その72
結、婚・・・だと?
ゴキリと、痛めてしまった首筋を押さえながら、私は信じられない思いでハクジャを見返した。
よくテレビのインタビューなんかで、妙齢のお姉さん方が「この歳になると周りの友人がオメデタ続きで、恨・・・羨ましい」みたいな事を焦った顔で言うのを観たりしたものだが、まさか自分がそんな立場に陥る事になろうとは。
勿論、私の年齢的に、結婚を現実的に考えてだとか、それこそ焦っているだとか、そういう意味合いででは無い。
でも、どう言ったら良いだろう。例えるなら、「赤点スレスレだったね」「まじ危なかったねー」的会話を交わしていた友達が、実は他の科目では学年トップの点数でしたみたいな、置いてけぼりにされたような感覚があった。
何となく気持ちを持て余した私は少しの間ぼんやりとしてしまって、「続けていいか?」というハクジャの声に慌てて頷きを返した。
「・・・人外のオレにはよく分からんが、それから、リュカ達はいわゆる幸せな生活というやつを過ごす事になった。だが、それには1つ問題があった。言うまでもなく、先述の精神魔法のことだ」
微妙な心情はとりあえずうっちゃって、私はハクジャの言葉を慮る。
世界中の人々がやる気を失っているのなら、国の政務なんかにもきっと支障が出ている筈で、下手をすると王様が1人で頑張っていたのかもしれない。そんな状況でまともな私生活があるとはとても思えなかった。
「世界規模で人間から気力を奪う精神魔法は依然健在で、例外的にオレ達や王がその影響を受けていないとは言え、国家の在り様としては限界にきていた。そこで、王はリュカの高い魔力を見込んで精神魔法を解くように願ったのだ。当初、心地良い環境の要因でもあるソレの解除を渋っていたリュカだったが、真摯に国を憂う王の願いに遂には折れて、己の魔力の大半を投じて精神を蝕む魔法の解除を成し遂げた。こうして、正常化した国家の元、2人は幸せな生活を取り戻した訳だ」
「・・・よかった」
「そうだな。ここで終わっていれば、良かったと言える話だったのかもな」
不穏なハクジャの口振りに、私は恐る恐る彼の顔へと視線を向けた。
色素と共に感情すら薄く感じる彼の顔には、今は少しだけ不機嫌そうな表情が浮かんでいる。
「ここで思い出して欲しいのが、このイグラード王が精神魔法の影響下であっても国を統治する気力を失わず、リュカに愛をも説いて見せた点だ。常人であれば悉く無気力に陥り、全てにおいての気力が萎える状況でその充実ぶり。ならば、精神魔法が消え失せた後はどうなると思う?常人は元の生活を取り戻すだろう。だが、異常とも言える気力を持っていた王はどうなるだろうか?」
「・・・・・・」
「答えは簡単だ。こいつは、色に狂って戦に明け暮れるようになった」
う・・・、最悪だ。
愕然と彼の言葉を聞く反面、しかし、それは仕方のない事だったんじゃなかろうか、とも思う。
その王様の元々の性格がそうだっただけで、それがたまたま精神魔法で押さえつけられて上手くいっていただけなんじゃないだろうか。勿論、リュカちゃんの気持ちを考えると仕方ないでは済まないのだけれど。
「正常化した各国が、以前の魔法による緊張状態を戒めに連盟を立ち上げる中、イグラード王だけは侵略路線をひた走った。大勢の離反者や亡命者を出して国は荒れたが、リュカは特に関心を持っていなかった。王宮の中に居れば戦は別世界の事であるし、それにあれにはもっと心を砕くべき事が他にあったのだ。それは世継ぎの事だった」
「・・・・・・?」
「分からんか?子供だよ。王制を敷く以上常につきまとう問題だ。当然、リュカもそれからは逃れられなかった訳だが、なかなか子供には恵まれなかった。努力はしていたようだったがな」
「・・・・・・」
えっと、努力ってどういう・・・って、違う!
私は、下世話な想像に傾き掛けた頭を、両手でぐわしと抱え込んだ。
いや、結婚してたんだから、そういう話になるのは当たり前なんだけど、でも、その、ちょっと刺激が強すぎて・・・。
置いていかれちゃったような複雑な気持ちを持っていた私だったけど、そこまで行くと完全に想像の域を越えてしまうというか。
今度からリュカちゃんの事はリュカさんと呼ぶべきかな、うぅむ。
「リュカのやつも、よくそうやって頭を抱えていたものだ。自然の摂理に従うのみだと言うのに、人間はくだらん事で悩むものだよな。王に仕えていた連中もことあるごとに世継ぎを求めて、次第にあれは心を弱らせていった」
「・・・・・・」
「今思うと、この時が分水嶺だったように思う。くだらん事だとオレが断じれば良かった。下僕としてただ従うだけではなくな」
淡々と言いながらも、内容自体はひどく後悔に満ちたものだった。
そして、気付く。
ハクジャはたぶんリュカちゃんの事が好きだったんじゃないだろうか。
主従関係、種族の差、色んな意味で関係性が分かりづらい2人だが、彼が彼女を大切に思っている事だけは確信できた。
それともう1つ気付いた事があった。この話には覚えがある。
リュカちゃんが同情していると評して語ったオルランド大公妃メルヒオットの話とよく似ているのだ。
彼女も世継ぎを生む為という圧力に苦しんだ人だった。そんな彼女の、詰まるところ個人的な復讐と言えるクーデターに、何故リュカちゃんがあそこまで協力的だったのか疑問だったのだが、今ならその理由も分かる気がした。
「・・・話がズレたな。ともかく、そうやって王が野望と情欲に狂う中、多数の妾が召し抱えられ、側近共からは連日の催促が続いた。日に日にリュカは窶れていって、そんな状態のあれが1人の子供を生む事が出来たのは今もって奇跡だと言える」
「あ・・・生まれ、たんだ」
「ああ。王子だ。しかも、高い魔法素養を持ったな。精神的な疲弊はピークに達していたリュカだったが、これで肩の荷が下りたのだろう。すぐさまオレは読む事なく積まれていた本の山を取りに行かされたよ」
「本、好きなんだ・・・」
「かなりな。それにお前とは趣味が合っていたようじゃないか。あの部屋でお前が読んでいた本は全てリュカの蔵書だ。100年以上もの間に読み貯めた、な」
「・・・・・・」
彼女と趣味が合っていた事はすごく嬉しい。
でも、ハクジャの言葉は、100年も本を読むしかなかった、とも聞こえて、どうも素直には喜べない。
その後に、何か怖い事が起きたような気がして。
「それでだ、当時のイグラードは今よりずっと封建的な国でな。世継ぎには恵まれた訳だが、まだたった1人。慣習に従って更に子供が望まれた。言い方は悪いが予備が欲しかったという事だろう。結局、リュカを悩ませていた側近連中や典礼儀官の声は止むことが無く、またそれに逆らう事もできなかった」
想像する事しか出来ないけれど、当時のリュカちゃんはノイローゼになっていたんじゃないだろうか。
子供が出来ない事に思い悩み、やっと子宝に恵まれても、それには跡継ぎとしての意味しか認められず、「次」が求められる始末。
「そうやって次の子が出来ぬまま何年かが過ぎて、リュカの衰弱が限界に達したある嵐の夜。夫である王は、妻にある事を伝えた。内容はこうだ。『もう子供を作るのはやめよう。側室との間に何人か出来たから』」
「・・・っ!」
「発作的に王の胸を剣で突き刺したリュカはすぐさま捕縛され、その後離宮へと幽閉された」
「その・・・お、王様は・・・?」
「ほんのかすり傷だ。死んではいなかった。だから、オレが食い殺した」
「・・・!?」
「心を弱らせていくリュカを慮って、という面が奴にあったと思うか?オレにはそうは思えなかった。それだけのことだ」
言い切ったハクジャの口調に迷いは一切見られなかった。
単純な善悪の問題で言葉を重ねる事は出来るが、実状を知らなければ陳腐に過ぎる。
私は、それに対しては特に気持ちを出さないようにして、続きの言葉を待った。
「そして、王殺害の犯人は不明のまま、それでもリュカの幽閉が解かれる事はなく、更に数年が経った。幽閉の身とは言え、ある意味気楽な生活に、あれがようやく立ち直る兆しを見せた頃、また悪い事が起きた。年頃を迎えて頭角を表し始めていた王子の1人が魔法を用いて虐殺を行ったのだ。これは他でもない、王とリュカの間に生まれた実子によるものだった」
「・・・・・・」
「父親の、精神魔法すらはねのける程の異常な気力と欲望は、そいつに受け継がれていたのだ。それを瞬時に見抜いたリュカは思い悩んだ末に、残る魔力を振り絞って魔術陣【雲母砂子】を完成させた。効果はお前も知っている通り、『魔法の破壊的用途と発想の制限』だ。これにより、世界的にも大量殺戮の最大要因であった魔法が封印され、荒れる一方だったイグラードの情勢も落ち着いたものとなった。そうやって、リュカとしてはそれからの王子の更正に期待したのだろうな。だが、それは同時に、他の王位継承者達との権力争いを戦う最大の術を奪う事でもあった。かくして、あっけなく王子は謀殺され、失意のうちにリュカは隠遁。その後、テキストを作る事で完全に魔力を使い果たして、以後、オレが用意したレーマ教団に引きこもり、今日に至る」
「れ、レーマ教って、ハクジャ、が?」
「オレが作った。あれには逃げ込む場所が必要だったからな。誰もが自分を傷つけず、それでいて望めば最小限の関わりはある、そういう場所がな」
「・・・・・・」
自分に向けて言われているようで、私は気まずくなって視線を落とした。
そして、話された内容を心の中で噛みしめるにつれ、悄然とした気持ちが広がっていく。
夫を刺して、その上結果的にとは言え、自分のせいで息子を死なせてしまったリュカちゃん。
その心は、100年の間に癒されたのだろうか?
いや、そもそもどうやってそんなに長い間・・・と、疑問に思った私は、あまりに悲しい彼女の身の上から逃れるように、それについてハクジャに尋ねた。
「延命に関してはオレの血肉を定期的に摂取する事で可能だ。アカネ、お前もオレの血を飲んだ後に体感しただろう?ああやって、体力と魔力を増大させ、【雲母砂子】の維持に充てていた訳だ。もっとも、ここにきてそれも限界に来ている訳だが」
私は、ハクジャの変態セクハラ事件と呼ぶべき所業には目を瞑って、彼の血を飲んでしまった時の事を思い出した。
あの「無限回廊」の中を走った時の無尽蔵の体力と格段に上がっていた判断力。
だからって、あのリュカちゃんの自分と同い年くらいにしか見えない姿は反則だと思うが、100年経っても大丈夫的な理屈としては何となく合点がいった。
でも、限界って、どういう事だろう?どう見ても彼女は若さを保っていたし、落ちているという魔力にしても、十分凄い魔法を使っていたと思うけれど・・・。
「限界というのは精神の限界だ。魔力はそもそもが精神、魂の力に由来する。リュカの魂は限界なのだ。あれの魂はあと一月もすれば消滅するだろう」
「そっ・・・」
そんな事って・・・。
魂が消滅するって、つまり、それは死ぬって事でしょう?
それを何故こうも淡々とハクジャは言えるんだろう。
彼女が好きなくせに。
だが、私はすぐに、彼が彼女を助けてやってくれと願っていた事を思い出した。
血塗れのまま、かろうじてといった具合で書かれた赤黒い文字が脳裏に浮かぶ。
「精神が壊れはじめ、姿も、【雲母砂子】の維持すらも不可能になり始めた頃、リュカはお前がイグラードで匿われている事に気が付いた。自分と良く似た存在を見つけたあれは何十年かぶりに喜んでいたよ。だから、オレはお前がリュカのよき理解者になる事に期待した。そして、穏やかに、あれが最後の時を迎える事を期待したのだ」
ハクジャの言葉を聞くうち、頭の中で、リュカちゃんの声が木霊する。
『ワタシなら友達になれる。似たもの同士なのよ』
『それでね、アカネちゃんも、同じように、好きな人を殺すの』
『そうすれば、ぜーんぶ同じ。ワタシ達はお友達になれるわ』
『ワタシやアカネちゃんの世界は、それだけで閉じて終わってる。そんなワタシ達が理解者を求めたとして、お互い以外にそんな存在がいるのかな?』
『あなた(ワタシ)はからっぽよ』
なんのことはない。屈折はしていても、結局、リュカちゃんもハクジャも望んだ事は同じだった。
気の合う友達と過ごす穏やかな時間。
彼はそれを作ろうとして、彼女はそれを得ようとした。
たったそれだけの事だった。
つぅと、自分の頬を涙が流れていくのを感じた。
暗がりとは言え、傍に座るハクジャからはよく見える事だろう。だが、今は涙を拭う気にはなれなかった。
何故かと言えば、それは自分のやるべき事がはっきりとしたから。
それにはまず、彼に確認せねばならない。
「ハクジャ、聞きたい事があるの」
「・・・何だ?」
ただならない様子に少しの間を空けて、なかなか要領を得ない私の質問に、ハクジャは静かに耳を傾けてくれた。
そして、ぎこちなく幾つかのやりとりを終えた後、私は自分の思い付きが実現可能であることを確信した。




