その73
「・・・・・・」
「・・・・・・」
携帯食料を溶かし込んだ、もはやお馴染みとなったスープの入ったコップを手に、ネストールさんとミルナーが無言のまま固まっていた。
時刻は朝の7時半。
十分に睡眠を取ったらしき2人の顔色は良く、味の問題から嫌気がさしているようだったが食欲自体は旺盛なものだった。対して、そんな彼らの前に座る私は血走った目をしていて、その視線の先にあるスープも全く減っていなかった。
眠気覚ましの洗顔時、水面に写った自分の顔を見て戦慄したものだったが、泣いた上にそのまま徹夜してしまったので、それも仕方がないと思う。結局、あれから一睡も出来なかったのだ。
リュカちゃんの事が重く心にのし掛かって、思い付いたアイデアを早く形にしなければと気が急いてしまったのがその理由で、かくして、睡眠を犠牲に何とか考えを纏めた私は、全員が腰を下ろして落ち着く朝食の時を見計らって、捻り出した作戦を披露したのだった。
で、それに対する2人の反応が、冒頭のだんまりだった。
何とも芳しくない感じである。
ネストールさんは黙って考え込んでいるようにも見えるが、ミルナーの方は隠すことなく呆れて言葉もないといった表情を浮かべている。
おかしい。
穴はあるかもしれないけど、思い付いた策は一考に値するものだった筈だ。
ネストールさんに代弁もして貰いながらだったから、伝わっていないという事は無いだろうし。
もしかしたら、寝不足が祟ってどこか間違ってしまったのだろうか?
急に不安になってきた私は、ついさっき2人に語った内容を順番に思い返していった。
まず、私は、絶望的だった6つの条件から最初に直面するだろう障害をピックアップして、それから各々の打開策を示した。以下がその障害。
⑤リュカは強力な魔法の使用が可能である。石化、熱線、遠隔透視、大蛇への変身、等。
⑥リュカの配下にはジェラードがいる事が予想される。
⑥'木偶と呼ばれる砂人形が複数(ハクジャによると残りのストックは最大で40程だろうとのこと)いる事が予想される。
ハクジャが【キラスナゴ】を張り替えるのにも困難は予想されたが、とにもかくにも、この⑤と⑥を何とかしないと話にならない。という訳で、次が、私が話した打開策の大まかなところなんだけれど・・・。
⑤は、ネストールさんが何とかする。
⑥も、ネストールさんが何とかする。
⑥'も、ネストールさんが何とかする。
完璧じゃないか。
現有戦力を考えると、これ以上の策は無い筈だ。それなのに、何故目の前の2人は黙りこくったままなのか。
恨めしく思って彼らの方を見てみると、あろうことか無言のまま、ミルナーがスープのお代わりをよそい出した。残りが少ないのか、鍋の底を浚う木製お玉の立てる音がひどく耳障りだった。
その態度はつまり、私の作戦よりも実に形容し難い色になってる強いて言えば腐りかけのコーンポタージュ(森林迷彩仕様)な見た目のスープの方が大事って事なの?
私は悔しく思ってミルナーの持つコップの辺りを強く睨み付けた。こぼれろっ、股間とかにこぼれてしまえっ。
「・・・ううっ」
最初は不快感と悔しさで身を震わせていた私だったが、段々と胸が熱くなってきて、気付いた時にはぽろぽろと涙が流れ出していた。
べ、別に、無視されて悲しい訳じゃないんだからねっ!
「・・・って、何泣いてんだお前はっ!起き抜けに訳の分からない事を言い出すかと思えば、挙げ句に泣き出しやがって、どういうつもりなんだ!?つうか、お前寝てないんだろ、だから情緒不安定なんだよ!」
埒があかないと、鍋ごと持って傾けていたミルナーが、私を見てぎょっとしたような顔をしてがなり立てた。
それでも鍋を離さない心意気には感服するが、そんな事よりまず、私の話した作戦に一言くらいコメントがあっても良かったじゃないか。
こんな中でも依然として無言を貫くネストールさんにも傷心して、私はがくりと水路の壁に寄りかかった。
私のアイデアには感想すら無いというのか・・・。
この冷血カーン!あんぽんターン!あしゅらマーン!と、ネストールさんが俯いたままなのを良いことに、私が存分に彼を睨み付けて精神的雑言を飛ばしていると、水路近くに腰掛けて様子を窺っていたハクジャが、すっと歩み寄ってきて私に言った。
「アカネよ、前提を言い忘れていないか?」
「・・・・・・ぁ」
仕切り直しということで、ハクジャからの補足を受けたネストールさんとミルナーの顔には、今度は理解と興味の色が浮かんでいた。これや!ワイが求めてたんはお客さんのこの顔なんや!と、思わないでもなかったが、肝心要のところを説明し忘れていた自分が恥ずかしくて、私はハクジャの後ろで小さくなっていた。
そんな私に、ミルナーから容赦のない言葉が掛けられる。
「アカネサタニ、お前慌てすぎだろ。俺はてっきり、ネストールがうざくなって本気で殺しにかかったのかと思ったぜ」
「うぐ・・・」
「ふふ、私も、これが貴女の本当の気持ちなのかと、色々と覚悟を済ませていたところでした」
「あう・・・」
だから、俯いたまま動かなかったのねと納得する一方、私の羞恥は最高潮に至っていた。ああ、このまま消え去りたい。徹夜明けのテンションのまま、自信満々に要点の抜けた自説を披露した自分を殴ってやりたい。確かに、あれではネストールさんに「死んできてね♪」と言っているのと大差無い。
で、私が言い忘れていた要点、ハクジャ言うところの前提、それは、「ハクジャの血でネストールさんの魔力を増大させる」事だった。
人体の不老すら実現させる彼の血の力。運動とは対極の位置に居る私に無尽蔵の体力を与えたあの力。
魔力が無い私には体力面でしか実感出来なかったけれど、もし、あの劇的な強化が魔力面でも叶うなら、リュカちゃんの魔法や、ジェラードさんにも対抗出来るんじゃないだろうか?
昨日、リュカちゃんが100年以上も生きられた理由を聞くうちに思い付いたこのアイデア。ハクジャに他の人間でも同じ効果があるのかと確認してみると、答えは是だった。しかも、効果は最初の1回が最も強く、以後は弱まっていくのだそうで、今回の用途を考えると好都合だと言えた。また、この事から、本体に比べれば純度が落ちる現状のハクジャの血液でも、最初の数回に限れば十分な効果が得られるだろうという話だった。
これを聞いて、私が眠れなかったのも無理ないと思う。
悪い条件ばかりが出揃う中で、やっと見えた希望。
一刻も早くネストールさん達にもそれを知って貰いたくて、だから私は朝っぱらから頑張ってしまったのだ。
完全に勇み足だったけど・・・。
浮上しかけていた私だったが、また恥ずかさがこみ上げてきてハクジャの背中にすっぽりと隠れた。
その向こうでは、ネストールさんとミルナーが、具体的な戦術を話し合い始めている。
うむ、笑顔という訳じゃないけど、どうやら今日は、昨日みたいにお通夜な空気にならないで済みそうだ。
体を傾けてそんな2人の様子を窺っていると、上体だけ振り返ったハクジャが私に流し目をくれて口を開いた。
「いつまでそうやってるつもりだ。試してみなくて良いのか?」
「あっ、う、うん」
そうだった。彼の血液によるドーピング効果はハクジャ自身が認めてくれたものの、確実ではない。
使用する度に効果が落ちるというのがネックだけど、最低限1度はテストしておくべきだろう。
私はそれをネストールさんに伝えるべく、白色の衝立としていたハクジャの背中から歩み出た。
そして、まだ少し目尻に残っていた涙を拭いながら静かに近寄ると、私に気付いて振り返った彼の目を恐る恐る見返した。
魔力の強化と言えど、やっぱり自分の体に変化が起きる訳だから、ここは真摯にお願いをした方が良い。
私は気を緩めるとすぐにでも俯きたくなる自分に活を入れて、ぎりぎり、ネストールさんの顔を背後の壁と共に見る程度には視界に入れて、寝不足のせいでいつも以上におぼつかない滑舌を意識しながら、ゆっくりと口を開いた。
「あ、あの、き、キス、して」
「ブふっ」
ちょっ、きたなっ!
傍らで様子を見ていたミルナーが口に含んでいたスープを吹き出した。
決して虹は似合わないだろう色合いの霧を、私は、咄嗟に後ろに下がってかわす。
そして足下の無事を確認してから、毒霧の被害範囲に視線を移してみると、もろにネストールさんの足にかかってしまっていた。元々泥なんかで汚れまくっていたので、今更な感じもするが、それより、私は彼が避けられなかった事を不思議に思った。
私ですら避けれられたのに・・・と、見上げてみると、ネストールさんは物言わぬ彫像と化していた。
瞬きすらする事なく、大きく目を見開いたまま完全に固まっていて、コップを棚に置こうとしていた手も宙空で止まってしまっている。
呆気にとられて瞼をしばたかせていると、ゴトリと鍋を下に置いたミルナーが、口の周りが大惨事なまま真剣な表情を浮かべて私に向き直った。
「お前、本気か?」
「は?」
「いや、そういう気持ちが分からねえって訳じゃねえし、本気だってんならしばらく部屋から退散してやるにもやぶさかじゃないっつうか・・・」
「・・・な、なんで?」
「なんでって・・・、お前、ネストールにキスしたいって言ったじゃねえか」
「・・・・・・はあ?」
思い切り前傾姿勢になって聞き返しながら、私は、そんな馬鹿な事があるかと、直前の記憶を思い出してみた。
うん、言ってたね。
って、ぎゃー!また言葉が足りなかったー!
私慌てて腕でバッテンを作ると、「こいつは・・・」と呆れた感じで口元を拭い始めたミルナーに詰め寄った。
「ち、ちがうのっ、そのっ」
「落ち着け。ゆっくり話せ」
「だから、キ、キスするのは、ハクジャ、なのっ」
「なるほど、分からん」
お、落ち着いてゆっくり伝えたのに・・・っ!
無情にも匙を投げたミルナーは、溜息を一つ吐いてから、未だ隣で固まるネストールさんの肩を強く小突いた。
「お前はいつまで固まってんだ。面倒だから、こいつの考え全部読みとってやれ」
「・・・あ、はい。そうですね、どこに口付けて欲しいのか聞くのも野暮ですからね」
「いや、そうじゃなく・・・まあ、いいや。おら、さっさと読まれて来い」
正気を取り戻したらしいネストールさんの方に、ミルナーがかなりぞんざいな感じで私を突き飛ばす。
苛立つのも分かるけど、ちょっと扱いがひどすぎない?と思いながらも、正直、その方が話が早いので逆らわなかった。というか、最初から、変に自分で話そうとせずこうすれば良かった。
私は心の中で、ハクジャの血液による魔力強化のテストをしたい事、その為に口移しが必要である事を強く念じた。
「・・・なるほど」
心なし疲れた感じに、読心を終えたネストールさんがぽつりと呟いた。
そして、すぐにミルナーにもそれを伝える。
そのスムーズな情報伝達の様を見て、私は何とも言えない気持ちになった。
「それにしても、アカネサタニ。試す必要があるのは分かったけどよ、それは口移しじゃないといけねえのか?」
「・・・え?」
「いや、だってよ、血が飲めれば良いんだろ?だったら、普通に腕からとかで良いんじゃねえの?」
「・・・・・・」
言われてみれば、確かにそうなのかも?と、私が返答に窮していると、後ろの方で成り行きを見守っていたハクジャが、また補足をしてくれた。
「アカネよ、オレの血を摂取するのに、接吻にこだわる必要はないのだぞ?」
「・・・え?」
「お前の場合は騒がれると面倒だったからだ。鮮度が保たれるなら、飲めさえすれば手段は問わん」
「な、なんだ・・・」
そうだったのか。私の時がアレだっただけに、変な先入観があったみたいだ。
私は「ほれ、みたことか」と見下してくるミルナーから即座に視線を逸らせた。
そして、つい思い出してしまったアレに、少し頬を赤らめる。
全く余計な事をと、後ろのハクジャを恨めしく思いつつも、ともかくこれで自分の仕事は終わったと、私は肩の力を抜いた。
その様子を悟ったらしいネストールさんが、「お疲れさま」といった具合に私の肩にぽんと手を置く。
「さて。では、その『アレ』についても、詳しく教えて貰いましょうか?」
「・・・・・・」
あ、まだ心を読んでいたんですね。
仰ぎ見たネストールさんの笑顔はひどく澄んでいて。
どうやら、私の仕事はまだ終わっていないようだった。




