その77
ぱらぱらと頬の辺りに水滴が降りかかるのを感じて、私はうっすらと瞼を開けた。
うつ伏せのまま前を向いてみると、崩れ落ちた通路の壁があちらこちらに瓦礫となって散乱しているのが見えて、動かした自分の頭の上からも細かな破片が幾つか落ちた。
耳の奥では爆発の音がぐわんぐわんと繰り返していて、何だか身体も重くて息苦しい。
まさか、怪我しちゃったのかな私・・・と、身じろぎを止めて顔色を蒼白にしていると、上に覆い被さっていたネストールさんがすっくと立ち上がって、身体の自由はあっさりと戻った。自分の勘違いぶりに恥ずかしくなってそのままでいると、「大丈夫ですか?」と気遣わしげに手が伸ばされて、私は慌てて彼の手を取って立ち上がった。
改めて状況確認の為に視線を巡らせてみると、先程からの小雨のような水のお陰で辺りに土煙が立ちこめるような事もなく、視界は意外な程にクリアだった。
通路の右側に視線をやれば、ぽっかりと横広に開いた5、6メートル大の穴がはっきりと見えて、隠し通路と言うには大きすぎる道が出来てしまっていた。爆発に威力があり過ぎたのか、足下に走っていた水路も地面ごと抉られたみたいに壊されていて完全に地形が変わってしまっている。
ガラガラと、未だに崩落の気配を見せる大穴に呆然としていると、傍らに立って周囲を見回していたネストールさんが口を開いた。
「際どいところでしたが、手間は省けましたね。これで、燃え続けていた木偶の処理をどうするかについては考えずに済みました」
「え、あ、うん・・・」
いつも通りの冷静な言葉に虚ろな声を返しながら、私はついさっきまで通路を塞ぐように燃えていた木偶達の山の事を思い出した。幸いと言うべきか、やり過ぎと思える程の爆破のお陰で、避けて通るにもちょっとなあと思っていたそれらは跡形も無くなっていた。完全に瓦礫に埋まるか吹き飛ぶかしたようで、火の気にしても寸断された水路からの水が溜まり出していて心配するまでも無いようだった。なるほど、この霧のような雨も、爆破によって吹き上げられた水路の水のようだ。
やがて、ゆっくりと周囲を確認するうちにその雨も収まって、次に降ってきたのは姫様の雷だった。
「ちょっとマリーナ!その辺りに居るのでしょう、あなた、わたくしを殺すつもりですの!?」
さっきの爆発にも匹敵するキャンベル姫様の怒声に、後ろに立っているミルナーも顔をしかめている。
全員の健在ぶりに安堵する一方、彼女の言うとおり、もう3メートルも進んでいればモロに爆発に巻き込まれていた訳で、私は今頃流れ始めた冷や汗を感じながら、柳眉逆立てる姫様の視線の行き先を追った。
だが、見えたのは土砂ばかりで、横向きに大きく口を開いたような形の穴の中に人影は無いようだった。
更に凝視してみるも、上方に出来た切れ間から陽の光に照らされた緑がほんの少し垣間見えただけで、誰かがいる気配は、まるで感じられない。
すると、痺れを切らした様子の姫様が猛然と私を追い越していって、それでも口調自体は穏やかな感じで話しかけた。
「いいのかしら、秘匿されている筈の発破の調合に何故か詳しくて、その上妙に潜入やら諜報にも長じていて、挙げ句の果てには実はドツイエ国籍なんていう人間が王族付きの女官の中に居るなんてバレてもいいのかしら?ああ、わたくし、うっかりお兄さまに便りを飛ばしてしまいそうですわー」
いきなり長々と語りだした姫様に驚く私だったが、その言葉に対する反応は瞭然で、土砂しかないと思っていた一部の壁がぱらりと剥がれ落ちて、ひきつった笑いを振りまくマリーナさんが現れ出た。くるりんとカールした焦げ茶の前髪が、汗を滴らせるオデコの辺りに張り付いてしまっている。
「は、はっぱ・・・って?」
「火薬の事です。イグラードでは基本的には門外不出という事で一部の技師以外には扱えないという事になっています」
「そ、そうなんだ・・・」
今にも揉み手をし出しそうな風情のマリーナさんを見て、反応に困った私はとりあえず隣のネストールさんに疑問をぶつけてみた。いつも通りに明快な答えが返ってきて、直後に「勿論、私も調合できますが」と続いた彼の言葉は聞かなかった事にした。
その間にも、姫様とマリーナさんのやり取りは続く。
「姫様、誤解です。爆破の判断は姫様の身を案じての事だったのです」
「どういう事ですの?」
「考えてもみてください。女1人が何とか潜り込めるかという隙間から、突然強風が吹きすさび、轟音が鳴り響いたかと思えば、次に襲って来たのは真っ赤な炎。姫様の帰りを待つ者としては、御身に何かあったかと爆破を急いでも仕方が無いとは思われませんか?」
「・・・判断は妥当だとしても、この爆破の規模は無いんじゃありませんの?お前の言う、その、人1人がやっとだった隠し通路の面影は全くもって残っていませんわよ?」
「・・・・・・」
表情はあまり変わらないものの、手振りも交えて割と必死な感じに弁明を続けていたマリーナさんの言葉がそこで詰まった。泳ぐ目線の先では、少しばかり大きすぎた横穴が今もぼろぼろと崩れながら広がりつつあった。
某爆弾男的に言うと、爆弾1個置くのがやっとの通路の横腹に、爆弾5個分はあろうかという通路が出来てしまった訳で、ドクロアイテムが存在しない以上、マリーナさんの過失は追求されても仕方ないものと言えた。
ちなみに、例えとしては余計に分かりにくかったので無視して良い。
すると、言葉を失ってから十数秒、俯くようにしていたマリーナさんが決然と顔を上げて、ビシリと後方を指さした。
「アイツがやれって言いました」
「ええーーっ!?」
いつの間にか彼女の後方に居たウェルベック君が、突然の犯人扱いに素っ頓狂な声をあげた。
ほほぉ、と面白そうに笑む姫様を見て彼には同情が禁じ得なかったが、それはさて置くとして、ウェルベック君は一体どこから現れたんだろうか?
土肌一色の穴の中、頭上からの僅かの日光を頼りによくよく目を凝らしてみると、奥の方に階段状の段差がある事が分かった。色に変化が無いので分かり辛かったが、現に今も上から誰かが降りてきているようで、鈍色のブーツに包まれた足元をはっきりと見て取る事が出来た。
爆破し過ぎちゃったとは言え、流石に隠し通路の出口となる部分は無事だったようで、その階段から続けて数人が降りてきた。
その中の1人に見知った顔を見つけて私が驚いていると、「姫さん、殴るなら手甲付けたままでいいぜ。こいつ頑丈だからよ」と、ケラケラ笑っていたミルナーも気付いたらしくその動きを止める。
「ナルシン!?お前、こんな所で何やってんだ?」
「・・・本当にな。何をやってるんだろうな、私は」
自嘲っぽく呟いて答えたナルシンに、私をはじめその場の全員の視線が集まった。
きらきらと眩しい鋼色の鎖帷子も今日は分厚いマントに隠されていて、何となく疲れた感じに彼は言葉を続けた。
「ともかく、上へ上がろう。階段の方は無事だからな」
久方ぶりに浴びた陽の光に、私は心からの礼賛の声をあげた。
内心に止まらず漏れ出た声に、隣で似たような表情を浮かべていたマリーナさんの安堵の息が重なる。
どうやら、ナルシン達の登場で、爆破し過ぎちゃった件についてはうやむやになったようだった。レーマ神殿に隣接する森の大樹の下、キャンベル姫様とネストールさん達が騎士達を相手に何やら話し合っている。
ひとしきりそちらを確認したマリーナさんが、私に気付いてニコリと笑った。それにぎこちなく会釈を返して、人には色々とあるものだなと唸りながら、私も話し合いの方に視線を向けた。
色濃く落ちた木陰の中、居並ぶ近衛騎士達の前でネストールさんが現状の確認をしているようだった。姫様もそれに時折補足を加える形で話し合いに参加している。どうやら、例のアガリ症(?)も他の人間が居れば大丈夫なようで、口調を含めた立ち振る舞いも凛とした普段のものだった。
が、それに返される声はどうにも気の抜けたもので、主に答えを返すナルシンすらが投げやりな感じで、他の7、8人の騎士達に至ってはほとんど押し黙っているだけだった。マントのフードに隠れて表情は見えないが、何となく不満そうにも見える。心配になって耳をそばだてていると、ミルナーの驚いた声が辺りに響いた。
「10日だと!?本当か、そりゃ?」
「お前達が神殿に入ってから10日が経っていると、部下からは聞いている。それがどうかしたのか?」
「いや・・・、あー、面倒だから説明はネストール、頼む」
驚くだけ驚いて引き下がったミルナーは、無責任な感じでぽんぽんとネストールさんの肩を叩いた。
手元で懐中時計をカチカチといじっていた彼は一瞬だけ億劫そうな表情を見せてから、それでも律儀に説明を始める。
「我々の主観時間ではまだ1日しか経っていないんですよ。先ほど確認した限り、あの隠し通路近辺は通常の空間だったようですが、神殿内にはそういう時間の流れが異なる場所があるようなのです」
「・・・にわかには信じられん話だな」
「ですが、事実です。あの神殿は得体の知れない場所なんですよ。その辺りは隠し通路の在処を聞き出したらしいマリーナ女史が、実感しているものと思われますが」
突然に話を振られたマリーナさんだったが、慇懃な態度で数歩前へ歩み出ると滞り無く話し始めた。この辺りは流石姫様付きの女官である。さっきまで必死に言い訳を考えていたマヌケなスパイ風の人と同一人物とはとても思えない。
「ネストール様が言う特殊な空間は確かにあったそうです。この神殿には住み込みの使用人のような立場の人間が30人から詰めていたようなのですが、数ヶ月前からは出入りすらが出来なくなり、私が拷も・・・聞き出した隠し通路のようなものが他にも幾つか作られたとの事でした。もっとも、それも埋められるか、或いは使用人自体が暇を出されて使われていなかったようですが」
マリーナさんの話を受けても、近衛の面々は一様に顔をしかめるばかりで、納得には程遠いようだった。
レーマ教徒であるオルランドの人達には信じがたい話だろうから仕方がないだろう。でも、私にはそれより気になる事があった。
「話を元に戻しますが、10日が経ったという事ですが、反乱軍との戦況はどうなりました?」
そう、それこそが心配だった。
神殿の中と外、「無限回廊」のせいで時間の流れに差があるのは分かっていた事だ。中での1日が外では5日、この程度は覚悟していたけれど、まさか10日も経っているなんて。
イグラード軍に組み込まれていた近衛騎士がこの場に居る事から戦いの趨勢に関しての不安はあまり無いのだけれど、決着が既に着いているのであれば、帰還してくるだろう反乱軍の敗残兵の事が心配なのだ。レーマから貸し出された兵がこの場に戻って来るとなれば、リュカちゃん達との戦いに更に余裕が無くなってしまう。
「決着は着いた。大公率いる騎士団がイグラードの助力を得て勝利鎮圧、という形でな」
「では、反乱軍に賃与されていた僧兵達は?」
「さあな」
さあなって・・・。
それきり言葉を噤んでしまったナルシンにミルナーが詰め寄ろうとした瞬間、彼は鋭く私達を睨んで口を開いた。
「勘違いしてもらっては困るのだがな。私達はお前らの手先でも何でも無いぞ?ただでさえ、侵すべからずイヴェルドの聖なる地を踏むことになって、憤懣やるかたないんだ」
強い口調で言われた言葉に、後ろの騎士達も同意するかのように強く頷いた。
そうか、先ほどからのナルシンの沈んだ様子は、このせいだったんだ。
実のところ、騎士達の助力を得て、リュカちゃんとの戦いが楽になるかもとも考えていたのだが甘かった。
愕然と動きを止めた私達の様子に酷薄な笑みを浮かべて、ナルシンが更に言葉を重ねた。
「分かったか?私達には、これ以上お前達を助けるつもりは毛頭無い。分かったらその小汚い娘を抱えてさっさとグハっ」
汚い娘って私の事?そんなバカなと確かめてみるとやばい位汚れていたので納得して顔を上げてみると、ナルシンは体をくの字に折って地面に膝を付いていた。
隣に立った人物が蹴り上げていたらしき片足を下ろして私達に向き直る。
「ごめんなさい、この馬鹿は戦の一番良い時に居合わせられなくて気が立っているのよ。あなた達もそうよね?」
うんうん、そうなんすよ!と、余波を恐れた他の騎士達が一斉に大きく頷いた。
そして、目深にかぶっていたフードをまとわり付いていた木の葉諸共に脱ぎ捨てると、下からはフラールさんの長いポニーテールが現れた。
わざとなのか、悶絶し続けるナルシンの顔にぺしりとそれは当たって、彼の前に立った彼女の様子を見るに、どうやら続きはフラールさんが引き受けるという事らしかった。
「フラールさん、でしたか?この場には居なかったようですが、偵察に?」
「呼び捨てで結構ですよ、軍師殿。麓に住む知己に渡りを付けていたのです。少なくとも、僧兵達が帰還する3、4日後までは、国境を含めた退路が確保されていると考えてください」
「では、フラール。ご助力感謝します」
深く頭を下げたネストールさんに、フラールさんが困った様子で答える。
「頭を上げてください。我々がこの場にいるのはカイト殿下からの命なのです。いわば、これは任務なのですから、そういった事は無用にお願いします。ほら、あなたもいつまでゲエゲエ言ってるのっ」
何とか立ち上がりかけていたナルシンさんの背中を思い切り叩いてから、彼女は意味ありげな視線を私に寄越した。
私とカイト殿下に交友があった事は、彼の直属の護衛だった彼女が一番よく知っている。
恐らくは私情から無理を通したのだろう殿下を想って、私は強く頷き返した。
そして、おぼつかないながらも同僚の手前、しゃきりと立ったナルシンが口を開いた。
「ふんっ、逃げる助けはしてやる。だが、それだけだ。大体、そこで暇そうにしている白の将軍が居て、今更私達の助力も必要無いだろう?」
「あ、俺?まあな、俺もそのつもりだったんだけどなー」
「相変わらず要領を得ん奴だな・・・。ともかく、さっさと手筈を整えるぞ。ポウマ、地図をそこに置け」
ふざけた感じにミルナーが答えて、それからは不仲な空気も何処へやら、話し合いは着々と進んでいった。
脱出の為の進路や、時間取りなどが決められていく。
その様子をうんうんと眺めていた私は、しばらくして、あれ?と首を傾げた。
いや、脱出しちゃ駄目じゃん!
神殿から出て開放的な気分になって忘れていたが、私の目的はリュカちゃんともう一度会う事だし、それに【キラスナゴ】の事がある。ネストールさんは軽視しているようだが、過去の絶大な魔法が蘇って一番に被害に合うのは間違いなく魔法使いである彼らだ。「超ネストールさん作戦」によって強力な魔法の一端に触れている彼には、その事が見えていない。
私は強い思いを持って、議論を続けているネストールさんの背中のシャツをくいと引っ張った。
「ん・・・、どうしたのです、アカネ様?」
「に、逃げちゃ、駄目だっ」
彼の顔をセンターに入れてスイッチ・・・という訳では無いけれど、自分からネストールさんを見つめた事はほとんど無かったから、こうして彼を見据えて言った私の言葉に強い気持ちが篭もっている事は伝わった筈だ。
話し合いに集中していたせいか、心を読む事も無かったようで、しばらく吟味するように考え込んでからネストールさんは俯けていた顔を上げて私に言った。
「残念ですが、アカネ様、それは聞けません」
「・・・えっ」
「貴女が言うのは、あのリュカとかいう娘に会って、その上で【雲母砂子】を何とかするという意味でしょう?」
「う、うん」
「ですが、もともと私やミルナーは貴女を助け出す為にこの場に居るのです。だのに、神殿に戻ると言う貴女に何故賛成できましょうか。それに、こうして外に出られた以上、ハクジャの案内も必要がない。よって、交換条件だった【雲母砂子】に関しても協力する必要は無い訳です」
「そ、それはっ・・・」
「不義理・・・ですか?しかし、そもそも【雲母砂子】に関しての話を鵜呑みにするとして、それがそんなに大切な物でしょうか?逆に、束縛されていた魔法がとき放たれれば、得られるメリットはきっと大きな物の筈です」
「・・・・・・」
や、やっぱりだ。
酔いしれてるとは言わないけれど、強くなった魔法を使ったことで、ネストールさんは【キラスナゴ】による制限が無かった過去の魔法という物を良く思い過ぎている。
説得しなければと思いつつも、どちらかと言えば、自分の願いがあっさりと彼に退けられた事の方がショックで、私は口を噤んでしまった。
また、操作ミスで1話まるごと消してしもうた・・・うへへ(壊)
という訳で、アップ遅れてすませんでした><




