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1話

 今川義元死す、その報が日ノ本を駆け巡ると人々は予感した。

 収まりかけていた嵐が、また息を吹き返し、これより更なる戦乱の渦が巻き起こることを。

 が、同時に民草の間では高揚感にも似た希望が芽生え始めていた。

 そう、桶狭間にて自ら義元を討った聖剣の担い手、織田信長がかつてない太平の世を創り出すのでは――と。


 今までは日ノ本の正当な支配者が居なかったから常に不安定だった。

 しかし、しかしこの時代に現れたのだ。聖剣エクスカリバーを担う王が。

 各地の諸大名にとってはたまったものではないだろう。

 治世において失点や統治者が原因ではない不運があれば『やはり偽物の為政者では……』と不満を蓄積させていくのだから。


 伝え聞く"うつけ"のままならば、それが真実ならば良かった。

 しかし信長は流言を利用して積極的に桶狭間に至るまでの情報を民草の間に広める。

 草を利用して噂話と云う形で広められたそれを聞くに、信長がうつけであることは先ずあり得ない。

 噂を偽りだと断ずるには今川義元の名が余りにも大き過ぎた。


 あの東海一の弓取りがうつけに敗れる? とても信じられない。

 聖剣を所持していると云う事実と相まって真実であることを疑えず。

 とは云え、あっさりと傘下に入ることも出来ない。

 人間と云う奴は既得損益を奪われることを嫌う生き物だから。


 もしも信長がもっと巨大な勢力を築いていれば話は別であったろうが現段階では諸手を挙げて傘下にとはいかない。

 が、何時までも静観をしているわけにもいかず。

 いずれ来る戦乱の中で、誰もが選択を迫られるだろう。

 友好か敵対か、そのためにも諸大名は今、じっくりと力を蓄えている。

 それは信長も同じで桶狭間から一年以上経つ今、日々内政に励んでいた。


「信長様、これからの展望……なんてものは聞かせてもらえないのかしら?」


 清洲城内にある信長の私室。

 帰蝶は自分の膝に頭を乗せて夫の耳掃除をしていた。


「んー? あー……何だってー……?」


 覇気を隠さなくなった信長を見て誰もがこのまま大人しく内政だけをやっているとは思っていない。

 当然の如くに何かを考えているはずだと、日々職務に勤しみながらも来るべき日に備えている。

 聖剣の補正もあるが、信長の絶大なカリスマにより家中は一つに纏まっていた。

 桶狭間以前の織田家とは大違いだ。


「もう……意地悪なんだから」

「ま、別に隠してるってわけじゃないし、色々絵図も頭の中では描いちゃいるよ」

「なら、それを話してくれても良いのではなくて? それとも、また誰ぞを欺いているの?」

「いや別に。ただ、話すのは尚早。今の時点で云えるのは、お前の兄貴次第さね」

「……義龍?」


 すっかり信長に惚れ込んで、斎藤の御家を継ぐことはどうでも良くなった帰蝶だが、それはそれ。

 ぶっちゃけた話をするならば彼女は兄に対して良い感情を持っていない。

 道三の後継であることを差っ引いても、性格的に好きにはなれないのだ。

 更に自分よりも劣っていると云う確信があるから余計に好感を持てない。


「お前の話を聞くに姑殿は俺が斎藤を滅ぼし美濃を手にすると思ってんだろ?」

「みたいね。実際、今は母上が当主のままだから良いけどアレが後を継いだら……」

「とは言えそれも絶対じゃねえ。義龍が素直に織田の傘下に入るのならば戦は起こらず」


 今川領を併合したことで織田の支配領域は斎藤を超えている。

 それでもまだ五分の同盟を崩していないのは道三が存命だから。

 信長は道三が当主の内は、その能力を認めているから下手に関係を崩そうとはしない。

 五分のままでも良いと思っているが義龍が継いだ後も五分を続ける気は無い。


「つーか、姑殿もお前も義龍に対して辛辣だが……俺は直接会ったことがねえからなぁ」


 基本的に史実や巷の評判を参考にしつつも、最後は自分の目でと決めている。

 無論、会えそうにもない連中の場合は別だが。


「良いじゃない、時間の無駄だわ」


 流石は蝮の娘、涼しい顔でさらりと毒を吐く。


「まあそう云うなや。お前を信じてないわけじゃねーが、俺は俺の目で確認しとかんと納得がいかんのよ。

義龍が賢明な人間ならば、俺は大戦略を発表出来るがそうじゃねえなら美濃攻略が目下の方針になる。

先々のことを考え過ぎて足下が疎かになっちゃいかんからなぁ……油断大敵油断大敵」


 史実において道三は既に死去している、息子義龍の謀反によって。

 しかしこの世界において道三は存命で元気に当主を続けている。

 それゆえ、信長としても動きを決めかねているのだ。


「ひょっとして……だから、母上と顔を合わせるの?」


 信長は数日後、正徳寺にて姑道三と公式の場で初めて顔を合わせる予定となっている。

 その際、義龍を連れて来るよう打診しているので、信長はそこで次代を見極めるつもりなのだ。


「ああ。ところで、当日はお前も一緒に来るか?」

「えー……信長様の御傍には居たいし、母上とも会いたいけれど……アレには会いたくないし別に良いわ」


 ケッ、と今にも唾を吐き出しそうな顔の帰蝶。

 よっぽど兄が嫌いらしい。


「(ふぅ……信勝、兄ちゃん何だか懐かしくなったぜ……)」


 信勝を思い出して切なくなる信長だった。


「(しかし、史実と似たようなことが起きる兆候が見えるなら……美濃攻略も考えとかにゃなぁ)」


 一応、今の段階でも布石を打ってはいる。

 その一つが築城だ。

 濃尾平野は小牧山に現在城を築かせている真っ最中である。

 斎藤家と敵対する際に、信長は本拠地ごと北進し腰を据えて攻略に当たるつもりだった。

 築城にはちょっとした余興も兼ねており、家臣達で競わせるように進めさせている。

 中でもバリバリ働いているのは丹羽長秀、かなり距離を開けられて次点で藤乃、そして僅差で他の家臣達と云うランク付けだ。


「まあ、行かんのなら良いが……あ、そういやさ」

「何?」

「道三と云えばまだ何人かガキが居たよな? 他の兄弟はどうなんだ?」

「他の……そう、ねえ……姉妹はもうあちこちに嫁いでて……」


 言い方は悪いが帰蝶はマザコンだ。

 ぶっちゃけた話をすれば目障りな義龍以外にはあまり興味を向けていなかった。


「次兄の孫四郎と言うのが居るのだけど、あれは割りと母上に可愛がられていたわね」

「ほう……」

「だけど、ある時を境にパタリと興味を失くしたように見えたわ。ま、表面上は可愛がり続けているけど」

「理由は分かるか?」

「ええ、推測だけどね。可愛がられているうちに弟と一緒に増長しちゃって、それで……ね?」

「成るほど。能力は?」

「普通。義龍とまとめて蝮の後釜には不足――と云うのが私の見立てだけど、私の口からだと負け惜しみみたいだわ」


 かつては斎藤の家督を継ぐことにこだわっていただけに、恥ずかしいようだ。


「実際、かなり偏見が入っていたと反省してるのよ、これでも」

「なら良いんじゃねえの? 反省出来ない奴に比べりゃよっぽど良い」

「そう云う信長様こそ御兄弟の仲はどうなの? 信勝殿以外にも弟妹が居られるでしょう?」

「ん……まあ、そうだな…………」


 一応、清洲にある屋敷に弟妹を住まわせては居るのだが、正直どう接すれば良いか分からないのだ。

 信長からすれば弟だが、他の弟妹からすれば兄にあたる信勝の死、その元凶は自分。

 合わせる顔が無いと云うか申し訳ないと云うか、色々複雑だった。


「しっかりしなさいな」

「うぐ……むぅ、まだ歳が近いなら良いんだぜ俺も? だけどなぁ……」


 男女合わせて十数人居るのだ、信秀の子は。

 まだ歳が近い連中ならばそれなりに付き合っては居る。

 が、もう五男辺りで十も歳が離れているのだ。十も歳の離れた兄弟と何を話せば良いのか。

 有名なお市だってそう、彼女に至っては十三歳離れている。


 そりゃファンタジー時空だからか日本人は全員サイヤ人なのか聖剣の恩恵かは知らないが信長や信長の周りの人間はどれもこれも若々しい。

 信長自身もアラサーではあるが見た目は十代のそれ。

 しかし、見た目だけだ。中身は前世と合わせればもう立派なオッサン。

 他人ならばそれでも上手くやれる自信はあるが、家族だ家族。


 身内に対するコミュニケーションに限って不器用になってしまうのは信勝の一件があるからだろう。

 本人も何とかしなければとは思っているのだが上手くいかない。

 共通の話題が無いと云うのもそれに拍車をかけている。

 作ろうにも、


「(女遊びやら悪い遊びを教えるわけにもいかねえしなぁ……)」


 自分は奔放な癖に弟妹の養育には真面目なのが笑える。


「しょうがない人……そんなに肩肘を張る必要は無いのに」

「いやぁ……面目ねえ……」

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。弟さん達は皆、信長様のことを好いていらっしゃるようだし」

「何で分かるんだよ」

「そりゃ夫がこんな状態だから代わりにちょくちょく顔出して世間話やらしているもの」


 正室の仕事ではないが側室が居ない現状では奥を管理する必要もなく子育て以外では暇なのだ。

 一応側室に近い愛妾な感じの藤乃やマーリンも居るがその仲は良好で二人とも聡い。

 わざわざ帰蝶が何かをする必要もないので、代わりに信長の弟妹達とコミュっている。


「成るほどねえ……でもよ、その評判良いってのもお前が――――」

「私が信長様の正室だからってわけではないわよ。見え透いた世辞ぐらいなら見抜けるもの」

「む……」

「良い? 弟さん達にとって兄である信長様は誇りなのよ」

「俺が……誇り?」


 イマイチピンと来ないと云った表情の信長。

 そんな夫を見て帰蝶はしょうがない人、と口調とは裏腹に柔らかな笑みを浮かべる。

 無謬ではなく、こんな可愛らしい一面も持っているからこそ愛しいのだ。

 そしてそう思ってしまう辺り自分は本当にこの人に惚れている――そう確信する帰蝶だった。


「そう。聖剣を担い、神算鬼謀を以って東海の覇者義元を討った今この日ノ本で最も輝ける男。

それが信長様なのよ。自分の手柄ではないけれど、身内にそんな人が居れば嬉しいものでしょう?

特に、男の子にとっては。まるで物語の英雄が間近に居るようなものだもの。誇らないわけがない。

憧れを一身に集めているのよ……ただまあ、英雄視し過ぎて逆に恐縮してる部分もあるけれど」


 だから弟達から兄に、と云う接触が無いのだ。


「あなたが良い女だと、そう言ってくれた私が惚れた男だもの。

良い男でないわけがない。そして、良い男が好かれない道理も無いんじゃない?」

「……褒め殺してくれるな。苦手なんだよ、そう云うの」

「知ってる。だけど、こんな時の困った顔をしているあなたも凄く魅力的よ」


 そう云いながら帰蝶はそっと信長の額に口づける。


「ふぅ……参ったな、どうも」


 困ったように笑う信長、しかしその手は帰蝶の下乳を堪能しているので本当に困っているのかどうかは不明だ。

 もしかしたら照れ隠しなのかもしれないが照れ隠しで乳を揉むのはどうだろうか。


「しかしまあ、そう云うことなら……俺から歩み寄らなきゃな」


 親睦のため身内だけの茶会でも開こうかと思案する信長。

 彼は後々のために茶器に過大なまでの価値をつけようと考えているのだ。

 自分が使い、これに幾ら金を払ったかなどと喧伝することでブランド化。

 信長自身は別に茶器なんぞに価値を見出していないが、褒美として与えられる領地なども数が限られている。


 だからこそ金以外にも、褒美足り得るものが不可欠。

 名刀、茶器、それらが褒美として機能するようあれこれ小細工を弄しているのだ。

 そのために、茶会なども積極的に開こうと考えているため先ずは身内のそれで予行演習。

 仕事を絡めてしまう自分に苦笑が浮かぶものの、しかしそこは勘弁してもらおうと胸中で折り合いをつける。


「ええ、そうなさいな」

「ああ……ところで帰蝶よ」

「ん?」

「弟達はって云うけど、妹らとは話さんのか?」


 むしろ女同士だし妹達の方が話し易いだろう。

 不思議そうな顔をする信長に帰蝶は頬を引き攣らせる。


「いえね、お犬さんとはするわよ? ええ、あの子も信長様を好いていらっしゃるわ」

「お犬とは、ってのは? お市はどうなんだ?」


 信長の妹はお犬とお市の二人だ――確認出来る限りでは。

 信秀のことだから他にも隠し子が居る可能性はかなり高い。


「あの子は……分からないわ。私が嫌われているのか、近付こうとすれば逃げちゃうのよ」

「嫌われてるって……別に接点無かっただろ?」


 仮面夫婦時代を思い返しても帰蝶は基本的にヒッキー。

 お市と接する機会などなかったはずだ。


「ええ、そうなのだけど……」


 困り顔の帰蝶、彼女にとってもお市の態度は不思議でしょうがなかった。


「(小姑染みた真似をする女でもないし、仲が悪くなる要素が見当たらんのだが……。

あー、名前は有名だったから知ってるけど身内になってからロクにコミュってねえからなぁ)」


 不思議なのは信長も同じで、妻と同じくはてな顔である。


「ふぅむ……そう云うことなら、ちと探ってみるかね。

何もかんも嫁さんに任せてちゃ流石に情けないからな。ちょっと行って来るわ」

「え? ちょ、そんないきなり……」


 キョトンとする帰蝶を置いて信長はお市の屋敷へと向かう。

 他の自分を慕い、帰蝶とも仲が良いと云う弟妹はともかくお市に関しては茶会前に会っておくべきだと判断したのだ。

 いざ茶会の段になって気まずい空気を出されては困るから、早めに腹の裡を晒してもらう。


「の、信長様? ど、どうされましたか?」


 突然やって来た信長に使用人が驚くものの、


「妹に会いに来るぐらい普通だろ? 市は何処だ?」

「は、はぁ……御部屋に居られます。昼寝をするので誰も入るなと言っておりましたが……」

「ふむ、そうか。まあでも俺は身内だし良いよな? 妹の可愛い寝顔でも拝ませてもらうわ」


 と、強引に通ってしまう。

 だが、これが間違いだった。

 お市の部屋の場所を聞き出した信長は真っ直ぐそこに向かい襖を開けるのだが、


「はぁ……はぁ……ん、んん!」


 絶好調と刺繍された白フンを顔に押し付け【ピー!】しているのは誰あろうお市の方。


「お、お兄様……お兄様……!!」


 自分に気付いていないお市、信長はバレないようにそっと襖を閉めて立ち去る。

 子供の自慰現場に出くわした父母の如き選択だ。


「……」


 無言のまま屋敷の外に出ると、直ぐそこで帰蝶と出くわす。

 どうやら心配になって着いて来たらしい。

 夫の無表情を見て心配になったのか帰蝶は気遣わしげに口を開く。


「どうしたの?」

「俺が愛用してる褌に顔を埋めて自分を慰めてる女が居た」

「え」

「って云うか妹だった」

「う、うわぁ……」


 空を仰ぐ信長の瞳は何処までも虚ろだった。

美濃攻略が終わるまで八話まで毎日投稿します。

そっからまた区切り良いとこまで書き溜めて投稿って形になるかと。

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