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その63



 何だろう、確か、私はさっきまで強烈に落ち込んで、そして感動的な感じで言いくるめられそうになっていた筈なのだが、直前の事だと言うのにそれらの記憶が覚束ない。

 

 あの、イグラード王国の為なら体も張って、蛇蝎との汚名も敢えてかぶり、忌み嫌われた国民からはプライバシーの保護的意味の甲高い声で「あー、あの軍師ですか?頭おかしいんじゃないですかね?」「いや、病んでるんだよ、すすんでリンチに合いに行ったりよ。あれは一種の病気だな」「それもだけど、国の為つって好きな女を騙すとかがなー」「しかも一度じゃねえってのが鬼だわな」「でも、それだけ小ずるく立ち回って、結局は女の策で何とかしたっていうね」「ぷっ、何それ、ヒモっぽーい」「っつうか、聞いた話だと軍辞めたらしいぜ?」「え?それじゃ、本当にヒモっていうこと?」「ぎゃはは、救えねー」「でも、そんなネストール様でも、わたくしは・・・」てな具合に評されるネストールさんが、軍を辞めただなんて・・・。

 その驚きに、すべての感情が色褪せる。


「・・・まあ、何となく貴女が私のことをどう思っていたかが分かりましたが、でも良いんですか、この状況でそんな事言って?」

「ぷ、ぷふっ・・・!」


 人の悪い笑みを深めて、ぐいと私の口を摘む手に力を込めるネストールさん。

 同時に強く腰も引き寄せられて、私は背伸びするような格好になってしまう。

 さながら、釣り上げられたタコのようなその体勢に、そろそろ本気で口の伸び具合が心配になってきた私は、謝意を伝えるべく口を開いた。


「もごっ・・・」

「ぷっ」


 開かなかった。

 再び堪えきれないといった風に吹き出すネストールさん。

 仕方ないでしょ、口が摘まれてるんだから!と憤りながら、私は重大な事に気付いて、次は噛みついてやろうと狙っていた彼の指先から視線を外した。それと同時に、心を読んだらしき彼の手も、口元からぱっと離される。


「じゃ・・・じゃあ、イグラード、は?」


 脳裏に、リュカちゃんから見せられた光景が蘇っていく。

 彼女の「写し身」の魔法で映し出されたイグラード軍とオルランド反乱軍が激しく交戦する光景。

 あんな状態のイグラードから、軍師であるネストールさんやミルナーまでもが抜けて大丈夫なのだろうか?それに戦力という意味ではジェラードさんだって居ない訳で・・・。

 

「安心してください、アカネ様。それに関しては打ち得る策は全て打って万難を排しました。貴女の救出が遅れたのもその為です。だからこそ、私は貴女に怒って良いと言ったのです」

「・・・・・・」


 彼がそう言うのなら、万全であるというのはきっと確かなのだろう。

 でも、今もああやって両軍が戦い合っているかと思うと、単純にそれで良かったと安堵する事は出来ない。

 不安に揺れる私の胸の内を見透かすように、ネストールさんの落ち着いた低い声が続けて降ってくる。


「そうして、反乱軍に対しては備えを整えたものの、貴女を助ける為に動く事は出来ませんでした。知っての通り、あなたの身柄の引き渡しは国際法規に則った正規のもの。イグラードの軍人が表裏どちらの意味でも動く訳には行かなかったのです。ですので、軍は辞めました」

「え・・・?」

「おや、拍子抜けでしたか?」

「い、いや・・・」


 そんなあっさり?と意外に思わなくもないが、目的の為に手段を選ばない彼を思うと納得も出来る。

 だが、その反応も気に召さなかったのか、ネストールさんはやや不満そうな口振りで続けた。


「おかしいですね。ダ・・・某女氏曰く『女というものはね、仕事と恋人のどちらを選ぶかという局面で迷い無く後者を選ぶ男の事を、人間的には駄目だなと感じつつも可愛いと思うものなのですよ。そして、ヒモを養う生活というのも、それはそれで退廃的な毎日で楽しいモノなのです』との事でしたが」


 それ、もうダイアーさん曰く、で良いよね?

 そして、ダイアーさん、過去に一体何があったんですか!?

 でもって、もう、さすがに限界なんですけど!


「ですが、その林檎のような頬を見るに、思うところがなかった訳でも無いようですね」

「・・・ぅく」

 

 何とか、色々と考えを反らしたりして耐えしのいできた訳だが、もう色々と限界である。

 そりゃ、ネストールさんが私を助ける為に軍を辞めたと考えると嬉しいような、くすぐったいような気分にもなりそうだけれど、今はそれどころじゃない。

 いや、だって、私、ずっと彼と密着状態なんでしてよ!?

 絶対に考えるまいとしていた腰に置かれた手は心なしか円を描くように動いている気がするし、支える為にだと信じて疑わなかった彼の足は、いつの間にか私の股の間に差し入れられるようになっているし、鼻先をくすぐる彼の胸元は汗くさいんだけど、でも不思議とくっついていても不快じゃなくて。

 逃がさないとばかりに、顔のすぐ横には手が置かれ、触れられていないというのに顔を反らせる事が出来ない。

 こんな状態に、コミュ障の私が、そういつまでも耐えられる訳が無い。

 

 というか、さっきから妙にネストールさんの言動が軽いというか積極的に思えたのは、軍を辞めて束縛が無くなったからか!

 束縛を!誰かこのヒモという名の自由業でも十分食っていけるだろう男に束縛を!


「シッ、静かに」

「・・・っ」


 さっきとは、まるで違う意味で足に力が入らない。

 屈められて近寄った、彼の口から短く紡がれた言葉に足下が揺らぐ。

 だが、既にしっかりと支えて貰ってるので、今度は倒れる心配もない。安心だねっ。


「・・・・・・」


 って、安心じゃねー。

 か、顔が近付いてきやがる・・・っ!

 さすがのネストールさんと言えど、こうやって近付いて見るとさすがに疲れの色が濃い。

 顎には無精髭も伸びてしまっているし、髪にもいつもの「キイっ、くやしい!」と思わずハンカチを噛みたくなるようなキューティクル的艶が感じられない。

 耳鳴りか何かのように頭の中にまで届く私の胸の音は、果たして彼の胸もに届いているだろうか。

 少なくとも、この内心の取り乱し様は手に取るように伝わっている事だろうと私は観念して、プールに飛び込む寸前のように、ぎゅっと強く目を瞑った。

 

 そして、瞼の裏がもう一段暗くなって、ネストールさんとの距離が限界まで詰められたのを感じた後、ぽつりと独白するような彼の声が聞こえた。


「ふむ・・・リズムがありますね」

「・・・ちぇけ、ら?」


 リズムと聞いてそれかよと悲しく思わなくもない想像性溢れる疑問の声を発しながら、私は訝しく思って瞼を開けてみた。

 すると、そこには気配通り、覆い被さるようになったネストールさんの体があったのだが、何故かその顔は私の横の方へとずらされていた。

 行方を確かめてみると、彼はぴたりと壁に耳をくっつけていて、どうやら、私のすぐ横で聞き耳を立てているようだった。

 こちらからは彼の後頭部が見えるだけで、鼻先をくすぐる長い髪が今となっては妙に癪に障る。

 何と人騒がせで紛らわしい行動だろう。

 私は、抗議の意味を込めて、強い口調で彼に何をしとるんだと尋ねた。無論、心の中で。


「実は、先程短剣を突き立てた時に、ほんの少し震えるような感触があったんです。それで、この壁を通じて微かに音が聞こえてくる事に気づきまして。ほら、聞こえませんか?」


 くっ、急に振り向かないようにっ。

 私は、忌々しく思って彼の後ろ髪を睨むようだった視線を、慌てて宙に泳がせた。

 そして、耳元を啄むようにして放たれた彼の声に背筋が震えそうになりながらも、表面上は、セーブ無しで2時間程オート戦闘でレベル上げに勤んだ挙げ句うっかり物理反射に気付かず全滅してしまった程度の素振りで、同じように壁へと耳をそばだてた。

 

 ・・・ーン、カーン・・・。


 すると、確かにネストールさんの言う通り、何かを叩きつけるような音が耳に届く。

 息を潜めて注意深く聞き耳を立てるが、しばらくすると、その音は急に止んでしまった。


「石で壁を叩くような音でしたね」

「・・・・・・」


 確かに、と私は彼に頷く。

 そして壁にくっつけていた耳を離そうとすると、再び、カンカーンという音が聞こえ始めた。

 近くに工事現場でもあるのかしらんと、私がとんまな探偵助手っぽく首を傾げていると、こちらにくすりと笑みを寄越してネストールさんが壁から離れた。

 それと同時に、腰に置かれていた手なんかも離されて、私はほっと胸をなで下ろす。


「リズムが一定ではありませんでしたし、人が立てている音かもしれませんね。もしかしたら誰か近くに居るのかもしれません。方角的にはあちらの通路からでしたが、果たして信用できるのか・・・」

「・・・・・・」


 ネストールさんが示した通路に顔を向けながら、私は注意深くその先を見つめた。

 薄闇から闇黒へと変わる境界辺りから、奥に向かって魔法の明かりが連なっているのが確認出来る。

 どうやら、あの通路は「ガイドの魔法」が指し示す正しい道のようだった。

 腕を組んで考え込むようだったネストールさんにその事を伝えるべく、私は側にあった彼のシャツの裾をちょいちょいと引っ張った。



「・・・道案内の魔法、ですか?」


 ついでにと、ガイドの魔法に関しても説明を交えてみると、驚いたような声が彼からあがった。


「なるほど、それがあったから、貴女は私に『心中しよう』と言った訳ですね」

「ブフ・・・っ」


 某冷気魔法っぽく盛大に吹き出しながら、私は、片づけようと重ねていた携帯食料がばらばらと地面に落ちていくのを呆然と見送った。


「しかし、冗談はともかく、それが正しい道だと言うのなら、先程の音の正体を確かめてみた方が良さそうですね」

「・・・・・・」


 気を取り直して、その提案には私もうんうんと頷く。

 あの音の先に危険が待っている可能性もあるが、この「無限回廊」にはミルナーが居る可能性もある訳で、リスクを冒しても確認する意義は十分にあると言える。

 

 私は再び、黄色っぽい包装がされていることから某バランスフードっぽい印象を抱きつつ、落としてしまった携帯食料を拾っていく。

 一応、はぐれた時や紛失の可能性を考えて、食料は2分してそれぞれが持つ事になった。

 それ程かさばらないので、私のズボンにあるポケットにも十分収める事ができる。

 とりあえずこれくらいかなと、左右の手に収めるべき携帯食料を振り分けていると、すでに準備を終えたネストールさんからしみじみとした声が聞こえてきた。


「それにしても、さっきのアカネ様は可愛かったですね」

「ドギャーン」


 バラバラと、後は両のポッケに収めるのみだった携帯食料が、またもや地面へと落ちていく。

 残念ながら人体工学を無視した立ち方は無理だったが、その分表情の方は盛大に慌てさせて、私は体の前に浮かせた両手をわななかせた。

 

「閉じられた瞼の下で不安そうに揺れる睫が、とっても魅力的でした」

「ひぃ・・・」


 顔は爽やかなんだよ。いつもの優しげな笑顔だし。

 でも、言ってる事がちょっと変態っぽいよぉ。

 やっぱり男の人は仕事辞めちゃ駄目なんだよぉ、この人は国に縛られているくらいが丁度良かったんだよぉ。

 

 と、私が困惑に体を硬直させながらも、王様に彼の復職を直訴する決意を固めていると、ネストールさんが「だが、断る」とばかりに、スタスタとこちらに歩み寄ってきた。

 そして、固まる私の視線の先でテキパキと地面に落ちた食料を拾いあげると、左手に重ねて置いてから、すっと両手を差し出してくる。

 拾ってくれてありがとう?

 でも、左手は分かるけど右手はなあに?と訝しく見ていると、彼が爽やかに答えてくれた。


「正しい道が見えるのはアカネ様だけなのでしょう?ですから、貴女が手を引いて、私を先導してください」

「・・・・・・」


 言い分は分かるけど、でもこの妙な流れでそう言われると・・・と、戸惑う私。

 ひとまず左手の方から携帯食料だけ拝借して、ポケットに収めていく。


「・・・・・・」

「・・・・・・」 


 無言のにらみ合いが続いた。

 私の方は明後日の方向を見ているだけだが。


「そう言えば、そこに増殖してしまった縄がありましたね。得体が知れませんが、はぐれる危険性にはかえられません。ここは多少窮屈ですが縄でお互いの体をし・・・」

「・・・っ!」


 慌てて、私はネストールさんの右手を取った。

 ここは照れている場合じゃない。

 この、仕事を辞めて何だか軽くなっちゃったネストールさんと常時くっついて行動とか冗談じゃない。

 それなら、手を繋いだ方がこちらから離せる分、まだマシである。

 というか、この人、今、縛るって言いかけてなかっただろうか?

 

 私は、少しばかり震えて見える裸足のままの爪先に視線を俯けたまま、とぼとぼとネストールさんの前に歩み出た。





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