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その90




「な、お、お前は・・・っ!」

 

 あの巨体でさしたる痛みがある訳も無い。

 けれど、リュカちゃんは狼狽えた声を出して、感電でもしたかのように体を震わせた。

 既に距離を取っていた「私」は無言のままその様子を見ていて、やがて、激しく体を暴れさせ始めた彼女から逃れる為に、数歩後ろへと下がった。 

 彼女の暴れ様はまさに半狂乱という感じで、それを受けて形を保てるような物はまるで無く、彼女の周囲は無差別に破壊されていった。容易く砕かれた石片が無数に飛び散り、地面にも大きな亀裂が縦横に走る。

 そして、後退した筈の「私」をも巻き込もうとした時、リュカちゃんはピタリとその動きを止めた。

 

 急な静止に、周りの時間さえもが止まったみたいに感じられる。

 けれどそんな事はやはり無くて、次の瞬間には彼女の輪郭がバラバラと解け始め、見る見るうちに大蛇の体が崩れていった。

 精緻な砂絵が風に吹かれたように、硬質な輝きを見せていた巨躯がいとも簡単に崩壊していく。

 莫大な量の砂粒へと姿を変えて、やがて、それはうず高く積もって黒色の砂山となった。

 

 それでも、「私」は何という反応も見せずに、じっとその前に佇んでいた。



 どういう気持ちでそれを見ているのか、後ろ姿からは何も感じ取れない。

 けれど、そのうち凝視していた背中がぼんやりとしだして、驚いた私は小さく息を呑んだ。一瞬、大蛇と同じように崩れてしまうのかと思ったのだ。

 だが、そうじゃない。恐らくは、ネストールさんの魔法が限界なのだろう。

 

 私は身じろぎせぬようにと地面に伏していた体を起こして、背後を見やった。後方、相変わらず水路に浸るように倒れているネストールさんに動く気配は無い。ああして魔法が使えた以上は意識があるのだろうけど、でも、やっぱり心配だ。

 私は、前か後かと散々迷ってから、彼に向かって駆けだした。



 が、走るうちに、どうしてあんな無茶をしたんだとムカムカしてきてしまって、割合平気そうに笑顔を浮かべる彼が見えた時、私は思い切り泣いてしまった。完全に情緒不安定である。自分でも分かっているのだが、意識したところでどうする事も出来ない。

 だから、そんな私を見上げても尚笑顔でいられるネストールさんは、相当に強者だと思う。

 私は、泣き笑いの顔になって彼の横に跪くと、いつもよりやや悪い滑舌で名前を呼んだ。


「ネ、ネズ、デ・・・デルボスケざんっ!」

「誰ですか、それは」


 え、有名な監督じゃん、何で知らないの?とは流石に言う余裕も無く、私は彼の体に視線を落として顔をしかめた。


「だ、大丈夫?」

「ええ、見た目程ひどくはありませんから。ただ、歩けそうにもないので肩を貸して貰えますか?」

「うん・・・」


 私が支えられるのかは甚だ疑問だが、確かにこの足の状態では仕方がない。

 激突の際に折れてしまったのだろう、ネストールさんの右足が少しばかり見慣れない方向に曲がってしまっていたのだ。目立つ外傷がそれだけというのは奇跡的なのかもしれないが、それでもあまりゾッとしない光景だった。石化した部分も含めて、ちゃんと治るのだろうかという不安が胸にこみ上げる。

 けれど、当の本人がまるで平気そうな顔をしている訳で、無理矢理気を取り直した私は、ぐしぐしと涙とよく分からない液体を拭ってから彼の横に立った。それから中腰になって、体を起こそうとする彼の腕の下に頭を入れる。

 

 ぬおお・・・、やっぱり重いっ。

 肩に加わる彼の重みに決して年頃の女子がなってはならない感じの立ち方で耐えていると、何とか立ち上がる事に成功したネストールさんが、小さく息を吐いてから私に訊いてきた。


「・・・それで、うまくいったんですか?」

「うん、た、多分」

 

 幾分自由に動くようになった首を回して、私は、未だに砂山の前で立ち尽くしているハクジャの方に視線を向けた。

 ネストールさんの魔法は完全に効果が切れていて、今は「私」じゃなくて「彼」本来の姿が見えている。

 そして、恐らくはリュカちゃんに噛みついて力を取り戻した影響なのだろう、その立ち姿にも力が満ちているように感じられた。何が変わっているとも表現出来ないのだが、何か存在感のようなものが増しているように見える。


「確かにそんな風に感じられますね。それに、魔力の気配も恐ろしい程に濃密です。あれなら、【雲母砂子】などという突拍子のない魔法が存在するというのにも頷けそうです」

「ふぬぅん・・・」


 私は、少しでも気を抜くとよろけそうになる足に某アニマルばりの気合いを送りながら、ネストールさんの言葉に相づちを打った。

 彼の様子を見る限り、本当に怪我はひどくないみたいだ。足の痛みに顔をしかめる事はあるものの、それ以外が痛むという素振りは見られない。私は内心でほっとして、続いて思い出した憤りにハッとなって歩みを止めた。

 ネストールさんはそんな私を訝しげに見下ろしてから、すぐに合点が行った表情になって弁解を始めた。


「あれは仕方がなかったんですよ。私の足は石になり、地面に縫い止められて動けなかった。だが、アカネ様の考えを実現するにはどうしてもあの場から離れなければならなかった」

「で、でも・・・」

「手段がまずかったと?リュカを挑発して、再度の石化の風を誘発するのは危険過ぎたと?」

「・・・・・・」


 うう、反論したいところだけど、でも、彼の言い分も分かるのだ。

 あの時、石になったネストールさんに読心を利用して現状を伝えた時。

 思いがけず伝わってしまった私のアイデアを形にするには、彼の行動がどうしても必要だった。

 必要だったのだけど、暴風に吹き飛ばされたネストールさんの姿、それが地面に激突するまでの時間は今思い出しても鳥肌がたつ。それに、あの攻撃が彼の狙い通り、体を飛ばすような風での攻撃だったからよかったものの、もし熱線でも放たれていたらどうなっていたか・・・。

 

「あのリュカという娘の思考の幼さは分かっていた事です。子供は手に入れた玩具はすぐに使いたくなるものですからね、あの石化の風を使ってくるだろう事は予測出来ました。もっとも、あそこまで風が強くなるとは思っていませんでしたから、空中での制動には苦労しましたが」

「ぐぬぬ・・・」


 ああ言えばこう言う・・・っ。

 どう予測出来たからと言って、それが賭けだった事に違いは無いだろうに。

 私は、踏み出そうとした足に力を込めて、思い切り強く歯を噛みしめた。

 それからは会話する気にもなれなくて、私はハクジャを目指して歩く事に専念した。




 やがて、広間を縦断する私達に、キャンベル姫様が合流した。

 遅々とした歩みを見かねての事だろう、ネストールさんの足の状態を軽く調べた後、「代わりますわ」と彼女は私に言った。

 やった!これで重いのから解放されると心の中でコッソリ喜んでいると、ネストールさんは「結構です」とすげなく断って、頼りのない歩みを再開した。

 私は、またもや肩にかかる事となった重みに眉をしかめながら、後ろに取り残された姫様を盗み見た。

 何というか、その姿は非常にいじらしく感じられて、私は耐えきれなくなってネストールさんに尋ねた。

 

「い、いいの?」

「何がです?」

「何がって・・・」

「キャンベル姫には看るべき相手が他にいるでしょう?それに、私は既にイグラード軍を辞めた人間です。彼女に義理立てする理由も、もはや無い」

「・・・・・・」


 何ともはっきりと言う人である。

 分かっていた事だけど、相変わらずのネストールさん節を聞いて、私は微妙な気持ちになった。

 彼の考え方というのはすごく分かりやすい。総じて、ネストールさんの判断基準は利用する価値があるかどうかに重きが置かれている。私の前だから分かりやすいようにと、意図的にそうしてくれているという節もあるけど、でも何というか、彼からは人に対する執着が感じられないというか・・・。


「冷たい、ですか?」

「・・・・・・」

「そう言えば、さっき短剣を突きつけた時、貴女は『もしかして本気では?』と疑っていたでしょう?」

「う」

「ふふふ。いえ、責めてはいませんよ。実際、あのまま逃げおおせられたなら、という考えもあるにはありましたからね」

「え・・・?」


 それってつまり、リュカちゃんとの交渉がうまくいって、私を置いて逃げる事になってもネストールさん的にはオッケーだったって事?

 私は、滴った汗を拭う振りをして、間近の彼の顔を見上げた。

 すると、その素振りは見事に見破られていて、彼の脇の下にあった頭が瞬時に固定されると、否応無く合わせられた視線の先でネストールさんはニコリと笑って口を開いた。


「ただ、そうなれば、あらゆるコネを駆使してこの教団を潰す事になりましたけどね。私としてはそれでも良かったのですが、流れる血の量を考えると、それはアカネ様の望むところではないでしょう?」

「・・・っ!・・・っ!」


 私はコクコクと何度も頷いた。

 ネストールさんはそれに朗らかに笑って、「だから、うまくいってよかったです」と返した。

 それきり、今度こそ会話をする事は無くなって、よろよろとした私達の歩みは心なしかマシになったようだった。





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