鉄の獣
Ⅰ
「僕は今日ほど幸運に愛されていると思ったことはないよ。だって、そうだろう? 厳重警備の中にいるはずのエルサナ・エクイストが、僕の目の前にいるんだからさぁ!」
アークインド学園、錬魔館内部にて。
魔法の練習をするため、という建前で練魔館の使用許可を取り、しばらく待ったあと。まんまと釣り出されたとも知らずに、アリルド・イリアンヌは姿を現した。いい気になり、威勢の良い言葉まで吐くおまけ付きである。
その隣には黒いフードを被った男も佇んでいた。
「この状況で出て来たのが、たった二人か。それも片方は七大貴族の子息と来たもんだ。ほらな、言った通りだろ」
「驚いたわね。まさか本当に――」
エリーは、目の前にいるイリアンヌを見据えて言う。
「今回の一件、首謀者はイリアンヌじゃあなくて、貴方個人の独断専行だったなんてね」
最初に可笑しいと気付いたのは、別荘を襲撃した私兵が話していたのを思い出した時だ。
私兵はたしかにこう言った。アリルドからエリーを連れ去るよう命令された、と。もし今回の一件を企てたのが、イリアンヌ全体の話ならば、子息の名前など当然出てこないはずなのだ。
そして、襲撃に参加した人数にも違和感がある。
まだ少女とは言え、絶大な魔法をもつ七大貴族の令嬢を相手に、用意した人材がたったの三十から四十名ほど。それも何の策も弄することなく、ただ集団で襲うという稚拙な真似をしている。
大人数で襲撃し、返り討ちにされた後の行為も不自然だ。学園に刺客を送り込むまではいい。だが、その人数が一人だけという愚策っぷり。たしかに瞬間移動の魔法は強力だが、三十、四十の数で失敗に終わった直後に、この判断は下の下であると言える。
要するに、人員がまるで足りていないのだ。
七大貴族の一角が、人員も満足に用意できない訳がない。ならば、考えられることは、ただ一つ。イリアンヌ家の子息、アリルド・イリアンヌの独断専行、それ以外に有り得ない。恐らく、この一連の事件は彼の両親も知らないだろう。
事実、そう断ずることで納得できることは多々ある。人員が足りていない理由は、アリルド・イリアンヌが秘密裏に動かせる数の限界。無計画な襲撃は、一個人の力量である、という形で。
だからこそ、この千載一遇の局面で彼は自分と、刺客として用意したフードの男しか連れて来なかった。一度、撃退され傷まで負ったフードの男だけでは、俺とエリーに勝てないと考えたのだろう。しかし、秘密にしてきた以上、もう動かせる人員が居ない。
ゆえに、彼は自分自身が前線に出ることを決めたのだ。
道理でエリーの両親がした頑張りも空振りに終わる訳だ。イリアンヌ自体は何もしていないのだから、確固たる証拠など出てこないし。攻めきれない。まさか子息が勝手にエリーの誘拐を企てたとは夢にも思わないだろう。
ずっと敵を誤解し、見当違いのことをしていたのだ。それで事態が好転する訳がない。
「そうか。僕が首謀者だと気付いたのか。だが、今更そのことに気付いた所で、もう遅い。お前達はここで敗れるのだ。家に連れ帰ったら素敵なドレスを着させてあげるよ、エリー」
「私に虫唾を走らせる事にかけては、誰よりも優れているわね。アリルド・イリアンヌ。けれど、ここで敗北するのは貴方達よ。貴方を捉え、然るべき処罰を受けさせてやるんだから」
「まったく、威勢のいいことだねぇ。それが何時まで続くものか楽しみだ。……おい、お前はあの目障りな男を始末して来い。いいか? エリーには絶対に手を出すな。あれは僕のものだ」
「……承知した」
相手方はやる気満々そうだ。
この場合、俺はエリーから離れていたほうが良いだろう。護衛役が聞いて呆れるが、あのフードの男がエリーを襲わないとも限らないのだから。なるべくエリーから離れ、フードの男の注目を俺のほうへと向けなければ。
「今日は記念すべき日だ。盛大に盛り上げるとしよう。開幕だ!」
そうイリアンヌが叫びを上げた瞬間、彼を中心に爆発が巻き起こる。熱と突風を無差別に拡散させ、爆音と共に吹き荒ぶそれは身体中を突き抜けて行く。
だが、そんな中でも俺ははっきりと感じ取っていた。奴の、フードの男の接近を。
「よう、傷は癒えたかよ」
「お陰様でな」
背後から振るわれた鈍色の剣に対し、抜刀した刃をもって対抗する。
鍔迫り合いの最中に交わす言葉は、余裕の笑みと、執念の言葉だった。
「シュウ!」
「気にすんな! エリーはイリアンヌに集中してろ!」
爆風、吹き荒れるなかで、エリーにそう返し。鍔迫り合いを強引に押し切りると、体勢を崩したフードの男へと手を伸ばす。届いた右手はフードの内側を掴み、口元を強引に塞ぐ。そうして呼吸を停止させると同時に、俺はエリーから離れるように走り出した。
一息に駆け抜けて爆風の中から抜け出すと、すぐに腕力に物を言わせ。右手に掴んだフードの男の顔を、錬魔館の壁に向かって投げ付ける。ボールのように扱われた奴は、けれど跳ねることなく。上手く衝撃を殺して、着地する。
しかし、息つく暇も与えない。
「そらッ」
投げたフードの男に追い付くと、弧を描くように刀を薙ぎ払う。
けれど、その刃が肉体を裂くことはなく。あえなく空を斬る。またしても奴は直前で、瞬間移動した。その移動先は言うまでもなく、俺の死角。しかし、それはもう見飽きた戦法だ。容易く予想がつき、反応できる。
俺は薙ぎ払った刀の勢いを止めることなく、足を軸にぐるりと一回転する。身体を中心とした一周をまわり。円を描いた剣先は、姿を消したフードの男を捕らえた。奴は瞬間移動したばかり、まだ息すら吸ってはいない。
だから、遠心力が上乗せされたこの攻撃を避けられる道理がない。
「二振り目だな。あんたの剣を斬ったのは」
自らの武器。剣を犠牲にして身体を護ったフードの男は、俺から約三メートルほど距離を開けて立っている。その手には刀身の中程から先が無くなった鈍色の剣が握られていた。あれでも一応、戦えなくはないが、戦闘能力は格段に下がっていると見ていいだろう。
奴はもう、俺に対して有効打がない。
「やはり、剣では敵わないようだな。ならば」
おもむろに剣を捨てたフードの男は、懐に手を忍ばせる。
そこから出て来るのは、ナイフかダガーか。それともハンマーのような鈍器の類いかも知れない。そう頭の中で予想しながら警戒し、奴の動作を窺っていると、次の瞬間、目を疑うような物が出て来る。
フードの男が懐から取り出した、新たな武器。それは現代人なら誰もが知っている、凶悪な鉄の獣であった。
「不味いッ」
武器の形状を正確に認識した瞬間、身体は回避行動を取っていた。その直後のことだ、何かが破裂するような音が鳴り響いたのは。この音はイリアンヌの爆発音じゃあない。もっと小規模な、鉛を打ち出す声であり。つまりは銃声だった。
「……この世界にも、そんな物があるのかよ」
突き付けられた銃口からは、白い硝煙が立ち上っている。錬魔館の重厚な床を見てみれば、微かに抉れているのが見て取れた。間違いなく、あれは銃だ。しかも猟銃などではなく、片手で扱える拳銃の類い。
この世界にも電話があることは知っていたが、拳銃まであるのか? 電話と拳銃だと、どちらが先に世に出たものだっけか? いや、今はそんなことを気にしている場合じゃあないか。
「貴様、これが何なのか知っていたな? いや、だが、そうか。貴様はこの国の者ではなかったな」
どうやら本腰を入れて戦わなくちゃあならないみたいだ。
銃を相手に戦う修行は一応して来たが、実戦となると始めてた。まったく、こう言うとき嫌というほど感じさせられるな。此処が現代日本ではなく、全てが異なった世界なのだと言うことを。
「あぁ、知ってるぜ。その形状なら、込められる弾は五発か六発って所だろう。いま一発撃ったから、残りは四発か五発。懐に忍ばせているのも合わせて、あと何発くらいだろうな」
「……知りつつも尚、向かって来るか」
「当たり前だ」
フードの男が握っているのは銃の一種である回転式拳銃、リボルバーだ。
銃の知識に疎い者でも、名前くらいは聞いたことがある有名な物だろう。かの有名なロシアンルーレットに使う銃のことだ。剣を習ってきた俺でも、装填できる弾の数は五発のものと六発のものがあるくらいの事は知っている。
流石に口径だとか、威力だとかの話になると語れるほど知識がないが。弾制限が五発六発で、鉛玉が真っ直ぐに飛ぶということだけ理解していれば大丈夫だろう。問題は、どうやって近づくかだな。
「ならば、せいぜい抗って死ぬがいい」
空気を吸い上げたフードの男は、またしても姿を消した。その移動先は相変わらず視野の外だけれど、違っているのは位置である。
剣を使って攻撃を仕掛けていた時とは違い。銃という遠距離武器を手にしたフードの男に、もうわざわざ距離を詰めて戦う理由はない。ゆえに、奴はもう俺の間合いには入って来ない。
「厄介なことに、なったもんだなッ」
瞬間移動し、俺を視界に写し、拳銃の照準を合わせるのに、一秒とかからないだろう。俺はその僅かな猶予のうちに、定められた照準から身を逸らし、反撃に移らなければならない。
鳴り響く銃声、火を噴く銃口、放たれる弾丸、その数は二発。二度にわたり、鉄の獣を雄叫びを上げる。撃ち出された牙は空を渡り、己を敵に突き立てようと直進する。俺はそれらに反応して、その場から真横へと跳んだ。
抉れる床。飛び散る微細な破片。
それらに気を取られることなく。相手を見据えて考えることは、どう攻め込むかだ。どうあっても、間合いの決定権は奴にある。どれだけ足が早くとも、人間の足には限界があるのだ。一息を吸う間に、五メートルの距離は埋まらない。
ならば、出来ることは一つしかない。
「残り、二発か三発」
弾丸を躱して直ぐ、床を蹴ってフードの男に肉薄する。真正面に捉えた敵の姿は、当然のように消えてなくなるが。それは予め想定済み。移動先へと瞬時に進路を変更して、愚直なまでに前進を続けていく。
「猪突猛進だな」
再び鳴り響く銃声。その数は、変わらず二回だ。
「残り、零か一か」
走る勢いをそのままに、膝を折って体勢を落とすと、そのままバネのように跳び上がる。
二つの弾丸を躱して、空中へと場を移した。残弾があるなら、此処で、この場面で撃ってくるはずだ。このあえて作り出した隙を、狙い撃ってくるに違いない。そんな思惑あっての跳躍だった。
そして、装填できる弾の数が判明する。
「六発かッ」
鉄の獣の咆哮が、弾丸とともに放たれる。リボルバーの弾倉に込められた、六発目の弾が撃ち出されたのだ。リロードなどする時間もなく、引金は引かれている。ゆえに、装填数は五発ではなく、六発意外に有り得ない。