29話
舞台は数日で整えられた。
多くの人間が集まれる開けた場所に急造で拵えられた舞台。
舞台には将軍義昭と、朝廷の人間が。
そして舞台を取り囲むように足利の兵千人が配置され、その更に外側には集められた民草がごまんと存在している。
聖剣譲渡の儀、発布されたそれを聞いた民草は誰もが不安と不満を抱いた。
どうして義昭に? そんなのおかしい。
信長は何を考えているのか。
不穏な空気が満ちる中、聖剣譲渡の儀は始まった。
舞台の中央には豪奢な着物に身を包んだ義昭。
そして衆目を掻き分けて質素な着物に身を包んだ信長が舞台上へと上がる。
途中まで一緒に来ていた久秀と家久は舞台の手前で待機。
長々と格式ばった面倒な祝詞が上げられ、いざ譲渡の瞬間が訪れた。
「では、これを」
跪き、両手で聖剣を掲げる信長に義昭はうむ、と頷き聖剣を手に取る。
そして早速鞘から抜き放ち両手で柄を握り空へと掲げた瞬間、
「おお……これが、これが支配者のあか――――」
両腕が爆ぜた。
突然の事態に事情を知らぬ者は誰もが言葉を失う。
痛いほどの静寂が満ちる中。肘から先が消失し、ぴゅーぴゅーと血を噴出しているその光景はあまりにも滑稽。
「え……あ…………」
何が起こったか分からないと云う顔の義昭。
しかし、次の瞬間――――。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
つんざくような悲鳴を上げる。
思考が停止し、直ぐには訪れなかった痛みを認識したからだ。
絶叫を上げ、舞台の上で無様にのたうち回るその姿に兵が駆け寄ろうとするも、
「黙れぃ!!!!!」
それよりも先に信長の大喝破が轟いた。
極大の殺気が込められたそれに思わず足を止める兵と、そして恐怖の余りに絶叫すら上げられなくなった義昭。
信長は放り出されふわふわと宙に浮いている聖剣を手に取り軽く振るう。
その瞬間、義昭が抜き放った時とは比べ物にならない光が放たれた。
そして悲しげに目を伏せ、哀愁を滲ませたまま言葉を発する。
「これでハッキリした――――足利義昭は支配者の器にあらず!!!!」
そう云うや、民草は爆ぜたように沸き立った。
ああ、やはり信長こそが日ノ本の正当なる支配者なのだ。
見ろ、あの威風堂々たる姿を。
見ろ、誂えたようにお似合いの一人と一振りを。
そんな衆目へ向け、信長は軽く手を翳す。するとどうだろう、沸き立っていた衆目が皆静かになったではないか。
王の言葉を拝聴せんがために。
「俺を罠に嵌め、浅井と朝倉の挟撃にて排除しようとしたこと。分かる者には明白だっただろう」
その通りだ。
民草の中でも、賢い部類に入る者達は信長生死不明の噂を聞き直ぐに理解した。
証拠は無いけれど確実に義昭の仕業であると。
「ち、違う! こ、此方は……此方は…………!!」
一方の義昭は皆の前で罪を糾弾され云い訳をしようとするが、
「既に証拠は掴んでおる。これ以上の無様を晒すな! 仮にも征夷大将軍であろうが!!」
バッサリと切り捨てられる。
ちなみにこれは嘘だ、証拠なんぞ何一つとして掴んではいない。
しかしこうも自信満々に当然の如くに云い切られてしまうと聞いている側からすれば真実なのだろうと納得してしまう。
「ひぃ……!」
怒鳴り散らされた義昭は小さな悲鳴を上げ猫のように身を縮めさせた。
ちなみに出血は既に止まっている。
ある程度血が流れたところで傷口が焼け始め止血されたからだ。
そして痛みも無い――無論、聖剣の効果である
信長は何時だったか閨の中でマーリンに聞いたことがあった。
そう云えば確認していなかったけれどこれって他の人間に奪われたりしないのか? と。
すると、
『大丈夫。調べた時に分かったけどそれ、選ばれた者以外が手に入れようと掴んだ瞬間、酷いことが起こるわ』
マーリンはそう応えた。
聖剣を造ったのは自分であると云いそびれて今に至るため、こんな云い回しをしているのだ。
信長が真実を知るのは天下を獲ってからになる。
その際、云う機会を逸して恥ずかしいから今まで黙っていたのだと聞かされ腹を抱えて笑うことになるのだがそれはまた別の御話。
『酷いこと?』
『ええ、腕が吹き飛ぶわ。邪心に反応して罰を下すのよ。そして、吹き飛ばされただけでは終わらない』
傷口は直ぐに癒え、痛みも消えてしまう。
それは何故か――――見せ付けるためだ。
死んでしまわれては罪を犯したことを知らしめることが出来ない。
ようは見せしめだ、選ばれし者以外が聖剣を手にすればどうなるのかと云う見せしめ。
「俺は裏切られた、それでもお前が聖剣を手にすることが出来たのならば赦そうと思っていた。
曲がりなりにも朝廷に認められた征夷大将軍。
力及ばずとも、日ノ本がために尽くし続けて来た足利の将軍だから。
だから、俺もこれまで聖剣を誇示することなく幕府を支え続けて来たのだ」
悲しげに語る信長、千両役者とは正にこのことだ。
悲劇の義人を演出せんがために、こんな舞台まで整えさせてよくもまあ。
「その仕打ちが先の裏切りだとしても……! 選ばれたのならば認めるつもりだった。
しかし、結果は見ての通り。足利義昭は聖剣どころか、征夷大将軍の器すら持ち合わせていない。
日ノ本に無用な火種をばら撒く、大逆人である! ゆえ、俺も覚悟を決めた」
覚悟を決めた――その言葉に人々は嫌が応にも期待を掻き立てられた。
「浅井、朝倉、上杉、武田、毛利、雑賀衆、長宗我部、三好、本願寺延暦寺等の寺社勢力――――」
つらつらと信長生死不明の報が駆け巡るや織田に宣戦布告をして来た者や仕掛けて来た者の名を挙げていく。
信長はこの段で、武田が裏切ったことも知っていた。
と云うか京都に辿り着く少し前にはあちこちへ広まっていたのだ。
「足利義昭と通じ、乱世を継続させんとする不義の輩達よ。
密通の書状は既に手に入れてある。彼奴らめ、しかと応答しておったわ」
吐き捨てるようにそう云う信長、演技もあるが演技だけじゃない。
本来の予定とは狂った形での包囲網になってしまったのだから。
ゆえに、流れを取り戻すためにも一芝居打とうと決意した。
だから最後まで演じ切ってやる、しかしそれとは別に腹が立つのは確かでその怒りが演技にも混じっていた。
「これより俺は、信長は修羅の道に入る。
足利を含め先に名を挙げた者らが居る限り、何時まで経ってもこの日ノ本に平穏は訪れん!
聞け、民草よ。この聖剣に懸けて俺は誓おうぞ、皆悉く討ち滅ぼしお前達に、この日ノ本に平和を齎そう!!」
おぉおおおお! と耳が裂けんばかりの歓声が上がる。
そこでまた手を翳し、衆目を鎮める――良いように操るその姿は正にアジテーター。
シチュエーションを整え、千両役者の演技を以って言葉を振るえばこうも容易く人心を操ることが出来るのだ。
「これまで俺は聖剣を手に入れたからと、正当な支配者だからと聖剣を振り翳すような真似はせなんだ。
しかし、それではいかんと痛感した。
裏切られ、不義の輩が跋扈し、この女が聖剣の担い手たる資格なしと分かったことでな。
最早幕府を支えて平和を齎そうなどと云う甘いことは云っていられん! 俺が、聖剣に選ばれた俺が成さねばならんのだ!!」
これはもう天性の資質だろう。
病的なまでに人心を操ることに長け、人々を熱狂へと駆り立てるこの力。
一歩間違えれば未来における第三帝国のチョビ髭おじさんになり兼ねないが、そう云う意味で信長は運が良い。
アドルフ・ヒトラーと云う悪例を知っているからそれを反面教師に出来るのだから。
「俺が愛し護りたいと願うはこの日ノ本に住まう、平和を望む優しき者達だ。
先に挙げた者らは人にあらじ! 人であるならば何故、要らぬ戦乱を起こそうとする!?
俺のように幕府を支えようともせず、都合の良い時だけ幕府の威光を掲げ俺に戦を仕掛けるなぞ下衆の極みよ!
その者らを討つためならば、俺は天魔にだってなってみせよう。その証左として宣言しようではないか」
相手をトコトン扱き下ろす信長だが、彼も畜生具合では負けていない。
まあ、戦国時代の大名なので大なり小なりこんな部分がなければやってはいけないのだが。
「先ほども名を挙げたが、俺は寺社勢力を赦すつもりはない。
自衛のために武器を持つ、それは良い。しかし、何故大名の如くに振舞う!?
朝廷をも足蹴にするような権勢を持ち、我欲がために領土を拡大せんと人を殺す者なぞ坊主ではないわ!
彼奴らもまた、皆が望む平和を阻む絶対悪である!!」
熱弁を振るい、寺社勢力を糾弾する信長。
無論のこと、正義感ゆえではない。自分に都合が悪いから悪役に仕立て上げているのだ。
民草に浸透させようとしているのだ、武器を持つ坊主は坊主ではないと。
「第六天魔は仏の教えを弾圧する気はない。
しかし、仏の教えを利用し虎の威を借る狐の如く振舞う生臭は決して赦さぬ。
いずれ極楽へ往けると人々を誑かし戦へ駆り立て死んで来いと抜かすような輩は殺す。容赦なく殺す。
俺の愛する民草があのような者どもに利用されるなど我慢ならぬわ!!」
厭らしい、実に厭らしいやり方である。
綺麗な言葉で飾り立て、人々に信長が正しいのだと云う意識を植え付けているのだから。
「この場に集った皆に頼みたい。俺の決意を、伝えて欲しい。
俺の言葉が届かぬ場所で、不安に震える者達を勇気付けてやって欲しい。
随分時間はかかったけれど、織田信長が覚悟を決めたのだと! 必ずやこの天下を統一してくれると伝えてやってくれ!!
武器持て戦うだけが戦ではない、言葉で誰かを勇気付けてやるだけでも良い。それでも俺達は共に平和がために戦う輩なのだ!!」
大多数の云い方は悪いが教育レベルの低い、考えることをあまりしない者達は素直にその言葉を受け取った。
少しでも知恵が回る者達は信長劇場を見てそのキレ過ぎるやり方を見て誰に就けば良いのかを理解する。
そうして、信長の望むように動くだろう。
治世の形態を見ても信長を仰いだ方が良い暮らしを出来るから。
頭の良い者、悪い者受け取り方は違えども結果としてどちらをも味方に就けてしまう信長の恐ろしさ。
まさしく第六天魔の名に恥じぬ所業である。
信長はこれまで噂を流す際に、自分の手駒を使っていた。
しかし、この発言によって労せずして噂をばら撒いてくれる存在を手にすることが出来た。
これで何をせずとも勝手に敵対勢力の足を引っ張ってくれるだろう。
民草の言葉、それを押さえ付けようと強硬手段に出れば悪循環が巻き起こるだけ。
信長はざまぁみろと大哂いしてやりたい気分だった。
流れを奪われたが、これである程度は取り戻すことが出来る。
「ぐ、ぐぅ……馬鹿に……馬鹿にしおってぇええええええええええええええええええええええええ!!
お、おおお尾張の田舎者がよくも此方を虚仮にぃ……殺せ! その無礼者を殺せぇ!!」
信長の空気に呑まれて何も云えずに居た義昭が気力を振り絞って叫ぶ。
しかし、兵士らも信長に呑まれていたので戸惑っている。
「早く殺さんかァ!!!!」
その言葉に、両脇から数人の兵士が弾かれたように信長へと襲い掛かった。
彼らは足利に忠を――と云うより混乱していたのだろう。
正しいのは信長だけど、自分に命令を下しているのは将軍で云うことを聞かなければ……。
混乱する頭で訳も分からず切りかかったのだ。
信長は左より来る兵を迎撃するべく身体を向ける。これでは右方が、と思うかもしれないが大丈夫。
「きぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
舞台下より駆け上がった家久が雄叫びを上げ一刀の下に右方の兵を切り捨てた。
同時に、信長もまた左方の兵を切り捨てる。
信長は少し後退し、家久と背を合わせ――――
「良い見世物だったろ?」
悪戯な笑みを浮かべた。
「この上なく……!」
血が滾ってしょうがないと云わんばかりの凶悪な笑み。
抜けていてちょっと可愛いところもあるが家久もやはり、島津の男なのだ。
「皆の衆! 俺は先の敗戦により、今この場には二人しか供がおらん!!
多勢に無勢、今は逃げさせてもらうが約束しよう! いずれ必ず足利の手からこの京の都を解放するとな!!」
では御免、そう云って信長は家久と共に舞台から飛び降りる。
そして久秀を伴って全力疾走。
「に、逃がすな! 追え! 追え! 追えぇええええい!!」
義昭が号令をかけ、戸惑いがちに兵が動こうとするも……。
「やらせるかぁあああああああああああああああああああああ!!」
「信長様の御邪魔はさせへんでぇええええええええええええええ!!」
「必ずあの御方を美濃まで帰すんや!!」
「偽将軍に従う非人め! あんたら最低やわ!!」
そうはさせまいと民衆が邪魔に入る。
兵は千存在していても、見物に来ていた民衆はもっと多い。
武器を持っていようとも数の暴力に抗えるだろうか? 否、抗えはしない。
士気も最低なこの状況で民衆の壁を突破して信長を殺すなど夢のまた夢。
信長が大勢の民衆と兵を集めたのは義昭に恥をかかすためだけではなく連帯感を作り出すため。
撤退する信長を護るために戦ったのだ。御役に立ったのだ。これからも御役に立つぞ。
信長が御為、その連帯感と共に信長を護ったのだ云う誇りが民衆には植え付けられた。
ただ、そのための敵役にされた足利の兵は哀れにもほどがあるが。
「さぁて……此処からだ」
民衆の足利に対する怒号を背に、振り返ることもなく真っ直ぐ駆け続ける信長。
その口から発せられた反撃宣言はこの上なく静かでありながらこの上なく激情に満ちたものだった。
連日投稿は此処までで、またある程度溜まったら投稿します。




