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その91




「・・・アカネか。ネストールは無事か?」


 えっちらおっちらと、何とかハクジャの元に辿り着くと、彼はそれを待っていたようなタイミングで振り返って口を開いた。少しふらつきながらも私の肩から手を離したネストールさんがそれに答える。


「ええ、少しばかり靴が固いので、歩くのには難儀していますけどね」

「そうか。だが、媒介となっていた魔力がオレに戻った以上、石化はじきに解ける。安心すると良い」

「じ、じゃあ、ミルナーもっ?」

「ああ。全身ともなれば数日は掛かるだろうが、奴の体力なら問題なく完治するだろう」

「・・・っ」


 よ、よかった。

 膝から力が抜けて座り込みそうになった私を、ネストールさんは危ういところで引っ張り上げてくれた。

 腕を持たれた感触が今更恥ずかしくなってきて、私は光の速さで顔を逸らした。

 

「それで、そちらの首尾は?」

「うまくいった。アカネの策通りにな」


 が、逸らした先から、今度はハクジャが穏やかな眼差しで見つめてきて、私はどうすれば良いんだと顔を俯けた。

 一度気が抜けてしまうと、やはり人の視線には耐えがたい。 

 それに、私の策というか、あれはほとんどネストールさんの功績な訳で、過大評価も甚だしい。

 実際、私がした事と言えば、地面にうずくまってじっとしてた事だけだし。


「しかし、うまくやったものだな、『写し身』による姿の入れ替えとは」

「ええ。魔法としての難度はそれ程でもありませんでしたが、私には無い発想でした。アカネ様のアイデアにはいつも驚かされます」

「うぅ・・・」


 大した思いつきでも無いのに、こうも誉められると恐縮してしまう。

 元々、発想という部分で、ネストールさんには【雲母砂子】による制限がある訳で、そこを賞賛されても微妙な感じがするし。

 それに、本当に大した作戦では無かったのだ。

 さっき言われた通り、私とハクジャの姿を入れ替えてリュカちゃんに接触するというだけ。

 概要としてはそれだけの、作戦と呼ぶのが恥ずかしい程にシンプルな代物だった。

 だが、成功すれば実に簡単に目的が達せられる訳で、思い付いてから長らく頭を占有していたせいか、その考えがついネストールさんに読まれてしまったのは仕方のない事だったのかもしれない。


 では、何故それが「つい」だったのかというと、成功するとは到底思えなかったからだ。

 故に彼にも伝える必要は無いと思っていたし、ハクジャにも詳細は伝えず、気絶したフリをさせるに止めたのだ。

 

 そう、実はハクジャは意識を取り戻していた。

 石化攻撃を受けたネストールさんに私が駆け寄った時には既に気が付いていて、身じろぎしようとする彼を地面に寝かせた際に、私が動かないようにと指示を出したのだ。その理由は簡単で、彼は気絶してると思われていた方が都合が良かったからだ。

 ハクジャはリュカちゃんに対する唯一最強の武器である一方、彼女の言葉に抗えないという弱みを持っていた。実際、戦いの当初にはそれで危うい場面もあったし。だから、ネストールさんの指示に従って、リュカちゃんから見えやすい開けた場所に彼を寝かせもした。彼が気を失っている事をよくよく彼女にアピールする為に。


 正直、その時点では彼を守る為という意味合いしか無くて、それが姿を入れ替える為の布石になるとは予想もしていなかった。だから、そういう意味での賞賛も含んでいるのだろう2人の視線は、実に耐えがたいものなのだった。

 


 旋毛位しか見えないだろうに何が面白いのだろう。賞賛の視線はしばらく続いて、過ぎた評価というものの辛さを実感していると、些か、不思議そうにハクジャが言うのが聞こえてきた。


「だが、ああまで気付かれんとはな。感覚としてはオレと大差無かったろうに」

「やはり、感覚への慣れという事なのでしょう。正確なところはリュカ本人でないと分からない部分ですが」

「本来のオレであれば即座に熱の差で気付いたと思うのだがな。なるほど、それが慣れの問題という事か」


 ようやく2人の視線がはずされて、私は胸をなで下ろしながら、そのやり取りに頷いた。

 そして、彼らの会話にあった感覚の問題、それこそが私が作戦を実行に移さなかった理由だった。



 私とハクジャの姿を「写し身」で入れ替えて、ハクジャが正面から堂々とリュカちゃんに接触するというこの作戦。

 これには、リュカちゃんの「感覚」という問題があった。

 大蛇と化した彼女の「感覚」に対して、入れ替わりを偽装しきれるか予想が付かなかったのだ。

 

 そもそも、これは彼女が蛇の感覚になっているという前提からの思い付きで、例えば、リュカちゃんが元通り人間の姿であったなら思い付く事自体が無かったと思う。

 うろ覚えながら蛇の生態について豆知識的なものがあった私は、彼らの聴覚が骨伝導的な意味で優れていて、反面、視覚が優れていない事を知っていた。目が見えない蛇もいる程で、色の判別に関してはほぼ出来ないとされている。つまり、リュカちゃんが蛇の体になっていたからこそ、視覚的な偽装が成功する余地があった訳だ。


 当然、「写し身」による入れ替えも、言ってみれば騙し絵みたいなもので人間相手では簡単にバレてしまったと思う。

 リュカちゃんに向かって真っ直ぐ歩いていくハクジャ。近付くごとに、それを見下ろす彼女からは見える角度が変化していく訳で、距離に合わせた立体的な調整が必要になってくる。

 横から見たらヒラヒラの平面アカネちゃんでしたでは話にならない。だから、ネストールさんには両者に各々の姿を投影した上で、更に、距離による見え方の違いをさながらアニメの動画のように描写していく必要があった。

 だが、人間の目を相手にそんな神業のような作業をこなすのはどう考えても不可能で、蛇の不安定な視覚であるからこそ可能な思い付きだったのだ。



 という訳で、「視覚」に関しては誤魔化せるかもしれない。

 けれど、さっき言ったように蛇には耳に頼らない優れた「聴覚」がある訳で、それにまつわる「音」が、最後に残った問題だった。

 

 まず、最初に懸念したのは私とハクジャの足音の違いだった。

 人の姿、あるいは犬の姿を取るにしても、私とハクジャには大きな体重の差が生まれてしまう。それに伴って、響く足音には絶対的な違いがある筈だ。それを本当にリュカちゃんが聞き分けられるかは分からないが、それでも無視出来ない問題だった。

 が、この問題は幸か不幸か、神殿が崩れかける事によってクリアできた。

 あの広間の地面全体を震わせていた軋み、微震のようなそれがハクジャの足音を相殺したのだ。 


 そして、次に浮上したのが、ネストールさんの声の問題だった。

 いや、彼の声は低音のテノールっていうのかな?聞いているだけで癒されるような深みのある良い声で問題なんて全然なくて、というか私としてはぶっちゃけ大好きな・・・って違っ!


 ごほん。

 姿の入れ替えには「写し身」の魔法が不可欠で、それには当然、詠唱が必要である。

 即ち、ネストールさんの魔法詠唱の声こそが最大のネックだった。

  

 又、リュカちゃんが言った『あれ、さっきの音って、もしかしてジェラードやられちゃった?』という言葉等から、彼女が周囲の把握に視覚ではなく聴覚に頼っている事が分かる。それでなくても、この広大な空間で私の呟くみたいな小さな声を拾っている事から、彼女の聴覚が優れている事は明らかだった。

 

 巨大な体の全面を使った音の振動に対する鋭敏な感覚。

 それこそが私が作戦を断念した最大の理由で、そして、ネストールさんが危険な博打を打った理由だった。


 即ち、作戦を実行しようとした彼には、危ない橋を渡ってでも、広間の端まで移動したい理由があったのだ。

 広間の端、私たちが入ってきた通路の近くには滝がある。

 大を付けるには物足りないが、その瀑布の音であれば、彼の詠唱を誤魔化すには十分なものだった。

 それを利用する為だけに、ネストールさんはあの綱渡りを演じた訳で、私が憤ったのも仕方ないと思う。

 

 自分のアイデアを実現する為にあわや死ぬかもなんて危険、彼に犯して欲しい筈が無い。



 ふつふつと怒りが再燃するのを感じながら、私は、ふとある事に気付いて視線を上げた。


「どうしたのです、アカネ様?」

「あ、あの、あれ」


 私が指さしたのは、ネストールさんの身長の2倍程の高さに積もった砂山だった。

 大蛇の体が崩れて消えた成れの果て。その中に、埋もれるようにして褐色の肌が見えた気がしたのだ。

 

「・・・っ!」


 いや、気のせいじゃない、どう見たってあれは人の手だ!

 興奮して近付こうとする私をハクジャは静かに遮って、顔だけをこちらに向けて口を開いた。


「再構築が終わったようだ」

「さいこーちく?」


 最初から詳しく説明する気は無かったようで、ハクジャは胡乱なオウム返しに背中を向けると、砂をかき分け山の中に踏み行っていった。

 無造作な感じにどんどんと砂山は崩されていって、やがて彼が神妙な手付きで砂の中に腕を埋めると、大事そうに持ち上げられたのは私の予想通りのものだった。


「リュカちゃんっ!」


 私は脇目もふらずに駆け寄って、顎先位の高さで横抱きにされた彼女の顔を覗き込んだ。

 不思議と彼女の体には砂が付いておらず、健康的な桃色に微かに色づく頬が目に入った。

 よかった、ちゃんと生きてるっ! 


 大蛇同様砂になってしまったと思っていた私は、信じられない僥倖に目頭が熱くなるのを感じた。

 

 意識は無いようだが、閉じられた瞼が時折ぴくぴくと動いているし、可愛らしい顎先から続く細い首元からは繊細そうに浮き出た鎖骨が見えて、慎ましやかな膨らみを経て急激に締まったお腹と腰のラインには同姓の私からもため息が漏れた。何となく分かっていた事だが、こうして見ると本当にスタイルが良いなあ・・・って、裸じゃねえかっ!?


 彼女の無事を喜んでいた私は、途端に真っ赤になって後ろを向いた。

 視線が合ったネストールさんが、くっくと肩を震わせている。

 

 笑うな!というか、あなたも見たらダメですからっ!

 と、彼の顔に両手を押しつけるかどうか迷っていると、背後でハクジャが淡々と言うのが聞こえてきた。


「これで力を取り込む準備が整った。リュカを喰った後、【雲母砂子】の張り替えを行う」


 一瞬、言葉の意味が分からなかった私は、何か食べるような物なんてあったっけ?と自分の手のひらを見つめた。





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