自分を信じられない男の昔話
小学生の頃、休み時間になるとずっと本ばかり読んでる女の子に言った言葉がある。
幼心ながらにその子のことが気になっていて、つい軽口を叩いたのだ。
悪意は無いし故意でもない。
ただ、少しでもいいからその子の声を聞きたかったのだ。
昼休みの時間になって早足で彼女の席に近づく。
その時は彼女以外みんなグラウンドに飛び出していたからチャンスだったんだ。
彼女の席の前で止まって、廊下で友達が呼ぶ声に返事して、そっぽ向いたまま早口で話始めた。
目を見て話す勇気が無かったのと、話し掛けるだけなのにとても恥ずかしかったから。
ズボンをギュって握って、自分の気持ちをごまかした。
『そんな物語、現実にあるわけないし、お前本より人間の友達集めたら?その方がよっぽど楽しいだろ?』
『……』
『ほら!天使とか妖精とかいるわけないし、外で皆でサッカーした方が絶対良いって!』
手でジェスチャーも交えながら、遠回しに“一緒に遊ぼう”と誘ってみる。
子供ながらに必死だった。
今の年齢で告白する並に頑張った。
けれど、彼女の返事は短かった。
『ごめんね』
大きな瞳を申し訳なさそうに細めて、彼女は俯いてしまった。
何故謝ったのか、どうして本に顔を押し付けているのか、その時の自分には何一つわからなかった。
…ただ、彼女を傷つけてしまったことだけは見ていてわかった。
細い肩を震わせているのに気づいて、どうして良いのかわからなくなって、
…ダッ!!
いつの間にか彼女を一人教室に残して、廊下を全速力で駆け出していた。
振り返ることなく、先生に注意されても無視してただただ前に前に逃げていた。
信じてほしい。
君の声を聞きたかった。
それだけなんだ。
泣かせるつもりは無かった。
僕はそんな声を聞きたかったんじゃないんだ。
嬉しそうに頷いてくれるのを夢に見ていただけなんだ。
次の日、朝の会で女の先生が顔を険しくさせて教室に入ってきた。
僕は何だか嫌な予感がして、同時に耳を塞ぎたくなったのを今でも覚えている。
理由はわからない。
もしかしたら、何時もみんなより早く学校に来るはずの彼女の席が…その日は空いていたからかもしれない。
先生が軽く深呼吸して、握りしめたハンカチからスッと僕たちに視線を移した。
その目や鼻は真っ赤になっていた。
『みんなに、悲しいお知らせがあります。
昨日、下校の途中で…※※※さんが車に轢かれてしまいました。※※※さんは元々心臓が弱くて、先生が駆けつけた時には天国に逝ってしまいました』
涙声が教室に響き渡り、僕たち生徒は何も言葉が出なかった。
彼女は抱えていた本を道路に落としてしまい、拾おうとした時に車に轢かれてしまったらしい。
先生が一通り話終えると、女の子たちが抱き合って泣き、男の子たちは気まずそうに唇を尖らせていた。
そんな暗い雰囲気の中、僕だけ髪の毛を鷲掴むように頭を抱えて踞った。
彼女は心臓が弱かった。
初めてその話を聞いて、僕は目の前が真っ暗になった。
何て酷いことを言ったのだろうと後悔した。
無知であるが故に彼女を酷く傷つけてしまった。
何も知らなかったから許されることではない。
話し掛けるよりも先に、先生に彼女がずっと教室にいる理由を聞いていれば良かったんだ。
僕は悪い人間だ。
僕はいけない人間だ。
謝ろうと昨日買ってきた本は卒業するまでランドセルに眠らせ、それを見るたびに彼女を思い出すようにと己を戒めた。
どうしても自分が許せなかったのだ。
当時は新品だったけれど、今では黄ばんでボロボロの状態で本棚にしまってある。
今では昔よりも自分を追い詰めてはいないが、常に自分の言葉を信用できない大人になってしまった。
緩やかに沈んでいく僕に友達は心配して今のこの職業を勧めてくれた。
この職業は今の僕にとても合っていて、周りの人達の助けもあり順調に元気を取り戻しつつある。
カーン…カーン…
今日も教会の鐘が辺りに鳴り響く。
簡易なベッドから朝日を浴び、窓を開けて空を見上げる。
「おはようございます、天使様」
窓辺に降り立つのは、白い翼を生やした美しい方。
挨拶をすると差し伸ばされた温かい手に窶れた頬を撫でられ、柔らかく微笑んでくださる。
この方こそ、僕を救ってくださった方。
この方の為に今日も頑張ることができる。
彼女に否定した物語のような日々の中、僕は彼女の分も生きている。