護衛役
Ⅰ
そうして馬車は無事にエクイストの本家が鎮座する王都へと到着した。
車輪は土の地面から石畳の通路へと入り、平坦な道を進んでいく。窓から窺える城下町の様相は、活気で溢れているようにみえた。様々な種類の店舗が建ち並び、行き交う人々はどこか幸せそうに見える。
これは俺が現代の日本で育ったからだろう。いや、どこの国で育っても同じ事を思うかも知れない。文明社会に慣れきり、何もかも便利になった世界から来た者が、この光景をみればなんとなくそう感じるだろう。
ここの人達は現代人が失ったものを、まだ持ち続けているのだから。それはなんなのか? と聞かれれば、それに明確な答えが出せるという訳ではないのだけれど。
「いいところだな、ここ」
「この国でいちばん栄えている都市だもの、当然よ。物資の流通も盛んで、ここで手に入らないものはないとさえ言われているわ。シュウも今日から此処に住むんだから、空気になれておきなさいよ」
「あぁ、直ぐにでも馴染めそうだよ」
都市に入ってから少しの揺れもなく、馬車は走り続け。窓から見える景色は、活気づいたものから、落ち着きのある静かなものへと変わっていく。庶民平民の居住地域から、貴族が住む高貴な領域へ。雰囲気も光景も、様変わりだ。
しばらくして馬の足は勢いを落とし、馬車はゆっくりと停止する。目的地に辿り着いた。長きに渡る馬車での移動もここで終わり。俺はエリーと一緒になって馬車から降り、外へと出る。
馬車の狭い窓からではなく、きちんと自分の肉眼で姿を捉えたエクイスト家は、他の貴族のそれとは一線を画すほどの大豪邸だった。流石は七大貴族と呼ばれるだけのことはある。手入れの行き届いた緑豊かな庭園に、それに劣ることなく存在を主張する豪邸が聳え建っている。
本当に他の貴族とは格が違う。そう思わせるほどに、それは見事なものだった。呆気に取られてしまうくらいに。
「俺ってさ。エリーの護衛役、なんだよな?」
「そうよ。何よ、今更」
「いや、この豪邸に毎日出入りするのかと思うと、平々凡々に育ってきた俺には刺激が強すぎてな」
自分がひどく場違いな気がしてならない。この場所に、門の前に立っているだけで、緊張で心臓の鼓動が若干早くなる。そわそわして落ち着かない。エリーが隣にいなければ、きっと逃げ出したい衝動に駆られて、そそくさとこの場を離れていただろう。
恐れ多いというか、なんというかだ。
「なにを言ってるのよ、まったく。出入りどころか、今日からここに住むんだから。早く慣れてよね」
「あぁ、そうだな……はい? え? 住む? ここに? 俺が?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
いやいやいやいやいや。
「こう言うのって、いくら護衛役でも一緒に住むものじゃあないだろ? なんか、こう、近くの慎ましい小さな家から出勤するようなものじゃあないのか?」
「本来ならね。でも、いま私の護衛役はシュウしか居ないから、ここに住んで貰うしかないのよ。でないと、どうしても護衛に穴が出来ちゃうから」
「なんで俺しか居ないんだよ」
「言ったでしょう? 私自身が誰かを雇うのは初めてだって。シュウが第一号なの」
「じゃあ、第二第三の護衛役が現れるのか?」
「さぁ? それは巡り合わせ次第ね」
その巡り合わせが早々に起こってくれるのを渇望するばかりだ。
こんな豪邸にいきなり住めと言われても、慣れるのには時間が掛かる。枕が変わっただけで寝付けなくなるタイプなのに。早いところ二人目の護衛役が見付かることを祈ろう。この際、男でも女でも構わない。二十四時間体制幾らなんでもキツい。
「さて、お喋りも此処までよ。さっさと家に入りましょう。シュウのことをパパとママに紹介しないと」
まるで彼氏を連れて実家に帰ってきた娘のような台詞だ。
頼むから似たようなニュアンスで紹介してくれるなよ。エリーの父親から睨まれるのは御免だ。まぁ、たとえ誤解が生じてしまっても、懇切丁寧に説明してやれば納得して貰えるだろうけれど。
そんな居心地の悪い未来を想像しつつ、俺達は庭園に作られた石道を渡り、豪邸の中へと足を踏み入れる。建物の外見もさることながら、その内装もそれ相応のものだ。生活に適した大人しめの造りになっているものの、期待を裏切らない華やかさがある。
「パパ! ママ!」
室内に入って早々に、エリーはそう言って走り出す。その先にいるのは、三十台後半くらいの年齢をした夫婦だ。人当たりの良さそうな、温和そうな顔付きをしている。あの二人がエリーの父親と母親なのだろう。
二人は、その胸に飛び込んでくる娘を、優しく受け止めた。
「あぁ、エリー。話は聞いたわ、大変だったわね」
「まさか別荘の場所まで知られているとは、危険な目に遭わせて済まない」
「謝らなくてもいいわ、私のためを思ってしてくれたことだもの。それに私は無傷よ、イリアンヌなんて蹴散らしてやったんだから」
そんな三人を遠巻きに見ている限りでは、家族の仲はとても良いようだ。きっと愛情たっぷりに育てられたんだろう。あのくらいの歳になった女子は、総じて父親を嫌うものだが、エリーにはそれが欠片もない。まさに家族の理想系と言ったところだ。
俺にも将来、息子か娘が生まれたら、あんな風な家庭を築きたいものだ。
「それはそうと、エリー。あちらの青年はどなた?」
家族間での短い会話が終わり、話題は入り口の辺りで突っ立っている俺に向かう。
「あっ、そうだった、紹介するわね」
エリーは二人から離れると、こちらに駆け寄り。腕を引っ張るようにして、両親のもとに俺を連れていく。
近くでみると本当に優しいそうな人達だ。エクイスト家は代々、非好戦的であるというのも、この二人を見れば頷ける。というか、この親からエリーが生まれて来たというのが、ちょっと信じられないくらいだ。性格的には真逆じゃあなかろうか。
「彼はシュウヤ、キリュウと言って、とっても剣の腕がたつ人なの」
「ほう、剣の腕が。ということは、もしやこの青年に決めたのかい?」
「うん! 私、この人を護衛役にしたわ。初めてのことだったけれど、雇うのも一度で上手く行ったのよ!」
「そうか、そうか。それは良かった。偉いぞ、エリー」
父親に褒められ、頭を撫でられるエリーは心の底から幸せそうだった。
本当に家族のことが大好きなんだな。誤解を生むような紹介もされなかったし、ご両親も俺がエリーの護衛役につくことに好意的だ。数分前までどうなることかと心配していたけれど、それは杞憂に終わってくれたみたいで良かった。
「お待ち下さい」
と、安堵したのも束の間だった。
そう発言したのは薄い緑色の髪をした長身の男だ。燕尾服に似た造りの衣服を身に纏ったその人は、抗議の声を上げるとともに此方に近付いてくる。その表情にはどこか不満どうな色を浮かべていた。
「エルサナ様、この者を護衛の任につかせるとは真ですか?」
「そうよ、それがどうかしたかしら?」
「ご無礼を承知した上で発言させて頂きますが、私にはこの者にエルサナ様の護衛が勤まるとは思えません。見たところ魔力の欠片も感じられぬようで、魔法も使えない市民平民の出生でしょう」
「シュウでは実力不足だ。そう言いたいわけ? クイン」
「そう申し上げたつもりです」
随分と好き勝手を言いなさる。
此処まで言われては心を穏やかには保てないが、俺が口を挟むともっと面倒でややこしいことになりそうなので、此処はぐっと堪えて口から出かかった言葉を呑み込むとしよう。これからエクイスト家に厄介になるのだ。出会って数分と経たぬ内から、わだかまりを作りたくはない。
「エルサナ様の護衛役なら、私の配下に適任の者がいると申し上げていたはずです。だと言うのに、このようなどこの馬の骨とも知れぬ者に、この高貴なエクイスト家の敷居を跨がせるなど、あんまりです。そもそも、この者は男ではありませんか」
「男で何が悪いって言うの? それに私は魔法の有無ではなく、シュウがもつ類い希なる剣の腕に惚れ込んだのよ。誰がなんと言おうと、護衛役はシュウに任せるわ。これは決定事項よ」
付け入る隙を与えないほどに、強引に突っぱねたエリーは仁王立ちで腕を組んでいる。
融通が利かないというか。一度決めたら譲らないというか。強情な態度で居続けるエリーに、クインと呼ばれた燕尾服の人も二の句を上げられずにいるのか、すこしの沈黙がおとずれる。
クインって人も本心からエリーを心配しているのだろうけれど。流石に自分の雇い主が相手だ。そんなに強くは出られないのだろう。
「……先ほど、その者の剣の腕に惚れ込んだ。そう、仰いましたね」
「えぇ、そうよ」
「それは魔法に匹敵するモノだと、そうお考えなのですね」
「もちろん」
「分かりました。では、不躾ながら私から一つ、提案が御座います」
そう言うと、クインさんはピンと人差し指を立てる。
「以前にも申し上げていた通り、エルサナ様の護衛に適任なのは配下であるシャルナだと、私は信じて疑いません。しかし、とうのエルサナ様がどうしてもと仰るのならば、このシャルナとその者を競わせ、どちらがより優れているかを武勇にて決定いたしましょう」
「シュウとシャルナを戦わせて勝った方を私の護衛役に任命しましょうってこと?」
「エルサナ様が納得して頂けるならば」
「……良いわ、分かった。戦わせましょう」
ちょっと、ちょっと?
「それで良いわよね? シュウ」
「ん、んー……んんん」
二つ返事で、うんと頷きたいのは山々だけれど。エクイストの本家に辿り着いた矢先に、何処の誰とも知れない人と戦わなくちゃあならないのか。それに相手はエリーの護衛にぴったりの人材らしいし、きっと魔法も強いんだろう。
昨日の大人達のような有象無象を相手するのとは、すこし勝手が違ってくるかもな。
「なんだ? 負けるのが怖いのか? 平民」
誰が平民だ、その通りだけれど。
しかし、一々癪に障ることを、それも平然と言ってくるな、クインさんは。いや、もうこんな奴をさん付けで呼ばなくても良いか。クインと呼んでやる、心の中だけでな。
「仕様がありませんね。戦って勝たないと雇って貰えないなら、剣を交えるほかない。相手の方がどなたかは存じませんけれど、勝てるように誠心誠意がんばらせてもらいますよ」
「ほう、勝てるつもりで居るとは驚きだ。どうやら自信だけは一人前のようだ」
むかつくなぁ。
その鼻筋を、へし折ってやりたい。
「では、平民。こちらへ来い」
クインはくるりと踵を返すと、この場を離れて別の場所へと移動する。俺はその背中を追いかける形で、豪邸の廊下を渡っていった。そうして行き着いたのは、本邸とは少しばかり離れた位置にある、別邸として建てられた四角い無骨な建物だ。
その内部に入ってみると、途端に汗の臭いに鼻を襲われる。思わず、顔をしかめてしまうほどの異臭だ。しかも空気がジメッとしている。見たところ綺麗に掃除されているのに、染みついた臭いだけは健在で、今でも空気中に漂っている。
拷問室か、ここは。
「此処は私達のような護衛役や警備役が訓練や修練などを行う訓練場だ」
あぁ、道理で。
「武器、防具の類いも揃っている。貴様は一応、武器を持っているようだが、防具の類いはその妙な服だけだろう。特別に貸し出すことを許そう。好きな物を選べ」
好きな物を、か。
俺の目の前には数々の武器と防具が並んでいる。アーマーやメイル、頑丈そうな盾などなど。傷や歪みなどはあれど、そのどれにも汚れはなく。すべてに手入れが行き届いており、大事に使われているのが分かる。
けれど、此処にあるのは重い鎧ばかりだ。
「その厚意には感謝しますが、申し訳ありませんね。此処にある防具はどれも、目にするのも初めてな物ばかりです。これじゃあ自分が身に纏えば、返って動きが鈍くなるだけ」
「なるほど。では、防具の類いは必要ないと。そう言いたいのかね」
「えぇ、そうです。勝つため万全を尽くすなら、そうする他ありませんから。あぁ、心配しなくてもいいですよ。このことを負けた時の言い訳するような、恥ずかしい真似はしませんから」
「……分かった。どうやら匹夫の勇という訳でもなさそうだ。自身の腕に相当な自信があるようだな。ふむ、良いだろう。その心意気に免じて、勝敗が決したあと手厚い治療を受けさせてやる。もし死んでも骨は拾ってやろう」
それでも俺が負けることが前提のようだった。
かくして武器、防具の管理場所から移動した俺達は、広い空間に足を踏み入れる。
地面は平らな土で出来ており、天井からは幾つもの明かりが吊されている。訓練や修練を積むには適した場所だ。そして誰かと戦う場所にも打って付けである。どうやら此処でシャルナという人と戦うことになるらしい。
「しばし待て」
クインはそう言って何処かへと消える。たぶん、シャルナって人を呼びに行くのだろう。
「……とりあえず、臭いから換気だけでもしておくか」




