大貴族
Ⅰ
場所は移り変わって、ここは別荘にある一室だ。
あの後、建物の中に残っていた残党を、エクイストと共に片付け終え。あとの処理を召し使いや使用人に任せた俺達は、客人を迎えるために作られた客室に場所を移していた。どうやら俺を客人として迎え入れてくれるようで。拾われた行き倒れから、いつの間にか客人にランクアップしていた。
ふかふかのソファーで、美味しい紅茶に有り付けている。
「まずはお礼を言わせて貰うわ。助太刀してくれて、ありがとう。貴方の剣技、見事なものだったわ」
「いえいえ、俺はとくに何もしちゃあ居ませんよ」
「あら、謙遜なんてしなくても良いのよ。まぁ、ほとんど私が倒したようなものだけれど。それでも助けてもらったことには変わりないわ。貴族からの礼なんだから、素直に受け取っておきなさい」
貴族だったのか、この人は
「そう言って下さるんでしたら、喜んで」
この豪勢な別荘や、さっきの襲撃の件で、エクイストが普通の家系じゃあないことは察しが付いていたけれど。そうか、これが貴族って奴なのか。馴染みが一切無いから、貴族と言われてもピンと来ないけれど。とりあえず、偉い身分の人ってことで良いんだよな?
「えーっと、エクイスト……様?」
「エリーで良いわ。みんな私のことをそう呼ぶの。私も貴方のことをシュウって呼ぶから、それで良いでしょう?」
「では、エリー様?」
「様もいらない。あと、敬語も必要ないわ」
様付けも敬語も必要ない、か。
思っていたよりも、ざっくばらんとしているな。上流階級の人ってのは、もっと気難しくて少しでも失礼な態度を取れば、たちまち怒り狂うようなイメージだったのだけれど。この世界の貴族はそうでもないのか?
「どうしてって顔をしているから、教えて上げるけれど。客人として迎え入れた以上、どんな身分の人間であれ、私との関係は対等に近いものよ。どちらか一方だけが礼を尽くすのは間違っているわ。簡単に言えば、格式張った話し方をするのが面倒だから好きにしなさいってこと」
対等に近い、か。
「……なるほど、分かった。なら、俺もそのつもりでいることにするよ。エリー」
「よろしい。それで? さっき名前を呼んだってことは、なにか聞きたいことがあるんでしょう? なにかしら?」
「聞きたいことっていうか。頼み事、かな」
「頼み事?」
当たり障りのない言葉でお茶を濁しながら、遠回しに意図を伝える。というのは、この場合、相応しくはないだろう。言うなら単刀直入に、まっすぐに望みを伝えるべきだ。
「実は自分は武者修行の旅ってものしていて、各地を巡っていたんだけれど。なにぶん、不慣れな土地だから道に迷うことも多いんだ。今日みたいに行き倒れになってしまうことも多々ある」
「ふむ……だから、あそこで倒れていたのね」
「そうだ。だから、出来れば近くの街まで連れて行って欲しいんだよ。また道に迷うのは、勘弁願いたい」
そう願いを告げたところ、エリーは少し考え込むような仕草を取る。
快諾、は流石にしてくれないか。共闘したとはいえ、俺はエリーはまだ出会って数時間も経っていない。相変わらず、俺の素性は謎のままだし、そう易々と事が運んでくれるほど、世の中は甘くない。
「シュウ。あなたの言葉を疑っている訳じゃあないのだけれど。一つ聞かせて欲しいことがあるの」
「な、なんでしょう」
「武者修行の旅をしていると言っていたけれど。なら、どうして荷物があのカタナ一本だったの? 旅をするなら必要不可欠な道具が幾つかあるでしょう?」
不味い、な。言われてみればそうだ。刀一本だけで旅をしている馬鹿はいない。
道場からそのままこの世界に来たから、俺は本当に一文無しだ。あるのは身体一つと胴着に、刀の一本だけ。これで旅をしてきたというには、少々、いや、かなりの無理がある。あまりにも不自然だ。
「えーっとだな。それは……そう、盗まれたんだ」
「盗まれた? それは盗賊か何かに襲われたってこと?」
「そう。ここに来る少しまえに、ちょっと」
これでなんとか、納得してくれ。
「ふーん。貴方ほど腕が立つ人でも、盗賊にモノを取られるものなのね」
「まぁ、そりゃあ俺も人間だし。調子の悪いときや、上手く行かないときもあるさ。その時はちょっと……あー……お腹が痛くて」
「シュウってもしかして、ちょっと間抜け?」
「酷い言い草だな」
「ふふっ、ごめんなさいね」
なんとか誤魔化せたって感じだ。
嘘を付いたから良い気分はしないが、本当のことを言うわけにも行かないからな。別の世界から来ました、と言って信じて貰える筈もない。それどころか逆に怒らせてしまうかも知れないんだ。嘘も方便だと、自分に言い聞かせておくとしよう。
「頼み事の内容は理解したわ。街まで連れて行くことも吝かじゃあない」
「そりゃあ良かった」
「けれど、もっといい話があるわ」
いい話?
「貴方、いま一文無しなんでしょう? 街にたどり着けても寝床すら用意できない」
「まぁ、それは事実だけれど」
「なら、しばらくの間でいいから。私のところで働きなさい」
それは予想外だった。
「雇ってくれるってことか?」
「そう、私はシュウが磨き上げた剣の腕を買う。ちょうど腕の立つ護衛が欲しいと思っていたところなのよ。雇うにしたがって、衣食住の保証と正当な報酬を払うわ。どう? 悪い条件じゃあないでしょう?」
たしかに悪い条件じゃあない。悪いどころか、とても良い。
当面の懸案事項だった衣食住の問題が丸ごと解消されて、尚且つ給料が貰えるのだ。これほどの条件で雇ってくれるところなど探しても見付からない。俺としては願ったり叶ったりだ。けれど、すこし疑問に思うことがある。
「護衛役、俺でいいのか? 知っての通り、魔法は使えないんだぞ」
「承知の上よ。それを差し引いても、このまま逃すのは惜しいと思った。貴方の剣の腕は、そのくらい価値あるものよ」
それに、とエリーは続ける。
「先天的に魔法が使えなくても、後天的に使えるようになった例は幾つもあるわ。シュウにだってチャンスはある。そう判断したから、私は貴方を雇おうと決めた」
エリーに真っ直ぐ見つめられ、俺は視線に射抜かれる。
その目に嘘偽りは感じられない。心から俺の腕をかってくれている。そう言葉なく理解できるくらいには、エリーの眼差しは真剣だった。
「……わかった。たった今から、俺はエリーの護衛役だ。この身体が動く限り、エリーを護ると誓おう」
そう誓った、その直ぐ後のこと。
真剣そのものだったエリーの視線は緩み、瞳に安堵の色が浮かぶ。身体をソファーの背もたれに預け、深く息を吐いている。そして、ふと聞き取れるか聞き取れないかくらいのか細い声で「よかった」とエリー呟いた。
「そんなに断られるのが怖かったのか?」
「あっ……聞こえてたの?」
「そりゃあもう、ばっちり」
「わっ、忘れなさい! 初めてなのよ、私自身が誰かを雇うのは!」
貴族らしく品のある振る舞いをしていたエリーが、一変して取り乱した。
初めてのことに緊張したり。上手く行ってほっとしたり。それを見抜かれて取り乱したり。生まれ育ちに決定的な差はあれど、人間ってのは何処に行っても根の部分は多少の違いしかないな。それを確認できて、俺もなんだかほっとした。これからも上手くやって行けそうだ。
Ⅱ
それから一日ほど時が経った後、別荘を出た俺達はエクイスト本家へと向かう馬車の中にいた。
座り心地のいいクッションに腰掛け、感じるか感じないか程度の軽い揺れに身を任せながら、時折ひびく馬の鳴き声を聞きつつ、俺達はまったりとした時間を過ごしていた。それはもう、退屈が過ぎるくらいに。
「そう言えば、イリアンヌだっけか? 昨日、エリーを攫おうとしていたのは」
退屈に耐えかねて話題を振ってみる。
「そうよ。それがどうかしたの?」
対して、流石に馬車での移動に慣れっこなのか、エリーは澄ました顔でそう答えた。
「いや、護衛役をするなら、敵のことはなるべく把握しておこうかなって」
「そう、それは良い心掛けね。感心するわ」
そう言って口を開こうとした際に、一度、かくんと馬車が揺れ。出鼻を挫かれたエリーは、それが収まるのを大人しく待つ。
「こほんっ。まず頭に入れて置いて欲しいのは、貴族にも格があるってことなの」
「格、か。……それってごちゃごちゃした難しい話になりそう?」
「簡単に言えば、一部の大きな貴族と、その他の小さな有象無象の貴族よ」
本当に簡単に言ってくれたな。
「それでね。その大きな貴族というのは全部で七つあって。その内の一つがイリアンヌなのよ」
「ふむ……ちなみにエクイストは?」
「当然、イリアンヌと同格よ」
そう語るエリーの表情は、心なしか誇らしげだ。
「七つの大きな貴族。これはそのまま七大貴族と呼ばれているわ。七大貴族の権力や領地格差はほぼなくて横並びの様相を呈している。けれど、その現状に満足していない者もいるの」
「それがイリアンヌ家ってことか」
「そう言うこと。イリアンヌはエクイストを吸収して、七大貴族の横並び状態から脱却しようとしている。でも、当然そんな邪智暴虐は許されないわ。いまパパやママが対抗策を練っているところだから、娘である私は別荘に避難していたわけなのよ」
だがしかし、避難場所はあっさりとバレてしまい、イリアンヌ家の私兵に襲撃された。ゆえに、こうして早々に俺達は別荘を離れて本家に帰ろうとしている。その場に偶然居合わせ、共闘した俺を護衛役として雇いつつ。
「しかし、どうしてエクイストが標的にされたんだ? 他のどの貴族でもなく」
「それはたぶん、エクイストの家系が代々、非好戦的な貴族だったからよ」
「非好戦的? エリーが?」
「なによ? その不思議そうな顔は」
「いやいや、なんでもない、なんでもない」
思わず聞き返してしまったけれど。しかし、これは仕様がないだろう。初対面があれだったのだ。迫り来る大人達を次々に凍てつかせて、凍り付かせていたのだから、自衛のためだったとはいえ、非好戦的には到底おもえない。
それに魔法を使って戦う姿は、どことなく楽しそうだった。
「まぁ、そんな訳だから。比較的に他の貴族よりも攻め込みやすかったってところね」
「ふーん。なんというか、どろどろしてるな。貴族同士ってみんなそんな関係なのか?」
「いいえ、交流のある貴族もいるわ。イリアンヌが喧嘩っ早くて、特殊なだけよ。シュウの故郷でも、似たようなことくらいあったでしょう?」
「んー……まぁ、たしかにな」
どんな国にいても、どんな世界にいても、似たようなことは起こるものだ。人間がいれば、それは否応なく発生する。
そして、それが上手く行って巨万の富を得る者が居れば、下手をうって全財産を失う者も存在する。はてさて、エクイストとイリアンヌはどう言う結末を辿るのか。願わくば、エクイストに幸運があらんことを祈るばかりだ。