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その65



 ハクジャの体の石化してしまった部分を取り除く作業。

 言うまでもなく、これには器用さが問われる訳なのだが、古今あらゆる対戦アクションゲームで全敗を誇る私が器用である筈もない。うっかりばっさりヤっちゃうんじゃないかという緊張に手を震わせながら、私は短剣の切っ先を慎重にハクジャの方へと向けた。

 間近で見てみると、もはや彼の身体は石像にしか見えず、かろうじて石化を逃れた指先が鬱血したかのような赤みを見せている。手の甲の中程には身体の表面を石が覆っている事を示すように段差があって、彼自身が言うように、薄い石の層が皮膚の上を覆っているようだった。


「・・・ぅぐ」


 それはつまり、薄皮を剥ぐように彼の身体に短剣を刺していかなければならないという事で、私は生唾を飲み込みながら、とりあえずの目標を胸の辺りに決めて、可能な限り少しずつ刃先を近付けていく。

 

 この作業、確かに器用さが要求される訳だが、ハクジャの体を傷付けてしまう事さえ回避出来れば、絶対的に困難という訳ではない。別に一度で成功させる必要も無いし、切り口が浅すぎる分にはリトライも可能だ。要は、毒ナイフを深く突き入れ過ぎない事にだけ気を付ければ良い。

 私は、指先から限界まで力を抜いて、「私は名医。タッチパネルの上でなら名医だったもの」と自分に言い聞かせながら、ハクジャの胸の上にそぉっと刃の先端を置いた。

 

 ちなみに、ハクジャの格好は下半身に布切れ(多分、前に持ってかれた私の毛布)が巻かれているだけの、いわゆるターザンルックだった。つまりは、上半身裸のままだった訳で、集中が必要な時程散漫になるという私スキルが発動し、視線は短剣に据えられつつも、意識は彼の上半身へと拡散していった。


「・・・あ」


 うむ、やはり筋肉はこれくらいが良い、と、私が内心で頷いた時だった。

 何故か集中力が弱まっていた私の指先からは必要以上に力が抜けてしまっていて、思わず声を漏らした時には、既に短剣が指の間から滑り落ち始めていた。

 私の視界の真ん中を、石をも溶かす猛毒が塗布された凶器がゆっくりと落下していく。

 つーっと縦に、ハクジャの胸に線のような細い切り傷を付けて、その反動からカクンと軌道を変える。

 回転するように柄が上、刃が下となって、重心が安定したせいかまっすぐ地面に向かって落ちていく。

 そして、私は、直下にある短剣の到着先を確認して、顔色を蒼白に染めあげた。

 短剣が刃を向けて落ちる先には、私の足があった。

 

『貴女がこれを取り落として、足にでも当たっていたらと思うとゾッとしますよ』


 ネストールさんが冗談混じりにこぼした言葉が脳裏に蘇る。

 本当にゾッとしますよねと思い返しながら、私は、まさしく今、足にでも当たろうとしている短剣を目で追った。

 ぴたりと、照準を定めたかのように、短剣は一直線に私の足へと落下している。

 一歩足を引いて避ければ良いだけだというのに、恐怖を先取ってしまった私の体は完全に竦みあがってしまっていた。足先はおろか全身が硬直してしまって動かす事が出来ない。

 その癖、視界だけはスローな上に鮮明で、私は、自分の足の上に落ちていく毒の短剣を、ただ呆と見つめた。


 そして、必殺的に言うならデュクシ!!とでも効果音が鳴ろうかという寸前、短剣の柄尻を親指と人差し指だけで掴み取ったミルナーが、じとっと私を見上げて心底バカにした口振りで言った。


「お前、まさかと思うミスを平気でやりやがったな・・・」


 そこに痺れる、憧れるぅ!

 などと軽口をきく余裕がある筈も無く、私はしおしおと、腰砕けのようになってその場に座り込んだ。

 気持ちの悪い汗が背筋や脇の辺りが流れ出すのを感じる。


「大丈夫ですか、アカネ様。ミルナーお手柄です」

「何様だお前はっ!ったく・・・」


 ネストールさんの声に振り向けば、私の隣で中腰になって手を伸ばしたポーズで動きを止めている姿が目に入った。恐らく彼も、ミルナー同様私を助けてくれようとしたのだろう。私は2人に「こんな筈やなかったんやぁ、超執刀の筈やったんやあ」と頭を下げまくる。

 

 そして、しばらくすると、やれやれと腰を上げたミルナーがハクジャの方に戻っていった。

 こうして見るとミルナーが一番遠い場所に居た事に気付いて、私はチンピラっぽいとは言えさすがは白帝さまだなと、座り込んだまま感心した。

 

「・・・ふん。しかし、まあ、可愛くもないのにドジっ娘という最悪の醜態を見せられちまった訳だが、意外にうまくいったな。見てみろよ、これ」


 私は即座に感心を取り消した。

 体育座りになって、「ドジじゃないの、ちょっとだけ手先が油っぽいだけなの」と、乾燥肌の手で自分の膝をかき抱いていると、ネストールさんが興味を引かれてハクジャの方へ歩み寄っていった。


「ほぉ・・・。短剣の傷を境にヒビがいってますね。鉱石など、亀裂が入ってしまえば案外脆いものです。これなら切るまでもなく何とかなるんじゃないですか?」

「だな。ちょっと、試してみるから手伝えよ」

「仕方ありませんね。アカネ様、もう少し離れていて貰えますか?・・・ええ、その辺りで結構です」


 私はネストールさんの指示に従って、部屋の隅へと移動した。

 こうやってすみっこで体育座りをしていると、何だか落ち着く。

 というか、瞼が重い。

 よくよく考えてみれば、私は、昨夜から一睡もしていない。

 嵐だったのが就寝時刻より少し早い22時頃だったと仮定して、止んだのが翌0時過ぎくらい。で、色々あって、気を失っていた時間も考えると今はもう多分朝な訳で、ほぼ完徹というやつである。

 道理で眠い訳だと、うつらうつらとしていると、「よぉし、いくぞ」というミルナーのかけ声が聞こえて、私は反射的に視線を上げた。そして、見えた光景に眠気は一蹴された。



 でんと、部屋の真ん中辺りにそびえ立つ偉容に、私は言葉を失って目を見開く。

 眼の前で、また、さっきと同じようにミルナーがハクジャを抱え上げてブレーンバスターの体勢を取っているのだ。しかも、今度は隣にネストールさんが並び立っている。つまり、これは、ツープラトンブレーンバスター!

 

「・・・っ!」


 いや、違う。 

 通常のブレーンバスターは相手を抱え上げて頭から、或いは後方に背中から落とす。つまり、技を掛けた人間と掛けられた人の頭の向きが同じな訳だ。

 だが、対してこれは、ミルナーとネストールさんの顔はこちらを向いているが、両者の脇で固めるように持たれるハクジャの顔は後ろを向いている。つまり、つまり、これは・・・ツープラトンリバースブレーンバスター!!

 

 私は、タイミングを計るように顔をつき合わせている2人の様子を、驚愕の面持ちで見つめた。

 そして、更に気付く。

 私がハクジャに付けた傷は胸に出来たものだった。つまりは体の前面。通常のブレーンバスターでは直接衝撃を与えられない事になる。だから、敢えてホールドの難しいリバースに切り替えたのだろう。実に理に叶った技の選択と言える。

 でも・・・。

 

「んじゃ、せーの、でいくぞ。の、でいくからな」

「分かりました」


 でも、ツープラトンのブレーンバスターって・・・。


「・・・うっし、せーー」

「・・・・・・」

「のっ!」


 私が考えを纏めきる前に、鋭い吐息と共に、眼前のタワーが部屋の奥方向へ倒れていく。

 言うまでもなく2人は長身で、抱え上げられているハクジャにしても短躯という訳ではない。見上げる程に巨大な物が倒れるのは圧巻で、私はその光景にじぃと見入った。


 ガキリ!


 鈍い、しかし、明らかに最初の時とは違う音が部屋に響く。

 寝転ぶように数瞬、技の余韻に浸っていたミルナーがいち早く起きあがってハクジャの状態を確認した。


「おっ、やったぜ。石んとこはほとんど剥がれたぞ、ネストール」

「・・・これなら、後は手で剥がせそうですね」


 そして、珍しくテンションが上がった様子のネストールさんが、ミルナーのハイタッチの要求に応える。

 パチリと威勢良く響く音を聞きながら、私は離れて聞こえないのを良いことに、ぼそりと、小さく呟いた。


「・・・でも、ブレーンバスターって、2人でやっても威力変わらないんじゃない?」と。





 私の疑念は放っておくとして、ハクジャの石化は無事に解かれたようだった。

 ぶるぶると、水浴び後の犬のように、体を震わせて細かな石の破片を払い落とす彼の姿が目に入る。

 足元には、部分的に彼の体そのままの形を維持した大きな破片もあって、さながら蝉の抜け殻のようである。いや、人の抜け殻か。いや、待てよ、ハクジャの正体は犬だから・・・。


「何をうんうん唸っているんだ、アカネよ?」

「わ、わんだふるっ!?」


 あんまり見てるのもアレかなと、俯いていたところに声が掛かって、私は慌てて凭れていた壁から背中を離した。だが、疲れていたせいか踏ん張りが利かず、ずるっと、背中が滑って尻餅をつきそうになる。


「何をやっているんだ、お前は」


 ショックを和らげるべく手を伸ばそうとしていると、傍まで来ていたハクジャにぐっとその腕ごと持ち上げられた。ついでにそのまま両脇の下に手を入れられて、すっくと立ち上がらせて貰う。

 やはり眠っていないせいか、疲れが頭と足にきているようだ。

 私は眼前の、未だ砂埃にまみれたような格好のハクジャに「ありがと」と返した。そして、見返した彼のボサボサでボリュームの頭髪の天辺に石の破片がこんもりと乗っかっているのに気付いて思わず笑ってしまう。礼を言われた直後に笑われた彼は不思議そうにしていたが、すぐにまた石片を取り除く作業へと戻っていった。

 すると、そんな私達の様子を見るとはなしに窺っていたネストールさんとミルナーから、「ほぉ」という声が微かに聞こえてきた。


「・・・どう思いますか、ミルナー?」

「まあ、珍しいわな。どもってない上に、照れてもいないようだし」

「ふむ、私が同じように支えた時は、何故か激しく落ち込まれたものですが・・・」

「全く事情は分からんが、それはきっとお前が悪かったんだろ」

「難しいですね、女性の心というものは・・・」

「全く事情は分からんが、それはきっとアイツが変わってるだけだと思うけどな」


 何やら軽口を叩き合っているようだ。ケンカするようでも無く、静かに会話する2人は妙に仲良くも見える。

 距離があるせいで、その会話の中身までは聞こえないんだけども。

 

 そうこうしてるうち、ハクジャの身繕い(?)が大体済んで、さて、どうしようかとなった頃、彼がおもむろに歩み出て、私達に提案があると言いだした。


「提案というのは他でもない、休息を取らないか?見れば、アカネは疲れているし、お前達にしても疲労の色が濃い」


 あっと思って、私は、眠気のあまりに瞼をこすっていた手を慌てて下ろした。

 心配そうにこちらを見やるネストールさんと視線が合うが、何だか恥ずかしくなった私は即座に顔を背ける。

 とは言え、彼にしても疲れているのは明白だったし、ミルナーもタフであるとは言え同様だろう。休めるものなら休みたいものだけれど・・・。


「待ってくれ、休むにしても場所はどうするんだ?ここは迷宮だっつう話だし、アテがあっても辿り着けねえだろ?」

「それに、我々にとっては敵の本拠地と言って良い場所です。可能なら、休む事無く一気に脱出したいものですが」



 2人の反論はもっともだった。

 リュカちゃんは「無限回廊」について、自分でも迷ってしまう事があるという風に言っていたが、裏を返せば、用意があれば迷わず移動できるとも取れた。彼女が追って来ることを考えると、ここにはあまり長居はしたくないというのが、私としても正直なところではある。

 すると、三者の不満を感じ取ったハクジャが、余裕の笑みを浮かべてそれに答えた。


「大丈夫だ。オレがアカネに道案内の魔法を掛けたのだぞ?その本人が回廊内の道を把握していないと思うか?それに、ネストールよ、お前が気にしているのは追っ手の事だろうと思うが、それに関しても気にしなくて良い」

「・・・それは、何故です?」

「それはな、リュカが我々を追う必要が無いからだ」

「はあ?そりゃ、どういう事だよ?あの女は、アカネの奴にえらく固執しているように見えたが・・・」


 どういう事だろう?私もミルナーと同じように思って頭をひねる。

 でも、駄目だ。眠すぎて、考えがまとまらない。


「道に関してはオレが保証しよう。最悪、疑わしくなったら、アカネに付いて途中で脱出に切り替えれば良い。追っ手に関しては信じてくれと言う他無いが。さて、どうする?そこな姫様はもう限界のようだぞ?」

「・・・っ」


 私は、押し殺した欠伸のせいで浮かんだ涙を慌てて拭った。

 だが、さっきと同様にばっちり2人に見られていて、またもや顔を俯ける。


「・・・仕方ありませんね。水と食料の補給は可能なんですか?」

「食料は無理だろう。だが、水は可能だ。運が良ければ衣類なども見つかるやもな」

「なるほど。では、移動して休息を取る、という事で。いいですね、ミルナー?」

「いいぜ。俺としちゃ庇われた身だからな、多少はそいつを信用してるんだわ」


 頭の後ろに両手を重ねて、気楽そうにネストールさんに応えるミルナー。

 荷物も無いので、そのまま速やかに、即移動という流れに移る。

 そして、入ってきた扉を開いて、再び「無限回廊」の通路にハクジャが歩み出たのを確認してから、ミルナーが思い出したように付け加えた。


「そうそう、言い忘れたが、信用を裏切った時には即座に斬って捨てるから、そこは忘れんなよ?」


 発言の物騒さに、私はぎくりと歩みを止める。

 殿の位置に付いていたネストールさんも立ち止まって、興味深そうに2人のやりとりを見守った。

 だが、言われた当人であるハクジャは意外にも落ち着いていて、扉の先へと進み掛けていた上体を一歩戻し、無表情なまま、ちらりとミルナーを見て言った。


「肝に銘じておこう」





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