み出す格好だろう、これは。
「気にすることはないと思いますよ」
そう勝家を宥める半兵衛の格好は死に装束に軽く胸当てなど最低限の防具をつけた状態。
真白の衣に身を包み、死出の旅路へと向かう装が半兵衛にとっての勝負服だった。
これまではそのような戦に赴いたことはない。
それでも、真に魂魄を燃やし尽くさんとするような戦においては必ずこれを着ようと考えていた。
死を覚悟し、それでも尚、生を掴まんとするのならばこれしかない。
想い届かず陣中にて死すとしても、これ以上は無い。
「いやしかし、私としても……これは流石に自分でもどうかと思うのですが……」
頬を引き攣らせるタッキーは華美な着物に身を包んでいる。
茶会用で、一番心躍る――楽しくなれる装いがこれだった。
「だから良いんですって。まあ、大体何考えてるかも察しがつきます」
そう云って笑う藤乃は色鮮やかで適度に露出もしている可憐と色気を両立させた勝負服に身を包んでいる。
とは云え、夜の勝負服ではない。
そっちは公序良俗に反するし、何より信長以外の男に見せられる限界を超えている。
これはあくまで昼の、現代風に云うのであればデート用の勝負服だ。
何時か平和になった際、信長と色んな場所を訪れる際に着ようと思っていた用意していたもの。
藤乃にとってはこれが一番心弾む装いだった。
そして、他の者達も信長の指示通りに誰一人として葬儀用の礼装などはしていない。
武官は勝家と同じように戦装束が多く、文官は茶会や連歌会に行くような華やかな装いが多い。
パっと見た限りでは一体何の集まりかまったく分からないだろう。
信長の影響が大きいのでお洒落にも気を遣う人間もそれなりに居る。
居るには居るが、やはり勝家のように興味をそそられない人間も居るのだ。
かと云って勝家のように戦装束こそが一番奮い立つし好んでいると云う者も多くはない。
なので戦装束を着ている武官やそれ以外の人間の中には妥協として戦装束を選んだ者も居る。
戦装束ならばまあ、注文にも適しているかな? と。
誰もが誰も、自分を奮い立たせたり楽しくなれるような勝負服を持っているわけではないのだ。
「意図?」
「まあ、それはほら。御本人が話してくださると思いますよ」
入り口に視線を向けると信長が部屋の中へと入って来た。
その装いは和洋折衷。
マーリンに貰った外套やブーツ、衣服に散りばめられた飾りは洋。
しかしベースとなる着物は和で、花押にも使っている麟の字を崩したものが刺繍されている。
奇抜と云っても良い。だがしかし、伊達男らしくて実に決まっている。
「うむ、皆忙しい中よう集まってくれた。感謝するぜ、送ってやるなら盛大にしてやらんとなぁ」
「はぁ……あの、信長様」
「分かってるよかっちゃん。何でそんな格好させて来たのか聞きたいんだろ?」
クスクスと笑う信長、とても父親が死んだばかりの息子とは思えない。
「尾張の虎、織田信秀、我が父――――生きも生きたり生き切ったり!」
喝采の如く、信長はそう叫んだ。
突然のことに驚く一部を除く家臣一同に信長は微笑む。
「そうは思わんか? 主家に楯突き、尾張を呑み喰らい、織田の御家を俺に託した。
そして後は悠々自適に生きて、少し前なんぞ派手に戦だってやらかした。
謳歌したと思わんか? 自分の人生を。親父殿の死に顔を見たが実に満足げだったぞぅ。
悔いはあったかもしれんが、しかして死に顔を曇らせるほどのものでもなく。
その生が満ち足りたものであったことを、この上なく伝えてくれた。
今川方の使者が訃報を告げに来た際に聞いたが、成るほど正しくその通りだったよ」
勝負服を持って来いと指示を出した段階ではハッキリ云って打算だった。
信秀の葬儀を利用して、いっちょ武田・上杉討伐前の弾みにしてやろうと。
しかし、マーリンに素直な気持ちを吐露し、今川から送られて来た信秀の骸を見て心からそうしようと思ったのだ。
「だからなあ、じめじめと辛気臭いツラで送り出してやるのは違うだろう?
満足して逝ったんだ、俺達がケチをつけるわけにもいくまいよ。盛大に送ってやろうぜ」
「それゆえ、このような装いを……?」
「ああ、この葬儀は織田信秀と云う男の終着点であり、俺達にとっては永遠の別離だ。
地獄か極楽か知らんが、もう戻っては来れん。死者と生者を分かつ日なのよ、今日と云う日は。
だからこそ憂いなく旅立てるように、泣いても良いが笑顔で送ってやるべきなんだ。
とは云え葬式だからな、気分上げろってのも難しいだろ? ならせめて、装いぐらいはな」
心弾む、奮い立つ、やる気の出る、それを纏えば心が陽の方面に傾く。
そんな装いをすることで、せめてもの慰めに。信長なりの弔い方だった。
「それとな、俺はこれを始まりでもあると見た」
「始まり?」
「そうさ、親父殿の死。それは旧き時代の終わり――――つまりは新時代の始まりである、とな」
信長は別に迷信とかそう云う類を信じているわけではない。
いや、魔道なんてものがあるし迷信の類もあるのかもしれないが。
だとしてもさして信じてはいないのだが、このタイミングで信秀が死んだことはどうにも意味深だった。
「最早老いた者らの時代ではない。元就も、信玄も、謙信も、氏康も、年寄りの時代は終わっているのだ。
中途半端に未だ生きているから分かり難いだけ、既に俺達の時代は始まっている。
満天下にそれを知らしめよ、時をかけて彼奴らが死すのを待つな。
老いさらばえたかつての英傑、その残骸に引導を渡してこそ新時代は旧き時代よりも良いものになると証明出来るのだ。
このままでは勝ち逃げされてしまうぞ――――親父殿の死が俺にそう発破をかけているように思うのよ」
信長の十八番である説得力が滲む弁舌に成るほど、と頷きかけた一同ではあるが……。
「ま、親父殿の死に何かを意味を見出したい俺の弱さと云えばそこまでなんだがな」
自論をぶちまけた信長があっさりと否定してのけた。
思わず肩の力が抜けてしまう家臣一同を見て信長はケラケラと笑っている。
「大切な誰かであっても、死そのものにきっと意味なんてないんだろう。
ただ、それじゃやり切れないから残された生者が意味を持たせようとする。
こうなんだって、自分を納得させたがる……そうすることで、ちょっとでも悲しみを和らげたいんだろうなぁ」
信勝や政秀のような現代人には馴染みの無い別れ方をした例ばかりだった。
しかし、此処で当たり前の別れを経験したことで信長はほんの少しだけ成長した。
メメント・モリ――死を想え。
その通りに、マーリンの胸で泣き明かした後、一晩中考え続けて死に対する視野が広がった。
「だとしても、俺は強欲な性質でな。親父殿がただ死んだと云う事実が嫌で嫌でしょうがない。
だから、勝手な妄想であろうとも俺への叱咤激励だと受け取らせてもらった。
尾張の虎、その墓前に野に咲く花を供えても似合わないにもほどがあらぁ」
信秀の墓前に供えるのならば、
「信玄の首、俺はそれを以って親父殿に対する手向けの花としよう」
信秀の死が魁となり自分を導いた。
そうして武田を滅ぼせた、精強な武田を、旧き時代の象徴の一つを滅相出来た。
自己満足であろうとも信じて、実際に結果を出してしまえばそこには確かな意味が生まれる。
生者が付随させた意味だとしても、所詮は自己満足に過ぎずとも構わない。
「ハッキリ云って自己満足だ。信玄の死を待った方が楽だろう。
病に倒れているとは云え総攻撃をかければ、信玄は確実に出て来るだろうしな
だから死を待つ方が良いのかもしれん。武田には内通者も居て、死が隠匿されたとしても此方にはしっかり伝わるしな」
昌幸のことを知っているのは極一部の人間だけではあるが、信長の言を疑う者は居ない。
「それでもよ、勝手で悪いが――――」
「信長様」
「? どうした勝家」
勝家が話の途中で割り込んでくると云うのは中々に珍しい。
「某、複雑なことはあまり分かり申さん。
ですが、信玄存命の間に武田を討つ。難事ではありますが、しかし乗り越えたらば得られるものも大きいのでは?」
「勝家、お前……」
信長が驚いていると、勝家の言葉を引き継ぐ者が現れる。
そう、退くもタッキー進むもタッキー滝川一益だ。
「勝家殿の仰る通りで。信玄亡き弱体化した武田を叩いたところで、世の者はむしろ当然だと納得するだけでしょう。
なればこそ、生きている間に滅ぼすことに意味が生まれる。
甲斐の大虎すら喰ってのける織田が第六天魔、その威を更に高めれば後々の役にも立つでしょうなぁ」
ねえ、今孔明殿? と今度は半兵衛へと繋がる。
「然り。これもまた、信長様の十八番である人心の撹乱の一つとなるでしょう。
各勢力の当主はともかくとして、家臣から更に末端の兵までは間違いなく士気が下がるのは予想に難くありません。
酷いことになると何故、甲斐の虎をも呑み喰らってのける織田信長に家の殿様は逆らったのだと謀反とて起きるかもしれませぬ。
保身の心が強い者らであれば確率は高い。更に云えば謀反が起きても、敢えて此方が受け入れねばどうなるか。
再び手を結ぶとしても、一度裏切った事実による不和もあり疑心暗鬼の地獄。我らとしてはさぞや崩し易いことでしょう」
何時もの妖しい笑みに混じる、優しさ。
半兵衛も含めて、分かっているのだ。
今語ったように利はあるのだ、それでも敢えて信長がその利を口にしなかった意味を。
勝手で悪いが、なんて断りをしてあくまで自分のワガママであると強調しようとした。
それはつまり本心の吐露だ、隠したくなかったのだ。偽りたくなかったのだ。
利を翳して自分達を難事に走らせるような真似をするなど出来ないと云う配慮である。
利を翳さぬことで短慮だと諌められたら素直に止めるつもりなのだ、信長は。
常日頃から自分が間違っていたら遠慮なく云え、その通りならば受け入れる。
そう云っているから敢えてワガママを強調することで諌め易くした。
「………………危険を犯さずして何をも掴めぬ、それが織田の気風なれば」
難事、しかしそれを踏破すれば相応の見返りは得られる。
大体、織田と云う家は、信長と云う男は何時もそうして多くを得て来たではないか。
寡黙な長秀ですらフォローに入った。
その事実が指し示すところはただ一つ。皆、信長が好きなのだ。
心底惚れ込んでいるからこそ、遠慮は要らぬと笑っている。
「丹羽殿の云う通り。確かに、織田が武田に決戦を仕掛ければ各地の勢力の動きも活発になるでしょう。
武田に負けてもらっては困るからと、死に物狂いで。
それを支えるのは我ら方面軍司令官ですが、しかし先を見据えた上で今辛い想いをしておく方が楽なのは明白。
この明智十兵衛光秀、御任せ戴いた勢力を見事に抑えて武田攻めに関わらせぬようにして御覧に入れることを誓いましょう」
然り然りと他の司令官達が口々に叫ぶ。
そして、そうでない家臣達もそれぞれの場所で戦線を支えてみせると。
戦場ではない、政治と云う戦の面でも十全に動けるようサポートしてみせると。
力強い言葉が信長の肌を叩く。
「ちゃんと益もあるし、何よりも私は信長様を愛していますからね。
ワガママだろうと何だろうと、喜んで叶えてみせましょうとも。
木綿藤吉の名に恥じぬ八面六臂の活躍を御約束しますよ? だからどうか、遠慮なさらないでください」
藤乃の言葉がトドメとなった。
信長の瞳にじわりと浮かぶ涙、それを誤魔化すように目を擦ってみても赤い目を見れば直ぐに分かる。
「……っくしょうめ。っとに、良い家臣を持ったよ俺は! 糞、滅茶苦茶誇らしいぜ!
どの勢力を覗いてみても、お前らほど頼り甲斐のある奴らを見つけられねえよ。
おぅし! 分かった、ならば俺も遠慮なく頼らせてもらう。お前ら、俺の我が儘を叶えてくれ!!!!」
『応!!!!』
織田信秀の死は悲しみを齎すと同時に、織田家に更なる結束を促すこととなった。




