魔法
Ⅰ
「先生。シュウに何が起こったんですか?」
「私にもよく分かりませんが。おそらく、一度に多くの魔力を作り過ぎてしまったのでしょう。キリュウくんの肉体という器を越えて、魔力が溢れてしまった」
「どうして、そんなことに」
「考えられるのは、キリュウくんの体質が特異であるということでしょうか。少量の魔素で大量の魔力を造ってしまう。そんな特殊な身体をしているのかも知れません」
魔力の生成に特化した特異体質? それは俺がこの世界の住人ではないからか? 身体の作りが違うから、魔力の生成量も異なっている?
「いや、違う」
ゆっくりと上半身を起き上がらせながら、そう呟く。
「違うって。それ以外にどんな理由があるのよ」
「さっき深呼吸をした時、俺は魔力を造ろうだなんて、少しも考えちゃあいなかった。なのに、勝手に魔力が生成されたんだ。これは特異な体質だとか、魔力の生成量だとか、そんな問題じゃあない」
魔力の生成には意志と手段がいる。俺はそのどちらも行っていないのだから。
「勝手に……でも、いま普通に呼吸をしていて、なんともないんでしょう?」
「今は、な。自分でも原因はよく分からないんだが……どうしようか、これ」
「どうもこうも、原因を解明しないことには話にならないわよ」
魔法の開発だとか、それ以前の問題だ。魔力を生成するたびに、あんな状態になってしまっては、たしかに話にならない。練習もままならず、とうぜん実戦でも使えない。使ったが最後、隙だらけになった所へ猛攻を受ける。
参ったな、これは。
「ふむ、ではキリュウくん。つまり、いま行っている呼吸の仕方と、先ほどの深呼吸との違いはなんでしょうか?」
「違い、ですか。うーん、単純に空気を多く吸い込むこと。あとは、精神統一の違いくらいですかね」
「精神統一?」
「えぇ、剣の稽古をするとき。意識を集中させるために、必ずするようにしているんです。だから、今回も」
「なるほど」
そう呟いて思案顔をした先生は、しばらくして口を開く。
「これがもし体質の違いでないのなら、原因は呼吸の仕方にあると思われます」
「深呼吸が原因ってことですか?」
「その通り。キリュウくんは剣の稽古をする際、必ず深呼吸をする。そうですね?」
「そうですけれど」
「大きく息を吸い込み、吐き出し、精神を統一する。それが恐らく、偶然にも魔力生成の手段、手順を満たしていたのでしょう。ですが、剣の稽古という目的のために行うだけでは、魔力は造られない。そこに意志がないからです」
先生はここで言葉に区切りをうつと、直ぐに説明を再開する。
「今回、キリュウくんは魔力の生成のために深呼吸をしました。恐らく、本人は練習のつもりだったのでしょうが。キリュウくんにその気がなくても、無意識下でそれは意志となり、魔力を生成したのでしょう」
「なら、先生。シュウはどうして肉体の容量を超えるほどの魔力を、一度に作ることが出来たんですか?」
疑問に思っていたことを、俺よりも速くエリーが問う。
その声音や態度、眼差しは、当人である俺よりも真剣だ。魔法の有無で、これから大きく左右されるのだから、それは当たり前なのかも知れない。俺が考えるよりも、エリーの中にある魔法という存在は、はるかに重いということか。
「それは……そうですね、練度の違いでしょうか。おそらく、キリュウくんは私達よりも、はるかに魔力生成に適した呼吸の仕方を心得ています」
エリーの視線が俺へと向かう。
「キリュウくんは魔法にも迫る剣技の使い手。その修練の日々は長く苦しいものだったでしょう。当然、幾度となく剣の稽古を繰り返していたはず。キリュウくんは、そのたびに深呼吸をしていた。つまり、魔力を造る訓練をしていたのです」
「……シュウ。剣の稽古を始めたのは何時頃からなの?」
「正確には覚えていないけれど……たしか物心つく前からだよ。それから稽古を休んだ記憶がない。親父が休ませてくれなかったから」
それはこの世界に来てからも変わらない。欠かさず、剣の稽古だけはこなしていた。
「なんとも奇怪な話ね。剣の稽古のために行っていたことが、魔法の基礎になっていたなんて」
「まぁ、呼吸は武芸において最も基本的なものだからな。これまで積み重ねてきたものが、他の道で生きるってのは良くある話だ。一芸に秀でる者は多芸に通ずってな」
そう話し終える頃には、身体から不快感が一掃されていた。腕に力を込めても不快感はなく、拳もいつも通りに作ることが出来る。それを確かめ終えると、床に手をついてきちんと立ち上がってみる。足のほうにも、問題はないようだ。
「身体はもう大丈夫そうですね。どうしますか? キリュウくんには二つの選択肢があります。今日はこの辺で止めておきますか? それとも」
「当然、続けます」
初めてのことで要領を掴めず、また苦しみに驚いたりもした。けれど、この程度で音を上げるほど、柔な育ちかたはしていない。親父との剣の稽古は、こんな生優しいものじゃあなかったのだから。
「シュウ、大丈夫なの?」
「問題ない。もう治った」
「そうじゃあなくて、怖くないのかって聞いてるの。あんな目に遭ったのに」
エリーの表情は、どこか不安そうだった。
俺以上に俺のことを心配しているって顔をしている。まるで自分のことのように、誰かを思うことが出来るというのは一種の才能だ。だが、今回に限ってそれは必要のない気遣いである。
「そりゃあ怖いよ。またあんな風になったらと思うと鳥肌が立つ。けれど、怖いからって逃げてちゃあ何も始まらないんだ。何かを得るためには、ひたすら手を伸ばすしかない。魔法を高めるために、エリーだってそうして来たはずだろ?」
「……」
「そんな顔するなって。またああなっても、魔力を外に流せばいいんだろ? 上手くやったじゃあないか。風船が弾けるみたいに、爆ぜたりしねーよ」
「こ、怖いこと言わないでよ!」
「悪い悪い」
頬袋に木の実を詰め込んだリスのように、エリーはぷっくりと頬を膨らませた。けれど、それでつっかえていた物が取れたのか。その不安そうだった表情は、一変して明るいものとなる。いつもの見慣れた顔に戻ってくれたみたいだ。
「エリー。練習に戻るよ」
「あ、うん。分かった。直ぐに行くから」
頃合いを見計らったかのように、一歩引いた位置からベッキーがエリーを呼ぶ。朝の出来事を遠巻きに見ていたように、今回もタイミングを見計らっていたに違いない。素直にナイスタイミングと言わざるを得ないな。
「それじゃあ私は行くから。もしさっき見たいになったら、きちんと先生の言うことを聞くのよ」
「はいよ。分かってる」
まるでオカンだな、と思ったのは秘密だ。
そうしてエリーがこの場から去れば、俺の周りに集まっていた野次馬も散っていく。この生徒たちはたぶん、俺が倒れて苦しんでいる間に近寄っていたのだろう。火事場に人が集まるように、だ。だから鎮火したいま、この場を足早に去っている。
「さて、キリュウくん。怖いでしょうが、君の望み通り魔力生成を再開しましょう。さっきの失敗を踏まえて、魔力を造ってみてください。小さく息を吸い、押さえ付けるようなイメージで」
先生の指示通り、俺は小さく口を開く。そして慎重に冷静に、同じ失敗を繰り返さないよう、小さく深く息を吸う。すると、身体の中にまたあの何かが生まれたのが、感覚的に理解できた。
これが魔力、俺が生成したもの。身体の内側にある魔力は、一定の大きさまで膨らむと、ぴたりと膨張を止める。そこに圧迫感も不快感もない。今度は上手く出来たみたいだ。
「……見たところ大丈夫そうですが、どうですか? 身体のほうは」
「大丈夫です。魔力の膨張も止まりましたし、さっき見たいなことには成らないと思います」
「良いでしょう。では、次の段階に移ります。生成した魔力を体外に放出し、そして手の平に集めてください。放出はさっきと同じ要領で構いません」
「手の平に集めるには、どうすれば?」
「魔力はキリュウくんが生み出した物です。ゆえに、その操作も自在に行えて当然だ。という認識をもつことが一番の近道ですかね」
「ようは気合いだと」
「そう言うことです」
随分とアバウトだが、理論立てて長々と説明されるよりは百倍わかりやすい。習うより慣れろ、だ。魔力は自分が生み出した物だから、その操作も自在に行えて当然である。剣が己の腕や手の延長であるのと同じ理屈だ。
そのつもりで俺は身体の内側にある魔力を外へと放出し。あふれ出した半透明な流動体を視界に写す。そしてそれらを一纏めに紡ぐように、束ねて集わせるように、右の手の平に誘導した。
しかし、これが結構むずかしく。針に糸を通すような繊細なコントロールを要求される。だが、時間を掛ければ糸は通るものだ。一分か二分、そのくらいの時間をかけて、俺は魔力を一カ所に集めることに成功した。
「二分三十四秒。初めてにして上出来です」
「それは……どうも……」
かなり神経を使う工程だった。先生は上出来だと褒めてくれたけれど、決して出来が良いとは言えないだろう。こんなに時間がかかっては、使い物にならない。エリーはこれを瞬時に行っているのだ。すくなくとも、同じラインに立てなければ意味がない。
「納得が行かないという顔をしていますね」
「あ、いや……あはは」
俺の表情や声音から思考を読まれ、先生に見抜かれる。
「理想が高い。自分に厳しい。それは構いませんが、今の自分に納得し、前に進むことが肝要です。納得できないままでいると、そこでずっと足踏みをしてしまいます。時には問題の先送りも重要なことですよ」
今の自分に納得する、か。そう言えば、親父にもよく似たようなことを言われていたっけ。「自分が弱さを自覚しろ、そしてそれを克服するための手段を見つけ出せ」小さい頃、親父に一番良く言われた言葉だ。今の今まで忘れていたけれど、重要なことを思い出せた。
そうだ、俺は弱いんだ。魔法に関しては素人同然。いや、それ以下だ。だからこそ、数多の弱点を全て見極めた上で、一つ一つ潰していかなくてはならない。今は、己の弱点を見極める時だ。今はこの結果に納得して、先を進めるとしよう。
「……では、最終段階に移行しましょう」
先生は全てを見透かしているのか。そう言ってくれた。
「最後はいよいよ、魔法の発現についてです」
その言葉は自分でも意外と心に響く。けれど、よく考えて見れば、それは当たり前だ。エリーのような自然現象の魔法を、インクルストのような肉体強化の魔法を、俺自身が使えるようになるかも知れない。そう考えると、心に来ないはずがなかった。
「今その右手に集った魔力の塊。それは形のない不安定なものです。魔法はこの不定形な魔力に形を与え、安定させた状態のことを指します。では、どのようにすれば、魔力に形を与えられるのか。それは私達人間が心の中に描くもの、心象の投影にあります」
心象の投影。
「魔の力にて現に心を刻む。それが魔法の正体です。けれど、この心象の投影こそが最大の難関となるでしょう。人によっては一瞬で突破できることですが、一生を掛けても突破できない人がいるのもまた事実です」
「そんなに難しいんですか? その心象の投影は」
「えぇ、難しいです。魔力を形にする心象は、自身の心を知り尽くさねば見えてこないものです。そして自分を知るという行為は、欠点や醜い部分、目を背けたくなるような現実を見ることに他なりませんから。自分の弱さに立ち向かえない、耐えられない人は一生をかけても魔法を発現できないのです」
なるほど、自分の弱さ。肉体的、精神的な汚点、醜い部分を知ることか。
それなら何も心配することはない。自身の欠点など、これまで嫌というほど自覚し、向かい合ってきたことだ。剣のことだけじゃあない、その他諸々に至るまでだ。やはり一芸に秀でる者は多芸に通ずる。自分を知ることなど、疾うの昔に終わらせた。
「心象……その投影。心に描くもの……魔法のイメージ」
魔法。その言葉を聞いて一番に思い浮かぶのは、エクイスト家の別荘で見た氷山だ。十余名もの人間を、その中に閉じ込めた恐るべきエリーの氷魔法。それが脳裏に焼き付いて、今でも鮮明に思い出せる。
だが、この心象を魔力に投影はしない。それはただの真似事で、人の物を奪うに過ぎない。猿真似は所詮、猿真似だ。劣化した復元でしかない。俺が求めている力は、そんなまがい物じゃあない。心に描くのは、エリーの魔法よりも強いもの。そう、例えば氷を残さず溶かし、蒸発させるような――
「焔」
揺らめく赤は熱を放ち、火種もなく明かりを灯す。手の平に収まる程度の小さな焔。それはこの身を焦すことなく、心地よい暖かさだけを与えながら燃え盛っている。火、火炎、焔の類い。生物が本能的に恐れるもの。それが俺だけの魔法だった。
「おめでとう。どうやらキリュウくんは、自身に向き合える人だったようですね」
「あ、ありがとう御座います」
正直なところ、あまりにも呆気なく成功してしまったから。魔法を使ったのだという実感や現実味が薄い。手の平で焔が燃えているという事実を、視覚できちんと認識してはいるのだけれど。どこか、映画やアニメを見ている気分になる。この感覚に慣れるのも、大変そうだ。
「シュウ!」
「え? ちょっ、うわっ!」
手の平にある焔に見とれていると、エリーの声が聞こえ。反射的にそちらの方を向くと、視界いっぱいにエリーの顔が写る。それが今、どんな状況であるかなど把握する暇もなく。直後、俺は堅い床へと押し倒されていたのだった。
「くおぉっ! あ、頭を打ったぞ、今っ。なにしてくれてんだ、エリー!」
「だって、シュウがきちんと魔法を発現してくれてたんだもん!」
「だもん! じゃあねーよ。だからって押し倒すな。火傷したらどうするだ、まったく。このバカッ」
強めのデコピンを喰らわせると、エリーは小さな悲鳴を上げた。額はすこし赤くなり、その瞳にも涙が滲んでいる。ちょっとしたお灸を据えるには、ちょうど良い痛みだろう。拳骨でないだけ、ありがたいと思って欲しいくらいだ。
「まぁまぁ、良いじゃあないか。エリーはシュウくんのことが心配で仕様がなかったんだよ。あたしとの練習だって、身が入ってないの丸わかりって感じだったんだからさ」
仰向けの状態から視線をエリーから移すと、上下逆様のベッキーの姿が見えた。その表情はエリーをからかうようなもので、ニッと笑っていた。と、くれば、それに乗らずには居られない。
「へぇー。そうかそうか、エリーがなー」
「ちっ、ちがっ……んむー! ベッキー! バラすなんて酷い!」
「シュウくんを心配していたのは本当のことじゃん」
「それでも酷いものは酷い!」
抗議の声を上げてエリーは俺の上から立ち上がり、ベッキーのほうへと詰め寄っていく。
人一人分の重みがなくなって、軽くなった身体を動かし。人間らしく二本足で立った所で、右手に灯していた焔が消えてなくなっていることに気付く。押し倒されて集中力が切れたからか、それとも単なるガス欠か。ともあれ、消えていたならそれでいい。火傷させずに済んだ。
「それで? シュウくんは、その魔法にどんな名前を付けるんだい?」
「名前? 名前か……」
単純に焔とか火炎とかじゃあダメなのかな。あまり凝った名前の付け方をすると、自分のネーミングセンスを問われかねない。無難な名前にしたい所だが、改まって真面目にそう言った所謂、中二病的なことを考えて見ると頭を抱えたくなってしまうな。
過去の自分を思い出して死にたくなるから。
「とりあえず……保留ってことで」
そうした後、残りの時間をやはり魔法の訓練に使い、実技の授業は終了した。魔法という力と、その不安要素。加えて剣以外の人殺しの手段を得て。