その96
「あばば、あばばば!」
「・・・・・・」
「あばっ、あばばばばば!?」
「・・・・・・」
こいつ、とうとう・・・と目頭を押さえてしまった人はちょっと落ち着いて欲しい。
私がいつも以上にまともに喋れていないのは別にオカシクなってしまった訳ではなくて、単純に前からの風が強すぎるせいだった。ハクジャが無言なのも私をくわえた状態で口を動かせないだけであって、決して呆れている訳では無いと思う。多分。
あれから、ハクジャに「願い」を叶えて貰った私は、大鳥に変化した彼に首根っこをくわえられて、一路、イグラード王国へと向かっていた。
もはや見慣れた感のある淡い光に包まれて、大蛇よろしく逸脱したスケールの大鳥となったハクジャに流石に悲鳴をあげるという事もなく、それよりも「あれ、ワープすれば良いんじゃ?」という疑問が先に出た私だったが、彼曰く2人でとなると相当に危険な魔術であるそうで、だったら最初から使うなよとジト目を送ると思い切り威嚇されたのでおとなしく従う事となった。
とは言え、空からの道行きである。
転移魔術で一瞬で到着というのには劣るが、それでも十分快適な移動方法である訳で、限界まで体を低くしたハクジャの背中にやっとの事でよじ登った私は、ワクワクと胸を躍らせていた。
別に私は高所恐怖症という訳でも無かったので、実を言うと少しだけ楽しみでもあったのだ。
けれど、そんな楽観的な気分はすぐに吹き飛ぶ事となった。
まさか、離陸前の鳥の背中がああも激しく動くなんて。
結局、羽ばたくだけで2度程転げ落ちた私は、雛に空輸される本日のオヤツ的な体勢で落ち着く事となった。そして、その弊害が冒頭の「あばば」なのだった。
なにせ、ハクジャよりも先んじた位置で空を裂いているのである。風圧のせいでまともに口を開ける事すらが困難で、私の無駄に綺麗な歯茎が丸見えになっているのも無理からぬ事だった。だから、当然私としても喋る気は無く、おとなしく口を閉じて流れゆく眼下の景色を見ていたかったのだが、そうも言ってられない事情が出来たのだ。
お花が摘みたい・・・。
今、私の頭はその事で一杯だった。
恐らくは半日か、それ以上を貯蓄に専念してきた私の膀胱は限界に達していたのだ。
激しい風圧の中で「あばば」以上の言葉が発せる筈も無かったのだが、それでも私は頭上に向かって「あばば」と訴える事を止められなかった。
思い返すと機会は幾らでもあった気はする。だが、男性陣と常に行動を共にしていた事を考えると、それを逃してしまったのも致し方無いのかもしれにゃにょ、にょおっ!?
だ、だめだっ、もう限か・・・。
『あまり暴れるな。すぐに到着するから、もう少しだけ我慢しろ』
「・・・っ!?」
しゃ、喋れたの・・・!?
色々と観念しつつあった私は、風鳴りの音を物ともせずハッキリと耳に届いたハクジャの声に驚いて、ピークを極めつつあった身じろぎを一瞬だけ止めた。
多分、魔法で飛ばした声なんだろうけど、それが出来るならもっと早く言って欲しかったと思う。
ゴールの見えない我慢大会がどれ程の地獄だったか。
気持ちに余裕が出来た途端、現金にも下腹部の窮状は持ち直して、私は直前までが嘘のように安らかな心で徐々に近付いてくる地面に目をやった。
「手洗いの水は、もういらないのか?」
「け、けけ結構です。あ、ありがと・・・」
「そうか」
草むらから戻ってきた私は、丁重にハクジャの申し出を断った。
何というか、間違い無く助かったは助かったんだけど、相変わらず彼にはデリカシーというものが欠けていると思う。
私は水すらを生み出せる彼の魔術に瞠目しながらも、恥ずかしくなって顔を逸らした。
だが、次に掛けられたハクジャの言葉ですぐに振り返る事となった。
「ではアカネよ、ここでお別れだ」
「えっ?」
突然の発言に唖然となって、私はまじまじとハクジャを見上げた。
未だ鳥の姿のままの彼は本当に大きくて、こうして真上に顔を上げてみても、クチバシの裏側くらいしか見る事が出来ない。
「ちゃんと送ってやりたいのは山々なのだがな、正直恐いのだ」
「・・・?」
「ともかくだ、アカネ。ここは既にイグラード王国内で、すぐにネストールにも会える。だから、安心して帰ると良い」
「・・・・・・」
帰る・・・か。
ハクジャに言われて、ふと、「彼の魔術だったら元の世界に帰る事も出来たのでは?」という考えが浮かんだが、私はすぐにそれを打ち消した。
既に、私の中では「帰る」と言ったらイグラードの王宮か、そこで見知った人々の元である。
可能性という意味では十分にあったのだろうけど、既に今更な考えだった。それに、ハクジャにはちゃんと「願い」を叶えて貰った。それで十分である。
「どうした?」
「ううん。そ、それでハクジャは、どうするの?」
「オレは【雲母砂子】を管理する」
「・・・・・・そ、それだけ?」
「ああ」
何とも寂しい答えだった。
それが本当に彼の望みで、不満とも思っていない事が伝わってくるのだが、それだけに私には悲しく思えた。
魔力が戻ったハクジャは身体に及ぶ事なら万能だと言っていた。だったら、これからの彼には永遠に近い時間が待っている訳で、その中でやる事がそれだけだと思うとやりきれない気持ちで一杯になる。
彼に何か言うべきなんだろうけど、でも、どうしても適当な言葉が見つからない。
そうして私が黙りこむうち、ハクジャの方はそれで別れが済んだと思ったのか、にわかに羽を動かし始めて飛び立とうとしていた。
巨大な足の鍵爪にも力が込められて、抉り取られた地面の土が舞い上がった風に散っていく。
それを見て慌てた私は、咄嗟に彼の名前を呼んでいた。
「ハ、ハクジャっ!」
「何だ?」
「そ、その、え、えーと・・・あっ、た、たまには見に来て」
「何を?」
「わ、私には【キラスナゴ】は効かない、でしょ?だ、だから・・・」
「魔法を、悪用しているかもしれない?」
「う、うん」
ちょっと苦しい理由付けだったろうか。
でも、ハクジャと私の繋がりを考えると、もうこれ位しか理由が思い付かなかったのだ。
だって、本気で【キラスナゴ】の存続だけを願うなら、魔術の証左となる彼は人前に姿を現さない方が良いのだから。
ハクジャだったら簡単にそれを徹底してしまうだろうし、多分、そのつもりだったと思う。
だけど、鳥の姿の彼からは表情を窺う事も出来なくて、それきり微動だにしなくなったハクジャを見ていると、段々と不安になってきた。
私の言葉は届かなかったのかもしれない。
失意に俯きかけたその時、ハクジャはいきなり自らの羽をばたつかせ始めた。
さっきのように飛ぶ為という様子では無く、何だか堪えきれずデタラメにといった感じ。けれど、周囲に舞う砂埃の勢いに変わりは無くて、私が両手で顔を庇いながら何事かと驚いていると、彼の笑い声が少し遅れて聞こえてきた。
「くく、くははっ、アカネが悪事だと?くくく、お前は本当に面白い事を言うな。よし、お前の言う通り、年に1度は様子を見に行ってやろう。無論、悪事を働いていたら容赦は無いぞ?」
「う、うん」
「それと、読書の為だとかで部屋に閉じこもっていた場合も容赦せんからな?」
「・・・う、うん」
まずい、やぶ蛇だったかも。
でも、まあ、鳥だから良く分からないけど楽しそうだし、これで良かったんだと思う。なあに、私が今よりちょっと社交的になれば何も心配するような事は・・・。
「ではな、アカネよ。また会おう」
「あ、う、うん・・・」
少しばかりの不安を前途に感じて、咄嗟にお別れの言葉を出せないでいると、大きな羽音が聞こえてきた。叩きつけられるような強風に私はまたも顔を上げられなくなってしまって、それでも無理をして見てみると、既にハクジャは上空高くへと舞い上がっていた。
そして、あれよあれよと言う間に彼の姿は小さくなって、すぐに見えなくなった。
何だか凄くおざなりな別れになってしまったけど、でも、良いよね、また会えるんだから。
「さて・・・」
いつまでも空の青さに想いを馳せている場合じゃない。
そろそろ、私も現実を見なくては。
色濃く茂る緑の藪は最大でも私の背の高さ程で、視界を遮る物はほとんど無かった。なだらかな傾斜の頂点であるここからは辺りの風景を一望する事が出来る。
私は万感の想いを込めて、ずっと言いたくて堪らなかった言葉を吐き出した。
「ここ、何処なんだろう・・・」
あまりよろしくない私の視力でもハッキリと見える地平線と、それに繋がる緩やかな稜線。眼下には段々になった田畑がずっと続いていて、規則的な緑の並びが気が遠くなる程繰り返されている。
長閑な田園風景。状況が違えば楽しめもしたろうが、今の私には悪夢のような眺望でしかなかった。
そも、私は現代日本の生まれで、尚且つこちらの町並みと言えばイグラードの王都くらいしか知らない訳で、だから、こんな原風景をありがたがる感性も持ち合わせていなければ、こんな環境での迷子の打破に自信がある筈も無かった。
「ハクジャも、もうちょっと分かりやすい場所まで運んでくれたら良かったのに・・・」
のっぴきならない生理現象にワーギャー喚いていた私が言える事では無かったが、どうしてもこぼさずにはいられなかった。せめて普通の町なら良かったのに。
目を凝らしてみても人影は皆無。作業小屋のような物が1つ見えたが、吹きさらしのそれは倒壊の危機である事だけが分かって、とてもじゃないけど住人が居るようには思えなかった。
ただただ広大なだけのこの風景、やはり悪い夢のようである。
ハクジャが言ったんだから、ここがイグラード王国の何処かである事は間違いないだろうし、それに、きっとネストールさんも近くに居を構えていたりするのだろうとは思う。
でも、まずはこの広い畑の中から誰がしかを捜し出して、然る後に見知らぬ彼或いは彼女相手に、「道、教えてちょ」とコミュニケーションを取らねばならない事を考えると実に暗澹とした気持ちになってしまう。しかも、今の自分の薄汚れた格好を見るに十中八九不審者にしか写らないだろうから、きっとそれの説明も必要になるだろう。相当骨が折れる事は間違いない。
その上、さっきから私が立ち尽くしたままなのには、更に別の理由があった。
「ハラヘッタ・・・」
ずばり、空腹だった。
さっき出したばかりでそれかと自分でも情けなくなるが、思い返せば今日一日、あまり役に立っていないというのに、私は走ったり泣き喚いたりと大忙しだった。
時間で言うと、大体18時間はフル稼働している訳で、私がスマホだとしたら革新的バッテリー技術だと思う。それにしても、何故ハードはどんどん進化するのにバッテリーはあまり進化しないのだろう。新しい携帯ゲーム機が出る度に凄まじい大きさのバッテリーアタッチメントが必要になるのはどうしてなんだろう。そして結局、家でしかプレイしなくなるは何故なんだろう。
空腹を紛らす為に悲しい歴史の繰り返しに思いを馳せていると、チラリとある物が私の視界に引っかかった。
それまでろくに歩く気にもならなかったのに途端に私は駆け出して、やがて見えてきたのは予想に違わない物だった。
「葡萄・・・っ!?」
丁度、点在していた草藪に隠れて段差の出来ていた辺り、そこには葡萄畑が広がっていた。
日本の葡萄園みたく背の高い木からぶら下がるような感じではなくて、地面に立てた棒に這わせる形で生っていたので見え辛かったのだが、近くに来て手に取ってみるとそれは紛れもなく葡萄だった。
元の世界と全く同じ、私の知る葡萄そのもので、紫色の真珠のような艶が朝露に彩られて格別に美味しそうに見える。
触った感じ熟し具合も上々の様で、このままだと窃盗になる事を重々承知しながらも、私は指先に込める力を抜く事が出来なかった。
ブチリと、上手い具合にもぎ取れた葡萄は思いのほか重量感があって、私はその勢いのままに一粒摘んで口の中に放り込んだ。
「う、うまいっ」
テーレッテレー!
が、その直後、背の高さ位にあった葡萄の葉がガサゴソと揺れたのが見えて、喜色ばんでいた私の顔色は蒼然となった。
「誰だ!」
「ぎゃああっ!?」
鋭く響いた男の声に驚いて葡萄をお手玉していると、立ち並んだ葡萄の木の間からぬっと手が伸びてきて私の手首を掴んだ。一瞬怯む私だったが、次の瞬間には逃れるべく腕に力を込めた。
そりゃあ、ハクジャには悪事を働くかもねと言ったけれど、こういう事では断じて無い。というか、これで前科一犯とかシャレにならない。色々と私の未来の為にアドバイスをくれたリュカちゃんにも申し訳なさ過ぎる。
私は死にもの狂いで身体を暴れさせた。
だが、手首の拘束はびくともしなくて、それどころかあっさりとその男に関節を極められて、瞬く間に地面へと組み伏せられた。うつ伏せに倒れた拍子に土が口に入って、思わず私はもう一度「ぎゃあ」と叫んでしまう。
すると、私の背中で馬なりになっていた男が動きを止めて、何やら呟くように言うのが聞こえてきた。
「その色気のない悲鳴・・・もしかして、ア、カネ?」
「そ、そのひどい言いぐさ・・・」




