その64
一般的女子高生としても小柄な部類の私が、長身のネストールさんの手を引いて「無限回廊」の通路を進んでいく。
先導して歩く私の足取りはどこか頼りなく、壁に灯されて見える「魔法の明かり」を確認しながらということもあって、余計におどおどして見えることだろう。一方、先導される側のネストールさんは、そんな私を背後から穏やかに見つめていて、空いた利き手の方には結構な刃渡りのナイフを持っている。
なんとシュールな絵面だろうか。
私は、客観的に見たこの状況はさぞや面白い事になっているだろうと想像して、繋いだ手に向かいかけた自分の意識を懸命に逸らせた。
どちらかと言えば乾燥肌の私の手が、今はじんわりと汗をかいているのが自覚出来る。
イグラードでも手を引かれて案内されるという事はままあったが、私が前を歩くというのは初めてのケースだ。
その上、歩き始めてそろそろ2、30分が経つ。
そんな長い時間を家族以外の異性と手を繋いで歩くなんて事が、私の人生で一度でもあっただろうか?
おまけに、今は周囲を警戒しているという事もあってネストールさんはずっと無言で、やっと口を開いたかと思えば、それは例の音の確認で立ち止まる為だったりと、会話らしい会話はまるで無い。
そんな中で、手を繋いで歩くしかない私の神経は、嫌が応にも手先へと集中してしまう訳で・・・。
「・・・・・っ」
ともかく、動揺を悟られてはいけない。
私は震えかけた指先を必死に抑えて、また彼の手を不自然に握りしめてしまわないように細心の注意を払った。
あくまで、ここは「ちょっと手汗が激しい、ゲームのコントローラの汚れ方が若干アブラギッシュな女の子」程度の認識で切り抜けなければならない。
いつの間にやら私は、彼に意識しているのがバレたら負けだ的な一種の強迫観念にとらわれていた。
会話が無い事も助長して、私はその思考にハマり込んでいく。
そうして、意識を逸らすという考え自体に意識が逸らされて、私の足取りは幾らかスムーズになっていたようだった。
気が付けば、例の音を確認する為に立ち止まる事も無くなっていて、もう壁に耳を付ける必要も無いくらいに大きくなった音が通路に木霊していた。
私とネストールさんは、何度目かになる枝分かれした道を「魔法の明かり」に従って選び取り、進んで行く。
幸いにも、音のする方向へは正しいルートから逸れる事無く進めていて、私がよく考えたらネストールさんは心読めるんだから意識してるの隠しても意味ないんじゃね?と気付いた頃、音の源とおぼしき部屋の前へと辿り着く事が出来た。
何かを壁に叩きつける大きな音が、耳を傾けるまでもなく、眼前の扉の先から響いてくる。
「・・・・・・」
「・・・っ」
ネストールさんが扉の脇へと歩み寄って、私にも移動するように促してきた。
唇の前で立てられた人差し指に頷きだけで返して、私は汗にまみれた手をズボンで拭いながら、彼と反対側の方に陣取った。
ドアノブを確かめるようにゆっくりと回すネストールさんの指先をじっと見つめる。
鍵は掛かっていなかったようで、抵抗無く開いた扉の隙間から、件の音がより鮮明になって聞こえてくる。
その音が止んだタイミングで、ネストールさんが慎重に、その僅かな隙間へと顔を近付けていった。
私の方からは見えないので、祈るような気持ちで様子を見守っていると、一度顔を離した彼が無造作とも言える手つきで扉を押し開いた。バーンと、内側の壁に扉が叩きつけられる派手な音が辺りに響く。
「なっ・・・」
何で?という疑問は声にはならなかった。
無警戒に扉を開いたネストールさん以上に、扉の先に驚くべきモノがあったからだ。
唖然となって私が見つめる先、部屋の中にはブレーンバスターの体勢に入っているミルナーの姿があった。
ブレーンバスター。
さして知識の無い私でも知ってる程に有名なプロレスの技だ。別名、脳天砕き。
肩を支点に相手を逆さまに抱え上げて、頭部、或いは背中から地面に叩きつける大技。
その昔、隣に住む良子ちゃんがカップリング的観点からプロレスに傾倒し、戯れに仕掛けられた経験があるので、その破壊力についてもある程度知っている。背中の痛みで息が出来ずに悶絶する私を見下ろして「本当は頭から落とす垂直落下式にしたかったのだけどね」と、不満そうに言った彼女の笑顔を今もよく思い出す事が出来た。
そんな、危険なブレーンバスターの体勢を取るミルナー自身に驚いたのも間違いなかったのだが、当然、プロレス技だと言うなら掛ける相手がいる。私は上下逆に抱えられた人物、それが誰かに気付いて唇をわななかせた。
名を呼ぶつもりで開けた口から僅かに声が漏れる。
「は・・・っ」
室内、ミルナーの方はちらりとこちらの方を見やって、私達の存在に気付いていたようだった。だが、傾き掛けた体を止める気は無かったようで、そのまま、良子ちゃんがやりたがっていた方のブレーンバスターが炸裂する。
ガーーン!
壁を通して聞いていたのとは大分違う、鈍くて重い音が部屋の中に響き渡った。
技を放った姿勢のまま数瞬が過ぎ、脳天から叩きつけられて何かの記念碑のように垂直となっていた体が、グラリと横へ崩れていく。
その光景に、私の口は今度こそちゃんと開いて、その名を呼ぶ事に成功していた。
「は、ハクジャ・・・っ!」
直後に、ズガンとも、ガランとも、形容に困る音が、私の声を飲み込んでいく。
身じろぎ一つ見せる事なく、石の地面にハクジャの身体が仰向けになって倒れた。
その光景に、それきり言葉を失って唖然としていると、加害者であるミルナーがむくりと起きあがって気軽な調子で私に声を掛けてきた。
「おう、アカネサタニ。遅かったな」
「・・・・・・」
「こいつがよ、お前らならここを必ず通るっつうから、こうして待ってたんだが」
言いながら、ミルナーは足下のハクジャの腕の辺りをコンと爪先で蹴る。
「結構掛かったよな、2時間位か?やっぱここって広いのか?」
「・・・・・・」
「って、おい、アカネよ、とうとう口がきけなくなっちまったか?」
と、笑いながら肩に伸ばされたミルナーの手を、私は咄嗟に避けた。
2人の間で何があったのかは知らないし、ハクジャにしても思うところはあるけれど、何もこんな非道い事をしなくて良いじゃないか。地面に倒れたハクジャに起き上がる気配はまるでないし、その四肢も死体か石像のようでぴくりとも動かない。
私はそれ以上見ていられなくなって、傍らに歩み寄っていたネストールさんの背中に顔を隠した。
その素振りを見て、流石に状況に気付いたミルナーが慌てて口を開く。
「お、おい、待てよ。何か妙な勘違いをしてるんじゃねえだろうな?ちがうからな?」
「何が違うんです?あの高さでこの固い地面に頭から落とすなんて。完全に殺す気だったのでしょう?そして見る限り、その目的は果たされたようだ。見損ないましたよ、ミルナー」
抗弁するミルナーに鋭くネストールさんが差し返す。
庇うようにずらして立ってくれた彼の背中に、私は悲しくなって額を押しつけた。
こうして話す間にも、ハクジャが動く気配はまるで見られなかった。ちらりと垣間見えた手の先が、浅黒く変色しているように見える。
死後硬直とかそんな類の変化なのだろうか?私はますます居たたまれなくなって、強く目を瞑った。
「おい、こら、目を瞑るな。よく見ろ、これを!」
「・・・っ」
「ミルナー、これ以上アカネ様を怖がらせないでください。そんなに死体を見てほしいのですか?おぞましい」
「ちょ、ちがっ・・・て、テメエ、気付いてやがんな?」
「何を言っているんです?それより、何故殺したんです?その人はアカネ様の知人のようです。それをかくも無惨に・・・」
「テんメェ・・・おちょくりやがって、この腐れ軍師がっ!」
荒々しい声が聞こえたかと思うと、ミルナーが猛然とこちらに詰め寄ってくるのが背中越しに見えた。
抵抗らしい事もできないままに、ぐいとネストールさんの胸倉が持ち上げられる。
一騎当千を地で行くミルナーに、彼が、ましてや私が抗える訳も無い。
私は、怒りに燃える彼を、ただ震える視線で見上げた。
「お、おいおいおい、やめろ、そういう目で見るな。何か前にも言った気がするが・・・っつか、お前、基本的に俺の事を犯罪者か何かだと思ってないか?」
「・・・・・・」
いや、だって目付き悪いし、髪の毛真っ赤だし、リュカちゃんだって怯えてたし。
と、再び目線をそらせてネストールさんの背に隠れていると、彼の肩が小刻みに揺れている事に気付いた。
もしや、とうとうミルナーがヤッたのかと、前に回り込んで顔をのぞき込むと、彼が堪えきれないといった風に口を開いた。
「く、ははっ。アカネ様、大丈夫ですよ、ミルナーは人殺しなどやっていません。もう一度、よくあのハクジャでしたか?その者の体を見てください」
「・・・・・・」
「大丈夫ですから。怖いというなら、上での事を思い出してみてください。ハクジャはどんな様子でした?」
「・・・?」
反対に覗き返されて、慌てて顔を俯けながら、私はネストールさんに言われた通りに上での様子を思い返した。
上でのハクジャはもたれ掛かるように木の台に磔になっていて、両手と首に杭が打ち込まれ、普通の人間であれば間違いなく死んでいるような状態だった。その後に生きていた事が分かって驚いたものだが、つまり、ネストールさんの言いたい事は、彼は並の生命力では無いから心配するなという事だろうか?
しかし、もう一度、思い切ってちらりと確認したハクジャの体はまるで血の気が無く、生きているようにはとても感じられなくて、特徴的な真っ白の髪も含めて・・・。
「あっ・・・」
思わず、私の口から声が漏れた。
上でのハクジャは杭で串刺しになっていて、あの白髪も流血でどす黒く染まっていた。それどころか全身にも血の跡がこびり付いていた筈だ。だが、部屋の中程で倒れているこのハクジャは綺麗なものだ。死人のように血色が感じられず、指先などは僅かに変色して見えるものの、血痕や傷に関しては、確認出来る限り一切見られない。
という事は、このハクジャと上のハクジャは、別人?
私は訳が分からなくなって、安易に答えを求める生徒のように、ネストールさんの顔を見上げた。
「見る限り、そこのハクジャは石像か何かのように見えますね。上での様子との違いも気になりますが、石の床に叩きつけられて流血すらしていない。加えて、あの音。生身の体とはとても思えません」
「あ・・・」
そう言えばそうだった。
あんな壁を石で殴ったかのような甲高い音が、人体をぶつけて出る筈が無い。
私は今更ながらに無警戒に扉を開けたネストールさんに合点がいって、おそるおそるミルナーの方を仰ぎ見た。
そこには非常に憮然とした顔があって、私は「も、申し訳ねえ。でも、信じてたんだからねっ」と頭を下げた。
「いや、分かってくれりゃ、良いんだよ。それにしても、あのリュカとかいう娘といい、お前といい、俺はそんなに・・・」
「落ち込むのは後にしてくださいミルナー。それより、コレの詳しい説明をお願いします」
「・・・ん?あ、ああ、そうだな。しかしな、正直俺も詳しいとこは分からねえ」
「役立たずですね」
「おまえっ・・・って、だから、そんな町のチンピラを見るような目をすんな、頼むから」
武人故の勘の良さからか、ほんの僅かな私の視線を感じ取って、再び掴もうとしていたネストールさんの首元から手を離すと、ミルナーは肩を落として後ろの元居た辺りに戻っていた。そして、やおら足下のハクジャの頭部を持ち、「よいせ」と、ぞんざいな感じで立ち上がらせると、投げやりな気味な声でこう言った。
「俺は分からん。だから、こいつに聞け」
ミルナーに支えられて立つハクジャは、こうして正面から見てみてもやはり血の気が皆無で、手足も固まったように動かず、ネストールさんの言ったように石像か、或いは精巧なマネキンかにしか見えない。
作り物めいた不気味さに、私はよろりと後ずさった。
そして、しばらくしても反応が無い事に苛立ったミルナーが、ハクジャの頭部をペシリと叩く。
「・・・・・・ミルナーか?」
「ぷっ、やっぱ、石だけあって反応がおせーな」
笑う気になど当然なれない私は、くぐもってはいるが聞こえた声が確かにハクジャのものであると分かって、大きく目を見開いた。彼は石のように硬直したままで、全身と同じく口も動いていない。腹話術めいた2人の会話が更に続く。
「・・・戯れ言は良い。さっさとこの体を叩き割れ。いや、待て、そこに誰かいるな?」
「ああ、いるぜ。陰険軍師とアカネがな。おまえの意向に沿ったせいで俺は犯罪者扱いだ。その辺、ちゃちゃっと説明してやってはくれねーか?」
「いや、それならば、まず、この『石化魔法』を解いて貰おう。いい加減、壁やら地面やらにぶつけられるのもうんざりだからな。で、アカネよ、聞こえているか?」
「・・・・・・え?」
よく出来た腹話術ショーを鑑賞している気分になっていた私は、いきなり自分に話の矛先が向いて驚いた。
にやにやと笑いながら手招きするミルナーに従って、恐る恐る彼らの傍へと近寄る。
近くで見たハクジャの体は血痕も傷も無く綺麗なものだった。しかし綺麗ではあっても、生きているという感じがまるでしない。それはまさに石化魔法を掛けられたようで・・・って、石化魔法!?
「リュカにやられたのだ。恐らく、そこのミルナーを狙ってのことだったのだろう。幸い、魔法の掛かりが弱く、体の表面が薄く石化したに過ぎん。お前ならこれを何とかできるだろう」
「え、ええ・・・?」
何となく、ミルナーとハクジャの間で起こった事はこれで分かった。
壁を通して木霊していた打撃音も、あのナンチャッテプロレスも、石化した表面をどうにかする為の苦心故、という事だったのだろう。
でも、それを私にバトンタッチされても困る。私にはミルナーのように彼をかつぎ上げる事なんて無理だし、当然、魔法自体を解くなんて事も無理、不可能である。
謎の人選に私があわあわと困惑していると、後ろから穏やかな声が掛かった。
「アカネ様、これをどうぞ」
「は、はい・・・?」
疑問に思って振り返ると、ネストールさんが短剣の柄を、私の方へと差し出してきた。
おずおずとそれを受け取りながら、私はそれが石をも溶かすおっかない短剣である事を思い出す。
「ハクジャと仰いましたか、貴方、毒には免疫が?」
「多分にな。アカネよ、オレが化生である事は知っていよう?構わずひと思いにやってくれ」
「ひ、ひと、一青よ・・・って、ちがっ」
ひと思いにって言われてもと、私はほろりほろりと泣きそうになって周りを見渡すが、ミルナーはこちらを楽しそうにニヤニヤと笑うばかりで、ネストールさんにしても助けてくれる気は無いようだ。
多分、ハクジャからの指名を尊重したとか、知り合いがやった方が良いだろうとか、そういう理由からなんだろうけど・・・。
いくら待ってみても埒があかないようだったので、私は仕方なくハクジャの前に立った。
「さあ、ぶすっと、やってくれ」
「う・・・」




