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3話

 正徳寺での会見より一月、道三は絶体絶命の危機に陥っていた。

 息子、斎藤義龍が謀反を起こしたのだ――俗に云う長良川の戦いである。

 しかし、これは蝮の思惑通りの結果と云えよう。

 会見の後、信長を見送った際に告げた、


『我が子らはあの男の門前に馬をつなぐようになるだろうて』


 この言葉を基点にして義龍の不満を煽る。

 更には長兄の義龍を差し置いて弟達を再び贔屓し始め、その上ことあるごとに、


『あたしが死んだ後は信長に従いな、さすれば斎藤の御家は安泰だろうて』


 などと周囲に漏らして煽る煽る。

 そうして不満と不安を爆発させ、謀反を誘発したのだ。

 自身の死と、事前に用意していた信長への国譲の書状を以って彼の美濃攻略を早めるために。

 何時までも足踏みしている必要は無い、とっとと天下に羽ばたけ。

 血の繋がりは無い息子に対しての蝮流のエールだった。


 それは血を分けた我が子を生贄にするやり方だが、今更だ。

 蝮の道三、その悪名は轟いている。

 何せ台頭からして非道外道に塗れていたのだから。

 今更、肉親に対しての情はあれど、それで我欲を曇らせるのであればこれまでの人生を否定するようなもの。


 そのようなことが出来ようはずがない。

 斎藤道三は斎藤道三として、最期までその生き方を真っ当する。

 面白き世の到来を願い、そのために我が子すら犠牲にしてのけよう。

 何、家が滅びて息子が何人死んだところで他の子はまだ生きているのだ。


 一番安全な場所に居る帰蝶、そして他の男の下に嫁いだ娘達。

 その子らが生きているのならば問題はない。

 全員を幸せにしてやれるなど出来ようはずもなく、そもそもからして子供達も良い歳だ。

 まんまと婆の策に引っ掛かって軽挙を起こしたのだから自業自得の面もある。

 そんな具合に道三の中では既に折り合いがついていた。


「兵助、あたしはもう終わりだ」

「な、何を仰られますか! まだまだ諦めてはいけませぬ。今に救援が……」

「何処から来る? こうも見事な手際で謀反が起こされたんだ。織田に情報が届いても間に合わんよ」


 味方した将兵には悪いと思っているが、後で自分が死ねば即座に降伏するよう命令するつもりだ。

 親殺しの汚名を被った上に降り兵まで殺せば最悪。

 義龍も少しでも自分の印象を良くするため寛大な処置を取らざるを得ない。

 道三も身勝手ではあるが身勝手なりに考えてはいるのだ。


「だから、お前はこの遺言状を持って清洲へ向かいな」

「遺言状……」

「美濃は信長にくれてやる。義龍も悪くはないが、しかしこれからの時代を見据えるのならば織田に譲るべきだ」

「し、しかしお館様を置いて……!」

「我が儘を言うでないよ。さあ、とっとと――――」


 その時、本陣の中に戦場には不釣合いな出で立ちの者が訪れる。

 くりくり猫目とシャギーショートで、農作業をしている百姓のような衣服を纏ったその女は、


「失礼、織田が家臣。木下藤吉郎と申します」


 織田のエテ公、藤乃だった。


「お前さんは信長の傍に居た……何故、此処に…………」

「決まってるじゃないですか。道三殿を御助けに参ったのですよ。さ、撤退しましょうか。此処からは退き戦です」

「ハ! 何を言ってるんだい。信長も正徳寺で……」

「真意を理解したからとて、その通りに行動する理由はありませんよ?

これは信長様の命です。必ずや、美濃攻略の名分として道三殿を無事清洲までお連れしろと仰せ付かっています」


 蝮の眼光を軽やかに受け流し、しゃあしゃあと言ってのける藤乃。


「無茶だ、巻き込まれて死ぬ気かい?」

「とんでもない。私は先行して使者として参っただけで、撤退戦を行える程度の兵は逃げているうちに合流出来ますよ」


 道三救助作戦、問題は謀反のタイミングだった。

 密偵を送って見張る――にしても、義龍も優秀ではあるのだ。

 情報を漏らすほどに馬鹿ではない。周囲を観察させて推測するにしても目の肥えた者でなければ見抜けない。

 信長、藤乃、マーリン、事情を聞かされた帰蝶や他の重臣らと会議を開いたが意見はバラバラ。

 藤乃は二ヶ月半、信長は半年、マーリンは一年はかかると云うし一番近しい関係の帰蝶が推測したのは二ヶ月だった。

 紛糾する会議の中で正解を導き出したのは誰あろう米五郎左こと丹羽長秀であった。


『…………一月』


 寡黙な男が口を開いたこともそうだが、その判断基準も何なのか。

 質問が飛ぶものの、長秀はだんまり。

 とは云え家中でもその優秀さは知られているし、何よりも有無を言わせぬ説得力があった。

 確たる理由も示されていないのに、信長を含め『あれ? 何か一ヶ月っぽくね?』と思ってしまう。


 勿論長秀にも彼なりの判断基準はある。

 あるのだが、長秀は生来、口下手だった。

 自らの考えを言葉にして示すと云うのがどうにも不得手。

 行動で示すことで信を得て来たのだ。ちょっと問題があるものの、実際優秀なのは疑いようもない。

 それゆえ、信長は悩んだ末に長秀の一ヶ月と云う推測を採用して行動を起こした。


「信長様に美濃を譲り渡す名分は、失礼ながら道三殿の生死に関わりはありませぬ。

死んでいても名分は得られますが、生きていても得られます。

むしろ後々のことを考えるのならば此処で織田があなたを救出することは良い方向に働くでしょう。

此方の利にもなるのです、何も感情面だけってわけでもないんですよ?」


 云いながらも、空々しいと内心で苦笑を漏らす藤乃。

 確かに利があるのも間違いではないが、信長のそれは後で取って付けたものだ。

 義理の母を、好感が持てる良い女を此処で死なせたくないと云うのが本音だろう。

 しょうがないなぁと云う気持ちが半分、そんなとこが好きなんだよねと云うのが半分。

 藤乃はそんな割合でこの場に立って居た。


「ごねるようならと、一つ信長様から言伝を預かっております」

「……言ってみな」

「"畜生の道を往かば哂うて逝け、その方が面白い"――だそうで」

「――――」


 絶句する。

 言伝に込められた意味はあまりにも分かり易い。

 天道に叛くような生き方をして来たのだから、最期は惨めに死ぬのが丁度良い?

 何だそれは、最期の最期で反省でもしたつもりか? ちょっと良い子ぶってみたいってか? 阿呆めが。


 天道に叛いたのならば最期まで叛き続けろ。

 天道に叛き続けたまま厚顔にも大往生を狙え。

 終わりのその瞬間まで微塵も反省せず、己のやったことに悔いも間違いも無いと鼻で笑ってやれ。

 天? 何するものぞ。天が在り、神仏がおわすのならば何故この畜生に罰を与えずのうのうと大往生させるのだ。


 そうやって哂って逝くことこそ、自分の人生を肯定すると云うことではないか。

 反省するぐらいならば最初から非道外道に手を染めるな。

 そんな輩にどれほどの価値があろうや。

 信長の言伝は短いが、その言の葉には叱咤激励の意がこれでもかと詰め込まれていた。


「……あの小僧、言いおるわ!!」


 藤乃は確かに見た。

 蝮の道三に、その二つ名通りの鋭い眼光が蘇ったことを。


「兵助、撤退するよ! 我らは織田に落ち延びる!

それがどう云う意味を持つかをちゃんと言い含めておきな! このまま義龍に降るのならばそれでも構わんとも」


 斎藤の御家は消滅する。

 道三は歳で、こんなことが起きた以上、建て直しは利かない。

 孫四郎や他の息子達が斎藤の家を存続させる――と云うのも不可能。

 だって謀殺されちゃったから。


 さあ、ガタガタになった美濃の民は不安に思うだろう。

 老いて子の謀反を招いた道三よりも、聖剣を持つ正当なる日ノ本の支配者の信長の支配を望むはずだ。

 是非も無い。此処で道三に付き従えばそのまま織田家の一員となるのだ。

 優秀な者ならば変わらぬ地位を約束されるかもしれないが、そうでないものは降格待ったなし。


 だからこそ、選ぶのは自由――まあ、道三はわざとそう云うことで予防線を張ったのだが。

 分かって着いて来たのにグダグダ不満述べるのかメーン? と云う意味で。

 兵助はしかりと主の意を汲み取っていて、道三と共に往く覚悟は決めていた。

 やってること、やって来たことはアレだが斎藤道三と云う人間はこれで中々人望があるのだ。


「ハ! 伝令を飛ばしますゆえ、お館様は御先にお逃げくだされ!」

「ああ、死ぬんじゃないよ! 藤吉郎と言ったね? 先導は任せるよ!」

「御任せあれ」


 云うや藤乃が用意させていた馬に飛び乗り戦場から撤退を始める。

 そして道三に少し遅れて彼女に付き従う者達も。

 当然の如くに激しい追撃がかかって来るが、必死に逃げ続けた。

 織田方の撤退を支援する援軍と合流するために。


「まだかい?」

「御安心を、来たみたいですよ」


 川を下ったところで、待って居たのは聖剣の王、第六天魔とも称された織田信長。

 自ら総大将として軍を率いて援軍のために駆け付けたのだ。

 信長は撤退して来た道三達の姿を視界に収めるや、聖剣を抜き放つ。

 昼間だと云うのに太陽が地上にもう一つ出来たのかと錯覚するほどの光輝。

 道三に付き従う者らは安堵を覚え、追撃する義龍軍は思わず怯んでしまった。

 演出の使いどころを心得ていると言わざるを得ない。

 そしてその僅かな怯みを見逃すことはなく、


「不義の輩に鉄槌を下せぇえええええええええええええええええええええええ!!!!」


 攻撃命令を下す。

 同時に、大義を背負い、正しいことをしているのだと云う美酒に酔っ払った兵達は雄叫びを上げて猛攻を始める。

 先ずは歩兵によって一当てし、このまま押し切るかと見せかけて個々人の間に隙間を作りながら即座に後退。

 後退と同時に背後に控えさせていた鉄砲隊を前進させ歩兵が作った隙間に入り、その瞬間に発砲。

 この段で道三達は鉄砲隊より後ろに逃れていたので巻き込まれることはなかった。

 一斉射撃により更に怯んだところで再び突撃、今度は信長も更なる士気高揚のため加わっている。


「信長を置いて来て良いのかい?」


 道三らは戦っている信長達を尻目に尾張へと向かっている。

 消耗し切った兵を連れて戦をしても足手まといになるだけなので仕方ないと云えば仕方ないのだが……。


「ええ、何はなくとも先ず道三殿を尾張へ連れ帰るのが目的の進軍ですからね」

「……だとしても、大将自らってのはねえ」


 道三にも信長が残った意味は分かっている。

 分かっているのだが、自らも突撃してしまうような危なげな戦はハラハラしてしまう。

 それこそ場の空気に酔って狂奔している者達でなくば心底を肝を冷やすだろう。


「不安は分かりますが、まあ大丈夫ですよ。信長様ですから」


 桶狭間の時と云い今回と云い信長は自ら突撃することが多い。

 しかし、それは止むを得ない場合のみだ。

 信長自身も好んで蛮勇を振るっているわけではない。

 しゃーなしに、それが最善だと判断したから突っ込んでいるのだ。


「退き際だって心得てますし、何より負ける姿が想像出来ません」


 家中において一番の戦上手は勝家だ。

 真正面からぶつかればその勢いは並大抵ではなく、凡愚では相手にもならず溶かされてしまうだろう。

 かと云って突撃馬鹿でもなく絡め手も心得ているのでかなり手強い。

 それこそ越後の戦争狂でもない限り、負けたとしても上手く負けて次に備えられる。


 次点で藤乃や長秀、信長達だが彼らは基本横並び。

 が、条件を整えてしまえば一番の突撃力を誇り勝家すらも凌駕するのは信長だ。

 上手に兵達を酔わせられ、狂わせられるシチュエーションさえ成立させてしまえば死兵でもないのに死兵並の恐ろしさを発揮する。

 しかし、それはどの戦場でも可能と云うわけではない。


 良い具合の大義名分やらが揃って、その上で信長があれこれと鼓舞し自らも前に出るのが条件。

 そんなシチュエーションそうそう無い。

 ただ、今回に限って云えばバッチリである。

 ゆえに信長が死してしまうなどと微塵も思わない。相手側の将も大したことないし。


「ただまあ、今回は良いんですが……ねえ?」

「美濃攻略かい?」

「ええ。正直、骨が折れるなぁ……と」


 そりゃ有利なのは織田だ。国力でも勝っているし。

 問題は地形にある。

 尾張は平野で、攻められれば弱い、一度圧されてしまえばあれよあれよと不利になる。

 一方の美濃、斎藤の主要拠点は山岳部に。どちらが守に適しているかは瞭然。

 斎藤側としては稲葉山城に篭ってしまえば凌げるのだ。


「大軍を動員するのも、ちょっと不味いですしね」

「だろうね。特に東の守りは薄く出来ない、武田や北条が居るからねえ」

「じゃあ西は? ってなると、今のところ敵対してるとこはありませんが……」


 だからと云って清洲の守りを薄くしてしまえば噛み付かれる可能性は十二分にある。

 織田は確かに大きくなった、しかしまだ噛み殺せるチャンスは存在しているのだ。

 織田が隙を見せた瞬間に、連合を組んで一気に潰す、なんてことがあっても全然不思議ではない。

 斎藤を攻めてる間に帰る家が無くなりましたでは笑えない。


「まあ、これからについては我らが先ず尾張に帰還してからの話です」

「ま、頑張りな。若人よ」

「……気楽ですねえ」

「大義名分はくれてやる、だがそれを使って美濃を手に入れるのはあんたらだ。あたしも良い歳だしねえ」


 そんなことを話ながらも足を止めず尾張を目指し続け、ようやく織田の本拠地清洲へと辿り着く。

 疲労困憊の道三を迎えたのは、


「母上!!」


 当然のことながら帰蝶だった。

 信長ならばきっと母を助けてくれる、そう信じてはいたがやはり実際顔を見るまでは安心出来ない。

 馬上から降りた道三に力いっぱい抱き着く帰蝶を見て、


「……しょうがない子だねえ」


 道三は母としての顔を覗かせた。


「御無事で何よりです…………本当に本当に……! あの野郎、必ず殺してやる……!!」


 一方の帰蝶は実兄へのヘイトを延暦寺並に燃やしていた。

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