その95
思えば、身近な人の死に立ち会ったのはこれが初めてだった。
中学の時に祖母のお葬式に出席した事はあったが、その時はこんなに訳が分からなくなるまで泣きはしなかったし、年始の挨拶くらいでしか話したことのない人の死はどこか他人事に感じられた。それなりに思うところはあったものの悲しむとまではいかなくて、後日、自分は何て薄情な人間なんだろうと落ち込んだものだった。
だから、お葬式自体についてとなるとかなり記憶があやしいのだが、不思議とその後の火葬場での事だけはよく覚えていた。
こうして、自分の呼吸にすら手間取る状況の今でも鮮明に思い出す事が出来る。
その頃の私はまだ、そこそこ活発で、思ったことは割とすぐに口に出す方だった。
別に問題児云々という意味では無く、ただ普通に行動して普通に発言が出来るというだけなのだが、現在の自分を顧みると奇跡のように思える。そんな風にまだ普通だった私は、普通に待合室で親戚と並んで座って、普通にお骨が運ばれてくるのを待っていたのだが、その後にしでかした事は少しだけ異常だったかもしれない。
火葬が済んだ祖母のお骨の事を説明する職員の態度に腹が立って、つい文句を言ってしまったのだ。
知識をひけらかすというか、どの部分のどの骨が弱っていて、どういう栄養が足りてないだとか、偏食だったんじゃないかだとか得意げに自説を披露したりと、骨上げの間に延々と垂れ流される話が無性に気に入らなくて、私は「黙れ」と言ってしまったのだ。
そう大きい声では無かったのに周囲がしんと静まり返って、すぐに両親に外へ連れ出された事をよく覚えている。
冷静に考えるとそれも彼の職務の一貫で、ただの知識や情報として聞き流す部分である事は分かるのだが、でも、どうしても私には看過できない気持ちがあった。
火葬が済んだばかりで、ほんの数時間前まで人の形をしていた物を、どうして急に「ただの骨」として語れるのか。そして、何故それを両親や親戚達は平気な顔で聞いていられるのか。
私よりずっと交流が多かった人がほとんどだろうに、うんうんと頷くだけの彼らのことが全く理解できなかった。
骨という「ただの物」として扱う説明に腹が立ったりしないのだろうか?
もし、これが私の本当に近しい友人とかだったら、あんな扱い絶対に許せやしない。
だから、私は、ハクジャがしている事に気付いて心底驚いた。
長らく寝台に額を付けて咽び泣くだけだった私は驚きのあまり涙も引っ込んで、それでも霞んで見える彼の姿に向かって掠れた声で呟いた。
「な、何を、してるの?」
「砂を撒いている」
「砂、砂って、だめ・・・っ!」
私は、尚も寝台の上から砂を掬おうとするハクジャの腕に組み付いた。
それくらい重いとも思わないだろうに、彼は律儀に動きを止めて私を見返した。
「駄目・・・とは?」
「こ、こんな事したら、リュカちゃんが・・・」
「この砂は既にリュカではない。少しばかりの魔力が染み付いたタダの砂だ。であれば、【雲母砂子】の維持の為に使おうというのは理に適った考えだろう?」
「そ、それは、そうかもだけど・・・っ」
ハクジャが絨毯の上に無造作に撒いていたのは、リュカちゃんの体だった物だった。
今しがたまでちゃんと生きていて、私と話をしていた彼女の亡骸とも呼べる黒い砂。
それを何故こうもぞんざいに、物として扱えるのか。
魔術的な理屈としての彼の言い分はよく分からなかったが、きっと正しいのだろうとは思う。でも、だからと言って納得出来る訳がない。
私の中に、中学の頃の熱さが戻ってきたようだった。
ふつふつと沸いてきた憤りに再び流れ落ちようとしていた涙も収まって、私は、精一杯の凄みを利かせてハクジャに言った。
「そういう事して、リュ、リュカちゃんが可哀想だと、おもっ、思わないの!?」
「可哀想?それはつまり、亡骸をもっと仰々しく扱えと、いわゆる人道的な意味で言っているのか?」
「そ、そうだよっ」
「・・・アカネよ、お前の優しさ、いや、そういう考え方には大いに助けられて感謝もしているが、リュカが大罪人である事に変わりはないんだぞ」
「それは・・・」
「お前以前に連れて来られて幽閉された8人も、同じ事が言えると思うか?」
至近距離から睨み返されて、私は「うぐっ」と言葉を失った。
確かにそんな話も聞いていた。
今となってはその目的を確かめる気にもならないけど、彼ら全員が異なる世界からの訪問者だったとしたら推測は出来る。リュカちゃんと同様、この世界に来た影響で彼らまでもが強大な魔力を持ってしまったら・・・という危惧があったんだと思う。
ただ、私としては、彼女は自分と同じ境遇の友達になれる人を探していただけだと思っているので、それ以上話を続ける気にはなれなかった。
というか、そういう事を聞きたかったんじゃないし。
口ごもった私を尻目に、ハクジャは黙々と掌中の砂を絨毯へと落としていった。
同じ色の筈なのに、砂が撒かれた辺りの毛足が周りの刺繍以上に艶めいて見える。
やがて、漆の上にまぶされた銀箔のような輝きに見入りつつも、依然として不満げな私にハクジャは嘆息して、ゆっくりと腕を持ち上げた。半分ぶら下がったような格好になっている私を見てもう一度溜息を吐いてから、彼は静かな口調で言った。
「元々、この【雲母砂子】はリュカが義務感だけで続けていたものだった。その意志は罪悪感からのもので強固だったが、脆くもあった。故に続きはしたが、最期には放棄してしまった訳だ。だから、あれにはその体の血一滴に至るまでコレに捧げる責任がある」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・それと、オレには【雲母砂子】を通してあれの魂が感じられる気がするのだ。さっき、リュカの事を罪人と言ったがそれはオレも同じで、だから、バカな話だとは思うが、一緒に魔術を行使するというか、そういうやり方でリュカを弔えたらと思ったのだ。だが、やはりそれも、人間として考えると駄目なのか?」
「ううん、良い、と思う」
「そうか」
「うん」
やっと本音を言ったか。
私はぴょんと絨毯の上に飛び降りて、照れ隠しのように再び砂を撒き始めた彼の背中を見つめた。
ハクジャは自分の事を人間から遠いように感じているみたいだけど、なかなかどうして、私なんかより余程人間らしいと思う。少なくとも、彼はちゃんと愛していると彼女に言えた訳だし。
つらつらとハクジャについて考えたお陰で、少しだけ冷静になれた私は、今度は落ち着いて眼前の絨毯へ視線を落とした。
詳しい説明は無かったが、この絨毯自体が【キラスナゴ】と呼ばれる魔術である事は何となく分かっていた。
リュカちゃんは、よく100年もこれを維持出来たものだと思う。
結果的にとは言え自分の子供が死ぬ原因となった魔術を続けられたのは、その死を無駄にしたくなかったからなんだろうか。それとも、周囲の人々が平和に過ごせるようにという想いもあったのだろうか。本人に訊けたとしても、多分、正確なところは分からないのだろうけど。
どちらにしろ、一見無慈悲に見えたハクジャの行いはリュカちゃんの想いを全うさせたいという気持ちの表れだった訳で、彼風に言うと、これは凄く人間的な行いだと思えた。
人の死を悼む事一つとっても、いろいろなやり方があるのだなあとつくづく思う。
いや、もちろん、あの時の職員がウザかった事に変わりは無いんだけどね。
あ、そういえばあの人、ネストールさんっぽい話し方だったような・・・。
かくして、全ての砂が撒き終えられた頃には、室内の絨毯は文字通り光り輝いていた。
この部屋に入る際にも煌めいて見えたものだが、こうなってみると錯覚でも何でも無く元から発光していたのかもしれない。知識の無い私にも魔法的な何かと分かるくらい不自然な明滅はしばらく続いて、部屋の中を昼間のように明るく照らし出した。
そして、数回、直視出来ない強さで激しく瞬くと、足下からの光は波が引くように消えていった。
「こ、これで、終わり?」
「ああ。【雲母砂子】の使用権の譲渡、並びに術式の張り替えは無事に終わった」
「そっか・・・」
何ともあっさりと終わったものだと思う。
ここに来るまでは、あんなに大変だったというのに。
ああ、駄目だ、思い出すとまた泣いてしまう。
私は鼻をすすって顔を上げると、魔術の余韻か、棒立ちのままあらぬ所を見ているハクジャに歩み寄って声をかけた。
「あ、あの、さっきはごめん。か、勝手に怒ったり、して」
「・・・ああ、気にするな。オレに人間の気持ちが分からないというのは本当だからな。オレはリュカを愛してはいるが、それがお前達の言うものと同じであるかは分からん」
「・・・で、でも、そういうの、比べるのは、すごく人間っぽい気が、する」
「なるほど。いや、そうか、そうかもしれないな」
ハクジャは一度自分の言葉に頷いて、それからほんの少しだけ微笑んだ。
その見慣れない表情にドキリとして一瞬動きを止めた私は、更に彼の手が自分の顔に伸ばされたのに気付いて、もう一度驚いた。冷たい指先の感触が頬を這って自然と高鳴った胸の鼓動に戸惑っていると、鋭い痛みが走った。
「イタっ!」
「すまん。だが、じっとしていてくれ。この傷は早く治しておくに越した事は無い。人間的に考えると、な」
「・・・・・っ!?」
ウィンク・・・だと?
パチリと眼前で行われたハクジャのそれが一瞬何だか分からなくて、レア過ぎる彼の行動に唖然となった私は、治療をするという彼の手をそのまま黙って見守った。
なかば、眼帯のように装着されていた皮紐(姫様のマスクの止め紐)が布の切れ端と一緒に傷口から取り払われて、空気に触れたほっぺたに、再度ピリリとした痛みが走った。
さっきまでは気にもならなかったのに、一度注意を向けてしまうと、やけに痛む気がする。
というか、痛い。痛過ぎる。
って、ちょっ、そりゃあ、傷口を指で開いたら痛いに決まってますがなっ!?
「もごっ、もごもごもごっ!?」
私は、無体な仕打ちを見せるハクジャに精一杯の抗議をしてみせたが、顎ごと固定されてうまく喋れず、鉄のような握力を誇る彼の前で哀れなタコ踊りをしたに止まった。
そんな私をハクジャは冷静な目つきで見下ろして、しばらくしてから「よし」と言って手を離した。
「やはり、力は万全なようだ。治癒魔術もあらかた戻っている」
「ちゆ・・・?」
聞き返しながら、既に自分の頬から痛みが消えている事に気付いた私は、目を見開いて彼を見返した。
すると、傷口を観察するように向けられていたハクジャの目が、片方だけ白色に光っているのが見えた。
どうやらそれが、彼の言う治癒魔術とやらの発動の名残であるようだった。という事は、さっきのウィンクはウィンクでは無かった訳で、少しばかり損をした気分になってしまうのは何故だろう。
ともかく、その残滓のような淡い光はすぐに消え失せて、ハクジャも私の顔から手を離した。
だが、何故かその動きは途中で止まって、何を思ったのか彼は急に私に抱きついてきた。
安堵に吐きかけていた息が、一転して悲鳴のそれへと変わる。
「ぎゃあっ」
「落ち着け、何もする気は無い」
「ぎゃあっ?」
「本当だ。ただ、目は瞑っておいた方が良いかもな」
「ぎゃあっ!?」
する気満々にしか聞こえないじゃないですか、もうやだー。
狼狽えながらも、「いや、流石に?」と思っていた私は、実の所、落ち着いてはいた。
だが、やがて至近から見上げる事となったハクジャの顔に私は激しく悶絶した。
彼の事は信じている。信じてはいるが、だが、この顔のアップに耐えられるとは言っていない。
ぎゃー、リュカちゃん、助けてーっ!ギブミーチョコレート!
と、すっかり竦んでしまって目を瞑ったのが結果的には良かったのかもしれない。直後に凄まじい光が私の瞼を射した。
絨毯の刺繍とか、さっきのハクジャの目の輝きをそのまま強めたような白い光。
耐えきれない眩しさにぎゅっと目を閉じて、それと同時に襲ってきた浮遊感に、私はオエッとなった。
「こら、えづくな。ゆっくり目を開けてみろ」
「・・・おえっ!?」
ハクジャにされるままに体の向きを変えられて、恐る恐る目を開けてみると、そこは外だった。
鬱蒼と茂る緑がいきなり視界に飛び込んできて、仰天した私は数歩後ろによろめいた。
幸い、それを予見していたハクジャがすぐに背中を支えてくれたのだが礼を言う余裕も無くて、私は激しく瞬きを繰り返しながら周囲に視線を巡らせた。
間違いない。何度見てみても、ここは神殿の外だ。木々に見覚えなんてある筈も無いけど、その切れ間から覗いているのは紛れもなくレーマの神殿である。
にわかには信じられない事だが、足の裏に感じる土の感触も、私が間違いなく神殿の外、イヴェルド山中に立っている事を伝えていた。
「転移魔術を使った。本来は自身にしか使えないが、やれそうな気がしたのでな」
「・・・信じられ、ない」
「万全となったオレの魔術は、個人の身体に及ぶ範囲ならほぼ万能だと思って良い。現に、傷の痛みも無いだろう?」
「う、うん」
確かにそれはそうだけど、でも転移とかは驚きのレベルが違うっていうか。
回復魔法はおろかワープまで出来るって、それはちょっとバランスブレイカー過ぎない?ハクジャがゲームキャラだったら、真っ先に使うか封印か迷う事になるだろうなあ。
私が必死に自分の得意フィールドで物事を考えて落ち着こうとしていると、更にハクジャから驚くべき発言があった。
「さて、これでゆっくり考えられるな。アカネよ、オレはお前の願いを一つ叶えてやろうと思う」
「WHAT'S!?」
どこの神っぽい龍ですか!?
驚愕のあまり、つい故郷の言葉で聞き返しながら、私は目をしばたたかせてハクジャの顔を見上げた。
「オレは、正直言ってリュカがあれ程安らかに最期の時を迎えられるとは思ってもいなかったのだ。お前には感謝をしてもし足りない。だから、礼をしたいのだ」
「・・・ほ、ほんき?」
「ああ。それと、体験して分かったと思うが、オレの魔術は身体操作に限れば万能に近い。それこそ、リュカのように100年程度なら不老不死も叶えてやる事が出来るし、富が欲しいというのならレーマの金庫から幾らでも出してやれるぞ。随分と目減りしてはいると思うが、イグラードの王宮くらいなら2、3は建つ筈だ」
「ゴクリ・・・」
いけない、思い切り生唾を飲み込んでしまった。
普段、漫画やゲームに耽っていた私は、こういうシチュエーションが訪れる事を何度も夢見ていた。宝くじが当たらないかなーというのと同じレベルでではあるけれど。
何にしても、そういう時の鉄則はまず落ち着く事である。勢いで悔いの残る願いをしては元も子もない。
私は冷静に深呼吸しようとして、最初の吸う段階で大きくむせた。
「・・・大丈夫か?」
「・・・っ!・・・がっ!」
見かねて近寄ろうとしたハクジャを手で制して、私は大丈夫だとアピールした。
色々な欲望が渦巻くが、脳裏に真っ先に浮かんだのはそういう願いでは無かった。
つい、欲望に流されそうになって取り乱した直前の自分はサッパリ忘れて、迅速に5つ程リストアップしていた物欲満載の願いも即座に投げうった。
「だ、大丈夫」
せっかく、リュカちゃんが助言してくたようにこの世界で頑張っていく覚悟を決めたのに、それに水を差しかねない決断を私がする訳にはいかない。
お金を望めば人と一生関わらないで生きる事も可能だろうし、魔術を望めばそのお金すら必要無くなるだろう。
正直、その生き方に心引かれないではないけど、でも、やっぱり私が叶えて貰うべき願いはコレだと思う。
私は、今度こそちゃんと呼吸を整えてから、ゆっくりとハクジャに話しかけた。
内容自体はシンプルなものだったから伝え損ねるという事もなくて、無事に話し終えた私は胸に手をあてて大きく息を吐き出した。
その間、ハクジャは言われた事を吟味するかのように黙りこくっていて、やがて僅かに怪訝な表情を浮かべて私に聞き返した。
「本気か?」
「うん。あ、もしかして、できない、とか?」
「いや、可能だ。だが、あまりに容易過ぎてな。それで本当に礼になるのかと疑問に思ったのだ」
「なる。そ、それはまちがい、ない」
ハクジャにとって簡単な事だったとしても、これは、間違い無く彼の不可思議な力でしか出来ない事だった。
もしかしたら、他にも方法があるかもだけど、でも、それを能動的に探し出せる程私は強い人間じゃないから。だから、ここでそれが叶うというのは十二分にお礼になる事だったし、本当にこれからの私にとって助けとなる事だった。
「・・・そうか、分かった」
決意は固いと見たハクジャがそう呟くと、再び、彼の赤い眼が淡い輝きに縁取られ始めた。
自分で望んだ事だと言うのに臆病風に吹かれそうになった私は、昔のイグラードなら確実に叱られるだろう感じに足を踏ん張って、徐々に輝きを増していく白い光の到達をじっと待った。




