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その92

 



 じっと固まってしまった私に、ネストールさんが心配そうな視線を送ってくる。

 けれど、今はそれを気にする余裕が無かった。

 何かの聞き間違えかとも思ったのだが、さっきまでどのような存在と戦っていたかを考えれば、ハクジャの言った事はすぐに理解出来てしまう。理解出来てしまったのだ。

 

 私は、視界の端がぼやけるのを感じながら、ゆっくりと後ろへ振り返った。


「ほ、他に方法、は?」

「無い。リュカの延命、生命維持にあてていた全ての魔力が【雲母砂子】の張り替えには必要だ」


 そんな・・・。

 あまりに残酷な答えに、私はそれ以上リュカちゃんを見ていられなくなって顔を伏せた。

 そして、考えるうちに、簡潔過ぎる言い様にも反感めいた感情が沸いてくる。

 

 彼女はハクジャの体を食べて力を奪い、強力な魔法を操る大蛇となった。

 その力を取り戻す為に、今度は逆のプロセスを取る必要があるという事は理屈では分かる。

 だけど、感情が追いつかない。

 この2人は元は別世界の住人である。私の居た世界とも間違いなく違うだろうし、だから、彼らの魔術や倫理感の在り方についてどうこう言うつもりはない。でも、これでハクジャはリュカちゃんを失う事になって、それでも尚冷静で感情を見せないまま終わってしまって、それで本当に良いのだろうか?

 リュカちゃんの死は避けられない事だとしても、もっと良いやり方があるんじゃないだろうか。


「・・・っ!」


 言いたい事はたくさんあった。だのに、私の口はいつもの通りにうまく動いてくれなくて、情けなさと悔しさに目頭が熱くなっていく。

 そんな私をハクジャはじっと見下ろしていて、ネストールさんも不思議と口を噤んだままだった。

 いつもなら、頼まずとも私の心を読んで代弁してくれそうなものなのに、今は助言すらしてくれない。その事でも何だか悲しくなってきた私は、踵を返そうとハクジャが動いたのが分かって、とうとう堪えきれなくなった。

 さっき泣いたばかりだから我慢しようとしたのに、ままならない涙の勢いに自分でも戸惑う。

 そして、潤む視界の中でハクジャの腕の向こうに彼女のすみれ色の瞳が見えた時、私はしゃくりあげたまま声を出そうとして激しくむせた。この大事な時に私は何をやってるんごほっ、げほお・・・っ!

 

 けれど、そのお陰で口で言うより余程上手に注意が引けて、リュカちゃんの覚醒に気付いたハクジャはその場で立ち止まった。

 私もすぐに駆け寄って、それから正面にまわって彼女の顔を覗き込んだ。



「アカネちゃん、何をそんなに泣いてるの?」


 開口一番、本当に不思議そうな表情でそう言われて、私は腰が砕けそうになる感覚を味わった。

 思わず突っ込むべきかと悩みかけた私は、彼女がかすかに笑っているのに気付いて、斜め45度に構えた手を胸の前から下ろした。


「ふふ、冗談だよ。ゲームに勝ったんだもん、笑ってて欲しいなと思って」

「リュカちゃん・・・」


 この期に及んでゲームって。

 やはり、彼女には理解できないところがある。

 私とよく似た趣向の持ち主ではあるが、根本的なところでズレのようなものを感じてしまう。ルーツの違いのせいなのか、ふとした拍子にぞっとする程の違いが見える時があるのだ。大蛇となった彼女と戦った直後だから、余計にそう思うのかもしれないけど。

 

 ともかく、今は彼女が無事なのが純粋に嬉しい。

 私は、みっともなく鼻をすすりながらリュカちゃんに笑顔を返した。


「ぷっ。変な顔」

「・・・・・・」

「あ、うそうそ、違うの。でも、そうやって笑ってて欲しいというのは本当」

「リュカ・・・ちゃん?」


 ハクジャに横抱きにされた格好で彼女は首だけを私に向けて、妙に大人っぽい口調で言った。

 いつもの幼い感じとは全く違っていて、私はまじまじと彼女の顔を見返した。

 すると、リュカちゃんはまた頭だけを上に動かして、こちらに喉を見せるような格好で口を開いた。


「ハクジャ、開け方は覚えてる?」

「ああ」

「そう。ね、アカネちゃん、ワタシね、死ぬ覚悟はとっくの昔に出来てるの。だから、そんな顔をしないで欲しい」

「・・・・・・」


 すぐにまた彼女の視線は戻されて、それから懇願するように言われた言葉に私は何も言い返す事が出来なかった。

 彼女は少し困った顔になって言葉を続けた。 


「それにね、色々と無茶をしたのは間違いなく自分の意志でなの。狂っただとか、錯乱してだとか、決してそういう事じゃ無かった。ぜんぶ納得づくでやった事なの」

「うん・・・」

「だから、色々と迷惑掛けちゃったけど後悔は無いの。あ、でも、アカネちゃんと友達になりたかったのは本当だから、それだけは心残りかな」

「・・・・・・」


 あれだけの事をして。

 ジェラードさんを利用して、ミルナーを石にして、ネストールさんを殺しかけて。

 それら全てが自分の意志によるものだったと、リュカちゃんはそう言った。

 やっぱり理解出来ない。

 まだしも彼女は長い時間の中で気が触れて、という話だったならこのまま感動してお別れも出来ただろうに。

 どうしてこう、私の周りには自分の心情に正直な人しかいないんだろう。

 

 微妙な表情を見せる私をリュカちゃんは笑って一瞥して、それから小さく「さようなら」と言った。

 それを合図にハクジャは歩みを再開して、広間の中央に向かって黙々と進んでいった。




 やがて、ハクジャが立ち止まったのは、私が居る所から20メートルちょっと離れた広間のほぼ中心と言える辺り。

 周囲には戦いの痕跡がそこかしこに残っているというのに、そこだけは奇跡的に破壊を免れていた。柱に固定された照明も無事な物が多く、ここからでも2人の姿がよく見える。

 とは言え、見上げれば今にも崩れ出しそうな天井が目に入って、私がそちらに注意を逸らした瞬間、前触れ無く広間に凄まじい光が炸裂した。

 咄嗟に閉じた瞼の裏に青白い色味の輝きが透けて見える。何とか薄目を開けてみると、縦長に、まるで崩れた石柱に成り代わるように光の柱が立ち昇っていた。


 強烈な光はそれをピークに段々と薄れていって、しばらくすると、見覚えのある間仕切りが現れていた。

 格子状に組まれた木材と土壁、それが階段状に盛り上がった地面の上に組まれていて、あたかもプライベートエリアを区切るパーテーションのような案配でそびえ立っている。

 初めてここに来た時には御簾が掛かっていて神秘的な感じだったが今は外されており、入り口らしき所から中が少し見えた。

 

 簡素な執務机と椅子が1脚。何ともシンプル過ぎる調度に驚いていると、またも内部の地面が光った。

 淡い光に今度は目をかばう必要も無くて、ゴゴゴという石がすれ合う重い響き共に、地面の一部がスライドしていくのがよく見えた。

 四角く開いた隙間から暗闇を覗かせて、流石にその中までは見えなかったけど、ハクジャの目的を思えばそれは地下室に続く階段に違いなかった。


 注意深くそれが開ききるのを待っていると、ハクジャがこちらに振り向いて、張り上げてはいないのによく通る声で私達に告げた。


「此度のこと、お前達には本当に世話になった。勝手ながら、今後の【雲母砂子】の永続を以てその礼としたい。ネストールよ、ミルナーにも伝えておいて欲しい」

「分かりました」

「頼む。ではな」


 あ、行っちゃう。

 そう思った私は咄嗟に足を踏み出して、次いで腕に掛かった重みに引っ張られて動きを止めた。


「行かせませんよ、アカネ様」

「ネ、ストールさん・・・」


 でも、そんな事言ったって、リュカちゃんはこれから死んじゃうんだよ?

 それも地下室なんていう場所で、しかも私とは友達になれなかったと思ってる。

 心残りだったって、そんな事考えながら死んじゃうなんて、そんなのって・・・。


「気持ちは分からなくもありません。ですが、よく考えてください。あの地下室には【雲母砂子】がある」

「・・・?」

「お忘れですか?あの非常識極まりない空間『無限回廊』もまた、あそこには広がっているのですよ?」

「あ・・・」


 そうだった。ネストールさんの指摘はもっともで、元々、「無限回廊」は【キラスナゴ】の消費魔力軽減の為に作られたものだった。あの時間の流れが違うトンデモ空間。リュカちゃんの後を追うというのは、つまりあの空間に入る事も意味している。


「それに、目的から推測すると、あの地下室は『無限回廊』の源泉、中心部のようなものだと考えられます。そこに足を踏み入れて発生する時間のズレはどれ程のものでしょう。今度は1日が10日になる程度では済まないかもしれません」

「うう・・・」


 確かに厄介な問題だった。

 例えば、リュカちゃんに付き添って数時間が経過したとする。で、いざ戻ろうとした時に数日が経っていたりしたら、この神殿を取り巻く状況が変わっている可能性がある。ナルシン達が保証してくれた3日程度で収まる可能性もあるが、もし超過して、帰還した僧兵やオルランドの軍隊なんかに鉢合わせでもしたら。

 更に付け加えると、この広間、神殿は今崩壊の危機にある。散々リュカちゃんが暴れ回ってネストールさんと戦った影響で、足裏に感じる軋みのようなものは途絶える事が無い。つまり、地下室に入ったが最後生き埋めになって出られないなんて事も考えられる訳で、ネストールさんが危惧しているのはその辺りの事なんだろう。


「違います」

「へ?」


 マッハで否定されて、脳内限定の名探偵気取りだった私は間抜けな返事を口にした。

 捕まれた手首がかなり痛くて、離しておくれとネストールさんを見上げると、予想外に強い眼差しで見つめ返された。

 切羽詰まったというか、こうも余裕の無い表情は、さっきの戦闘の中でだって見られなかった。

 思いがけない真剣な様子に視線を逸らす事すら出来ずにいると、彼は静かに、けれど感情を込めて私に言った。


「私が言いたいのは、貴女に行って欲しく無いという事だけです」

「・・・ええっ!?」

「おかしな事を言っているというのは自分でも承知していますが、しかし、状況的な事は除外しても尚、貴女をリュカの元には行かせたくない」

「・・・・・・」


 こ、こっ恥ずかしかー。

 自分の頬の熱が上ってくるが分かる。

 状況は置いておいてって、それはつまり、理屈抜きでって事だよね?

 いつも理屈で攻めてくる彼が、気持ちだけで真っ直ぐ物を言うなんて。

 でもって、そろそろ認めなくちゃならないと思うんだけど、やっぱり、彼に面と向かってこういう事を言われると嬉しいのだ。

 

 しかし、それでも迷いはある訳で、地下室への階段を降りつつあるハクジャとリュカちゃんの姿が視界に入ると、綻び掛けた表情も固まってしまう。


「貴女がリュカを気に掛けるのは、自分と似ていると思ったからでしょう?」

「・・・うん」

「ですが、今回の事で身に染みたでしょう。彼女は貴女とは違う。血肉を礎とする魔法の在り方、精神性も含めて起源を異とする私達とは相入れない」

「・・・・・・」


 それを言うなら私だってそうだよ?

 私自身元の世界に未練は無いし、今更この世界との違いを考える気ももう無いけど、でもその違い自体はこれからも一生付きまとってくると思う。それに、その程度の違いや差は、この世界に済む人同士であってもあるだろうし、そこで諦めてしまうというのなら、私とネストールさんとのこれからだって無いと思う。

 私が人との関わりに絶望して、それこそリュカちゃんようになるなんて未来も十分あり得るだろうし。

 

「そうはなりませんよ」

「分からないよ」


 反論する私に不穏な気配を感じたのか、眉根を寄せたネストールさんに私は背中を向けて、精一杯の声でリュカちゃんにある質問を投げかけた。


「リュ、リュカちゃんっ!裸足だったのって何でっ!?」

「・・・・・・?」


 きょとんと、ハクジャに抱かれた格好のまま、リュカちゃんが怪訝な表情を浮かべるのが見えた。

 それに釣られて彼の足取りも止まって、やがて、彼女が私を見やすいようにと体の向きを変えた。


「なに、いきなり何なの、アカネちゃん?」

「いいからっ」

「それに答えて何の意味が・・・」

「おねがい、こたえてっ!」

「・・・・・・」


 脈絡が無さ過ぎて狼狽えたような声が小さく聞こえてきて、それからしばらく彼女は考えるように黙り込んだ。

 そして、おもむろにリュカちゃんはボソリと答えた。


「・・・気持ち良かったから」

「きょ、教団の、偉い人なのに?」

「だって、もう窮屈なのはイヤだったんだもの。知ってる?昔のイグラードってギチギチの靴が流行っててね、そのうえ王宮の女性は小さい足の方が良いだとか言われて、それはもうヒドイ矯正が・・・って、聞いてるの、アカネちゃん?」

「ぷぷ、ご、ごめんっ」


 つい、笑ってしまった。

 ぐちぐちと、昔を思い出して不満を並べ始めたリュカちゃんがあまりに面白くて。

 

 ちなみに、この疑問を思い付いたのはハクジャがレーマ教団を作ったと聞いた時だった。

 人間ではない彼が作った以上、そのルールなんかは彼女が作ったろうと思って、だから一度聞いてみたいと思っていたのだ。

 失礼ながらリュカちゃんに高尚な宗教的思想があったとは思えないし、それに長らく王宮で生活していた彼女が清貧や敬虔さから裸足である事を決めたとは思えなかったから。だって、神殿の中に滝やら川の水を引いて、目を引いて立派な洗濯室を作るような人間だよ?そんな人が、不衛生と言えなくもない裸足をルールにするだろうか?したとしても、教団のトップまでもがそうである必要は無い訳だし。だから・・・。

 

 私は再びネストールさんの方に振り返って、そして、考えを読んだだろう彼に謝った。


「だから、ごめん」

「アカネ様、ま・・・」


 彼の手を振り払って、私は広間の中央へ走った。

 ネストールさんの足は石化している為、咄嗟に追いすがる事が出来ず、捕まえようと伸ばした手が空を切った。


 一瞬、視界の端によろける彼が見えてすまなく思ったが、私は走るのを止めなかった。


 私自身、リュカちゃんの精神性は理解出来ないものだと感じ始めていたが、でも、そうでは無かった。

 カッチリとした靴を脱いで、私の膝の上で裸足の解放感に笑顔を浮かべた幼い殿下と同じように、彼女もまた束の間の解放感を楽しむ心を持つ人間だった。

 そんな心を持つ人が、これから暗い地下室で死のうとしている。

 それを見過ごす事は、今の私には出来なかった。

 

「ア、アカネちゃん、何を!?」

「いいから、ハクジャっ」

「・・・分かった」


 リュカちゃんに抱きつくようにして合流すると、ハクジャは困った表情で私を見下ろして、迷う素振りを見せてから、渋々歩みを再開した。

 地下室への階段はすぐに下り終えて、おそらくは魔法による仕掛けなのだろう、今は天井となった石の地面が重量感のある音を立てて自動的に塞がっていった。

 ビリビリと響く揺れを素足の裏に感じながら、私はもう一度心の中でごめんと謝った。

 

 



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