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4話

 信長が帰還した翌日の早朝から、美濃攻略会議は始まった。

 上座には信長、右横にはマーリン、左横には帰蝶と道三が控えている。


「さて諸君、姑殿が俺に美濃を譲ってくれるってよ! だけどなあ、おかしくね!? 譲られた美濃におかしな奴らが居るぜオイ」


 先ずそう切り出した。

 朝っぱらからテンションが高いのは、前日の戦の昂ぶりが消えていないからだろう。

 後は突撃させられたことに対する義龍へのヘイトか。


「池田ァ! 誰だと思う!?」


 突然話を振られた池田くんはギョっとした顔で周囲を見渡す。


「池田ァ! 殿が聞いておられるぞ!!」

「池田ァ! さん、信長様の問いに答えなきゃ駄目ですよ」

「池田ァ! 云ってやれぃ!!」


 あちこちから上がる池田コール。

 家臣達のノリが良くなったのは織田家の当主としてやっていくことを決めてから信長が距離を埋め始めたからだろう。


「え、えーっと……ごほん! 実の母を殺そうとした悪逆非道、道理を弁えぬ謀反人斎藤義龍と謀反人に付き従う愚か者達です!!」

「おうそうだ! 正義の鉄槌でぶっ潰さにゃならんよなぁ?」


 スコーン! と勢い良く煙管の灰を落とす。


「帰蝶、姑殿、構わんかね?」

「実の母を殺そうとする輩なぞ兄ではないわ」


 虫唾が走るってな具合の帰蝶の顔を見ればその怒りも窺えると云うものだ。

 マザコン帰蝶からすれば義龍は実に赦し難い存在だった。

 誘導したのが道三自身とは云え、目論見通りに動いた義龍はやはり蝮の後継足り得ない。

 そんな輩が美濃でデカイ顔をするなど赦せるものか。


「アンタに国譲状を渡したんだ。語るまでもないだろう?」

「だってよ皆! 安心して斎藤潰せるぜこれで――――と云いたいが、来た見た勝ったが出来るほど美濃攻略は楽じゃねえ」


 斎藤義龍個人がどうこうと云うわけではない。

 先日に藤乃と道三が話をしていた理由によるものだ。


「つーわけで帰蝶」

「何かしら?」


 美濃出身の自分の意見を聞きたいのだろう。

 そう思っていた帰蝶だが、


「――――美濃攻略の絵は総てお前が描け、全権くれてやる」


 あっさりと予想を覆されてしまった。


「え」


 と零したのは帰蝶だけでなく信長以外の者総てであった。

 いや、いきなり言ってんだこの人? と皆が皆、戸惑っている。


「の、信長様……? ど、どう云うことなのかしら?」


 皆を代表して当事者たる帰蝶が恐る恐る真意を質す。


「どうもこうもねえよ。美濃の姫にして斎藤の内情に詳しく長ずれば自分を超えるとも評された蝮の娘。

そして織田の、俺の正室でもあるわけだ。掲げる看板としちゃ十分以上ってもんよ。

攻略の総指揮を執り、旦那のために母が譲ってくれると云う美濃を獲る。

不義の兄を討ち、親に対する孝行。そして夫への献身を成す――――衆目が好きそうな話じゃあねえか」


 名声は武器だ、一歩間違えば諸刃の剣となり自身を傷つけかねないが上手く使えばこれほど有効なものはない。

 言い方は悪いが、この時代の下層に位置する民衆は頭が悪い。

 武士、商人、農民、様々な階級社会において教育レベルの差があり過ぎるからだ。

 現代のように誰もが最低限の教育を受けられる整った環境ではない以上、当然の如くに差が生まれる。


 農民であろうとも商人なんかを志せば自然と知識はつく。

 知識がつくことで思考は多様性を生み、知性が育まれていくのだが誰もが誰も商人やら武家の奉公人にはなれない。

 そんなただの農民が学べる限界は、精々が寺の坊主に読み書きを習うことぐらいだろう。

 そんな農民達を掌握するためには名声と云うものがこれでもかと役に立つ。


 娯楽の少ないこの時代において物語のような英傑の話は格好の餌だ。

 美談、武勇伝、そんなものを作り上げることで声望を集められる。

 作り上げると言っても捏造では無論、意味が無い。

 実際にやって、その結果として美談、武勇伝に昇華するのだ。


 そして、名声を使って民への影響力を大きくすれば農民以外にも働きかけられる。

 商機を狙って擦り寄って来る商人、将来を見越しての先行投資として傘下に加わらんとする水軍。

 更に他国に対しての嫌がらせにもなる。特に近場の勢力にとっては織田の名声が高まり良い評判が流れ出せば確かな打撃だ。

 今でさえ厄介なほどに高まっているのに、これ以上となると不満は隠しきれなくなる。


 『織田の御殿様は素晴らしいのにうちのは……』などと。

 粛清? 出来るわけがない。それをするのは阿呆だけだ。

 締め付けも必要だが、同時にそれは自国の民が流民となる可能性を孕んでいる。

 単なる生産率の低下のみならず徴兵率の低下も招き踏んだり蹴ったりだ。

 尾張や東海、織田の領土に流れ込んで来た彼らに信長が手厚い保護をくれてやれば?


 更に名声は高まるし軍事力も増大、攻め入る名分も与えてしまう――聖剣の王として圧政者は放置出来ぬ、と。

 そうして織田にとっての好循環、他勢力にとっての悪循環が始まってしまう。

 信長は美濃攻略において、単なる領土拡大以外の目的も持っていた。

 先々を見据え過ぎて足下が疎かになってはいけない、信長もそこらは無論承知している。

 しかし、帰蝶起用と云う一手は美濃攻略と云う目先の結果を出せば勝手に先へ繋がる手なのだ。


「無論、無理にとは言わんがね」


 信長の打ち出した策を理解している者はそう多くない。

 彼に話を持ちかけられた当人、ファンキーモンキー、魔女、蝮、長秀など万能系の人間に限られる。

 それ以外の者らも、何かしらの深謀遠慮があるのだとは分かっているが他勢力への牽制や嫌がらせとまでは看破出来ていない。


「ああ、それとだ。皆に告げておくが、帰蝶が話を受ける場合だがな?

俺の正室だからって唯々諾々と従わなくても良いぜ。理が通らず無理だろこれって思うのならばドンドン意見しろ。

お前らもそろそろ分かってると思うが、俺は不合理だと分かっていながら何も言わず従う奴より勇気を持って発言する人間を評価する。

ただ、それが関心を買うためのケチに近いものなら無視するがな。

つまりだ、帰蝶よ。お前が話を受けるのならば堂々と己が能力を以って良い案を打ち出し皆を動かさなきゃならん。

つっても一発で名案出せとは云わんよ。打ち出した案に駄目出しが来たのならばそれが正しいのかどうかを見極めその上で改善案を出しゃ良い」


 そしてそれが正しいのならば皆も納得を示す。

 信長は皆を納得させろ――と言っているわけだが、言葉通りの意味ではない。

 織田家家臣団と言っても玉石混交。

 帰蝶が攻略するべきはその玉である。玉を落せば、後は楽だ。

 石は自分で何かをする、と云う能力に欠けているから石。

 皆が納得したなら納得せざるを得ない――と云うより喜んで流される。

 責任を負うこともなく皆で、ゆえに石は無視しても良いと言っても過言ではない。


「さあ、難易度は高いがどうする? 実もなく名だけ使うと云う手を俺は使う気が無いから断ればこの話はなかったことになる」


 不敵な笑みで選択を迫る信長。

 自身の名声は道三救出の際に稼げた、義理の母の危機を救った孝行息子として。

 信長は自身の名声も重視しているが、それ以外の者達の名声も重視している。

 そうすることで信長個人だけでなく、織田家自体の厚みを知らしめようとしているのだ。

 例えばそう、信長が総大将として他所に出向いていたとする。

 しかし、本拠には帰蝶が残っている。あの美濃攻略において見事な辣腕を振るった帰蝶が、だ。

 領民は義に厚く戦上手な帰蝶様が居られるならば、と人心の安定へ繋がる。

 これから先、信長は帰蝶のみならず他の者達にも名を上げる機会を多々与えていくつもりだ。


「……」


 帰蝶は額に汗を浮かべ、熟考する。

 これはチャンスだ。

 信長がチャンスをくれたのだ、後に斎藤を復興させるチャンスを。

 領土とは家臣に与えるべきもので、嫁さんであろうとそうそう簡単にくれてやるわけにはいかない。

 例えそれが信長自身の子であろうとも無条件では。


 仮に将来的に斎藤を復活させる旗頭として次男三男が生まれたとしよう。

 しかし、帰蝶の期待に反してそこまで能力が高くなければ?

 それでも国を与えられはするだろうが、しかし美濃とは限らない。

 だからこそ、将来の美濃を予約するために帰蝶自身が動くチャンスをくれている。

 斎藤家が敵だからこそ、帰蝶が出張る名分もあるから。


「…………謹んで、御請けするわ」


 機において尻込みするような者に未来は無い。

 蝮の娘として此処で引き下がってしまうなど、あり得るものか。

 帰蝶もまた、冷や汗交じりながらも不敵な笑みを返した。


「よろしい。皆を納得させる策を立てられたらば、俺自身も自由に使え。

局地的な戦で勝って来いと云うのならば最善を尽くすし、囮になれと云うのならば是非も無し。全力で務めよう。

皆の者、先にも言ったように遠慮は要らん。どんどん駄目出ししてやれ。

お前達の意見もまた、勝利に繋がる重要な布石となりうるのだからな」

「殿」

「あん、何だタッキー」


 家臣の一人滝川一益が手を挙げて発言の許可を求めて来たので許可を与える。


「帰蝶様を総参謀にと云うのに異論はありませぬ。有用ですし、何となく殿の意図も分かりますゆえ。

だがそれはそれとして、殿自身には何か美濃攻略の腹案があったりしないのでしょうか? 興味本位の質問です」

「あるよ」


 カンニング的な意味だが、実際有用な策が。

 しかし信長はそれを告げる気は無い。

 あくまで帰蝶自身が答えを導くことに意味があるのだから。

 何でもかんでも先取りして、その場その場で成功を収めたとしても土台が不安定になっていく。

 信長は自身が無謬ではないことが分かっている、それゆえ依存されることの危険性を理解していた。

 信長ならば何とか出来る、では駄目なのだ。他の者達が考え、最善の手を導き出せるよう研磨する土壌は必須。

 今回の美濃攻略の意図の中にはそれも含まれている。


「ほほう……それは好奇心を擽られますなぁ。内容は、今は聞けんのでしょう?」

「まあな。どうしようもなくなったら出すかもしれんが、まだまだ序盤も序盤。と云うか始まってすら居ないから黙っておこう」


 支持だって得られるか不安だし、と悪戯な笑みを浮かべる。


「しかし、そうだな……ちょっとした余興を思いついたぞ。マーリン、書くものを。それと封筒もな」

「? ええ、分かったわ」

「ありがとよ」


 云うや信長は取り出した紙に、誰にも見えぬようにしながらさらさらと文字を綴っていく。

 そして書き終えるとそれを丁寧に封筒に仕舞い、


「マーリン、これを美濃攻略が終わるまで誰にも開けられないように出来るか?」

「勿論」


 白い指先が封筒を撫でると、ポゥ……と一度淡く輝いた。

 信長が開こうとするもどれだけ力を込めても開けない。

 万全であることを確認し終えたところで今度は道三に向き直る。


「姑殿、コイツを預かっていて欲しい」

「構わないが……何だいそりゃ?」

「俺が考えている美濃攻略の絵図さ。皆、やる気があるなら余興に付き合わんか?」


 家臣達の瞳に好奇の色が浮かぶ。

 こう云う時の信長はよく、褒賞を気前良く出してくれるからだ。

 織田家と云うのは金持ちである。それもこれも先代、信秀が金稼ぎに秀でていて信長もそのノウハウを引き継いで継続して稼いでいるからだ。

 尾張の国兵は弱いと評判だが、それでも何とかなっているのは優秀な将が居るからだけではない。

 金だ、金の力も存分に使っているからだ。

 信長は無駄遣いは好まないが、しかし必要なことのためならば銭を惜しみはしない。

 余興で金をばら撒くのも家中での人気取り――だけではなく、こう云う時の余興はそれだけで家臣自身のやる気やスキルアップに繋がっているからだ。

 先々に繋がるのならば目先の散財など後で回収出来るのでケチるのは下策だ。


「俺が今したように、紙に美濃攻略の絵図を書き、封をして姑殿に渡せ。

そして、美濃攻略後に答え合わせをしよう。俺のそれと重なっていたのならば金一封。

また、正解が一人だけだったのならば後の戦で先鋒として戦場に出る権利も与えてやる――――勲功を稼ぐ好機だぜ」


 おお、と良い意味でのどよめきが広がる。

 やる気の喚起、考える力の育成、そして個人個人の能力の把握。

 この余興の意図はそんなところだ。


「しかも、その権利を行使する際は戦場を選べる。

自分じゃキツイと思うならば先に回したって良い。権利に期限は無いから、皆、奮って参加してくれ」

「はいはいはーい!」

「はい、何かな藤乃くん?」

「一番槍の権利は要らないので一人だけ正解だったのならば信長様を一日占有する権利が欲しいでーす!!」

「あ、ちょっとずるいわよお猿さん!?」

「分かった分かった。単独正解を勝ち取れた奴は他の褒美を所望しても良いぜ。叶えられるものならしっかり叶えてやる」

「…………飯は?」

「お、おう……長秀……いきなり喋るから驚いたぞ。無論、構わんよ」


 織田家はアットホームな職場です、気軽に御応募ください。


「つーわけで、今日は解散! 帰蝶も直ぐにゃあ、考えも思いつかんだろうしな。

明日以降ならばお前の望む時に軍議を開き、皆を招集して語ってやれば良い」

「御配慮、感謝するわ」

「なぁに、下心ありだから気にするな」


 解散宣言を聞き、それぞれ立ち上がろうとしたその時だった。

 信長は言い忘れていたことがあったと皆を引き止める。


「俺が帰蝶を起用した理由、それが分からん者は分かってそうな奴に聞いておけ。

何なら時間がある時ならば直接俺に聞きに来ても良い。分からぬことを放置せず、知ろうとする者は大歓迎だ。

気兼ねする必要は微塵も無い。数日はちとやることがあるので留守にするから無理だが、俺が居る時はドンドン来い。

緊張するってんなら最初にも言ったが、分かってそうな奴に聞くと良い――それじゃ、引き止めて悪かったな」


 ひらひらと手を振り、マーリンを伴って信長が出て行く。

 主君が最初に居なくなったので皆もそれに続き部屋を後にする。

 残されたのは帰蝶と道三の爬虫類系親子のみだ。


「……面白い奴だねえ、信長と云う男は。主が何を考えてるか分からねば臣は不安を覚える。

それを解消するために、あんなことを云って……知ろうとする者は大歓迎だ、か」


 家臣からすれば信長の下に行けば印象を良く出来ると思うだろう。

 そしてよく来たな笑顔で迎えられれば家臣も良い気分になれる。

 人心の掌握に長けたやり方は、道三も舌を巻くほどだ。


「して、帰蝶よ。あたしゃ何一つとして助言は与えないが……やれるのかい?」

「愚問ね、蝮の娘は伊達ではないと云うことを教えてあげるわ」


 傲然と笑い、帰蝶は宣言する。


「――――そして、もっとあの方を惚れさせてやるんだから」

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