その82
鎌首をもたげて眼下を睨み付けたまま、闇色の大蛇がピタリと動きを止めた。
だが、次の瞬間には小刻みに揺れだし、それと同時に聞こえ始めた空気の漏れるような音が蛇としての彼女の声である事に気付いた頃、改めてリュカちゃんの笑い声がそれに重ねられた。
「はははっ、それをお前が言うの?反乱軍を退ける為にアカネちゃんを人身御供に使ったお前が?」
「・・・・・・」
今度はネストールさんが黙りこくる番だった。
おかしくて堪らないと巨体を震わせた彼女に神殿の地面が僅かに鳴動する。崩れかけの天井からもパラパラと石片が落ちてきて、これ以上崩れてくれるなよと肝を冷やしながら、私は静かにネストールさんの次の言葉を待った。
視線の先でキッとリュカちゃんを見返すと、彼は堂々とした態度で口を開いた。
「それは、それです」
み、認めたーっ!
普通に認めちゃったー!
変に誤魔化さないところがネストールさんらしいという気もするんだけど、ここは何か美辞麗句でズバッと決めて欲しかったような・・・。
けれど、その言葉は彼女にとっては感じ入ったものだったらしく、先程よりも大きな揺れが2度3度と続いた。
「ふふふ、お前、面白いね。それと、ワタシの過去については、やっぱりアカネちゃんも知っているの?」
「ええ、ハクジャがそれはペラペラと、饒舌に語っていましたよ」
「そう。困ったものね、アイツにも」
ん、という事は、ひょっとして昨夜のハクジャとの会話を聞かれていたのかな。ネストールさんは完全に寝入っていたと思ったけれど、何て抜け目のない。
自分の預かり知らないところで過去をバラされた形となったリュカちゃんは当然それが気に入らないのだろう、赤暗く染まった目が彼を飛び越えて私の方に向けられる。
ひぃっ、堪忍やあっ、仕方なかったんやぁと慌てふためいていると、その視線は微妙にズレていて、よく見れば、いつの間にか前方の柱の影へと移動していたハクジャに向けらているようだった。確か、彼は姫様に庇われた私の更に後ろに居た筈だけど、何故あんな所に?
すると、疑問に思う間も無く、リュカちゃんの声が高らかに響いた。
「ふふ、隙を突こうったって駄目だよ。ハクジャ、『動くな』」
「ぐっ・・・」
斜め前方にある中程からへし折れた石柱を背に、ハクジャは膝を折った姿勢のままその動きを止めた。
犬歯を覗かせて食いしばった口のすぐ横を汗が流れ落ちて、筋走った手首の辺りには無数の血管が浮き上がる。だが、それでも指一本動く事は無く、どうやら本当に彼はその場に縫い止められてしまったようだった。
ハクジャ自身の説明から、彼女の命令に文字通りの拘束力がある事は折り込み済みだった訳だけど、ここまで露骨なものだとは思わなかった。
驚きに目を見開く私の前で、彼はバランスすらも取れず、片膝に手を付いたまま前に倒れた。受け身を取れなかったせいで、まともに打ちつけてしまったようだ、ゴツンと痛そうな音がこちらにまで聞こえてきて、私は慌てて彼の元へと駆け寄った。
「ハ、ハクジャ・・・っ」
「気にするな。それより、こっちに近寄るんじゃない」
「えっ?」
「ハクジャ、『アカネちゃんを捕まえて』」
リュカちゃんから言葉が発せられた途端、石像のようだったハクジャはすっくと起きあがって、前のめりに私に向かって両手を伸ばしてきた。格闘ゲームで対空技が出せた記憶の無い私がそれに反応出来る訳も無く、疑問の形に口を開けたまま体を強ばらせていると、横合いから飛び込んできたキャンベル姫様がハクジャを殴り飛ばした。
「・・・・・・」
助けて貰っておいて何だけど、その、何というか、容赦が・・・。
「な、何ですの、その目はっ!ちゃんと加減はしてありますわ!というか・・・っ」
駆け込んできた勢いで体を沈み込ませた姫様は、そう言った直後にすぐさま振り返って背後へとナイフを投擲した。それは硬直したままの私の目の前を一瞬で横切って、その行方を追おうとした瞬間、甲高い金属音と共に間近へと弾き返された。
あぶなっ!と、咄嗟の事でようやく動けるようになった私は慌てて後ろに下がって、そして、迫りつつあった僧侶達の姿を視界に収めた。
「余裕が無いのですわ!ですから、迂闊に動かないでくださるかしらっ!?」
「ごっ、ごめん・・・っ」
身を翻してマッチョ僧侶達と対峙する姫様の背中に、私は思い切り頭を下げた。
ネストールさんの戦いの方に気を取られて忘れていたが、リュカちゃんの他にも戦う相手が居たんだった。私は邪魔にならないように更に後退すると、盛大に後方へ殴り飛ばされていたハクジャと合流した。
体を起こす気配は無いが、硬直は多少解けつつあるようで、ざんぱらの白い前髪の間から鋭い視線が見返される。
「だ、大丈夫?」
「ああ。それより、ネストールの戦いはどうなっている?」
「え、えっと・・・」
そうか、体が動かないから見えないのか。
ハクジャの要請に従って、私は、姫様が大立ち回りを演じる向こう側、ネストールさんの方へと視線をやった。
私達を巻き込む事を避ける為か、彼は一際距離を置いた場所で戦っていた。
さっきやったような「遠当て」による回避を駆使しつつ、柱から柱へと移動しながらうまくリュカちゃんの熱線による攻勢に対応している。詠唱というハンデを感じさせない、ここから見ていると即時発動しているように感じられる魔法の手際は流石ネストールさんといったところだ。けれど・・・。
「に、逃げるので精一杯、みたい・・・」
「そうか」
何かしらの感情を込める事もなく、ハクジャは短く相づちを打った。
淡々とした声が逆に諦念にも思えて、私は力無く肩を落とした。
ネストールさんの戦いぶりは見事だけど、実質的には攻め手が無くて逃げているだけだ。
リュカちゃんの攻撃は強力で接近が難しく、それに加えてあの巨体だ、防御面で言えばそれだけで圧倒的で、生半可な攻撃が通じないだろう事は見ただけで分かる。
今のところ、それを生かすような直接的な攻撃は無いようだから、このまま防戦に徹する事は出来るかもしれないけど、有効な攻撃手段が無い以上、彼に勝ち目があるとは思えなかった。
絶望的な気持ちになって俯いていると、大分硬直が解けてきたらしく、上体を起こしたハクジャが私を見上げて口を開いた。
「ネストールは思ったよりよくやっている」
「・・・?」
「時間を稼ぐという役割をうまく担っているという事だ。アカネよ、この戦い、別に各個が勝つ必要は無いのだぞ?」
「・・・あっ」
「オレ達の勝利条件は【雲母砂子】の張り替えだ。要はオレがリュカに接触し、力を取り戻しさえすればそれで勝ちだ」
そ、そうだった。別にネストールさんがリュカちゃんに勝つとか、そういう必要は無いんだった。
私達の目的はあくまで【キラスナゴ】で、相手を倒す事ではない。だから、ハクジャはさっき不意を突いてリュカちゃんに近付こうとしていたのだろう。
でも、待てよ。ハクジャの体は彼女に食べられちゃった訳だから元の状態に戻る事は出来ない。今の分身のような状態の彼だけで、果たしてリュカちゃんから力を取り戻せるのだろうか?
「力・・・、取り戻せるの?」
「問題無い。今のリュカは、オレの体を余すところなく取り込んだ状態だ。接触さえ出来れば、元の体とリュカに与えていた力共々まとめて吸収する事が可能だろう」
「・・・・・・」
何というデタラメな体の造り・・・。
だが、その言葉を信じるなら、やる事は当初の作戦からそう変わらない事になる。
真っ向から当たってリュカちゃんを無力化させる事は無理でも、何とかしてハクジャが接触しさえすれば、結果的に無力化は成るという訳だ。
ちょっと目的と手段が入れ替わっちゃった感はあるけれど、これで再び希望が見えてきたかもしれない。
沈み込んでいた私が勢い込んで顔を上げてみると、淡々としたハクジャの声が冷や水ちっくに打ち掛けられた。
「ただ、その辺りはリュカも承知の上だ。先程も直接己の体で攻撃する事が無かっただろう?あれは、蛇の体に慣れていないという事もあるだろうが、何より乱戦になっての不意打ちを恐れているからだ。オレを視界に留めておきさえすれば、あれが負ける要素は無いのだからな」
私は、その言葉を確かめるべく背後を振り返った。
数人がかりでやっと手が回せるだろう神殿の柱がやけに細く見えて、スケール感の狂いに目をしばたたかせながら目線を上げていくと、天井近くの暗闇の中で赤い眼が頻繁に動かされているのが見て取れた。
ネストールさんとの戦闘中だというのに彼女の意識はこちらから逸らされていないようで、しかも、直接的な攻撃をしないので体勢が変わるという事が無く、常にリュカちゃんの視界に私達が収まる感じの位置関係になっている。
ひとまず、視線が合ってしまった彼女の方に引きつった笑みを返してから振り返ってみると、ハクジャが地面に座り込んで戦況を見守っていた。どうやらリュカちゃんの言葉による拘束は長時間に渡るものではなかったようだ。それは救いなんだけど、でも、一体どうしたら・・・。
「そういう意味で、ネストールは予想以上によくやっている。リュカを戦闘へと没頭させ、隙を作る事こそが肝要だと気づいているのだろう。が、力の差からそれは不可能だ。そこで、ミルナーの動きが重要になってくるのだが・・・」
そうだ、ミルナーだ!
別にネストールさんがリュカちゃんを倒す必要はない。気を逸らす事さえ出来れば良い訳で、そうなるとミルナー以上の適役はいない気がする。剣とかの直接的な攻撃でどうにかなるとは思えないが、彼の身のこなしや戦闘力は人知を越えているから彼女としても無視出来ないだろうし、きっと攪乱にも有効に働く筈だ。
私はハクジャの視線の動きに釣られるようにして、しばし埒外となっていたミルナーの姿を探した。
すると、ちょうど良いタイミングで彼が吹き飛んできた。
「ちっ、ちっ、血デジカ・・・って、ちがっ!」
某角として生えているアンテナをマーキングの為に屋根に設置するという謎設定を持つ鹿の事はどうでも良いとして、私は、間近の柱に叩きつけられたミルナーの方に急いで振り向いた。
彼の額からはおびただしい量の血が流れ出していて、視線を下げると腕や太股の辺りにも無数の裂傷が走っているのが見えた。深い傷では無いようだったが、それら以外からも出血しているようで、赤黒く染まった上着が既に彼が満身創痍である事を私に伝えていた。
石柱に体重を預けて何とか中腰になった彼の表情にはもはや余裕の色は無く、構えた右手の剣先も出血のせいか僅かに震えているようだ。
近くで戦闘を繰り広げていた姫様と僧侶達も動きを止めて、ミルナーをあっけなく傷だらけにして弾き飛ばした長槍の持ち主、長身の男の方を見やる。
「ジ、ジェラード、さん・・・」
「・・・・・・」
風切り音と共に無言で手元に戻された槍の動きはこんな状況の中でもすこぶる流麗で、冷たい眼差しで前を見据えるジェラードさんを私は呆然となって見返した。
マッチョ僧侶達と揃いの僧衣は未だに違和感が強いが、その真っ直ぐな立ち姿は甲冑を着込んでいた頃と何ら変わる事が無い。
だが、短く切り揃えられていた暗めの金髪は無造作に伸ばされていて、眼帯に隠されていない右の瞳は暗く落ち窪んでいるように見え、イグラードで溌剌とリハビリに励み、兵達の訓練を笑って見守っていたあの頃の優しげな雰囲気は微塵も感じる事が出来なかった。
「立て、ミルナー。よもや、それで終わりとは言うまい」
「けっ、相変わらず容赦がねえな、兄者は」
軽く笑い声を立てて、それきり動けないだろうと思っていたミルナーが柱から反動を付けて数歩前へ出た。流血と共にべたりと張り付いた前髪を鬱陶しげに振り払って、ふらつきながらも眼前のジェラードさんへ剣を構える。
未だ戦意衰えぬその姿に恐いものを感じて後ずさると、足の裏にヌルリとした感触があった。
どうやら地面に飛び散っていたミルナーの血を踏んでしまったらしい。素足の裏、指先に近い辺りで妙に粘つく感触に私が怖気と疑問を感じていると、傍に寄り添ったハクジャから囁くように声が掛けられた。
「アカネよ、くれぐれも邪魔をしないようにな。ネストールに決め手が無い以上、この戦いこそが突破口となる」
「う、うん・・・」
一歩、後ろに体を引くと、足先に付いた血が地面に跡を引いて長く伸びた。
その光景にイヤな予感を覚えながら、私は眼前で再び始まりつつあるイグラードの将軍同士の戦いに目を向けた。




