その75
釈然としないものを感じながらも、日本人的感覚に従順な私はとりあえず頭を下げた。
だが、キャンベル姫様はそれを一瞥する事もなく、すぐさま眼前の戦いへと戻っていってしまった。
そりゃ無いぜセニョリータ!と、未練ぽく彼女の姿を追った私は、再開された戦闘に小さく息を漏らした。
こうして近くから見てみると、あまり楽な戦況では無いようなのだ。
通路の横幅の関係上、姫様が同時に戦う僧侶は多くても2人なのだが、マッチョな腕から繰り出される攻撃は見た目通りに重そうで、姫様はそれを防ぐだけでも苦労しているようだった。そのせいか反撃の手にも力が乗っておらず、有効打らしい有効打は与えられていないみたいだった。
ミルナーがあまりにあっさり倒していたものだから勘違いしていたが、この僧侶達は木偶と呼ばれる砂の造り物。言わば怪物だ。姫様と言えど、余裕が無いのも仕方がない事なのかもしれない。
けれど、「穏やか(中略)超ネストール作戦」の事を考えれば、この場で不利な戦いを続ける必要は無い訳で、私は、姫様の集中を切らしてしまうかもと怯みながらも、再び彼女の背中に声を掛けた。
「ひ、姫様っ、こ、ここから逃げ、ないとっ」
「はっ!!・・・逃げる?このわたくしが!?笑止!」
裏拳の体勢で一瞬振り返りながら、マスクから浮かび上がるように爛々とした瞳でキャンベル姫様が答える。
眼光には力が充実していて、どうやら彼女の戦意に衰えは無いようだった。親善試合の事を思い出すに、逆に燃え上がっているかもしれない。
でもなあ、今は、そういうノリはちょっとなあ・・・。
私は、白けそうになった気持ちを首を振って追い出してから、姫様に掛けるべき言葉を探した。
さっさとトンズラしたいのに、姫様は戦いに拘るあまり聞く耳を持たない。
ということは、姫様の関心をより興味のある方に向けられれば良いのだから・・・。
「あ、あっちには、ネストールさんが、いるよ?」
「ふっ!!・・・って、ネ、ネストールさっ、さ、さま、サマソーっ!?」
劇的な反応に私の方こそが仰天していると、流石にサマーソルトキックは放てなかった様子で、姫様は前蹴りで一度マッチョとの距離を取ってから素早くこちらに振り返った。
が、もじもじとした仕草で厚い装甲に包まれた両手を擦り合わるばかりで、それ以上の動きは無かった。
場所が違えば可憐だなあと思わないでも無かったが、今は照れている場合じゃないですよ姫様っ。後ろのマッチョ僧侶が起きあがろうとしていますよっ!?
「あ、あの、ア、アカネ、ネストール様は、その、ご健勝です、の?」
「うん・・・かなり」
健勝というか、パワーアップもしてるしね、うん。
でも、今はそんな事よりあなたの背後で立ち上がった筋肉達磨を何とかしてくだされえっ!
と、声にならないままに姫様の後ろを指さすと、それに対する反応は流石で、彼女は即座に戦闘体勢を取って振り向いた。
そして、襲いかかってきた僧侶の大振りな攻撃を手甲をクロスさせて受け止めると、そのまま横へと反らせて密着した相手の胴に重い肘打ちを叩き込む。
さすが、キャンベル姫様!と思ったのも束の間、そこからの戦いは、精彩を欠いたものとなった。
拮抗は保っているものの、攻撃を回避する動きなどが見るからに危うくて、私は自分の発言が失敗だった事を悟った。
普段は大輪の薔薇を思わせる成熟ぶりを見せるキャンベル姫様も、想い人であるネストールさんの事に関しては歳相応の未熟さを見せる事を忘れていたのだ。明らかに集中を乱してしまっていて、きっと、今の彼女の頭の中はネストールさんの事で一杯に違いない。さっきの口振りも私みたいで実に情けない感じだったし。
「・・・・・・」
おっと、自分の言葉に傷ついてしまった。
とにかく、今は、ここからどうやって逃げ出すかを考えなくてはならない。
それには姫様が一時でも優勢になって、僧侶達から逃げ出す隙を作り出す事が必要だ。
私は、彼女を力付けられる言葉を必死で考えた。
「ひっ、姫様っ」
「ほっ!!・・・な、なん、ですのっ?」
「私、ネストールさんのこっ、告白に、まだ、応えてませんっ」
「・・・っ!」
恥ずかしいけど、彼女を元気付けるにはこれしかない。
恋の不安で揺れた心は、恋への希望で勇気づけられるはずだ。
果たして、私が決死の思いで発した言葉は、姫様に再び劇的な変化を及ぼした。
何というか、ヘロヘロになった。
稲妻のようだった突きは猫パンチのようになり、竜巻のようだった蹴りはちょっと内股になった。
どうしてこうなったと私が頭を抱える間にも、姫様の戦況は劣勢へと激しく傾いていく。
こうなると、もはや隙を作るどころじゃなくて、防戦を維持するだけで精一杯である。
私は自分の迂闊さに、「こんな砂人間に・・・」と怨嗟の声を漏らした。
「っつえいっ!アカネっ!?今何と仰いっ、ましたのっ!?」
すると、力任せの僧侶の攻撃を懸命に受け流しながら、呟くように小さかった私の声に姫様が荒い息で聞き返した。
。この状況でよくもと感心しながら、私は問われた事に反射的に答える。
「砂、人間・・・です」
「すな?では、この僧達は人間では・・・?」
「・・・ありません。す、砂で、作ったって」
「・・・・・・」
話す事で気が取られたのか、今までで一番際どい所を僧侶の持った剣先が通過していった。かろうじて、身を沈めて避けた姫様が、這い蹲るように手を地面に打ち付けて、その反動で一気に数歩分後ろへ下がる。
そして、丁度私の隣辺りに構え立ったキャンベル姫様は、呆れた感じで私に言った。
「それを早く仰いなさいな」
「え・・・?」
そうする間にも、マッチョ僧侶達は動きを止めていない。後退した姫様の動きを隙と見て、再前列に居た僧侶が駆けるように距離を詰めてくる。
が、それに正対する姫様は一切の動きを見せず、した事と言えば少し腰を落とした程度で、まさか諦めちゃったの!?と私が目を見開いていると、文字通り、眼も覚めるような轟音が鳴り響いた。
軽く耳鳴りすらも感じて、私が何があったのかと隣を見やると、そこには姫様の姿は無かった。
私が瞬く間に移動していたようで、彼女はそこから数歩分、先ほど後退した距離の分だけ前に居た。深く腰を沈めた半身の姿勢から右の掌を前方に伸ばしたまま微動だにせず、後頭部で纏められた彼女のブロンドが動きの余韻に揺れるのみだった。
そして、その掌の先、数メートル先には、こちらに攻撃を仕掛けようとしていたと思われる僧侶が仰向けに倒れていた。腹部に風穴を空けて。
「まあ、ほんとに砂ですのね。存外に脆い手応えでしたわ」
「・・・・・・」
木偶達ですらが動きを止めて、姫様が構えを崩すこと無く私に向けた言葉を聞く。
「わたくしの拳術は一撃必殺を旨としていますの。ですから、僧侶の方相手と思って加減に苦労していたのですわ。アカネったら、早く教えてくだされば良かったのに」
「・・・ご、ごめん」
呆気にとられるばかりの私だったが、それでも反射的に謝っていた。
そして徐々に状況を把握するにつれ、イグラード王族の護身術って一体・・・と思わなくもなかったが、以後の飛躍的に優勢となった戦闘の中でも言葉を交わすには散々に苦労したので、そんな小さな疑問はすぐに頭から消えていった。
そんな訳で、ネストールさん達との合流を了解した姫様はあっさりと謎拳法で隙を作り、無事、僧侶達から逃げ出す事に成功した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
私達は、今、真っ直ぐ伸びた通路を全力でひた走っている。
あ、いや、うん、全力なのは私だけなんだ、すまない。
のたくたと走る私の後ろから、姫様のじんわりとした視線が刺さっているように感じる。
だって仕様が無いでしょ!?片や万年「今日のマラソン大会は一緒に走ろうね」「うん、そうだね♪」→追いてけぼり→ビリの私と、どこの世紀末で一子相伝しちゃったんですか?っていう姫様ですよ?基礎体力に差があり過ぎる。
という訳で、逃げながらも余裕が存分にあるキャンベル姫様が、後方を警戒しながら私に話しかけてきた。
「無事で安心しましたわ、アカネ」
「はっ、はひっ・・・、はっ」
「それに、そ、その、ネストール様も、居るんですわよね?この、先に?」
「ひぃ、はあっ、ふっ・・・」
「そう・・・ですの。あっ、でも、どうしましょう、わたくし、こんな格好ですわ・・・。はっ!でも、あの方は、仮面舞踏会などはお好きかしら?」
「へえっ、ほっ・・・、ごふっ(呼吸にトラブルが発生した音)」
「そういう趣向がお好きなら、こんな格好のわたくしも受け入れて頂けると思わなくて?って、もうっ、アカネったら、ちっとも返事してくれませんのね!鼻から何か出している場合じゃなくってよ」
それどころじゃないんですよっ!
吐きそうになった物がちょっとばかり不適当な所から出ちゃったんですよ!?
私は、鈍い痛みを訴えるようになった横腹を押さえて、話ながら追い越していったキャンベル姫様を力無く見送った。
すると、前に出た姫様がくるりと振り向いて、だらりと垂れ下がるのみだった私の手を取って引っ張ってくれた。
息も絶え絶えに握り返すと、もつれる寸前だった足取りに少しばかり余裕が出来る。
何となく呼吸もマシになった私は、ずっと気懸かりだった事を姫様に聞いてみる事にした。
「あ、のっ、マリーナ、さん、たちはっ?」
「彼女も、それにウェルベックも無事ですわよ。今のアカネに比べたら、ずっとね」
くすくすと、笑いながら返された言葉に、私は胸のつかえが下りるのを感じた。
よかった。マリーナさんやウェルベック君も無事だったんだ。あの状況からどう逃げおおせたのかは分からないけど、この姫様が居れば案外余裕だったのかもしれない。
ほっとして、足の力までもが抜けかけた私の手を力強く引上げながら、上品な笑みを浮かべていた姫様は、「そうそう」と思い出したように再び話しかけてきた。
「マリーナと言えば、わたくしがここに1人で来たのも、あの子のせいなんですのよ」
「ぜぇ・・・はあ・・・?」
「でも、そう考えると、現状は好都合とも言えるのかしら?巻き添えにしてしまうかと懸念した僧達は造り物だった訳ですし」
「・・・?」
勝手に自己完結していく姫様を、私は色々とこみ上げてきそうになりながら怪訝に見返した。
ともあれ、私が通路を歩いたのは数分、距離にして500メートルも無かっただろう。いくら私が鈍足といえど、もう着く筈だ。疑問に思ったあれこれは、ネストールさん達の所に戻ってから改めて姫様に聞けば良い。
意識すらも怪しくなってきた頭でそう考えた直後、まるでゴールを祝う旗のように掲げられた白いシーツが見えてきて、私は最後の力を振り絞って、熱いとしか感じなくなった足を振りあげた。




