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楽しんでいただけたら何よりです。
獣臭さで目を覚ます。
気配を感じてボクの眠るベッドの脇に目をやると、そこにはフワフワちゃんが何も言わずに立っていて、まだ柔らかい毛布の中に包まっているボクを赤い目でじっと見ていた。
フワフワちゃんは毎度のように羊の毛皮を着て、朝が来る少し前にボクの部屋に遊びに来るんだ。
「今日は何をするの」
ボクは上半身だけ起き上がってフワフワちゃんに尋ねた。
この前は家中の本棚の本を逆さまに入れ直して遊んだけれど、今度は後片付けをしなくて済む遊びが良いなと少しだけ願いながら。
「今日はね」
フワフワちゃんが楽しそうに言う。羊の耳と手足をぱたぱた動かしながら。
「今日はね、えへへ。ボクの住んでるお家にね、来てほしいの」
「お家って、鏡の中の?」
「そう。ボクね、お家のお庭を奇麗に掃除して、それでね、お友達を呼ぼうと思ったの」
「そうなんだ」
鏡の中に入るのはこれが初めてではなかったけれど、ぼくは正直かなり不安だった。
なぜなら鏡の中のには108個の決まり事があって、それをもし破ってしまうと鏡の中の秩序が狂ってしまうから。
初めて鏡の中に入った時にも、フワフワちゃんが決まり事をボクに言い忘れて(ある場所で逆立ちをしなければならなかったのに、フワフワちゃんだけが逆立ちをしていて、ボクはそれを「変なの」と少し小馬鹿にしながら見ていた)、地を這っている生き物が空を飛び、空を飛んでいる生き物が地を這うようになってしまった。
蛇達だけは喜んでいたみたいだけれど、他の動物達には散々嫌みを言われて、元の状態に戻るまですごく嫌な気分だった。
「そんなに心配しなくても、大丈夫。ボクも、今度はちゃんと気をつけるから」
ボクの不安を察したのか、フワフワちゃんがボクの目を覗き込んで言う。
「ほら、早く。行こう行こう」
フワフワちゃんがボクの手を引っ張る。
ボクは立ち上がって部屋の隅に置かれた全身鏡まで歩いて行った。
全身鏡には静かな月明かりに照らされたボクの狭い子供部屋が映っていた。
素っ気ない白い漆喰の壁と、パイン材のフローリング。
妙な音を立ててボクに嫌がらせをしてくるベッド。
4年前に部屋に来た、少し古くさい勉強机。
色々なものが映っていた。
だけど、いつもなら映るであろうボクの小さな白い体は映っていなかった。
当たり前だ。
フワフワちゃんがここにいるのだから。
ボクは右手を鏡の中に入れてみる。
何も感じない。
そこには金属の冷たい感触も空気の温度の隔たりもない、ただ柔らかくボクを招く。
もう一つボクの部屋。
鏡の中はいつも静かだ。
いつも、といってもボクが知る限りだけれど、少なくともボクの家の雑音はここまで聞こえて来ない。
アレは本当に気分が悪い。
時々ボクを自殺させるためにわざとムカつく音を立てているんじゃないかとさえ思える。
それくらい虫唾が走る雑音なんだ。
カツンと乾いた音を立ててフワフワちゃんが鏡の中に入ってくる。
フワフワちゃんは楽しそうに微笑みをうかべて
「じゃあ、行こう」
とボクに言う。
フワフワちゃんの蹄を握って、ボクも笑った。