20話
藤孝の要請を承諾したからとて、じゃあ直ぐに義秋が来られるかと云うとそれはまた別の話だ。
朝倉に黙って出て行くことは出来ない。
では正直に話をして? それならば引止めにかかるだろう。
朝倉としても権力を拡大させるチャンスである義秋を逃がしたくはないから。
なので先ずは説得、その後あの手この手でどうにか越前に留めようとする。
例えばそう、力になれずに申し訳ないと云い、せめてもの心遣いだからと宴を開いたり。
これから大変だから英気を養うと云う意味でも。
楽に浸かれば抜け出し難くなる、特に克己心の無い人間では。
これから藤孝は大変だろう。
義秋が意見を翻さないように気をつけつつ、朝倉の顔も立てて美濃に向かうようにしなければならないのだから。
そんな大変な未来の同僚に同情しつつ藤乃は城下の茶屋で菓子を貪り食っていた。
木綿藤吉の名に恥じずオールマイティな彼女は仕事量が人よりも多いのだ。
それでも人より早く終わらせられるのだから要領の良さが抜きん出ている。
「って云うか美味しッ!? 何これ御婆ちゃん超美味しいですよ!!」
ハムハムと藤乃が食べているのは現代ではお馴染みのカステラ。
室町末期に平戸や長崎に伝えられた由緒ある菓子で、戦国時代には存在している。
しているのだが、誰もが知っているようなメジャーな菓子ではない。
それゆえ藤乃も茶屋の婆さんをベタ褒めしているのだ。
「そうかい? 藤吉ちゃんは美味しそうに食うてくれるから作り甲斐あるわぁ。
これね、かすていら云うお菓子なんよ。この間、長崎から来たゆう商人さんに教えてもろたんよ。
それでどうにか再現出来んか四苦八苦しとったら、信長様が来られてねえ」
この時代、乳製品は常用されていない。
信長は気にせず使っているが、一般的ではないのだ。
しかしカステラはヨーロッパの菓子にしては珍しく乳製品を用いていない。
だからこそ店でも出せるかもと云う考えが働き、この戦国時代に残ることが出来たのだ。
この茶屋も礼に漏れず売りの一つとしてカステラ製作に乗り出した。
が、困ったことにカステラを焼くためのオーブンが存在していない。
オーブンの代替をどうしようかと悩んでいる際、信長がふらりと現れた。
そして話を聞き、マーリンの智慧を借りて専用の炭釜を製造させカステラが出される運びとなったのだ。
その際、水飴を使用してみてはどうか? などのアドバイスも送りしっとりとした食感を獲得。
水飴を使用するのは俗に云う長崎カステラの特徴でまだ生まれてはいないのだが信長は気にせずカンニングで得た知識を使った。
と云ってもあくまで着想のみで実際に形にしたのはこの老婆なのだが。
創意工夫好きは日本人の魂に染み付いた業のようなもの。
こうして、見事現代ほど洗練されてはいないがこの時代においては唸るようなカステラが出来上がったのだ。
「色々手伝ってくれてねえ。ありがたいことよ」
「ほうほう……でも別に善意だけってわけじゃないでしょう?」
「そやねえ。接待に使いたいから美味いのを頼むって云われたわ。ま、そこは腕の見せどころやねえ。まだまだ研究せなあかんわ」
この店に目をつけたのは単純に此処がカステラを作ろうとしていたからだ。
別のところでカステラを作ろうとしている店があるならそこを使っていただろう。
「これはこれは、楽しみですねえ。出来たら毎日でも食べに来ますよ私。
と云うか、折角信長様にそんな話を貰ったんですし殿様御用達の看板でも掲げてみては?」
「そらあかんわ。うちはそりゃ、一流の自負はあるで? せやけどそう長うない」
殿様御用達となれば相応の腕を持っていなければならない。
プライドと云うやつだ、そのプライドがババアに看板を掲げさせることを阻んでいた。
「次代がうちと同じかそれ以上の腕まで育ったら掲げさせてもらうわ」
「厳しいですねえ……いやいや、でもカッコ良いですよ御婆ちゃん」
カステラを平らげ、一息。
おかわりを頼むか否か迷っていると……。
「……此処におったか、木下殿」
厳しい顔と厳しい声、織田家の突撃隊長柴田勝家である。
「おや、どうしました柴田殿。私に何か御用で?」
「うむ、ちと付き合ってもらいたい」
「えー? 私信長様一筋なんで浮気はちょっと……」
「そう云うことではないわ!!!!」
ちょっとした冗談を飛ばしてみれば怒声が返って来た。
藤乃はキンキンする耳を押さえつつ勝家をなだめる。
「軽い冗談じゃないですか……でも私、御婆ちゃん魔女と待ち合わせしてるんですけど急ぎの仕事ですか?」
「む、魔女殿と? それならば丁度良い。休みだと云うのならば着いて来て欲しい場所がある」
「はぁ……まあ別に城下をひやかすだけだったので構いませんが……」
自分のみならずマーリンも、となると気になる。
そもそもからして勝家が個人的に自分を誘うなどと云うのも珍しい。
これまで皆無だったのだから――藤乃は何があったのかと首を傾げる。
同僚としては信を置かれているが己の軽い性格は勝家にとっては好かれていないと思っていただけに分からない。
「あらあら、お猿さんは当然として柴田殿? 柴田殿もお菓子なんか食べるのかしら」
あれこれ考えていると空からマーリンが降って来た。
毎度毎度普通には現れない魔女だが、家中の者はもう慣れているので反応すらしない。
驚いているのは城下の一般人のみだ。
「此処のカステラは絶品よ。お猿さんの奢りだから遠慮せずに食べて頂戴な」
「ちょっと何で私の奢りなんですか。年配者が奢ってくださいよ年配者が。
あなたからすれば私も柴田殿も赤子みたいなものでしょう? 赤子に集るとか信じられませんねこの御婆ちゃんは」
「ええい、毎回毎回ババアババアうるさいわよ! ええそうよ、どうせ私はババアだけどそれが何かぁ!?」
「あの……魔女殿、少々御話が……と云うか人目もありますので……」
藤乃だけならば怒鳴りちらして黙らせられるが、マーリンが居るのではそうもいかない。
勝家だけでなく大概の人間にとって聖剣の魔女とはそれこそ神仏のようなものなのだ。
魔道ではなく人としての能力にも優れ織田家に尽力しているし、何よりも年長。
真面目な勝家としては決して軽んじることが出来ない。
「あら、これは失敬。それで話とは?」
「……これまで、行こう行こうとは思うて居たのですが踏ん切りがつかず、しかし今を逃せば暇も無くなり申す」
その前に政秀寺に向かいたいので同行を頼む、と勝家は深々と頭を下げた。
政秀への報告もあるが、それはメインではない。
メインはあくまで政秀寺で眠っているもう一人、勝家にとってはかつての主君――信勝である。
今は未だ凪の時間ゆえ、暇もあるが義秋が美濃に来ればその暇もなくなってしまう。
だからこそ勝家は今、この時期に墓へ参ることを決めたのだ。
「信長様の天下取り、その立脚点は間違いなくあの御方。
本来ならば家臣一同で訪れ改めて信長様を御支えすると誓いたいのですが……」
「……皆まで云わずとも大丈夫よ。ええ、そう云うことならば付き合いましょう」
雪斎の被害者――とは云え、しかしそれは信勝に心の闇が無ければ避けられたこと。
少なくともあの段の彼には実の兄を暗殺しようとするような闇が元々あったのだ。
ある意味で隙を突かれただけ、それに謀反に巻き込まれた人間も多々存在している以上、信勝の名誉を回復――と云うのは難しい。
いずれは絶対の実績を以って己が天下を目指したのは、世が平和になったのは信勝のおかげ。
天下統一後に平和な時代が訪れれば信長はそうして名誉を回復させるつもりで居る。
しかしそれはまだ先のこと。今はどうしたって不可能だ。
それゆえ他の家臣を誘って一緒に――と云うわけにはいかない。
だからこその藤乃とマーリンなのだ。
そんなことは気にせず、尚且つ信勝の思想を信長経由で知っているであろう二人。
この二人ならば連れて行っても問題はない。
共に赴き、共に誓ってくれるだろうと勝家は二人を訪ねたのだ。
政秀寺はそう遠くはない場所にあったので馬を飛ばせば直ぐに着いた。
「御婆ちゃん、人のケツに乗らないで自分で馬乗ってくださいよ」
「良いじゃないの別に」
「はぁ……しょうがないですね、敬老精神ってことにしといてあげます」
「何ですって!?」
「魔女殿、死者が眠る場所なので……木下殿、御主も魔女殿をもう少し敬わんか!!」
先ずは政秀の墓に参り、近況の報告を。
そして、今回の墓参りのメインである信勝の墓石の前に立った勝家は……。
「……」
無言だった。
瞳を閉じ、堪えるように口を真一文字に結び黙り込んでいる。
胸中を渦巻くはあの日の後悔。
自分はもっと他に何か出来たのではないだろうか? そう考えると今でも胸が痛む。
兄弟の語らいを聞き、どちらも共に素晴らしい主であると思い知らされたからこそ信勝の喪失は重かった。
愚かであれば見限るなどと云っていたかつての自分を殴り飛ばしてやりたくなる。
信長の本質も、信勝の本質も分からぬまま、何をほざいていたのかと。
昔日と云うにはあまりにも近く、あまりにも鮮明な過去が勝家の心を苛む。
「信勝様、某は……」
厳しい鬼の顔相は何処へやら。
後悔と悲哀に彩られた鬼の顔は今にも泣いてしまいそう。
情が深いのだ、もう少し薄情になれれば楽なのかもしれない。
しかし、そうはなれないからこそ勝家は部下に慕われ、主君たる信長からの信も篤いのだろう。
「……御婆ちゃん」
藤乃はそんな勝家の姿を見て、隣の魔女を促した。
自分でもそれらしい言葉をかけてやれる。
しかし、その言葉に重さを籠められるほどに齢を重ねてはいない。
勝家ほどの人間の心に響かせようと思うのならばそれ相応の時間の重みが必要不可欠。
だからこそのマーリンなのだ。
「……そうね」
多くの時間を重ね、多くの出会いと別れを経て今に至った。
そこに籠められている重さはたかだか百年も生きていない人間のそれとは比べ物にならない。
「偶には、年長者らしいところを見せるのも悪くはないわ」
さぁ、と柔らかな風が吹き抜けた。
心が軽くなり空も飛べてしまいそうになるような気持ちの良い風。
それでも勝家は縛り付けられたようにしゃがみ込んだまま。
「勝家殿、未熟だった自分を何時までも戒めたくなる気持ちは分からないでもないけど……それで良いの?」
「魔女殿……」
「武士として不名誉な斬首と云う、目前に待つ現実。それが分かっていても、未来を見据えた信勝殿」
そして、
「後悔に決着をつけ、信勝殿との誓いであり己の夢でもある天下統一を果たすべく今も前だけを見つめている信長様。
この兄弟のどちらにも仕え、今も生きているあなたがすべきことは何? ここうして頭を垂れて懺悔し続けることなのかしら?」
その言葉は雷鳴のように勝家の心に響き渡った。
そう、そうだ。
心弱き者であれば折れそうになるであろう迫り来る斬首と云う現実。
死しても首を晒され誇りすら穢される。
そんな迫り来る現実を前にして、信勝はどうだった?
静かにそれを受け入れ、残された時間を決して無駄にはしまいと心に刻み続けていた。
その瞳は未来を見据え、兄との思い出を胸に旅立った信勝。
聡過ぎるがゆえに真実を看破し、弟を殺さねばならぬ現実に追い詰められた信長。
折れてしまえば楽になる、情が深い信長だからこそ折れてもしょうがなかった。
しかし不屈の心で立ち上がり、弟の仇を討ちその弟の、そして自らの夢ともなった天下統一へ向け歩き出すことを決めたのだ。
そんな二人に仕えておきながら自分は一体何をしているのか。
ああ、その通りだ。過去に縛られ立ち止まってしまえば信長の役に立てない、信勝の無念に報いることが出来ない。
「……感謝を」
「いいえ。さ、信勝殿に云っておやりなさいな」
大きく頷き、勝家は立ち上がった。
泣いた鬼は何処へやら、今は凄烈なまでの決意をその顔に宿している。
「信勝様、織田家はこれより将軍を擁し上洛を目指します。しかし、無論そこが終点ではありませぬ。
天下を治むるは足利にあらず、我が主君信長様なり。
天下統一へ向け、これより我らは修羅の道へと入り申す」
沸々と湧き上がる血肉。
今にも燃えてしまいそうな身体が何とも心地よい。
「天下万民、いやさ三千世界に我らの存在を刻み付け見事天下統一を成し遂げてみせましょう」
そして、その暁にはきっと信勝の夢見た世界へ続く平和が訪れるはずだ。
「この柴田権六勝家、信長様が御為に総てを捧げる所存に御座る!!!!」
力強い喝破に木々が揺れ葉が舞い散った。
「同じく、木下藤吉郎も……って何だか私の名前、軽いですね。
あ、それと信勝殿。私の場合は天下とかそう云うのより信長様個人を愛しているからでして。
さっさと天下統一してお嫁さんになりたいと云う我欲もありありだったりします」
「お猿さん、あなたね……いやまあ、私も人のこと云えないけれど。
でも、誓いますわ。聖剣の魔女マーリン、必ずや信長様の覇道の一助となってみせましょう」
此処に誓いは成った。
「いずれ某が死した時、御報告に参りますゆえ一先ずは御然らばに御座います」
そう云って踵を返そうとした瞬間、
「!」
柔らかな笑みを浮かべる信勝の姿を見た。
目を擦り、もう一度見つめても何も無い。夢か現か――いや、どちらでも構わない。
「フッ……」
勝家は小さく笑みを浮かべ今度は振り返ることもなく力強い足取りで墓前を後にした。




