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その85


 とは言え、離れ過ぎてはせっかくのお芝居が無駄になってしまうので、結局、「冗談ですのに」と唇を尖らせる姫様と一緒になって走り戻ると、未だ、ミルナーとジェラードさんの戦いは膠着しているようだった。

 両者共に睨み合ったまま動かず、しかしながら互いの気合いが宙空でせめぎ合っているようで、遠くネストールさんらが戦う音が聞こえる中、その周囲だけは緊迫した空気に静まり返っていた。

 

 どうやら、間に合ったらしい。

 ミルナーの傷だらけの身体を見るにつけ肝が冷えるが、気迫が凌駕しているのか、見かけ程に弱々しい素振りは見受けられない。想像を絶する緊張の中、対峙し続けるだけで削られる体力というのもあるだろうが、今なら十分、姫様が間に入れば助けられそうだ。

 息を切らしながら安堵に胸を押さえていると、併走していた姫様が同じように足を止めて私に言った。


「まずいですわね」

「・・・?」


 ひりつくような頬の感触に顔をしかめながら隣を仰ぐと、彼女はミルナー達の方に顔を向けたまま重い口振りで続けた。


「ああも拮抗してしまっては、わたくしの技量では手を出せませんわ。足手まといになって、逆にそれがミルナー将軍の命取りにもなりかねません。ここは、ひとまず様子を・・・」

「そ、それじゃ、ダメっ!」

「アカネ?」


 眉を顰めて聞き返す姫様に、この期に及んでも適切な言葉が出てこない。

 説明せねばと気持ちだけが焦って、ままならない舌の上を息だけが通り過ぎていく。

 こ、こんな肝心な時にちゃんと喋れないなんて・・・っ!

 自分に苛立って無理矢理にでも口を開こうとしていると、姫様が私の肩にぽんと軽く手を置いた。


「落ち着きなさいな、アカネ。それと、僧兵達の目がある事を忘れないで。今度はしっかりと持っておくのですわよ」


 そして、視線の高さを合わせて言い聞かせるようにした姫様は、私の右手に注意深く短剣の柄を握らせた。

 僧侶達は、私が傷付くのを恐れて近寄れなくなっている訳だから、負傷するかも?という脅しは引き続き必要だ。焦燥に駆られつつも、流石に直前の事であったので理解に及んだ私は、一歩下がって確認するように覗き込んできた姫様に神妙になって頷いた。

 焦っていた気持ちが多少は薄らいで、それと成り代わった緊張に肩を強ばらせる私を彼女が心配そうに見つめる。


「ほんとに、気を付けるのですわよ?その短剣、妙に持ち手が滑りますから。わたくしも扱いには慣れているつもりでしたのに、さっきはあなたを傷つけてしまいましたし・・・」

「姫様・・・」


 実は本気で私を殺そうとたんじゃ?とか疑ってごめんなさい。

 私は殊勝な面もちで言う姫様にバツが悪くなって、彼女の言うように滑る感のある短剣の柄に視線を落とした。

 親指を少しずらしてみると油がこびり付いているのが見えて、なるほど、これじゃ滑るのも無理がないなと合点がいった。

 って、油!


「ひ、姫様、こ、ここ、これっ!」


 私は慌てながらも慎重に左手に短剣を持ち代えて、空いた右の手のひらを姫様の眼前に突きつけた。


「なんですの?まあ、汚い手だこと。それに・・・これは油ですわね。なるほど、道理で滑る訳ですわ。でも、これが、どうしたんですの?」

「こ、これっ、ミルナーの、体にっ」

「ミルナー将軍の・・・?」


 私の手をしばし凝視してから、顎に手を当てて考え込む姫様。

 この油は元々はミルナーの肌着から血と共に付着した物だ。それが私の手を経由して、そして短剣の柄にも付いていたのだろう。図らずも言葉で説明する手間が省かれた訳で、油に関しては一目瞭然、聡い姫様ならこれだけで私の言わんとしている所を分かってくれるかもしれない。


「・・・もしかして、彼は、ネストール様が魔法で飛ばしていた油の染みたシーツを身につけているんですの?」  

「・・・っ・・・っ」


 ぶんぶんと、嬉しくなった私は、威勢良く首を縦に振り続けた。

 姫様はそれを少しの間黙って見つめて、それから、ゆっくりと顔を俯けた。 

 壊れた人形のようでいるのにもいい加減疲れた私が動きを止めると、今度は彼女の肩が小刻みに揺れだした。きっと私と同じようにショックを受けているのだろう、心配になって近寄った途端、迫力のある美人顔がガバっと上げられた。


「あんの、クソバカ!」


 自分に言われた訳でも無いのに飛び上がって驚くと、姫様は、私が退いて遮る物の無くなったミルナーの方にキッと視線を向けて睨みつけた。

 整った顔の人が怒ると、どうしてこうも恐いのだろう。

 一国の王族からは決して聞こえてはならない雑言と共に、拳を握りしめた姫様の怒りのオーラに圧倒されていると、彼女は視線で人が殺せるか実験中ですとでも言いたげな凄まじい目付きで私の方に振り向いた。


「アカネ」

「ひっ、ひゃいっ!」

「ハクジャはどこに居るんですの?」

「ひゃ、ヒャクシキ・・・?」


 恐怖に竦んだ私は盛大に噛みながら返事をして、金色じゃなくて白色の人の姿を慌てて探し始めた。

 未だに姫様の彫りが深いと自前で影がかかってスゴい迫力っすねな三白眼が解除される気配はなかったが、口調を聞く限り冷静ではあるようだ、きっと何か考えがあるのだろう。

 私は、さっきまで自分が居た場所を思い出しながら懸命に視線を走らせた。

 しかし、彼の姿は見つからなかった。

 もしかして、どこかに隠れているのだろうか?

 だが、隠れるとは言っても開けた視界の広間である訳で、唯一の障害物と言って良い石柱もこの辺り物はさっきのリュカちゃんの攻撃で壊れちゃってるし・・・。


「あ・・・」 


 と、スルーしかけて気付いた瓦礫の隙間、埋もれるようにして横たわる小さな影に気付いて、私は急いで駆け寄った。

 腰を落として確認してみると白亜の石片と大差無い小さな毛の塊があって、思った通りそれは犬の姿となったハクジャだった。

 もしや戦いに巻き込まれでもしたのかと体を持ち上げて見てみるが、ほんの少し前足の先に小さな切り傷がある程度で目立つ怪我などは無く、ぐったりとしてはいるものの規則正しく胸は上下に動いている。

 状況を考えると、戦闘の余波を避ける為に小さくて素早い犬の形態に戻るのはアリなのかもしれないけど、でも、さっきは人間の姿に戻っていた訳で、何故このタイミングでワンコに?それに意識が無いというのも心配だ。

 私がうーむと悩んでいると、隣からのぞき込んだ姫様がハクジャの口元を指さした。


「それ、何かくわえてますわ」

「・・・っ」


 ほんとだ。言われてば確かに、食いしばった彼の歯の間から筒状の物が見えている。

 動転していて気付かなかったのか。それは小型犬の彼の体と比べると結構な大きさの物のようで、無理をして咥えているのか口の端からはタラリと涎が垂れている。


「・・・アカネ、取りなさい」

「・・・・・・」


 少しばかり手を出すのが躊躇われたが、何時ミルナー達の戦いに動きがあるかも分からないので、私は意を決してその筒を持ち上げた。

 すると、やはり完全に意識を失っているのだろう、呆気なく筒状のそれはハクジャの口から取り出せて、全貌を見た私は、それが神殿の外に出た時にミルナーが酒盛り風にあおっていた瓶である事に気が付いた。確認の為に振ってみるとちゃぷちゃぷと水の入ってる音がして、隣を見れば同じく見覚えがあるという風に姫様も頷いている。

 

 だが、それで得られた情報には大分差があったようで、私が首を傾げる一方、彼女は不敵に笑って力強く言った。


「これで、大体の状況は分かりましたわ。あのクソバカ将軍が何をしようとしていたか、ハクジャが何故倒れているか」

「そ、そうなの・・・?」


 呆気に取られて見返すと、姫様は怒りのオーラを解かないまま器用に笑って続けた。


「アカネ、その瓶、大切に持っていなさいね。栓も外さない方が良いですわ」

「え・・・あ、うん」

「それと、その犬は多分、大丈夫ですわ。大方、目眩でも感じて倒れてしまったんでしょうね」

「う、うん・・・」

「そして、わたくし、あの凱旋式というやつが、実は大嫌いなのですわ」

「う、う・・・ん?」

 

 話の飛び方に付いていけなかった私は、頷きかけていた頭を急いで戻して姫様の顔を見上げた。

 自信に溢れた物の言い様についつい頷いてしまっていたが、他にも色々と疑問が山盛りだ。それに、凱旋式?

 凱旋式と言えば、確か、イグラード王国でやってた戦争での功労者に対する表彰式みたいなイベントだったと思う。私も参加したので、式の厳粛な雰囲気とかは記憶によく残っている。けど、それが一体何の関係が・・・?


「そういう訳ですから、アカネ。恐らく、ジェラード将軍との戦いは何とかなりますわ」

「は?」


 キャンベル姫様はあっけらかんと言い放って、ますます「わけがわからないよ」となった私の顔を一瞥してから、周囲に山積する瓦礫の方へ歩いて行った。そして、しばらく何かを探すようにしていた彼女だったが、目当ての物が見つかったのか突然一直線に歩き始めて、進路上に視線を向けてみれば、そこには1本の松明が落ちていた。

 目を細めてみると、取っ手部分にひん曲がった金具なんかが見えて、どうやらそれは、広間の照明として石柱に固定されていた物の1つらしかった。きっと、柱が壊された際に燭台部分が壊れて投げ出されてしまったのだろう。見渡してみると、それの他にも柱の残骸に埋もれたり転がったりしている物が幾つか目についた。

 だが、火が灯っている物はそれだけだったようで、多分、姫様もそういう理由でその松明を選んだのだろう。火の粉を散らしながら勢いよく持ち上げると、彼女はその火勢に満足げに頷いて、そして、思い切り振りかぶった。


「え、ちょっ・・・」

「ふん!」


 振りかぶった以上、それは当然投げられる訳で。

 見事な投球フォームに感心する暇も無く、私は、鋭い吐息と共にミルナーに向けて投げられた松明を呆然と見送った。

 

 



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