その81
しかも、窮状はそれだけに止まらなかった。
音も無く大蛇の周りを取り囲むように動きつつあった灯火の下から、僧侶達が姿を現したのだ。
掲げ持った松明に自身をも照らし出して、筋骨隆々の男達が続々と闇の中から歩み出る。そして、それら巨漢の並ぶ一番後ろには、身長を優に越える槍を手にしたジェラードさんが控えていた。
鋭い視線は揺らめく炎のせいで異様なまでにギラついて見えて、大蛇が僅かに身じろぎした拍子、私は空恐ろしくなって一歩体をよろめかせた。
皆が余裕を無くして彼らを見据える中、リュカちゃんの思念とも言うべき言葉が至近に響く。
「10日ぶりぐらいなのかな?ほんと久しぶりだよね、アカネちゃん」
「・・・う・・・うん」
喘ぐように返事をしながら、私は、声に合わせて頭を動かした大蛇の方に視線を向けた。
爛々と赤く光る双眸からは表情のようなモノが感じられて、それが今の言葉を発したモノに違いないという事が不思議と実感出来た。
だが、これがリュカちゃんだと言うのなら、私が楽観的に描いていた平和的な解決はもはや望めない。ハクジャを・・・食べて、こんな姿にまでなって力を取り戻したという事は、彼女は戦う気でいるに違いないのだから。
耳元で語りかけられているような彼女の声が、それを証明するかのように言葉を紡いでいった。
「来てくれたって事は、そこに居るネストールを殺す決心が出来たって事だよね?」
「そ、それは・・・」
「ううん、いいの。アカネちゃんが手を汚したくないって言うのなら、それでいいの。だって、ここに連れてきてくれたって事は、その人を殺して欲しいって事なんでしょう? それで十分だよアカネちゃん。任せて、ワタシがちゃんと殺してあげるから」
「リ、リュカっ・・・ちゃん!?」
途端に、黒色の小山のような巨体が襲いかかる下準備とでも言うように深く屈められた。頭が下ろされた事で幾らか近くに見えるようになった彼女の眼差しからは、もはや無機質な輝きしか感じられない。
「・・・ジェラード、貴方はあの赤毛を始末しなさい。僧兵長、お前達はアカネちゃんを捕まえて。絶対に傷つけちゃ駄目だよ?」
「御意に」
引き絞られた弦のように力を漲らせながら、リュカちゃんは自分の両横に展開していた木偶達に指示を出した。
返事と共に彼らは一斉に動き出して、眼前にあった距離を見る間に詰めてくる。
その中には当然ジェラードさんの姿もあり、あたふたと慌てるだけだった私は、即座に姫様の背後へと庇われた。
「・・・6、7か、結構残ったな。姫さん、あの木偶どもは任せるぜ?」
「承知しましたわ」
「で、ネストール、お前は・・・」
「私はリュカの相手に専念します。ミルナーはジェラードを」
「へへっ、そう来なくっちゃな!」
完全に機先を制された形となったにも関わらず、ネストールさん達の反応は恐ろしく落ち着いたものだった。
即座に役割の分担をし終えて、ミルナーなどは陽気に笑ってさえいる。
当初の予定には不満そうでもあったから、自身の手でジェラードさんにあたれる事が嬉しいのかもしれない。それは武人の思考故なんだろうか、兄を迎え打つべく喜々として飛び出したミルナーを私は複雑な思いで見送った。
「アカネ、もっと後ろに下がりなさいな!ネストール様の邪魔になってしまいますわっ」
「っ・・・うんっ」
一瞬、状況も忘れて呆けていた私は、姫様の鋭い声で我に返った。
先頭に立って前を見据えたままのネストールさんからも、下がれというような手振りが送られる。
そうだ、ピンチなのはミルナーだけじゃない。ネストールさんは大蛇となったリュカちゃんを何とかしなきゃならないんだ。相手にするのはあの巨体だし、彼がそれとどうやって戦うつもりかは分からないけど、このまま近くに居ては邪魔でしかない。私は、ハクジャと共に通路の方へ戻る形で、出来る限りネストールさんから距離を取った。
既に前方へと走り出していたミルナーもその辺りの事を考えていたのだろう。立ち並ぶ石柱の間を抜けながら意図的に広間の外周部を目指しているようで、それに対するジェラードさんも引き付けられるように外側へと進路を取っている。その一方で、併走していた木偶達はミルナーには構わず、一直線に私達の方へと向かっていた。
位置的に言えば、突出したミルナーをジェラードさんと協力して叩く方が楽だろうに、流石に作られた物は造物主に忠実だった。ともかくこれで、戦場は3分された形となった訳だ。
そして、その状況を待っていたかのようなタイミングで、遙か前方、身を縮こめるようにしていたリュカちゃんが、その力を解き放った。幾重にも折り重なった薄紫色の蛇腹が、シャアアいう甲高い咆哮と共に一気に引き伸ばされる。
ここから見ていても怖気立つ凄まじい迫力に、繰り出される突進の威力は如何なるものかと顔を青ざめさせていると、意外にもそれ以上リュカちゃんが接近する事は無くて、どこぞのテーマーパークの入り口のように大きく開けられた口から目映い光の玉が放出されただけだった。
大蛇の眼と色を同じくする赤い光玉は次第にその速さを増していき、些か拍子が抜けて瞬きした後には一本の線となっていて、驚異的な速度でネストールさんへと襲い掛かった。
真っ赤な熱線と化したそれが、私の足枷を焼き切った魔法と同じ輝きを放っている事に気付いて、私は声にならない叫びを上げた。
一見、直線の攻撃であるそれは回避しやすそうに思えるのだが、速度が早すぎて生半可な身のこなしでは躱せそうにない。しかも、ネストールさんは私と同じく巨体を生かした直接的な攻撃を予想していたらしく、未だに回避する様子が見られなかった。熱線が肉薄して赤く照らされた彼の姿を、私は絶望的な気持ちになって見続けた。
着弾の瞬間、広がった光に身構えるも、予想したような衝撃は無かった。
だが、ネストールさんが立っていた辺りには3メートル位の溝が広間を両断するように穿たれていて、放たれた熱線の威力をまざまざと見せつけていた。石の床はどろどろに溶けていて、湯気のような白い煙がもうもうと立ち登っている。
しかし、それも視界を隠す程ではなくて、慌てて彼の姿を探してみるが、どこに視線を向けたところで彼を見つける事は出来なかった。
あの熱線を浴びて跡形もなくなってしまったのだろうか、私は泣きそうになって彼の名を呟いた。
「ネ、ネストール、さん・・・」
「はい?」
ぎゃああああっ!?
私は思い切り飛び上がってその場に尻餅を付いた。
さっきのリュカちゃんの時と同じく、思わぬところから幽霊の如くに声が聞こえて心底驚いた。
キョロキョロと辺りを見回しながら、収まりきらない動悸と共に何とか立ち上がってみると、手を貸してくれた姫様が「あそこですわ」と指をさした。動転した私はアホの子のようにその指先をまじまじと見つめて、呆れた姫様がぐにゅりと顔ごと掴んで上に向けた。
「と、とん・・・トパンガリ、ちがっ」
飛んでるっ!
思わず某ゲームの頂上決戦名を口にしかけた私は、またもやアホの子のようになって、宙に浮かぶネストールさんの姿を見上げ続けた。
ぷかぷかと浮かんでいた彼は、やがて、不安定ながらも器用にバランスを取って地面へと降りてきた。
こうやって見る限り、シャツの裾が派手に乱れているぐらいで怪我をした様子も無く、ネストールさんの無事な姿に私はまた腰が抜けそうになった。幸い、まだ姫様に顔を掴まれたままだったので倒れるような事は無く、鈍い首の痛みに正気に戻った私は、でも、どうやって避けたんだろう?と不思議に思って眉をしかめた。
すると、心を読むまでもなく意を汲んだネストールさんが、得意げに答えてくれた。
「『遠当て』を自分に使ったんですよ。空中制動には問題がありますが、咄嗟の回避行動程度には使えるようです」
なるほど、そういう事か。
何十メートルにも渡ってシーツやら木偶やらを吹き飛ばしたネストールさんの今の『遠当て』なら、瞬間的な推進力という意味では申し分が無い。下手に動いてしまうよりも、自分の体ごと魔法で一瞬で飛ばしてしまった方が安全に避けられるだろう。それどころか、慣れれば、空を自由に飛びたいなー、という願いにも答えてくれるかもしれない。
夢が広がるなあ、と私が脳天気な事を考えかけた時、リュカちゃんのくぐもった声が鼓膜に響いた。
「ふぅん、貴方もハクジャの血を飲んだのね」
子供が癇癪を起こす寸前のような雰囲気に、緩みつつあった緊張が再び周囲に走った。
不満そうな口振りは言うまでもなくハクジャへの不信の表れだろう。
警戒を強めて体を強ばらせていると、今度は思いの外、面白がるような声が続いた。
「ふふふ、だったら、結構楽しめるかも。じゃあね、こういうのはどうかな?」
癇癪を起こすにも、人によってパターンは色々で、大別するとそれには2種類あると思う。
1つ目は大声をあげるなりして、身振り手振りで怒りを発露するパターン。これは感情表現自体がストレスの発散を兼ねているから、及ぼす被害は意外と大したことが無い。
次の2つ目は、表面上は変わりなく、しかし水面下では怒りがたぎっていて、脈絡無くそれが発露されるパターン。これには大抵大きな被害が付きまとう。力任せに崩される積み木やら、投げつけられる皿やら。周囲の人間はたまったものでは無いだろう。
思うに、リュカちゃんの場合はこの後者の方で、だから、デタラメに熱線が連射される事になってもおかしくはなかったのだ。
夜空に舞うレーザー照明のように、神殿内を幾筋もの熱線が乱れ飛ぶ。
そのいずれにも狙いが定まっておらず、ネストールさんも含めて私の方にも直撃するという事は無かったが、その代わりに林立する石の柱が次々と切り刻まれていった。ある物は真ん中で真っ二つに切断され、ある物はこれでもかという位に細かく微塵にされていく。
リュカちゃんの怒りの発露そのものの状況に身を栗立てて立ち尽くしていると、意図の見えない攻撃に考え込むようだったネストールさんが、突然大きな声を出した。
「アカネ様、さがって!」
その声に、私よりも姫様が先に反応して、腕を取って強引に後ろへと連れて行く。
続いて、ネストールさんも慌てた様子で駆け寄ってきて、それを見返した辺りで私はようやく状況を把握した。
一見、無差別に破壊された石柱群。だが、それは私の視界に収まる範囲でしかなくて、そして、柱というからには当然支えていた物があった。私が立つ直上では、支えを失った天井が崩れて始めていて、四角く切り出されたブロック状のそれが、雨のように降り掛かりつつあった。
ブロックと言っても、それぞれがとてつもなく大きくて、それらのうちの1つでも落ちて来たら私の命は無いだろう。
姫様のお陰で逃れつつはあったが、微妙に間に合わない気がする。
巻き込んでしまったかもしれない彼女にすまなく思いながら、走馬燈って実際には無いものなんだなと観念していると、お腹の辺りに押されたような感触があった。
それと共に足の裏が地面から浮いて、突然の浮遊感を気味悪く思う間も無く、私は爆発的な加速で後方へと飛ばされた。
「ふふ、『遠当て』をアカネちゃんに使っちゃったね。じゃあ、次はどうやって避けるのかな?」
ガラガラと崩れ落ちる石片は、ネストールさんの方には落ちていない。
だが、魔法を使った直後で無防備となった彼には、改めて、今度は間違いなく狙いをしっかと定めた熱線が大蛇の口先から放たれた。
そうだ・・・、幾ら強くなったとは言え、リュカちゃんと違ってネストールさんの魔法には詠唱の為のラグがある。
つまり、リュカちゃんは私を囮にした?
後ろに倒れ込むような姿勢になって、加速と共に流れていく景色の中、私は震える手を懸命に伸ばした。
しかし、それで状況が変わる訳もなく、為す術無く立ち止まったネストールさんを呆然となって見つめていると、彼に迫りつつあった熱線が、崩れ落ちてきた柱の1つにぶつかった。
幸運にも、リュカちゃんと彼との直線上に倒れてきたらしい。だが、その程度で熱線を止める事は出来ず、あっさりとその柱を貫通すると、元の勢いそのままにネストールさんに向かって光の束は殺到した。
すると、またもや、その進路上に柱が崩れ落ちてきた。思い切り背中を打ちつけて着地しながら、私は再度の幸運に心中で喝采を送った。
だが、それでも熱線をせき止める事は出来ず、ネストールさんとの距離は刻々と埋められていった。そして、次の瞬間、驚くべき事が起こった。
三度、熱線の進路上に石柱が倒れてきたのだ。
しかも、倒壊はそれだけでは終わらず、幾本もの柱と石片がそれに続いて、とうとう私の近くで倒れかけていた柱までもが、磁石に引き寄せられるようにして飛んでいったのだ。
ここまで来ると、私にもそれらの石柱が偶然倒れ込んだものでない事は分かる。
これらは意図的に、熱線を防ぐバリケードとして配置されたのだ。
ゴオオと、すれ違うように飛んでいった柱の後方からはロケットエンジンのような風の唸りが聞こえて、私はその意図がネストールさんによるものだという事に気が付いた。
まるでドミノか何かのように、重なって並べ置かれた石柱の壁。
熱線はそれでも半分程までは焼き切り、溶かしていくが、やがて勢いを無くして音も無く消失した。
仁王立ちとなったままのネストールさんの襟口がかすかに風に揺れて、ゴォンと、腹立ち紛れに叩きつけられた長大な尻尾による振動がそれに続く。
「何故なの・・・?詠唱する暇は与えなかった筈・・・」
そして、純粋に疑問だというような口振りのリュカちゃんの声が辺りに響いて、口角を僅かに上げたネストールさんがそれに答えた。
「詠唱というのなら、そもそも最初の攻撃で私が咄嗟に飛んで逃げられた訳も無いでしょう?予め、全て仕掛けておいたのですよ。私自身には勿論、周囲の柱や壁、天井なんかにもね」
「・・・それって、ワタシが柱を壊す事が分かっていたって事?」
「私、言いませんでしたっけ。貴女はアカネ様の友人にふさわしくないと。それは、こういう幼稚な行いをする方だと見抜いていたからですよ。であれば、熱線攻撃をする事は予め分かっていた訳ですから、こうやって備えるのは実に容易い事です」
言いながら、ネストールさんは溶けて微妙に形の変わってしまった石柱をコツリと蹴った。
その余裕っぷりを憎らしく思いながら、私は握り締めたままだった拳をゆっくりと開いた。情けない事に指先がまだ震えている。
容易かったなんて彼は言ってるけれど、『遠当て』がそんなに便利に使える物じゃない事を、私は過去の経験から知っていた。
確かに『遠当て』は時限式で、発動タイミングを任意に設定出来はするが、方向や強さまでもがその時に決められてしまう訳で、余程、未来予測が確かで無ければ意図通りの効果は得られない。
つまり、ネストールさんは、リュカちゃんが苛立って柱を壊し、私を囮にして出来た彼の隙を突くという、一連の流れを予測していたという事になる。
なんちゅう恐ろしか人ばい・・・。
驚きのあまり、私が故郷(東京)の言葉を心中で漏らしている間に、ネストールさんは前方の大蛇に向けて穏やかに話しかけた。
「貴女自身もこれで分かったんじゃないですか?アカネ様を囮に使うような人間が友人にふさわしい訳が無い。貴女の身の上には同情しますが、おとなしくこの場を放棄しては頂けませんか?」
「・・・・・・」




