剣技
Ⅰ
「あら、居たのね。手間が省けたわ」
大人達の身動きを封じ、後ろを振り向いたエクイストは俺を見付けるなり駆け寄ってくる。後ろの大人達は必死にもがいているけれど、氷の拘束から逃れられる気配がしない。あれはいったいなんなんだ? あれじゃあまるで、魔法みたいだ。
「こっちよ、ついてきて」
状況把握も間に合わないまま、俺は手首を掴まれて引っ張られる。氷によって身動きを封じられた大人達とは反対方向へ。
導かれるようにしてエクイストを追走するけれど。頭の中は疑問符で一杯だ。理解がまるで追い付かない。さっきの氷はなんだ? どうして廊下が一瞬にして凍結したんだ? 得体の知れない何かの力が働いている。いま、俺に分かるのは、それくらいのことだけだ。
「あの、あれは一体?」
「あいつらはイリアンヌ家の私兵よ。私を攫いに来たの」
聞きたいのはそっちじゃあないんだが、まぁいいか。
「攫うって誘拐ってことですか?」
「そうよ。エクイストを吸収するには、私を捕まえるのが一番手っ取り早いんだから」
吸収。誘拐。その言葉の意味は、おそらく会社でいう吸収合併のようなことなのだろう。エクイストという家を、イリアンヌという家が吸収しようとしている。この場合における吸収とは、つまり政略結婚だ。
言うことを聞かないなら無理矢理にでも攫って嫁にする。そしてその家督や血脈を征服しよう。時代劇とか、中世の物語とか、そう言った創作物や史実においても、そう言った話はありがちだ。
俺とそんなに歳も変わらないだろうに、壮絶な人生を送っているな。
「ほら、これ」
「おっと」
ずんずんと廊下を進みながら投げ渡されたのは、竹刀のそれではなく、木刀のそれでもなく、竹や木よりも遥かに重い、金属の重さをもつ鉄刀だ。容易に人を殺傷しうる刃を持ち、安全装置である鞘に収まった真剣が、いま俺の手の中に渡った。
「あなた、武器を持ってたってことは戦えるのよね?」
「はい、まぁ、心得くらいはありますけれど」
「上出来。なるべく貴方を護れるように動くけれど。私の手が回らない場合は、これでなんとか凌いで」
そう言ったエクイストは、淀みなく足を動かしてこの建物の出口へと向かっていく。
その途中で行く手をはばむ者が何人か現れ。彼等は決まって俺達に手をかざし、摩訶不思議な力を振るう。火炎や氷塊、突風や雷など、そんな自然現象であるはずのモノが人為的に引き起こされ、俺達に向かって放たれるのだ。
けれど、それらはすべて氷の壁をまえに掻き消える。エクイストの氷の力は、床や壁を凍結させるだけに留まらず。大量の水がなければ作り得ないはずの氷塊を創造したのだ。それは壁を形作り、大人達の攻撃を無に帰していく。
完全に攻撃を遮断された彼等は、のちに床や壁の凍結によって、先ほどの大人達と同じ末路を辿る。俺はそれを、ただただエクイストの隣で傍観するばかり。
ベッドで目覚めたとき、エクイストがあっさり武器を返してくれようとした理由が分かった気がする。こんな意味不明な力を持っていれば、武器の一つや二つ、無力に等しいのだろう。
「あなた、魔法を見るのは初めて?」
やっぱり魔法なのか、これって。
「はい、そうですけれど」
「なら、とくと見ておきなさい。私の魔法は、そこらの凡人には真似できないんだから」
得意げな顔をしたエクイストは、そのまま大人達を蹴散らしながら廊下を突き進む。
魔法なんて非科学的なものが当然のモノとして存在する。それがこの世界の理なのか。だとしたら、俺がもっている一般常識と、かなりの差異がありそうだ。いや、国の違いでさえ、言葉や文化の異なりがある。それが世界ともなれば、もはや俺の常識が通用する道理がない。
生きていくのも大変だ。こんな世の中で、武者修行なんて出来るのだろうか。
そんな風に一抹の不安を抱いていると、いつの間にか建物の出口にまで辿り着いていた。これで建物の中から出られる、脱出できると扉を開いて外に出る。けれど、現実はそんなに甘くはないのだった。
「なによ、この数」
「……ざっと数えて二十はいますね」
建物の外には、待ち構えるようにして待機していた大人達が二十余名ほどいた。
おそらく全員が全員、この世界で魔法と呼ばれる力を使えるのだろう。エクイストの魔法の強さはこの目で見てきたが、流石にこれだけの人数が相手では分が悪いはずだ。個の力はいつの世も数の力には勝てないものだから。
「この人数相手では、いかにエクイスト様でも無傷では済まないでしょう。それに誰かは存じませんが、そこの青年も下手をすれば死にます。そうなる前に、我々と共にアリルド様のもとへ来て下さいませんか?」
だが、世の中には一騎当千という言葉もある。
一騎で千の敵と対抗できるのならば、二人で二十の敵くらい軽いものだ。もともと武者修行のために来た世界。これくらいの苦難を乗り越えられなければ、この先には不安しか残らない。戦う、戦って勝つ。勝てなきゃ死ぬ。
「俺が半分を引き受けます。エクイストさんは、もう半分をお願いしても構いませんか?」
敵に囲まれた不利な状況下。眉間にしわを寄せて打開策を思案するエクイストに、俺はそう提案する。
「え? えぇ、大丈夫だけれど。あなた、魔法が使えないんでしょう? なのに、十人以上を相手に時間稼ぎが出来るの?」
「出来なければ死ぬだけですから。なんとかして見せますよ」
携えた刀をしっかりと腰に差し、左手で鞘を握りつつ右手を柄に添える。
真剣を直に触るのは、いつ以来だろうか。こうして居ると、感覚が研ぎ澄まされていく。そのずっしりとした重みが、硬く無機質な感触が教えてくれるのだ。自分がいま、人殺しの手段を握っているのだと言うことを。
だからこそ、扱い方に細心の注意を払うため、必要以上に感覚が尖る。気の流れを肌で感じとり、この場にいる人間の呼吸さえも聞き分けられる。この状態を常に保つ、そうすれば相手の行動が手に取るように探知できるはずだ。
「どうやら、抗戦を選ぶようですね。致し方ありません、ご容赦を」
この場にいる全員が、臨戦態勢に入る。
「なるべく、はやく片を付けるから。それまで持ち堪えて」
そのエクイストの言葉を合図にして、俺達二人は互いに動き始める。
俺は体勢をぐっと縮めて両足に力をため込むと、一気に解放して急加速し。姿勢を低くたもちつつ地面を駆け抜ける。敵との距離は急速に縮まって行く。けれど、敵まで到達するまえに、妨害や攻撃のために魔法は当然の如く放たれる。
敵側から一斉に放たれるのは、極彩色の魔法群だ。様々な色の魔法が混ざり合い、雨のように降り注ぐ。魔法の一撃は、それだけで勝敗を決するほどの威力がある。現に、着弾したそれは地面を深く抉り、燃やし、凍てつかせている。まともに喰らえば命はない。
だが、それでも足は止めない。臆して止まれば、畏怖して引けば、この先の未来はない。臆さず、畏怖せず、果敢に斬り込んでこそ、生き残るための活路が見いだせる。
躱し、躱す。それらの軌道を読み、着弾地点を計算し、足は一度として止まることなくまえへと進む。そして最後の魔法を回避して到達するは敵の一群、その表層だ。
敵の間合いに踏み込んだ瞬間、柄に添えた手に力を込めて抜刀する。鞘の内側を刀身がすべり、加速したその一閃は反応すら許さぬ剣速をもって敵の胴を斬り裂いた。その瞬間、刀身は血塗られ、真っ赤な飛沫が散る。
斬られた。その事実の認識は、おそらく痛みよりも先に訪れる。だから、敵は一瞬にして気を失い、力無く崩れ落ちるように膝を付く。
敵群の表層は食い破った。あとは内部にまで牙を突き立てるだけだ。
「このガキッ!」
倒れ行く一人目の脇を擦り抜けると、真っ先に目に入った人を斬り捨てる。
直後、至近距離で翳された別の誰かの手を払い。照準の外れた魔法は俺ではなく地面を穿つ。攻撃の直後は隙が出来やすい。払った拍子に掴んだ手首を手前に引き、その胴体を刀の鋒で貫く。これで三人が戦闘不能となった。
けれど、気は抜かない。刻一刻と敵の動きは変わるのだから。
刀が胴を貫いた直後、背後に人の気配を感じ。柄を引いて肉体から刀身を引き抜くと、そのまま攻撃へと転じ。後ろから迫る四人目の鳩尾に肘鉄を食らわせる。腹部を強打され、呼吸も上手く出来ずによろけた所へ、俺は左手を伸ばして顔面をつかみ取る。次いで地面に叩き付けると、その無防備な身体へ刀を突き立てた。
これで戦闘不能者は合計して四人となった。そう、心の中でカウンターを一つ回し。刀を抜き終わった直後に飛来した火炎を、俺は必要最低限の動きで躱してみせる。そして魔法が飛んできた方向へと、握り込んだ石を投げた。
これは四人目を地面に叩き付けたときに拾っておいたものだ。
「これで五人目っと」
投擲として使った石は狂いなく空中を渡り、魔法を放った者の額を見事に打つ。
頭に加わった衝撃で脳が揺れ、五人目は意識を失い仰向けに倒れた。これで五人目だ。目標の半分近くはこれで無力化できた。残るは何人だ? 六人か? 七人か? どちらにせよ、俺は役割を果たすだけだが。
「なっ、何者だ貴様ッ。魔法も使わずにどうやって」
五人目を倒すと、流石に警戒し始めたのか。俺と一定の距離をおく大人達、その対処の仕方は理にかなっている。飛び道具を使うものは総じて接近戦に弱いのだから、自分の得意な距離を保つのは当然のことだ。
ただ、この場合、その判断は大いに間違っているけれど。
「……あんたら、どうして武器を持ってないんだ?」
「なに?」
「やっぱり、魔法ってのが使えるからか? あんたらは、そもそも接近戦を想定すらしていない。魔法を避けられて接近されたらって、考えなかったのか? だから、身を護るものすら身に付けていない?」
「何を言っているんだ、貴様は」
「無手で刀に勝てるかよ、って言ってんだよ。それと仮にも敵の目の前だろ。悠長に突っ立ってて良いのか? ってことも言いたいな。ほら、だからこんな会話で時間が稼がれるんだ」
そう言い終わった後では、もう遅い。
本当なら間髪入れず、一斉に襲いかかってくるべきなんだ。距離を取らず、接近戦を挑み、袋だたきにした上で、時間を掛けずに俺を倒すべきだったんだ。なのに、彼等は距離をとり、あまつさえ俺との会話に時間を割いてしまった。
だから、こうなる。
「〝雪化粧〟」
走る氷は、眼界に捉えていた複数の大人達を強襲する。
地を這う氷の魔法が土や草木を凍てつかせ、足を接点に人体にまでその影響を及ぼす。それは瞬く間だった。エクイストの魔法によって大人達が凍り付き、氷に拘束されて身動きを封じられたのは。
戦闘は静かに終了した。すくなくとも、目に見える範囲の敵はすべて戦闘不能だ。
氷によって全てを凍てつかせた張本人、エクイストのほうをみて、俺は愕然とする。彼女は巨大な氷山を背景にしてこちらに歩み寄って来ているのだ。俺が相手にしていた大人たち以外は、みんなあの氷の中に閉じ込められているのだろう。
末恐ろしいったらありゃしない。これってひょっとしなくても、俺なんて必要なかったんじゃあないか? たぶんだけれど、居ても居なくても結末は変わらなかったと思う。
「えっと、殺したんですか?」
「いいえ、一応は生かしてあるわ。別荘の敷地内で死なれたら気分が悪いもの」
どうみても死んでいるようにしか見えないのだけれど。
そこはあれか。魔法の力で調節されていて、ギリギリ生かされている感じか。死ぬより辛い、まるで生き地獄だな。敵だったけれど、命を狙われたけれど、これには同情せざるを得ない。
「けれど、この様子じゃあ、今度からこの別荘は使えないわね」
エクイストの視線の先には、血みどろの四人と気絶した一人の敵がいた。
たしかに別荘という寛げる場所で、人が死んだという事実は致命的だ。都心から離れて、癒されに来たというのに、これでは気が休まらない。誰が曰く付きの物件で、心癒されるというのか、という話である。
だけれど、今回に限ってその心配は不要だ。
「その人達、死んでませんよ」
「え? あ、本当だ、生きてる」
血みどろになって倒れている人達が、ぴくりと身体を動かしたり、苦しそうに唸っているのを見て、エクイストは不思議そうな顔をする。
「こんなにいっぱい血を流しているのに。どうして?」
「急所は外してありますから。そう簡単に死んだりしません。まぁ、この状態で放っておくと、流石に命尽きるでしょうけれど」
「急所を避けて攻撃していたってこと? あの状況で?」
「えぇ、まぁ。まだ人殺しにはなりたくない、現代っ子なものでして」
現代っ子という言葉に首を傾げるエクイストだったが、そのことについては特に気にした様子もないようだ。それよりも身体を斬られて生きているほうが不思議らしい。
エクイストは小首を傾げつつ、刀傷や刺し傷を負った者達の傷口に魔法をかけて凍らせる。治療の一巻、応急処置と言ったところだろう。これで体外に血が流れ出ることはなくなったし、適切な処置を施せば命は助かるはずだ。
まぁ、その代わり凍傷になることは確実だけれど。