その84
刃先に反射した光に目を細める私を、彼は幾分驚いた様子で見返している。
何とかに刃物と言うけれど、心得の無い者が武器を構える姿はさぞ肝が冷える光景だろう。おまけに、余裕の無い私は相当思い詰めた表情をしているに違いない。赴く先は自殺か、はたまた無差別殺人か、高まりすぎた緊張にヤバイ感じの薄ら笑いが止められないまま、私は姫様の方に体を向けた。
明らかに異常な様子を見せる私に戦慄いてしまったのか、それとも何が出来るとも思わなかったのか、それ以上ハクジャから声が掛けられる事は無かった。とは言え、ぐずぐずしていると何時制止されるかも分からないので、私は急いで姫様に向かって駆け出した。
時間の猶予は少ない。姫様にミルナーへ加勢する必要がある事を説明して、且つ、マッチョ僧侶達も何とかしなければならない。
走りながら、私は、事情説明に最適な言葉を必死で考えた。
「・・・っ!」
ミルナー達の戦いと負けず劣らずの激しい攻防が続く姫様の背中を捉えた時、私の中に天啓が舞い降りた。
この言葉なら的確に状況を伝えられて、更に、自然と姫様にその後の動きを促す事も出来る。
しかも、言葉自体が短く、10人居れば8人までもが「これ、ジャンク品扱いですよね?」と店員に確認を取る事必至の私の口でも上手く言う事が出来るだろう。
私は、戦う両者が動きを止めた一瞬を見計らって、大きく息を吸い込んだ。
「こっ、ここは私が食い止める!!」
い、言えた。ちゃんと言えた。
間違いなく言葉が伝わっただろうその証拠に、眼前の姫様と、そして僧侶達もが止まったままで動かない。
でもって、ようやく何事かと振り向きかけた姫様の前を通り過ぎて、私はビシリと手に持った短剣を構えた。
ああ、何という充実感。
慣れない重さに手が震えるものの、人生で一度は言ってみたい少年マンガ的セリフbest10に必ず入るだろう言葉を言い終えた私の心の中に、やりきった感が満載の清々しい風が一陣吹いた。そして、頭上にも風が吹いたように感じた直後、ゴツンと激しい痛みが襲った。
「い、痛っ・・・!」
涙目になって振り返ってみると、拳を握り固めたキャンベル姫様が、心底呆れましたわという感じで仁王立ちしていた。というか、姫様、その鉄のグローブみたいな手で叩くとかヒドイっすよ、横暴っすよ、イグラードの未来は暗いっすよと不満気に見返すと、その拳を腰に当てて、彼女は幾ら言っても聞かない駄犬に最後通牒を突きつける感じで口を開いた。
「何のつもりですの、アカネ?わたくし、言いましたわよね、邪魔をしないようにと」
「そ、それは、その、ちがくてっ・・・」
「だまらっしゃいなっ。しかも、そんな物まで持ち出して!」
「いや、だから・・・」
話を全く聞いてくれない姫様に、私はおろか僧侶達までもが困った様子で立ち尽くす。
そして、危なっかしい手つきを見かねた姫様が、私から短剣を取り上げようと歩み寄ってきた。
それは困ると思った私は、咄嗟に「こんなに刃物の扱いが上手いんですよ。ほぉら、まな板だってこの通り」とやや間違った方向性でアピールを開始した。が、焦ったのがよく無かったのだろう、見よう見まねで構えた瞬間、10人いれば8人ま(中略)の私の足が見事に絡まった。
「あっ」
顔の近くで短剣を構えた体勢のまま、舞台の書き割りが倒れるかのように、私は前のめりに倒れていった。
冗談のような光景に姫様も反応する事が出来ず、ビタンと地面に倒れ伏せた音だけが響いた。
顎の辺りを強打した私はその痛みに顔をしかめつつ、次にやってきた熱さに驚いて首を傾げた。
肘も擦りむいたようでジンジンと痛むがそれでもなく、どこが熱いのだろうかと体を起こしてみると、ポタリと地面に血が落ちて、私は自分の頬の辺りがパックリと裂けてしまっている事に気が付いた。
「なっ、なんじゃこりゃああ」
手で押さえてもダラダラと流れ落ちる血に、軽くパニックになった私は殉職しそうな感じで悲鳴をあげた。
「落ち着きなさい、アカネ!まず、その手を離しなさいな。それと、短剣は絶対に落としたりしないように」
「あ・・・」
そうか、私、躓いた拍子に自分で切っちゃったのか。
慌てて駆け寄った姫様を見て少し落ち着きを取り戻した私は、自分が短剣を持ったまま頬を押さえていた事に気付いてゆっくりと手を下ろした。せき止める物が無くなったせいで血がまた勢いよく流れ始め、正面に立って傷の様子を見ていた姫様が胸元からハンカチを取り出してそれを当てた。ど、どっから出してんだよ惚れてまうやろと顔を赤らめていると、頭上から困り果てたような声が聞こえてきた。
「どうしましょう、かなり深く切れてしまってますわ。このままだと跡が残るかも・・・」
「え・・・、あ、でも大したこと・・・」
一瞬、姫様の狼狽え様に驚くが、別に平凡な自分の顔に執着も無い私は呆気なく返す。そりゃ、姫様みたいに綺麗だったら困るだろうけど、私くらいじゃね。国民に姿を見せなきゃならないとかの立場も無いし、それに、ほら、言ってる間に出血も止まってきてるし・・・。
「おバカっ・・・!」
「痛っ」
すると、頬の痛みを何倍にもしたかのような痛撃が脳天に落ちてきた。
大した力は入っていないんだろうけど、その物騒な手甲自体が既に凶器なんだといい加減自覚を・・・と顔をしかめながら見返すと、彼女は真剣に怒っているようだった。
怖い位に綺麗な青い瞳が、射抜くように私に向けられている。
「女の顔に傷が出来て大したこと無い訳が無いでしょう!それに、あなた、やっと少しは先の事を考えられるようになったんじゃなかったんですの?だのに、そんな様でネストール様の隣に立って、あの方を笑い物にするつもり?」
「そ、それは・・・」
それは関係ないだろう?と一笑に伏せようとするが、真剣に言っているようなのでそれは出来なかった。
もごもごと口を噤んで、俯こうとするが顔を押さえられたままなのでそれも出来ず、私は仕方がないので痛みに耐える振りをして目を瞑った。
瞼の裏に強い視線を感じながら、それでも姫様は丁寧に治療を続けてくれた。
押し当てられた布の上から更に綿のような物が重ねられて、手際よくそれらを固定していく。薄目を開けてみると、黒い紐がぐるぐると私の顔を斜めに走っていって、即席の絆創膏はしっかりと目の下に括り付けられた。どうやら、この紐は姫様の仮面に取り付けてあった物のようで、素顔の彼女に見つめられた私は慌てて目を閉じて、今頃やって来た頬の痛みに顔をしかめた。
そして、ひきつるような感覚と圧迫感に、これじゃまるで眼帯みたいだなと思った私は、肝心な事を思い出して勢いよく目を見開いた。
「そ、そうだ、ジェラードさ・・・」
だが、言い掛けて硬直する。
視線を上げた先、キャンベル姫様の背後で僧侶の1人が斧を振りかぶっていたからだ。
ここまで反応らしい反応が無かったから忘れていたが、姫様は彼らと戦闘中だったんだ!
私の怪我の治療をしてくれている姫様は当然こちらを向いていて、僧侶達には無防備である。
こ、このままじゃ、やられちゃう!
私は咄嗟に姫様の脇から抜け出して、今度こそコケないように注意しながら、両手で短剣を握りしめた。
タイミング的には間に合うかどうかギリギリ。
それに、あの大柄な僧侶の一振りを私に防げるとは到底思えない。
それでも私は不思議と恐怖に竦む事無く、自分としては奇跡と思える程の足運びで姫様の背中に立ちはだかった。
もしかしたら、姫様に注意を喚起した方がうまく行ったかも、なんていう後悔も浮かぶが今となってはもう遅い。
私は、ブンと、力強く振り下ろされた斧の先を見据えながら、実に頼りなく見える手元の短剣を寝かせて構えた。
「・・・っ!」
死んじゃった・・・私?
ドクドクと、目のすぐ下で手当された傷が疼くのを感じて、私は瞑ってしまっていた目を恐る恐る開いた。
すると、私からほんの30センチ程先で、斧を振り下ろしたポーズのままマッチョ僧侶が固まっていた。
ここで止めるのは頭を真っ二つにするより逆に難しいだろうという距離と姿勢に恐くなって、私はひとまずカニ歩きで距離を取った。
そして、何故急に動きを止めたんだろうと首を傾げていると、後ろから頭をはたかれて折れそうになった。
「アカネっ、あなた、また言ってる傍から無茶をして!」
「ご、ごめっ・・・」
慌てた様子で姫様が私の隣に並んで、そして、武器を構えて迫りつつあった他の僧侶達に両の拳を構える。
しかし、不思議な事に、他の3人の僧侶達もまた、それ以上私達に攻撃を仕掛けることは無かった。
絶好の攻撃機会だった筈なのに、4人の僧侶が全員、その動きを止めている。
彼らに逡巡する素振りは見えなくて、ただ、体だけが硬直しているように感じられて、どこかで見た不自然さだと思った時、私はそれがハクジャが動きを止められた時と同じ不自然さだと気が付いた。
「・・・っ」
そうか、彼らもリュカちゃんの命令に縛られているんだ。
彼女は私を傷つけないで捕まえるようにと彼らに命令した。普通なら、武器を持ったところで素人の私を取り押さえるなんて簡単な事なんだろうけど、さっき、私は躓いて怪我をした。勝手に向かって行って勝手に自爆して傷を負うという、我ながら悲しくなるような醜態だった訳なんだけど、無傷で捕らえたい僧侶達から見れば厄介な事この上ない。
つまり、僧侶達は、私には近付けない・・・っ!
「ひ、姫様っ!」
「・・・なるほど」
状況を確認するべく目配せを送ると、傍らの姫様はすぐさま強く頷いた。
流石に頭の回転が早いなと感心する間もあらばこそ、私は一瞬で背後に回った彼女に羽交い締めにされた。
「・・・え?」
「動くなっ!動くと、このどう仕様も無く迂闊な娘の命はありませんわよ!」
あれ・・・?
喉に押し当てられた冷たい感触に、私はいつの間にか自分の手から短剣が奪われていた事に気付く。
状況が掴めないまま呆然となるがその脅しの効果は覿面で、完全に動きを止めて身じろぎすらしなくなった僧侶達の前から、私は姫様に引きずられるような格好で後ろ向きに退場していった。
とうとう恋の炎に焼き殺されるのか。
無事に僧侶達から離れられて、それでも尚、喉元から短剣が離される気配が無い事にある種の覚悟を完了させていると、私の頭上から呆れた感じで声が降ってきた。
「アカネ、あなたまさか、本気にしている訳じゃないですわよね?」
「あ、あの、あまり、痛くしないで・・・」
「はあ・・・。時々、あなたが賢いのか馬鹿なのか本気で分からなくなりますわ」
「い、いやあ・・・」
「誉めてるんじゃないですわ」
ずりずりと収穫された大根のような状態だった私は、いい加減ちゃんと歩きなさいなと姫様に言われて、渋々自分の足で歩き始めた。ふぅ、久々に全力で動いて足が震えてやがるぜと息を吐きながら、私は羽交い締めにした状態のまま器用に足並みを揃える姫様と共に歩みを進める。そして、ひとしきり僧侶達から距離を取って警戒を緩めた姫様は、私の頭に顎を乗せたまま口を開いた。
「一応、説明しておきますけど、あなたを人質に取ったのは、あの僧兵達がアカネには手を出せず、負傷させる事を恐れていると分かったからですわよ?」
「う、うん」
も、勿論、分かっていたさ。
姫様が、僧侶達が私に手が出せない事を逆手に取って、あの場から脱した事などお見通しだったさ。
いや、うん、ほんの少しばかり、もしや?と疑わないでもなかったけどね、ははは。
「とにかく、これで僧兵達の相手はしなくて済みますわ。ネストール様には加勢はかえって邪魔になるでしょうから、ミルナー将軍に合流しましょう。アカネもそのつもりだったのでしょう?」
「うん」
少しばかり想定とは違ってしまったが、姫様の言うとおり、これでミルナーを助けに行ける。
私は横目で僧侶達を見て安全圏に入れた事を再び確認してから、姫様に力強く頷き返した。
「・・・で、姫様」
「何ですの?」
「その、これ・・・」
そして、歩みを再開しようとした姫様に、私は自分の首の辺りを指さして言った。
怪訝な声を返した彼女だったが、すぐに言っている意味に気が付いて「ほほほ」と上品に笑う。
「ごめんあそばせ、忘れてましたわ」
「うん・・・」
長らく喉元に押しつけられたままとなっていた短剣が離されて、私は深く息を吐いた。
姫様を疑っていたとかではなくて、単純に圧迫されて息が苦しかったのだ。
何度か深呼吸を繰り返しながら、汗っぽくなってしまった喉の辺りを手で撫でる。
すると、指先にベトリとした感触があって、よっぽど私は焦ってたんだなーと笑いながら手元を確認してみると、そこには血が付いていた。
「あら、ちょっと切れてしまってたようですわね。でも、もう血も止まっていますし、大したことはありませんわ」
「・・・・・・」
私は無言のまま一歩姫様と距離を取ると、おもむろにミルナーに向かって駆け出した。




