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野良怪談百物語

幽体

作者: 木下秋

 初めての一人暮らしを、あるアパートで始めた時の話。


 綺麗好きな俺が三日かけて掃除と荷物の片付けを終えて、一段落した時のことだった。お茶を飲もうとヤカンに水を入れ、火を点けた。


 水が沸騰するまでの暇を持て余した俺は、腕を組んで部屋を見て回った。部屋の中の様子はもちろん不動産屋に紹介された時に一通り見て回っていたが、そのようにして壁の染みから天井の隅までしげしげと眺めたのは、初めてのことだったのだ。


 台所のすぐ横、玄関を観察していた時に、それは目に入った。


 ――古い、短冊状のお札だった。それは元々白い紙に赤い文字でなんらかの呪文が書かれていたようだったのだが、経年劣化によって全体が黄ばみ、天井の木目に擬態――もとい同化しそうだった。もはや“貼ってある”というより、“へばりついている”という方がしっくりくる。それ程に古く、ボロボロだったのだ。



(なんだ……コレ……)



 ぱっと見では気付かないのだが、気付いてしまうと――掃除をしたすぐ後のことだったこともあり、無性に気になってくる。


 水が沸騰し始め、ヤカンが俺を急かした。俺は近くにあった椅子を引き寄せると、その上に乗ってお札を「えいっ」とばかりに、一気に剥がした。お札はペリッ、と乾いた音をさせて、簡単に剥がれた。俺はそれをクシャクシャに丸めてゴミ箱に投げると、火を止めた。


 お札は、少し離れたゴミ箱に吸い寄せられるように、一発で入った。





 その日の夜。布団に入ってぐっすり眠っていると、物音に目を覚ました。



 ――トン、トンッ……。



 玄関の扉を、叩く音だ。


 枕元の時計を見ると、午前一時過ぎ。……こんな時間に、誰かが訪ねてくるはずがない。



 ――トン、トンッ……。



 音は気になったが、眠気に負けてすぐに眠ってしまった。





 次の日も、その次の日も。夜の一時を過ぎると、誰かが扉を叩いた。控えめな、それでいて「開けて欲しい」という意思の籠もった……



 ――トン、トンッ……。



 という、音が。



 流石に、これはおかしいと思った。引っ越してきてから掃除を終えた三日目まで、この部屋で寝ていたがそんな現象は起こらなかった。扉が叩かれ始めたのは、全ての片付けを終えた三日目の夜からだ。


 (あのお札……)そこで、初めて気が付いた。あのお札を剥がしてしまったから……。



 次の日、近所にあった神社でお札を買った。よくよく見れば、あの日捨てたお札に似ている。もしかしたら昔あの部屋に住んでいた人も、ここでお札を買ったのかもしれない。そう思った。



 その日の夜。お札を玄関の天井――前にそれが貼ってあった場所に貼った。(これで大丈夫……)そう思いながら、眠りについた。





 やはりそれから、あの玄関を叩く音はしなくなった。その夜も、その次の日の夜もだ。しばらく、平穏な日々が続いた。




 ……しかし。三ヶ月程経った、ある日の夜。それは、起こった。




 俺はその日、なかなか寝付けずにいた。……大学の授業にも慣れ始め、授業中にたっぷりと睡眠を取ってしまっていたからだ。


 とはいえ、出席点を取られる明日の一限の授業には出なくてはならないので、早く寝なければと明かりを消し、布団に入る。横になって、月明かりに照らされた部屋をぼんやりと眺めていた。



 その時だった。床に、人影が出来た。窓の外に、誰かが立っている。……しかし、すぐにそんなことはあり得ないことに気付く。――ここは、二階なのだから。



 俺が窓の方を見るより早く、それはもう、入ってきていた。



 一昔前までは普段着として着られていたのであろう、質素な模様の和服。そして、それを纏った中年の女性。髪は結い上げられ、後ろで束ねられている。全身が、月光よりも弱々しく、発光していた。ホログラムのように半透明で、向こう側の景色が透けて見える。



「こうすればよかったのね」



 たった一言そう発すると、もやになって消えた。




 ――もう、玄関にお札を貼ったって意味が無いのでは……と思い、その夜から友人の家を泊まり歩いて、次の月には引っ越しをした。


 玄関にお札を貼ったって、窓に貼ったって……。もう“あの人”は、入ろうと思えばどこからだって部屋に入れるのだから。

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