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その80




 隠し通路の狭い階段を降りてから、私は肩越しにキャンベル姫様達の様子を窺った。

 早とちりしてしまった事をまだ気にしているのか、彼女はどことなく浮かない表情で歩いている。そしてその後ろ、最後尾を歩くハクジャはと言えば至って平静で、歩く姿にもどこかしら変わった様子は見られなかった。

 あれだけ派手に殴り飛ばされて怪我一つ無い事もそうだけど、変態呼ばわりされて平気な顔なのにも驚かされる。

 状況としては、上半身裸で私に近付きつつあった不審者を姫様が咄嗟に成敗してしまったという、早い話がただの勘違いだった訳なんだけど、こうして見ているとどちらが成敗された側なのか分からなかった。

 表面上は大差無いのだが、普段が太陽のような姫様であるから、それが少しでも陰ると凄く目立つ。彼女はハクジャの事を知らなかったのだから、そんなに気にする必要は無いと思うんだけどなあ。


 私は、勘の良い彼女に気付かれる前にそそくさと視線を戻して、凹凸の激しい小道を進んでいった。剥き出しの土壁から繋がる地面には大小の砂利が散乱していて、時折、素足の裏にチクリと痛みが走る。

 姫様が気にしているのは、事の顛末に大笑いをしたミルナーの手前、謝るにも謝れなかった事なのか、それとももっと別の事なのか。


 

 そんな風に姫様の事を考えるうちにもトンネルのような隠し通路はあっさりと終わりを告げて、私達は見慣れた簡素な石壁が続く神殿内へと戻って来たのだった。

 相変わらず土砂やら木偶の残骸やらが山積して歩きづらい通路を、先頭のネストールさんが軽々と越えて進んでいく。

 数メートルを過ぎた辺りで私達に振り返ると、おもむろに口を開いた。


「やはり、この辺りからは通常の空間のようですね。時間の流れが正常です」


 言いながら、手元に持った懐中時計をこちらに向けてかざす。


「てことは、もうくっついて行動しなくても良い訳だな?」

「ええ。肝心の広間まで辿り着いても各個に動けない可能性があった訳ですが、どうやらそれは考えなくて良いようです」

「へっ、そりゃ笑えねえ可能性だな」


 軽く笑って言いながら、歩くスピードを上げたミルナーは面白がるようにネストールさんを追い越していった。

 道中、迷子防止の為に密集して移動してきた訳だが、そのまま戦うとなれば確かに笑えない。

 多分に解放感もあったのだろう、これ見よがせに距離を取ったミルナーがそのまま先に進んでいって、そして、しばらくすると、急に立ち止まってこちらに振り向いた。


「おい、どうやら、ゴールらしいぜ?」


 慌てて駆け寄ってみれば、前方、薄暗かった通路は先の方からにわかに明るくなっていて、あれだけ長かった直線がその辺りでぷつりと途切れている。四角く見切れた道の向こう側からは松明に照らされた石柱が幾つか垣間見えて、私はその広間に行った時の事を思い出した。


「アカネ様、あれが貴女の言っていた広間ですか?」

「う、うん・・・たぶん」

「分かりました。では、皆さんこちらに」


 いよいよ、広間に辿り着く。

 リュカちゃんの居る教主の広間に。

 そこで何をするべきか。彼女に何を言うべきか。

 私が物思いに耽る横で、ネストールさんは集まってきた3人に向けて話し始めた。


「状況説明も含めた手筈の最終確認をします。よろしいですね?」


 この言葉の大半は事情知らない姫様に対してのものだったのだろう、彼女が頷いて答えるのを確認してから、ネストールさんは言葉を続けた。


「まず、私達が最優先とする目標は【雲母砂子】と呼ばれる魔法の維持、張り替えです。これに関してはハクジャにしか出来ません。また、この【雲母砂子】は広間の地下室に存在しており、そこに到達するには教主であるリュカ、及びその配下、ジェラードの妨害が予測されます」

「・・・その、魔法の効果は何なんですの?」

「実態は不明ですが、ハクジャによれば、世界規模での魔法の効果減退、封印のようなものだとか」

「魔法の・・・封印?」


 目を見開いて聞き返した姫様に、横に立っていたハクジャが補足するように言葉を付け加える。


「そう言うと信じられないかもしれないが、【雲母砂子】の効果はそこまで実際的なものではない。魔法の素養がある者に、あらかじめ破壊的な用途には使えぬようにと働きかける、精神に作用する類のものだ。従って、本当に魔法そのものを封じている訳では無い」


 精神に作用・・・か。

 過去の天才魔法使いが生み出したという人々から気力を奪う魔法、【キススナゴ】はそれを真似て作られたモノなのかもしれない。

 

「ともかく。理屈は良いとして、効果を失いつつあるその魔法を何とかしようというのが、我々の目的です」


 補足を受けた姫様がますます眉間の皺を深くさせたのを見て、ネストールさんが簡潔に話をまとめた。

 彼女からは一応、といった感じの頷きが返されて、彼は「次に・・・」と本題へ入っていく。


「障害となるリュカとジェラードに関しては、私が魔法で抑えます。そして、無力化した後にミルナーが双方を捕縛し、ハクジャがリュカから力と体を取り戻して地下の【雲母砂子】を張り替えます」

「ネ、ネストール様だけで・・・ですの?」

「そうです。特にリュカは優れた魔法の使い手であるので、私が相手をするのが得策でしょう。また、ジェラードに対しても、接近さえされなければ圧倒できるものと予想しています」

「・・・本当ですの?」


 と、怪訝な感じに姫様が聞き返したのは自分だったので、私は慌てて頷いて答えた。

 そして、答えてしまってから、「だよね?」とハクジャの方に確認の眼差しを送る。


「リュカの魔力はとっくの昔に尽きてしまっている。現在のネストールであればあれを上回っていると保証しよう」


 淀み無く言ってのけたハクジャに、姫様が渋々ながらも「そうですの」と頷いた。

 この辺は経緯を知らなければ実感の仕様もないだろう、そう考えたのは姫様も同じだったようで、それ以上訝るような声があがる事は無かった。どうやら、話を進める為にも自分の中で落としどころを見つけたらしい。

 そして、彼女は気を取り直すように前髪をかき上げると、今度はミルナーに向けて問いかけた。


「ミルナー将軍、そのリュカという娘の側にジェラード将軍が居るというのは、やはり本当なんですの?その、偽者とかではなく?」

「本当だよ、姫さん。仮に偽物だとしても、俺にあっさり勝てるような奴だ。驚異だって事には変わりはねえよ」

「そう・・・」


 それきり、姫様は何かを考え込んだ様子で黙りこくってしまった。

 主従の関係とは言えど、ジェラードさんとの付き合いは私なんかよりずっと長い筈だ。思うところが色々とあるのだろう。

 会話が途切れて重い空気が立ちこめそうになった時、ネストールさんが上手いタイミングで口を挟んだ。


「という訳で、私とミルナーは手一杯になります、ですから姫様にはその間、アカネ様の事をお願いします。頼めますか?」

「はっ、はい、わかりましたわ、お任せを」


 様々な思いと疑問が残るものの、自分の役割がはっきりとした事で、姫様は初めて明快な了解の声を返した。

 ネストールさんもそれに頷き返して、そして、それで以て最後の作戦タイムとも言うべき時間は終わったのだった。


 これで手筈、作戦と言うには大ざっぱ過ぎるかもしれないが、細かいところは実戦のプロであるネストールさんとミルナーの判断に委ねる他ない。

 それに、本当に戦いになるかどうかはまだ分からないのだ。

 できる事なら私がリュカちゃんを説得して、そして、ジェラードさんとも戦う事なく一緒にイグラードに戻られたなら、それが最高の作戦である。

 私は、再び広間に向けて進路を取ったネストールさんとミルナーの背中を見つめながら、どうか上手くいきますようにと強く胸に手を当てた。



 

 普通の通路である以上、そこから見えた距離感通りに間もなく広前へ到着した私達は、林立する石柱の間に目を凝らすようにして周囲の様子を窺っていた。

 複数の松明に照らされて自分の周りと足元はすこぶる明るいが、柱の向こうは依然として暗く見通しが悪い。また、ザァーという間近に流れる滝の音にも邪魔されて、気配を読み取るという事が困難だった。

 それでなくてもだだ広い石室の中、警戒すべき方向は360度に近い訳で、ミルナーも話掛けるのが躊躇われる程に真剣な表情で周りに気を配っている。

 


「アカネちゃん」


 すると、何の脈絡も無く、間近からリュカちゃんの声が聞こえた。

 驚き過ぎて倒れそうになった私は危ういところを姫様に支えられて、一体どこから?と周囲に視線を走らせた。

 

 ゲームや映画などの立体音響で背後から聞こえた音に驚くなんて事が稀にあるが、このリュカちゃんの声はそれとは違う。

 音の出所に驚くんじゃなくて、音の出所が分からなくて驚いたのだ。

 不思議と滝の音には紛れず、はっきりと聞き取れた筈なのに、しかし、その声がどこからしたかは分からない。

 その手の感覚が鋭いであろうミルナーや姫様すらが、惑うように視線を忙しなく動かしていて、そして、信じられない事に、最後尾に居たハクジャが狼狽えていた。

 痛みすら写さなかった表情が苦しげに歪められていて、食いしばった口元からは今にもギリギリと音が聞こえてきそうだ。

 警戒を続けるうち、ハクジャの様子に気付いたネストールさんが擦り足の格好で後ろに下がってくる。


「ハクジャ、どうかしたのですか?」

「・・・まずい事になった」

「どういう事です?」


 押し殺したように返された言葉は意外にも落ち着いていて、けれど、言外には悔しげな響きが含まれていた。

 隣に並んだネストールさんの方を視線だけで見返して、ハクジャが続けて口を開く。


「先程お前が言った手筈、その通りにはいかなくなったようだ」

「・・・っ!?」


「アカネちゃん」


 またっ!?

 ハクジャの発言を疑問に思ううちに、またしてもリュカちゃんの声が聞こえてきて、私は慌てて左右を見渡した。

 しかし、やっぱり声の出所は分からなかった。

 凄く近くから聞こえたような気もするのだが、実際に見える範囲には誰も居ない。

 聴覚と視覚の差、認識の齟齬のようなものに私がますます困惑を深めていると、ハクジャから幾分強い調子で声が掛けられた。


「落ち着け。この声は通常の声帯を通しての物では無い。だから、出所を把握しようとしても無駄だ」

「カラクリが分かってんなら、さっさと言えよ。先制が取れなかったってだけの意味じゃねえんだろ?」


 苛ついたようなミルナーの声が更に続く。

 すると、その声に急かされたという訳でも無いだろうが、前方の暗がりの中で何かが動いたようだった。

 それに目を向けようとした瞬間、三度、リュカちゃんの声が響いた。


「そこに居るのはアカネちゃんだよね?もう、随分と待ったんだから」


 今度も、間違いなく近くから聞こえた。

 怪談めいた状況に冷や汗までもが流れ出す。

 

「この声は、魔法によるものだ。話せなくなったから、『言伝て』の魔法を応用したのだろう」


 皆が神経を尖らせる中、逆にハクジャは落ち着きを取り戻したようで、明快に出された答えにすぐに合点がいった。

 が、話せなくなった?


 疑問に思って彼を見返していると、前方の暗がりから微かに音が聞こえてきた。

 じぃと闇の中を凝視してみると、そこに蠢く何かが確かに見えて、震え上がった私の前でミルナーがすぐさま手にした剣を構えた。

 だが、それは何かが動いたと言うよりかは、周囲の光源が変わっただけのようで、ゆっくりと、いつの間にか浮かび上がるように数を増していた松明が、改めて前方の何かを照らし出していく。


 覆い隠していた闇のベールが少しづつ解けていって、やがて、そこには黒い大蛇が姿を現した。



 見上げて尚視界に止まらぬ巨体には濡れるような鱗がびしりと並んでいて、鈍い艶が異様な彩りを放っている。

 根元的な恐怖を刺激するかのようなそのシルエットに、私はすぐさま、それが以前ここに来た時に見た黒蛇だと確信した。

 しかし、おかしい。

 確かにあれも大蛇だったが、ここまで突拍子のない大きさでは無かった筈だ。

 頭部の頂点は今にも天井に届きそうな程で、その高さは目測で大体10メートルはある。どうしても目に付いてしまう大きく裂けた口だけでも、確実に私2人分の奥行きはあるだろう。全長ともなれば更に言わずもがなだ、これはもはや蛇のカテゴリーに収まる生き物では無い。

 それに、もしこれがあの時見た蛇と同一だというのなら、これの正体もリュカちゃんだという事になる。

 だが、前日の話し合いの時、ハクジャはリュカちゃんが蛇に変身する事は考えなくて良いと言った。あれは延命の為にハクジャの血肉を摂取した副作用、一時的な発作であるからと。

 だったら、あれはリュカちゃんとは違う、別の何かという事になる筈だ。


「あれはリュカだ」


 巡らせていた考えを否定するかのようなハクジャの呟きに、私は驚いて振り返った。

 そして、否定の言葉を引きだそうと慌てて口を開く。


「で、でも・・・っ」

「この部屋からは体の気配がまるで感じられない。リュカがオレの体を食ったのだ。それも、全て、ただの一欠片も残す事なくな」


 全てって・・・。

 あっさりと言ってのけられた言葉に私が絶句していると、ハクジャは眼前の大蛇に対して鋭い視線を向けながら、冷静に自らの考察を述べていった。


「リュカに対するオレの血肉の効果はほとんど失われていた。だが、それだけの量を摂取すれば、一時的には以前の効果が得られるだろう。だから、今のリュカは本来の力の幾らかを取り戻しているだろうな。副作用として、形質としてのオレの姿が全面に出てしまってはいるようだが」


 質より量。

 そんな言葉がぼんやりと頭の中に浮かんだ。その陳腐さと、それが現すリュカちゃんの所業に目眩を覚えていると、じっと話を聞いていたネストールさんが、再度ハクジャに問いかけた。


「・・・つまり、何が言いたいんです?」


「ネストール、お前ではあれは抑えられん。どうやら目論見がはずれてしまったようだ」


 静かに断定されたハクジャの言葉を聞きながら、私は、早々に自分たちが窮地に陥った事を悟った。





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