その83
正直言って、私はまだ、どこか楽観的に考えていたのだと思う。
ミルナーの戦士としての凄さは既に十分に知っていたし、負傷してしまってはいたものの、漠然とそんなに非道い事にはならないだろうと。それに、何より相手は実の兄である訳だから、私が思い浮かべたような、兄弟間で和睦を経てのイグラードへの帰還、というような平和的な解決も十分あり得るのではないかと。
現にミルナーは自分でジェラードさんと戦う事に拘っていたし、何かしら裏切った兄に対する説得方法を持っているんではなかろうかと、希望的な予想すらしていたのだ。
だが、その全ては、眼前で繰り広げられる戦いによって否定された。
癇癪玉か何かのように、時折咲く血煙は既に負っていた傷からのものか、はたまた新たな傷からのものか。
開始まもなく目で追う事が困難になったミルナーの素早い動きを、まるでトレースするかのように正確な動きでジェラードさんの長槍が追随する。
風を切る音でかろうじて見て取れた高速の突きの後、素早く戻された槍の先からパッと赤い血が散って、私はまたミルナーの試みが失敗した事を悟った。
あまりに冷酷で、正確な対処。
ジェラードさんからは一分の容赦も、思考の緩さも感じられなくて、私は自分の肩に手を強く押さえつけた。
ミルナーの動き自体は怪我を感じさせない、すこぶる敏捷なものだったと思う。
けれど、ジェラードさんの槍さばきは、私から見てもそれを完全に圧倒していた。
得物の差からくるリーチの差は歴然で、ミルナーは何度となくその間合いを埋めようとするのだがその度に手痛い反撃を貰っているのだ。しかも、何故かミルナーはその試みを止める事が無くて、私から見ても無謀ではないかと思えるような突進を幾度も繰り返している。
槍対剣という不利、それを覆す為の試みなのか、それとも絶対的力量差に自棄になっているのか?
武道の心得が無い私にそれを判別出来る訳も無いが、少なくとも、ミルナーのその動きをジェラードさんが正確に見切っていて、そして冷徹に迎撃しているという事だけは分かった。
この戦いにはまるで容赦が無い。私は目眩を覚えながら、それでも遮二無二なってジェラードさんへ向かっていくミルナーを見つめた。
単調にならぬ様に多種のフェイントを織り交ぜて、見ている私の方が目を回しそうになる程の素早い動きで接近していく。
だが、そんな幻惑的な動きもジェラードさんには通用しなかった。一旦、彼が引く構え直したかと思うと地面スレスレに槍が一閃されて、めくれ上がった石床の破片がミルナーの足元を強襲した。
つぶさにそれに反応したミルナーだったが、動き自体は止められて、結局、槍が得意とする中距離での戦いを余儀なくされた。彼は舌打ちをしながら、連続して繰り出される突きをただただ受け流していく。剣の腹を槍に擦られて、甲高い音が何度も響き渡った。
まともに食らえば間違いなく致命傷であろう豪槍の雨、それを防御するだけのミルナーは見る間に集中力と体力を奪われていった。やがて数分も経つ頃には、おびただしい量の血が地面に飛び散っていて、まるで容赦のないジェラードさんのやりように、私は自分が考え違いをしていた事に気が付いた。
この2人に、平和的な解決など存在しない。
それを証明するかのように、やや動きを鈍らせたミルナーの肩に長槍の穂先が突き刺さった。
「が・・・っ」
「・・・・・・」
それをやってのけたジェラードさんは別段、反応を見せる事もなく、そのまま猟師が得物を扱うが如く無造作に槍を横へと払った。その動きに大きく振り回されて、ミルナーが錐揉むように斜め後ろに飛ばされる。
「ミ、ミルナーっ!」
またも、先程と同じ石柱に叩き付けられて、彼は背中を擦らせながら地面へと崩れ落ちた。
制止しようとハクジャから手が伸ばされるが、私はそれを振り切ってミルナーの元に駆け寄った。
厚手の布地がベロンと垂れ下がって、槍に貫かれた左肩部分が大きく露出している。傷口からは止めどなく血が流れ出していて、ミルナーが肌着として着込んでいる白い布にどんどんと染み渡っていった。薄らと骨の白身すらを覗かせる傷口に怖くなって、膝を付いた私は止血ってどうやるのだろうかと必死に考えを巡らした。
だが、所詮平和な日本の身の上で考え付く筈もなく、焦りだけが募る中、ともかくこの肌着部分は邪魔だろうと布地を掴み取った。
「・・・痛てえよ、アカネサタニ」
「ご、ごめんなさいっ」
痛みに顔をしかめた彼を見て、私は慌てて肌着から手を離した。
濡れた感触に手が震えて、もう1つ、謝るべきだと口を開く。
「ごめん、なさい・・・こ、こんなっ」
いつもの如くの口振りに呆れた目を向けるミルナーを見ながら、私は続きの言葉を心の中で言った。
こんな事になるとは思っていなかった。
傷を治して貰う対価に祖国を裏切ったジェラードさん、彼との問題はもっと簡単に解決すると思っていたのだ。
よくゲームや漫画であるような、袂をわかった2人が、ちょろっと剣を交わして和解。その後は協力してボスをやっつける。そんな、安易な展開があるんじゃないかと、私は楽観していたのだ。
思えば、さっきの打ち合わせの時、ミルナーはジェラードさんと相対する事を迷っていたようだった。それはつまり、見えればこうなる事が分かっていたからじゃないだろうか。
そもそも、私が神殿に戻るなんて事をせず、ネストールさんが言ったようにここから逃げ出す事だけを考えていたら・・・。
「ええい、鬱陶しい。あのな、頼むから泣くなよ、やる気が削がれちまうからな」
「だ、だって・・・」
「なんだ?いっちょ前に罪悪感があるってか?アホらしい」
血の混ざった唾を吐き捨てながら、ミルナーは私の体を押しやって、慣れた手付きで止血を始めた。懐から取り出した余りの布切れを歯で噛んで、剣を持ったままの右手で器用に脇の下に通して巻き付けていく。
「・・・っし、こんなもんか。待たせたな、兄者」
「構わん」
そして、再び、柱の表面にべったりと血の跡を残して、ミルナーは眼前の兄を見据えて立ち上がった。
その確かな足取りと、殺伐としてはいるのに変わらないようにも感じる彼らのやり取りに訳が分からなくなって、私は彼の後を追うようにして立ち上がった。
「おい、付いてくんな」
「う・・・」
「やっぱ、お前はアホだな、いいか?」
そう言うと、ミルナーは呆れた風に笑って私に振り返った。
「おまえは多分、神殿に戻らなきゃこんな事にはならなかったとか思ってんだろうが、そりゃ間違いだ。言ったろうが、俺は元々1人でも神殿に戻るつもりだったって」
「・・・っ」
「それとだな、正直なところ確かに迷ってもいた。ネストールがうまい事やるならそれも良いかってな。だが、姫さんが来たろ?あれでちょっと考えが変わった」
「え・・・?」
姫様がどう関係しているのだろう?
疑問に思った私は、少し離れた所で数人の僧侶達と睨み合っている彼女に視線を向けた。
「奴さん、あくまでお前を助けに来たって体だが、ありゃ間違いねえ、単にネストールに良い所を見せたかっただけだ。実に健気なもんだよな?笑っちまうけどよ」
「・・・・・・」
身も蓋もないミルナーの言い様に、私はしばし絶句した。
そして、少し考えてみる。
姫様がここに来た理由。
ミルナーの言う事が全てだとは思わないけれど、でも、頷けなくも無い話だ。というか、私の為だとか美しい友情の為にだとか言われるよりも、余程納得が出来る。
それに、私と違って行動力と情熱を兼ね備えた彼女の事だ、実際に算段したかは別にしても、ネストールさんによく思われたいとは普段から考えているだろう。恋愛を優先して危険に飛び込む。王族の行動原理としてはアレかなと思うけど・・・って、何でそんな事がこの状況で関係してくるの?
一層、疑問が深まって、私は怪訝にミルナーを見返した。
「まあ、なんつうか、俺も良いところを見せたくなった訳だよ。将兵としての誇りやら、兄者の不始末の責任やら、そういう建前も含めてだけどな」
「そ、それって、どういう・・・」
「つう訳で、ジェラードは俺が絶対に何とかすっからよ。だから、ハクジャの奴にリュカを攪乱する役目は姫さんに『譲る』と、そう伝えてくれ」
「え・・・?」
良いところを見せたくなった?それに、役目を譲る・・・?
いや、意味としては分かる。ネストールさんと同じくミルナーも、ハクジャがリュカちゃんに接触する為には隙が必要である事を分かっているのだろう。だから、それを自分に代わって姫様に作って貰おうって事だと思うんだけど。
でも、明らかに言葉に含みがあったよね?
というか、普通に受け取ってみても、これじゃあ、まるで・・・。
「んじゃ、ま、今度こそ邪魔すんなよ。また後でな、アカネ」
場に似つかわしくない軽い調子の声に、言葉の意味を掴みかねていた私が視線を上げてみると、ミルナーの向こうでジェラードさんが凄絶な笑みを浮かべていた。
対峙するミルナーは腰元から銀細工の光る豪奢な鞘を投げ捨てて、傷付いた左肩を強引に上げて大上段に構える。
ミルナーが両手で剣を持ったところを初めて見た。それにいつもは速さを重視して構えらしい構えを取らないのに、これじゃ、不退転の覚悟のようで、まるで・・・。
「まるで、死んじゃうみたいじゃん・・・っ」
思わず呟いてしまった言葉に、私はまさかなとすぐさま否定して首を振った。
その拍子、手にこびり付いていたミルナーの血に気付いて、小さく悲鳴をあげた。
そして、その声を皮切りに、鉄を引っかいたような凄まじい剣戟の音が鳴り響いて、再び激しい戦いが始まった。
暴雨のような剣戟の連続に、もはや私の立ち入る隙などある訳もなく、頃合いを見て歩み寄っていたハクジャに後方へ連れ戻された。足取りがしゃんとせず、手元に視線を落としたきりの私に、怪訝に思った彼が声を掛けた。
「何があった?」
「こ、これっ・・・」
「血か。どこか怪我をしたのか?」
「ううん、そうじゃない、そうじゃなくて・・・っ」
早くも乾きつつある手中の血は、言うまでもなくミルナーのものだ。
だが、私が驚いているのはその事じゃなくて、この血糊そのものについてだ。
さっき彼の血を踏んでしまった時に感じた妙なベトつき、粘りが、この手に付いた物からも感じられる。
乾きかけているというのに、ぬめりだけが残っていて、顔を近付けてみれば最近嗅ぎ慣れる事となった臭いがぷんと鼻を突いた。
「落ち着け、何が言いたい?」
「あ、油なの・・・」
「油?」
そう、この臭いとベタ付きは、ネストールさんが石鹸等から抽出して「遠当て」の弾丸とするべくシーツに含ませていたあの油の物だった。よく思い起こせば、最後に残ったシーツの1枚は、ネストールさんが外で手に取って以来どこに行ったか分からない。
この手にこびり付いた油分の浮いた血は、ミルナーの傷口と肌着に触れた時に付着した物だ。
仮に、あの油にまみれた最後のシーツを、彼が肌着のように体に巻き付けて隠し持っていたとしたら?
私の手に油が付いた事にも納得がいくし、彼の戦い方が力が及ばないとは言え、あまりに愚直に接近ばかりを狙うものだった事にも説明がつく。
つまり、ミルナーはジェラードさんにどうにか密着するかして、そして自分ごと・・・燃やすつもりなんだっ。
悲愴な気持ちでハクジャを見上げてみるが、心が読める訳でも無い彼には私が何を言わんとしているか分かっていないようだ。
だが、よしんば説明出来たとしても、仮初めの体の彼に無理をさせる訳にはいかない。リュカちゃんを無力化させる唯一の手段を失う訳にはいかないし、それに、下手に動いてさっきみたいな事になっても困る。
そして、ネストールさんはその彼女の相手で精一杯。
となれば、あの2人の戦いに割って入れるような人間となるとキャンベル姫様だけなのだが、どう見ても彼女と僧侶達の戦いにも余裕がある様には見えなかった。
パワー全開の姫様であるので、通路内で戦った時のように遅れを取る事は無かったが、流石に同時に相手をする数が多過ぎたのか、僧侶はまだ4人残っている。
姫様が彼らを倒すのを待っていては確実に手遅れになるだろう。
私は大きく深呼吸をして、今度は多少は落ち着いた口調でハクジャに話しかけた。
「ハクジャ、た、確か短剣、持ってたよね?」
「ああ。用無しだからとミルナーから渡されているが・・・」
「それ、貸して」
怪訝な顔をしながらも、ハクジャは腰に巻いた布の下、太股の辺りに巻き付けてあった短剣を私に手渡した。
布を解いて掲げ持ってみると、リュカちゃんから貰った当初の毒々しい輝きはもう無かった。
これならウッカリ者の私でも何とか扱えそうだ。
「アカネよ、何をするつもりだ?」
決まってる。
ミルナーを助けるには、姫様のような戦闘に長けた人の手が必要だ。
けれど、その姫様はマッチョ僧侶と戦っていて手が離せない。
だったら、彼女に代わって、私が僧侶達の相手をすれば良い。
私は、顔の高さに短剣を持ち上げたまま、ハクジャの問いに引きつった笑みで答えた。




