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絶望とサンタクロース社

 翌日、予測していたとおり学校は大騒ぎだった。

「夜交、大丈夫ッ? 昨日帰ったあとに、銃声が聞こえたから・・・・・・!」

そう言って、教室に入るなり都が俺に抱きついて来た。

「うおっ!」

そのまま倒れ込み、俺は廊下にしたたかに頭を打った。

「俺が撃たれるわけねえだろ」

俺は彼女を押し上げながら言った。初めて都の顔を見て、俺はぎょっとした。彼女は、泣いていた。

「ええええ! 何で!」

「だって・・・・・・夜交が、しっ、死んじゃったらど、どうしよう、っておもったら・・・・・・」

「俺は死んでない。・・・・・・それでいいだろ?」

そう俺が言うと彼女はこく、と小さく頷いた。

「朝から二人とも熱いねえ。爆死しろ」

 耳に響いた声は、俺の友の声だった。

「おお、お前か」

「おはようくらい言ったらどうなんだ。やはりお前はあのとき死んどくべきだったな」

「ほんとに死ぬかと思ったんだからな」

「確かスパローミサイルだったよな?」

「? 何で知ってるんだ?」

「ニュースで、ヘリのテールローターをぶち抜かれたって話だったから」

「何でそれだけで」

「スパローは、反射したり発されたりした電波や音波を拾って誘導させるホーミング誘導を持ったミサイルなんだ。当然、わざと初期照準を外して、ミサイル自体が軌道修正できる角度を計算して発射させたんだろうな。そうじゃなかったら、直撃だ。いくらアパッチでも粉砕さ」

「なるほど。言ってる意味はよく理解できなかったが、お前が軍事系に興味があることは解った」

「そうか。今更理解してくれてありがとう」

「いやいや礼を言われるほどのことでも」

 俺達がゆるゆるの会話をしていると、朝祇の声が聞こえた。今日彼女は正式な入学に関する手続きをする。

「おはようございます」

「おお、朝祇ちゃんはちゃんとお利口だね、兄とは大違いだ」

「すまなかったね」

 彼は俺をからかったことで満足したように朝祇の頭を撫でた。

「なんか、君がやってると朝祇ちゃんを誘拐しそうで怖いんだよね」

都が少し引き気味な声色で呟く。俺はその言葉に同意しつつも、否定的なことを言ってしまう。

「でも、・・・・・・朝祇、あいつのこと気に入ってるみたいなんだよな」

認めたくないけど。今の朝祇達はまるで猫と飼い主だ。

「朝祇ちゃんがいいんなら私も別にいいけど・・・・・・」

「なんか悔しいよな」

「・・・・・・うん」

 何となく悔しかったのは、否めない。


 放課後、手続きを済ませるために残った朝祇を残して、俺と都は先に帰ることにした。

 俺は朝にできた後頭部の瘤を無意識にさする。やっぱ、膨らんでる。たんこぶなんていつぶりだろう。

「頭、どうかしたの?」

「ああ、今日の朝な、都に――」

「あわわ! ごっ、ご・・・・・・ご、ご・・・・・・」

「ご?」

「ごごごごごごめんねっ、今朝は。め、迷惑だった、よね。そんな、抱きついたりして・・・・・・。嬉しくなんか、なかったもんね、夜交は、嬉しく、なかったよねっ」

 俯いてはいるが、彼女の顔が赤いのは耳の色で解る。何でこんなに必死なんだこいつは。否定するときだけはやたらと力むもんだから、こっちも焦ってしまう。

だけど、赤面して否定する都って、なんとなく幼くてかわいい。

「別に、そんなことなかったけど・・・・・・」

別にもっとやって欲しかったなんてことはなかったけど、嫌ではなかった。

「そ、そんなお世辞いいよっ。だって私、体重重いし、な、内臓が破裂しちゃうんじゃないかって思ったでしょ? 体の中のもの一滴の血も残さずに全部外に流れ出ちゃうんじゃないかって思ったでしょ? 宇宙空間に生身で飛び出したみたいに身体が内側から破裂しちゃうんじゃないかって思ったでしょ?」

 かわいい顔してなんてこと言うんだ。一般高校生の会話の中で人体が破裂なんていう会話は果たして何人の間でなされているのだろうか。

その時、一瞬、俺達の後ろで駐まっていた車の窓ガラスが光った。光の反射などではなく、科学的な、紫色の光。

「・・・・・・?」

俺が振り向いた、その刹那。

ガラスに一瞬にして蜘蛛の巣のような亀裂が入り、ガラスの破片として崩れ落ちた。割れたのではなく、崩れた。

 俺は、車とは対になる方向を見た。その道路に一人、悠然と、ライフルを構える者がいる。

象潟聡――

彼女は、はっきりと、よく通る声で俺達に、いや俺に言った。

「MM02は――四条朝祇は、何処にいるの?」

俺にはMM02の意味が解らなかったし、何故彼女がこんな人通りの多いところでライフル銃を構えているのかも解らなかった。

 ただ一つ、本能が告げていた。訳が解らない状況でも、危険察知の本能はまともに動いてくれていた。

「――言えない」

 ライフルが、青い炎を吹いた。弾丸が、静かな青い色を湛えてこちらに向かってくる。弾丸は、さっきの車を貫通した。

 金属と金属がぶつかったというのに、弾は硬い金属音を立てず、しゅっ、と音を立てただけだった。また聡がライフルを構える。さっきよりも、低い位置。また銃声と共に青い光が空気を切り裂いた。その光は、車の下の方を狙い――

 重い金属が、宙を舞った。飛び散る金属片と、爆風。逃げ惑う人々。

「やめろっ! ――話せば解る」

時の首相が頭をよぎる。このまま彼女が引き金を引き続けたら、俺は間違いなく死ぬ。

「残念ね。私の頭の中はあなたみたいに一年中チューリップが咲いてるようなぽっかぽかな頭じゃないの」

俺の頭は西岸海洋性気候か。

「今すぐ、四条朝祇が必要なの。早くうちのモルモットを帰してちょうだい」

「朝祇が悪いみたいに言うな。あんたらから逃げたのは、お前が朝祇をモルモットとしてしか見ていなかったからだ」

 聡の顔が、歪んだ。

「うるさいわね、あなたたちに何が解るの?」

 またぶっ放される紫の弾丸。アスファルト片が、身体に降りかかる。俺は聡に背を向けて、都の手を握った。

「逃げるぞ!」

 俺達は凄まじい音を背に受けながら、地面を蹴った。

「逃がさないわ」

 聡の声が追いかけてくる。

再び、あのときのプロペラの音が近付き、一機のアパッチが姿を現した。

「またかよ!」

俺は半分泣きそうになりながら走り続けた。何で、サンタクロース社がここまでの軍事力を持っているのか解らないし、何故自分たちがこんなにも必死になって戦闘ヘリから逃げているのかも解らない。だが、このままだと、俺達は確実に追いつかれてしまう。

 何度右に曲がり、何度左に曲がっただろうか。ビルとビルの間をすり抜け、再び視界が開けたところで、誰かにぶつかった。マスクをし、肩にゴルフバッグを背負った男性だった。その男性は、俺達を見、その上空、ホバリングをするアパッチを見て、全てを悟ったように目を哀しそうに細めた。

「・・・・・・?」

それは一瞬のことだったけれど、俺は悲しみにも似た微笑みに、既視感を覚えた。

 彼は背負っていたゴルフバッグから大きな筒のようなものを取り出し、それを肩に担いだ。

「・・・・・・バズーカ?」

 一門のバズーカを背負った謎の男は、照準でヘリを狙い、迷うことなく発射した。その弾は一直線の軌道を描き、回転する主ローターに直撃し、爆発した。轟音と共に多くの破片が降り注ぎ、コンクリートの壁に傷を付ける。爆撃された七・三一五メートルのプロペラが、四本、回転しながら降り注ぐ。

「うわっ・・・・・・」

俺はとっさにかがみ込み、頭を庇った。

都はただ何もしないで、俺の方に背を向け、上を見上げたまま固まっている――

「なにやってんだ!」

俺は彼女の制服の襟を掴み何とか動かそうとする。動かない。死んだように硬直する彼女の上から、重いギロチンが降ってくる。

「――都ッ! ごめん!」

俺は思い切り力を込め、服の襟と袖を握り締め、身体を捻って、都を背負い投げした。その瞬間に、俺の背後に巨大な刃物がアスファルトに突き刺さった。あと数秒遅ければ、都は間違いなくプロペラに切り刻まれ、俺は彼女の鮮血を身体に浴びていただろう。

 主ローターを失ったアパッチの機体はバランスを崩し、コンクリートの谷間に両脇を擦りながらエレベーターのように下降した。

スタブウィングには何も取り付けられていないため、爆発する恐れはなかった。ようやくヘリが俺達の頭上五十メートルほどで止まり、安定した頃、俺は口を開いた。

「・・・・・・ありがとうございます、助けて頂いて」

「いやいや、いいんだよ、今日はたまたまこれを持っていたから」

そう言って彼はぽんぽんとバズーカ砲を叩いた。

「そんなもの普通は持ってないですよ」

「まあね、こんな街中で戦車なんて見たことないもんね」

「戦車?」

「バズーカ砲は元々対戦車用に作られたんだよ。改良されて、今は軽量化されてて持ち運びがしやすくなってる」

「はあ・・・・・・。まあ、今日はありがとうございました。ほんとに、助かりました」

「お礼を言われるとなんだか恥ずかしいね」

「お名前はなんて言うんですか」

「僕かい? 僕はヤツカだよ」

「ヤツカさん・・・・・・」

「今日はお帰り。彼女は、あとで救助することにしよう」

・・・・・・・・・・・・?

おかしくないか? 俺は彼を見た。

 何で中の人間が、女性だと解ったんだ? ヤツカさんは、コックピットの中を見たんだろうか?

「・・・・・・何で女性だって解ったんですか?」

「え?」

「どうしてヤツカさんは、コックピットの中の人が女性って知ってるんですか?」

「僕、彼女のファンなんだよ。解ってくれ」

「そうですか・・・・・・」

 なんだか釈然としないまま俺は頷いた。理解できない人も中にはいるのだということを思い知った。

「じゃあね、僕は帰るよ」

「あ、今日はありがとうございました」

「いいんだよ」

そう言って彼はバズーカ砲をバッグの中にしまい、走っていった。やっぱり、重くないんだろうか、あれ・・・・・・。

「夜交、助けてくれて、ありがと・・・・・・」

立ち上がりながら都が言った。

「さっき思いっきり投げちゃったけど、大丈夫?」

「うん。ちょっと痛むけど、死んじゃうよりはよかったから」

腰をさすりながら彼女は言う。

「にしても、最近物騒だな」

「・・・・・・何なんだろうね」

俺は頭上で引っかかっているヘリを見た。本当に救助は来るのだろうか。静かなビルの狭間の中で、俺は都に言った。

「帰ろう」

「・・・・・・」

都は沈黙だけで、それを肯定した。



 家にはすでに朝祇が帰っていたらしくて、夕食を作っておいてくれていた。もう円卓には二人分のご飯がのっかっている。野菜のサラダと、具がいっぱいの味噌汁。今しがた作られたものらしく、まだ湯気がほかほかと出ている。

「お兄ちゃん?」

「おぅ、ただいま」

いきなり声をかけられ、少しびっくりする。後ろを振り向くと、ドレッシングと、サラダをより分ける小皿を持った朝祇が立っていた。

「お兄ちゃん! 何でこんなに遅かったの! 心配、したんだからねっ」

「・・・・・・ごめん」

その時、俺の頭の中で、象潟聡の言葉が思い出された。

『MM02は――四条朝祇は、何処にいるの?』

 彼女が言っていたMM02という言葉が、妙に気になった。

「――朝祇、お前、MM02って知ってるか?」

そう尋ねた瞬間だった。

 彼女の手から、ドレッシングの瓶と小皿が滑り落ち、派手な音を立てて破片となった。彼女の戦慄した顔、それが一瞬にして怯えと変わり、彼女は崩れ落ちた。

「朝祇?」

「MM02――?」

「朝祇! ごめん! もういい!」

「MM02――!」

彼女は頭を抱えてただ、MM02と唱え始めた。彼女の膝には陶磁とガラスの欠片が刺さり、床を赤く染めている。

「もう、思い出さなくていい・・・・・・! ここは、家だ。朝祇の家だ!」

 彼女の記憶が展開し、サンタクロース社の施設が映ったところで俺はそう叫んだ。

「またっ、頭がっ、壊される――」

彼女は天井を向いて叫んだ。

「いやああああああああああっ」

「朝祇!」

 俺は彼女の名前を叫んで、白と無色の棘の道に足を踏み入れた。尖ったたくさんの欠片が俺の足を刺す。

「朝祇っ」

彼女は肺の中の全ての空気を使い切り、虚ろな目で俺を見て、言った。

「・・・・・・お兄ちゃん、サンタクロースの袋の中には、何が入ってるか、知ってる?」

そして彼女は、気絶して、俺の胸に倒れ込んだ。

「・・・・・・解らない」

「・・・・・・だよね」

 彼女は確かにそう言って、微笑んだ。

「・・・・・・朝祇、俺は、お前を救えないのか――?」

俺の妹は、もう何も言わなかった。


 朝祇はあの後、気絶、というか眠り続け、結局朝になってようやく起き上がった。その行動が当たり前のように自然で、俺は安心してしまう。

「朝祇、昨日はごめんな」

「・・・・・・ううん、私も悪いもの、気にすることないよ」

「・・・・・・そうか」

「――MM02はね」

「え?」

「MM02は、私達モルモットに付けられる識別番号なの」

「モル、モット・・・・・・」

「私達モルモットは常に白い部屋にいるの。清潔な、不健康な部屋。そこで私達は管理されて、生きていた」

「・・・・・・」

俺は何も言うことができなかった。十四歳の女の子が背負うには、あまりに大きすぎるシナリオじゃないか――。

 俺は心の中で神様に悪態をついた。

なぜ、彼女がこんな目に遭わなければならなかったのか。俺が神なら、絶対に、絶対にそんな寂しすぎるレールを敷いたりはしないのに。

「もう、忘れたいの。ごめんね、お兄ちゃん」

 彼女はこんなにも強く生きて、天使のように笑っているのに、俺は自分の過去を知らないし、そして俺達は兄妹でもない――。なぜ自分が、ここにいるのか、解るはずもないのに、俺はこうやって誰かを傷付けながら生きている。


 象潟聡は、助かったのだろうか。ビルに挟まって、しばらくそのままになっていたのは言うまでもない。その後どうやら彼女は救い出されたらしい。

 昨日のヤツカという人の顔が脳裏をよぎった。全てを知っているかのようなあの眼。

「何考えてるの?」

突然俺の正面に都の顔が覗いた。

「うわっ」

俺の悲鳴に少し驚いたように彼女は体をのけぞらせた。

「何を考えてたの?」

「昨日のことだよ。ヤツカさんのこと」

「ああ、私達の命の恩人だね。またお礼しないと」

「・・・・・・そうだな」

 お礼、という言葉に俺はくすり、と笑ってしまう。なんか、違うんだよな。何かが。何かが、彼女は抜けてる。協調性とかはあるのに、こっちが何を言ってるのかくみ取れない鈍感なところがある。それが彼女の魅力なのだが。完璧でない方が、俺は意外と好きだったりする。

「・・・・・・堅い、とか思ってる?」

「え? ああ、まぁ、ちょっとだけな」

 少し迷ったけど、嘘は吐かないことにした。

「・・・・・・そう、かな」

あれ、なんかまずいこと言ったかな。都の表情が少し暗くなるのをみて俺は思った。

「都・・・・・・?」

「・・・・・・そう、だよね、私、堅い、よね。夜交は堅い人と喋るの、苦手、かな」

ぼそぼそと小さな声で呟く彼女の姿はとても弱々しく見えた。

「委員長っ? どうしたの? また夜交君に泣かされたのっ?」

「また、って何だよ。・・・・・・いやまあそうだけど」

「あんたは黙ってて!」

 当事者だけどな! 俺は! クラスの女子、なんか俺に酷くないか? 

「また泣かしたのか、お前」

「そしてなぜ出てくる筆箱野郎」

俺は少し泣きつきたい気分で彼を見た。しかし、彼は怒気を帯びたオーラを纏っていた。

「あ、れ・・・・・・?」

どうも冗談を言っていられるような雰囲気ではないことを本能的に悟った俺は、何となく居心地が悪くなる。なんだこの村八分にされた気分は――

「もう夜交なんか硫酸かぶって死ねばいいのに」「だれか、鈍感野郎を撃退する道具出してー」「爆死しろ」「委員長を泣かせやがって」「夜交お前それでも人間か?」「たとえ神がお前を許しても、俺達がお前を許さないからな」「鈍は万死に値するわね」「鈍感の称号を与えよう」

――もう何が何だか。

「っつーか、何が鈍感野郎だ! 解ってるよ! みんなが俺のこと非難してることくらい!」

「――何にも解ってねえじゃねえか」

ぼそり、とペンケースオタクが呟いた。俺はそれを聞いて、半ばやけくそになりながら叫ぶ。

「何に気付くんだよ! なあ! 訳わかんねえよ! 教えてくれよ!」

「何を言ってるんだ。言ったらお前はやっぱり鈍感なままだぞ?」

誰かが即座に突っ込んでくる。俺の抵抗は一議にも及ばない。だから、俺は精一杯、こう言うしかなかった。

「俺は、誰かを、傷付けてるのか・・・・・・?」

「ああ、もちろんだ」

 友人は、とても清々しい笑顔の中に、憎しみと軽蔑を込め、俺に放り投げた。あまりに不安定な彼の表情を、俺は細部まで理解することができなかった。無責任すぎる彼の笑顔を、俺は中途半端な心境で受け入れるしかなかった。


 朝のホームルームの時間に、朝祇は初めて、という形で姿を現した。皆が送る拍手は、彼女が正式にこの学校の生徒になったことに対してのものだろう。俺も、心から拍手をした。

「朝祇ちゃん、制服似合ってるね」

都は俺に語りかけてくる。

「あ、ああ」

俺は若干彼女を恐れながらも、当たり前な答えを返した。

「制服買うお金も節約できたんで、助かるよ」

「ううん、いいの」

俺はもう一度彼女の礼を言う。朝祇も、その様子を教卓付近で悟ったのか、都に小さな会釈を送る。これからの生活が、朝祇にとって良いものになればいいと思っている。


 放課後、不自然に俯いた都が鞄の整理をしている俺に話しかけてきた。

「よよ夜交、ちょっと、じ、時間あいてるかな」

「え、いつ?」

「明後日の午後、だけど・・・・・・」

「別に、あいてると思うけど・・・・・・何で?」

「ちょちょちょちょっと、かかか買い物につ、付き合って欲しくて・・・・・・」

「はあ・・・・・・」

 妙にあたふたしている彼女にちょっと引きながらも、俺は肯定の言葉を返した。

「いいよ。どうせ暇なんだし」

そこまで言い終わって、朝祇が興味深そうにこちらを伺っているのに気付いた。

「あ、どうだ、朝祇も来るか?」

「えっ・・・・・・?」

 なぜか都が驚く。その様子を見た朝祇は、俺を見てため息を吐いて、

「いいよお兄ちゃん、二人で行ってきて」

微笑んでそう言った。

「そ、そうか」

彼女の微笑みに俺は気圧されてしまって、これ以上一緒に行くことを勧めることはなかった。

「ありがとう、朝祇ちゃん・・・・・・」

「楽しんできてね」

都と朝祇が二人で喋っている。俺はよく解らんな、と首をかしげてみるしかなかった。

 というか、俺が外出すると必ず象潟聡が来るんだけど、・・・・・・今回ばかりは大丈夫だよな、と思うしかなかった。


 というわけで、俺は今、駅前の、人が沢山いるところにいる。都がここを指定したのだ。まだ待ち合わせの時間までは五分ある。近くで時間を潰せそうなところは何一つない。どこかの店に入ると言っても、五分じゃ、注文しただけの迷惑な客になるだろうし、ゲームセンターにしても、硬貨をコインに替えただけですでに五分が過ぎる。

 何とも微妙な三百秒――その使い方を何にするかという思考時間で、五分間は過ぎ去った。

「ごごご、ごめん、待たせた、かな」

都が小走りになってこちらにやってきた。その肩が上下している。

「いやいや、俺もさっき来たところだから」

今日の彼女の格好は、・・・・・・なんだろう、わかんねえや。とにかく、普段の都よりも、当然可愛らしく、似合っていた。

「・・・・・・そう? ホントに、待ってない? っていうか・・・・・・」

 なぜ俺をそんなに見るのだ。

「・・・・・・何で、制服なの?」

ついに、都が疑問を口にする。

「ああ、俺、私服持ってないんだ」

「・・・・・・え?」

 都が当然の反応をした。一応付け足す。

「制服は二組持ってるけど」

 臨堂市では、教育に関わるものは基本全て他の都市のものよりも安い。それでも、やっぱり高め。

「なんか問題あった・・・・・・?」

「いや、なんでもない・・・・・・」

「でも、ちゃんとカッターシャツもズボンも毎日替えてるんだぞ?」

「・・・・・・私服、買ってあげようか?」

都が上目遣いになって言う。うわ、反則だ。

俺はあまりにかわいすぎる彼女から視線を逸らして、

「いや、今日は都の買い物に付き合うわけっ、だからっ・・・・・・なっ? また、次、ということで・・・・・・」

息が止まりそうになりながら言い切った俺は、とても緊張していた。彼女の視線には、俺は耐えられない。一点の穢れもない彼女に、俺の様な過去が闇に包まれた人間は、不釣り合いだ。

水の中の魚が、無限に広がる空を望んでも無駄なように、俺の彼女に対する思いもきっと届かないままで終わってしまうのだろう。

「・・・・・・そっか、次、だね」

 彼女は次、という言葉で少し頬を緩めた。変な奴、と俺は思う。

「じゃあ、行こうか」

「うんっ」

 俺は上機嫌な彼女に声を掛けた。


「こ、これはどうっ、かなっ。じゃあっ、これは・・・・・・っ? そ、そう・・・・・・?」

一体何回この言葉を聞いただろうか。本人は未だ飽きずにころころと衣装を替えては俺の前に現れてくるし、俺もまた、彼女の着る服に目を奪われていた。世の中、こんな服もあるんだな、という良い社会勉強になったと思う。また朝祇にも、こんな服を買ってやろう。

 何着かの服を見ている内に、俺は突然ある考えに至った。

これ、もしかして、都が、誰かとデートする時に着ていくための服を選んでるんじゃないか?

そう言えば、一番最初この店には行った時、彼女は、

――よ、夜交みたいな男の子って、どんなふ、服が、すっ、好きなのかなっ

って言ってたような。言ってたな、うん。

 そう思った瞬間、俺の心の奥で、何かが疼いた。この痛みは、なんと喩えるべきだろうか。

自分の力ではどうねじ伏せようもない臓器に、何かしらの異質な物体を入れられたような感覚、だろうか。

とにかく、何か、不快な、嫌なものが体の中に入り込んで来て、それを白血球や好中球やマクロファージやキラーT細胞達が取り除こうとするけれど、彼らには退治することができなくて、体が蝕まれていくような――そんな、感覚だった。

 俺は、きっと都のことが好きなのだと思う。自分に対してあまりに美しすぎる彼女を、俺は羨望の眼差しで見ているのだ。だから、彼女は俺の前で、輝いていて欲しい。

「似合ってる。それだったら、どんな男子も振り向いてくれるよ」

俺は心の中からその言葉を言い、彼女を励まし、そして彼女が結ばれた暁には、おめでとう、と、ぼろぼろの体で、砕け散る一歩手前の硝子のような心で、彼女に語りかけるのだろう。

「似合ってる。それだったら、どんな男子も振り向いてくれるよ」

「ほんとっ?」

「もちろんだ」

 今の彼女は、本当にかわいい。

「・・・・・・俺が、買うよ。こういう時には、男子が買うのがお約束だからな」

「・・・・・・いいよっ、そんな、私から誘ったんだからっ」

 俺は彼女の言葉を聞かずに、さっさとハンガーに吊された衣服を、レジに持って行った。

「これ、ください」

 俺は慣れないながらも、最低限の言葉だけで済まそうとする。目の前の女性店員は俺と都を交互に見つめ、赤面している都に微笑みながら、

「いい彼氏さんですね」

と言った。

「はは・・・・・・」

 俺は笑って誤魔化す。しかし都は、顔を熟しすぎたトマトのように更に赤らめた。

 大丈夫か、おい。

 俺は店員から渡された大きなビニル袋を受け取り、都と共に再び歩き出す。両者とも、何も言わない。

「・・・・・・何でそんなに顔を赤くしてるんだ。心臓でも破裂してんのか?」

 俺は彼女に冗談半分で言う。

「うん、・・・・・・そんな感じ・・・・・・」

 都はまさかの肯定、の返事をした。

 そろそろやばいんじゃないか? こいつ。元々こんな服屋に来ること自体、慣れていないような雰囲気だから――。

無理してるんじゃないか、と思ってしまう。

 さっきから何も喋っていないのをいいことに、俺は頭の中で考えを巡らせる。

試着室で何度も着替えていたときの彼女の表情。妙に笑顔で、微笑みを、可憐な微笑みを、無理に増幅させた、表だけの貼り付けた笑顔に見えた。

そこから更に記憶を遡ると、彼女はずっとその笑顔を演出していたんじゃないか、という結果に至ってしまった。

今はもう六時頃で、日も傾きかけている。赤い夕焼けが空を染め、寂しい空気を商店街に放っている。

時が過ぎるのは早いな、と思った一日ではあった。きっとそれは、楽しかったからだと思う。都なら、意中の男子と、こういう風に素晴らしい時間を作り出せるのだろう。

だけど。何かが違う。俺は、楽しかった、都のたくさんの姿を見ることができた。

 しかし、都はずっと笑い続けていた。この商店街を舞台として、ずっと笑顔の仮面を貼り付けていたように思える。どこか、間違ってる。

 ――俺はこれを指摘してもいいのだろうか? 都の好きな人が、一体どんな都を好いているのか解らない。いつもの大人びた、少し不器用な都なのかもしれないし、もしかすると今日のような、演技をする都なのかもしれない。

 俺が彼女に真実を告げたとき――仮面を剥いだとき――彼女は傷付く。絶対に。

「よ、夜交、も、も、もう一回訊くけど、私、堅い、かな」

 結局俺の結論が出ないまま、都は俺に話しかけてしまった。ここは、俺の意見を言うべきなのか、それとも大衆の意見を言うべきなのか――

「俺は」

 この言葉で、都が唾を飲み込んだのが解った。

「俺は、いつもの都が好きだよ」

 俺は最終的に、彼女の演技を、破り捨てた。残酷に。

「え・・・・・・?」

 彼女の声が凍り付く。

「今日だって、都は、ずっと、笑ってた。その笑顔はとっても素敵だったし、綺麗だった。だけど、俺は、いつもの都の笑顔の方が好きだ。もしも俺が都と付き合ってるなら、間違いなく俺は普段の都の方を好きになる」

 ちょっと言い過ぎかな、と思ったが、言ってしまった以上その言葉を撤回することはできない。

「そう、かな・・・・・・」

「あんまり自分に嘘吐き過ぎると、そのうち自分が何処を歩いてるのか解らなくなるよ」

 嘘は、ない。今までの言葉は、全部真実だ。

 たとえ俺の言葉で都が傷付いたとしても、俺はこの結果の方が彼女のためになったと思う。俺は勇気を出して、彼女の方を見た。

 彼女は俺を見上げ、微笑んでいた。たくさんの感情が綯い交ぜになったその表情は、とても透き通っていて、美しすぎた。

「・・・・・・ありがとう」

 まさか彼女の口から出るとは思っていなかった言葉が、俺の心を抉る。その五文字の言葉が、悲しみから来たものなのか、それとも本当に感謝から来たものなのか、俺には区別が付かなかった。

「そう言って貰えて、私、とっても嬉しい」

 彼女は、道化を捨て、本当の笑顔を俺に見せた。うれしさからやってくる涙が、彼女の頬を濡らした。

 本当に、幸せな時間だった。


 数分後、都はようやく自分が泣いていたことに気付いたのか、また顔を赤くして俺に言った。

「ちょっと、トイレに行ってくるね。こんなひどい顔、見せられない・・・・・・」

 そう言うわけで俺は今自動販売機前のベンチに座っている。なんだろう、この充実感は。

「夜交君、ちょっといいかしら?」

 どこかで聞いたことのある声が、俺の鼓膜を震わした。

「都・・・・・・?」

「残念、象潟よ」

 俺の目の前に現れる、赤いチャイナドレスを着た女。俺は、彼女を睨む。

 彼女の、恐ろしくなるほどの美貌に、道行く人は振り返って彼女を見ている。

「・・・・・・なんですか」

 声を低めにして威嚇をするが、彼女には聞こえていない。そもそも俺が威嚇をしたところで、全く無意味なのは、彼女が持っているギターケースから既に解っていた。

「話したいことがあって」

 そう言って聡は、俺の手を掴んでビルとビルの間に連れ込んだ。

「・・・・・・?」

 薄暗い空間で俺はもう一度彼女を睨んだ。

「怖いわよ」

「俺はあんたの方がこえーよ」

「・・・・・・あらどうして? これでも普通の女性会社員のつもりなんだけど」

 この世の全ての女性労働者があんたみたいな人間だったら、世界は八秒くらいで滅びてるよ。

「チャイナドレス着て戦闘ヘリに乗る人がこの世界に何人もいると思わないでください」

 俺は溜息混じりに言う。何で俺はこんなに落ち着いてるんだ。

「私が聞きたいのはね」

 話を逸らせた聡は俺の目を真っ正面から覗き込んでいる。俺の嫌いな、眼。

「あなた、何をどれだけ知ってるの?」

「・・・・・・は?」

「あなた、私が何をしようとしてるか、知ってる?」

「知らないです。一オングストロームほども知らないです。信じてください」

「・・・・・・そんな光の波長の単位を使ってくるような人、信じられないわね・・・・・・」

 通じたのかよ、おいおい。適当に流させるつもりだったのに。

「とにかく、」

 聡がそう言ったとき、都の声がした。

「夜交? どこ行ったの?」

 当然聡が気付かないわけがなく、彼女はちっ、と舌打ちをして、

「・・・・・・あの子、邪魔ね」

と呟いた。俺はその言葉にぞっとする。まさか、そのアサルトライフルで撃ち殺すんじゃないだろうな?

 しかし、彼女は何かをする様子もなく、ただじっと、声も出さずに何かを待っているように立っていた。よく見ると、整った口が微かに動いている。

「・・・・・・?」

「夜交、どこ?」

 段々と都の声が近付いてくる。俺はこの現場を見られないように、ビル陰から飛び出そうとして――

 固まった。

 首に白いマフラーのようにかけられた腕。俺の脚の間に割り込んでくる、露出された脚。彼女の胸の膨らみが、俺に密着する。

 そして、俺の唇に押しつけられた、彼女の――同器官。

「んっ・・・・・・!」

 まずい、もうすぐ、都がこちらを見てしまう――俺は聡を振り払おうとするが、彼女の舌が口腔内に進入してきた。俺は、その気持ちの悪い感触に全身の力が抜けて、抵抗することができなかった。

「よま・・・・・・・・・・・・ぜ・・・・・・?」

 遂に、見られてしまった。都に。

「んんっ・・・・・・!」

 抵抗を再開しようとした瞬間、彼女の唇が、やっと俺から離れた。ゆっくりと、舌だけを俺の中に残して、ずっと自分たちは、深いキスをしていたのだと、都に見せつけるために。

 そして、彼女の舌が完全に出たとき、俺の口の中には、異物感だけが残った。しかしそれにかまっている暇もなく、俺は都の方に駆け寄ろうとした。

 だが、もう遅かった。彼女は何も言うこともなく、悲愴に満ちた表情を俺に見せて、走り去って行った。

「みや――」

「追いかけちゃ駄目よ」

 後ろから冷たい言葉が響く。何でだよ、と怒鳴ろうと後ろを振り返って、俺は全ての戦意を消失した。彼女はライフルを構えていた。

「・・・・・・殺す気か」

「残念ながら、この武器に殺傷能力はないわ。せいぜい、気絶させる程度ね」

 彼女は笑いながら言う。

「美味しかったわ」

 その微笑みは勝者が敗者に向ける、優越の笑みだった。

「・・・・・・確かに、渡したわよ」

 そう言って彼女は立ち去っていく。

それを見送ってから俺は、口の中から、紙を取り出した。俺と彼女の唾液で濡れたその小さな紙には、『今日午後九時、あなたと最初に出会った公園で』と書かれていた。

俺は、それをぐっ、と握りしめた。

こんなもののために。こんなもののために、聡は都にあんな哀しそうな表情をさせたのか。俺は、紙を握った拳を、コンクリートに叩き付けた。


家に帰ると、朝祇が夕ご飯を作って待っていた。

「どうだった? 楽しかった?」

 笑顔を向けて尋ねてくる彼女を、俺は微笑みだけで黙らせた。幼いながらも、その微笑みが一体何を意味するのか、解ったようで、もう朝祇は何も喋らなかった。

「俺は、最低な人間だ」

 呟いたその声が、ひどく荒んでいたことに、俺は驚く。

 俺は米だけを胃の中に押しやり、また家を出た。聡との時間までは、まだ一時間ほどある。


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