その62
とは言っても、地面に並べられた所持品は実に少なかった。
ネストールさんが腰の隠しポケットに入れていた携帯食料が3日分程と、同じく隠し持っていた幾らかの硬貨と紙幣。
それに、上で私がリュカちゃんに持たされた短剣が1振り。
迷宮に赴く装備としては、あまりに心許ない。
重さを確かめるようにネストールさんが短剣の柄を持ち上げるのを見て、私は武装という面から見るとそれだけが頼りになる訳かと、皮肉に思った。
「それにしても、アカネ様、貴女、これを渡された時によく落としませんでしたね」
「・・・?」
その声を疑問に思って顔を上げると、彼の落ち着いた視線とはち合わせた。
泥なんかで薄汚れていても相変わらずのイケメンぶりに、私はすぐさま顔を俯ける。
だが、続いたジュッという焼けるような音に驚いて、再びなんぞ?と彼の方を見上げた。
ネストールさんの手には変わらず件の短剣が握られていて、今は刃を確認するように通路の壁へと寝かされている。そして、壁に付けられた辺りからは薄く煙が立ち昇っていて、注視してみると、僅かに刃先が壁に埋まっているように見えた。
「強酸性の毒でしょうかね?石材をも溶かすとは。貴女がこれを取り落として、足にでも当たっていたらと思うとゾッとしますよ」
「・・・・・・」
何という物を軽い感じで手渡してくれたんだリュカちゃん・・・。
私はその短剣の事も含め、改めて、「上」での際どかったやり取りを思い出して顔を青ざめさせた。
すると、そんな私の様子に気付いたのか、ネストールさんが手元の短剣を慎重に扱いながら、いかにも軽い調子で口を開いた。
「そうそう、上での事と言えば、『心中してください』と言われた時にも驚きましたよ」
「へ・・・あっ」
あ、あれは違う!
いや、ニュアンス的にはそんな感じだったけれども、というか、心を読んでもらったんだから、別に実際に言った訳じゃ・・・。
「私としても、これは『想いには応えられないが一緒に死のう』と言う事かと、何だか物語りじみて思えて胸に迫る物がありましたよ。まあ、その類の本を読んだことは無いのですが」
「そ、そ、そうじゃ、沙羅双樹の花のい・・・て、ちがっ」
いけない、危うく儚くなってしまうところだった。
私は、一旦深く息を吐いて白い花びらの事を頭から追い出してから、あの時の事を冷静に思い出した。
あの時、リュカちゃんに短剣を渡される直前、私はハクジャが書いた文字を見続けていた。
血で書かれた『リュカを助けてやってくれ』という文章の陰惨さと衝撃に、思わず一度は目を瞑ってしまったのだが、文字にはまだ続きがあったような気がして、私は再度、注意を向けたのだ。
すると、血の跡に隠れるように、そこには『魔法は続いている』と書き加えられていた。
それを見て、私ははっと、「ハクジャから掛けられたガイドの魔法がまだ継続している」という意味では?と思い付いた。
ぼんやりと、夜道の街灯の如く『無限回廊』内の正しい道を示した、あの魔法。
もし、あれの効果がまだ続いているのなら、『無限回廊』は迷宮じみた死地では無く、あの状況で考えられる唯一の逃げ場所だと言える。
だが、そうは言っても、問題があった。
うまい具合に、リュカちゃん自身の力のお陰で回廊への道は開けたとは言え、肝心のネストールさんに、それらの思い付きを説明する事が困難だった。心を読んでもらうにしても、ガイドの魔法の説明から始めてたら時間が掛かり過ぎるし、回廊へ続く穴へと落ちる際に戸惑われて機会を逸してしまう事も避けたかった。それに加えて、魔法が掛かって迷わないのは私だけなのだから、ばらばらに落ちるという事も避ける必要があった。
つまり、彼には速やかに、納得ずくで、それでいて私と一緒に、あの穴の中へと落ちて貰わなければならなかったのだ。
で、まあ、そう考えると、何というか、私の豊富な乙女ゲー的シチュ知識から導き出すに、あんな感じに伝えてしまうのが適当だった訳で・・・。
だから、他意は無かったのだと、恐る恐るネストールさんの方を見上げると、何だかとても素敵な笑顔が、そこにはあった。
「でも、そうなると、私はまだ振られていないという事になる訳ですよね」
「ぬぐっ・・・」
「いやあ、楽しみですねえ。いつか、ちゃんとした答えが貴女の口から聞けると思うと」
「ぐぎぎ・・・」
私は、本当に楽しそうに言うネストールさんをそれ以上見ていられなくて、ぷいと顔を背けて唇を噛みしめた。
それと同時に、何だかやっと、窮地から脱したのだという実感が胸に沸いてくるのを感じた。
完全に安全という訳ではもちろん無いし、地面に並べられた所持品を見ても万全とは程遠い状況だが、それでもこうやって軽口を叩くネストールさんの余裕に溢れた声を聞いていると、張りつめていた糸がたわむような、何とも言えない暖かさを感じる。
だが、その後に、私の中を満たしたのは罪悪感だった。
ほっと胸をなで下ろす権利が、自分なんかにあるのだろうか?
元々、私がレーマ教の神殿に囚われたのは、自身が望んでの事だった。
オルランド反乱軍からイグラードを守るという大義は確かにあったが、しかし実のところ、それは面倒と感じるようになっていた人間関係からの逃避に過ぎなかった。
そんな私が、そもそもイグラードの人間に助けらる事自体が分不相応だ。
その上、さっきも確認した通り、絶望的では無いものの、今も危機的な状況が続いている。
そんな危地に巻き込んで、ネストールさんに犠牲を払わせる価値が、私なんかにある筈が無い。
そして、それだけじゃない。
彼と一緒に助けに来てくれたミルナー、それに、上での窮地を脱する契機となったキャンベル姫様やマリーナさん、ウェルベック君。
彼らまでもが助けに動く価値が私なんかにある訳が・・・。
「・・・・・・っ!」
そこまで考えて、私ははっと息を呑んだ。
こうして、無事に上から脱出出来たのは私とネストールさんだけだ。
落ちる際にミルナーの姿も見えた気がするが、すぐに意識を失ってしまったので確実ではない。仮に、脱出出来ていたとしても「無限回廊」に単独で落ちたとなれば、それは無事であるとは言えない。また、上に居るままであろうキャンベル姫様達にしても、あの状況下で無事であるとは考え難くて・・・。
私は、自分の体がぐらりと傾くのを感じながら、そのまま地面へと膝をついた。
踏ん張ろうにも足に力が入らず、壁へと伸ばした腕も空を切る。
「何をやっているんですかっ、貴女は!」
すると、珍しく慌てた様子のネストールさんが、背後から私の腕を支えてくれた。
私なんかの為にそんなに焦らなくて良いのにと思いながらも、言うことを聞かない体は前へと傾ぐばかりだったので、仕方なくその手に甘える。
「それ、そろそろやめませんか?」
「・・・え?」
そして、ゆっくりと、されるがままに体を振り向かせられながら、彼からの言葉が聞こえたと思った瞬間、私は疑問の声を置き去りにするようにして、手近の壁へと押しつけられていた。
左の脇の下辺りに彼の手が食い込んで、凄く痛い。
「さっきから言ってる『私なんか』、というやつです」
「あ・・・」
失念していた。
すぐそばで、あれだけ強く思っていたら読み取られて当たり前である。
これではまるで、慰めてくれるのを期待していたようではないか。
私は、壁に押しつけられた状況も忘れて、自分の情けなさに恥じ入った。
「はあ・・・。まったく、あなたの考え方には驚かされてばかりです。良い意味でも、悪い意味でもね」
すると、掴み上げるようにしていた私の脇の下から手を離して、ネストールさんは嘆息まじりにそう言った。
「アカネ様、恥を忍んで言いますが、私は貴女に会ったら何と罵倒されるだろうかと、恐々としていたのですよ?」
「・・・・・・は?」
呆れた表情で掛けられた彼の言葉に、私は口を丸く開けて聞き返す。
「貴女は本当に・・・。いいですか、オルランド反乱軍との戦火を避けるためとは言え、貴女はレーマ教団に身売りされたようなものなのですよ?それも、私を含めた偉方が満場一致で採決した結果でです。その上、やっと救出に来たかと思えば早々に見つかって捕らえられる体たらく。普通だったら、『この役立たずが』と、怒鳴りたくもなるでしょうに」
「・・・・・・」
その発想は無かった。
というか、自身に被害者的な感覚は皆無だったし、どう考えてみても、私なんかを助けようとしてくれた事実だけで驚きである。
普通だったら、普通の女の子だったら、どう反応するのが正しかったのだろうか。
自然とそう考えてしまっている事に気付いて、リュカちゃんが言っていたことは正しかったなと思いながら、私は眼前のネストールさんのシャツを見つめた。
泥にまみれていた上着は既に着ておらず、袖や裾の方は僅かに汚れているものの首や胸元の部分は綺麗なままで、素地の白色が目に眩しい。
というか、近い。
「ぎ・・・にゅ」
私はネストールさんと壁とのサンドイッチ的圧力に、変身に失敗した某隊長のような声を出して、わずかに出来た腰の後の隙間に彼の腕が回されるのを感じた。
「ただ、某女氏からは『女性はいつでも、自分を助けに来てくれる王子様を待っているものなのです。吊り橋効果に過ぎないとの声もありますが、大いに結構、喜んでいる隙を突いてやってしまいなさい』ともアドバイスを頂いていたので、恐れる反面、期待もしていたのです」
えーと、ダイアーさんだよね?
それと何をやるのかな?
でもって、強く押さえ付けられ過ぎちゃって息が出来ないんですけども?
いや、上を向けば問題は解決なんだけど、でも、ほら、上にはネストールさんの直視に耐えない顔が待っている訳で・・・。
「そう言われると、何だか私が凄く不細工だと聞こえますね」
「・・・ぐっ」
こっそり横へと逃がしていた顔が、彼の余っていた方の手に捕らえられて、ぐぐぐと、無理矢理上を向かされる。
というか、自分の顔が整っている事には自覚があったんですね。このナルシストちゃ・・・。
「にゅっ・・・」
「おっと、手が滑りました。すいません、アカネ様」
素早く、私の口をワインのボトルか何かのように摘みあげるネストールさん。
アヒル口の次は必ずタコ口人気が来ると信じて、私は滑稽な事になっているであろう自分の状態に耐える。
「それでですね、マジメな話、その『私なんか』というのはやめませんか?」
「・・・・・・」
「イグラードでも時折、そう思う貴女の心が聞こえる事もありましたが、今はもっとひどい。一体、何があったんですか?」
「・・・・・・」
言えない。
ほぼ、だいたい毎日、食って本読んで寝てただけなんて・・・。
いや、ネストールさんが聞いている事は、多分そういう事じゃないんだろうけど、でも、私の中でも整理が付いていない事を説明する事なんて出来ない。
「・・・まあ、それは良いでしょう。ですが、自覚しておいてください。少なくとも私やミルナーは、貴女に申し訳なく思っていて、何ヶ月掛かったとしても救出に来る覚悟があったという、その事を」
「・・・・・・」
何となく、状況も含めた彼の言葉の雰囲気に呑まれそうになりながら、それでも私はタコ口からぷふーと息を吹き出して、ネストールさんにクレームをぶつけた。
彼に私を助ける意志というか、気持ちがあったのは確かだと思う。
でも、いみじくも彼自身が先程言ったように、私の身柄を引き渡すという確実な策を率先して取ったのは、何あろうこの人だ。
そんな彼が、献身的な覚悟という不確かな理由だけで救出に来るものだろうか?
何か隠し事がある気がする、と彼の顎先辺りをじと目で睨んでいると、私の顔に吹き出すようにしてネストールさんが疑問に答えてくれた。
「・・・ふふ、いえ、大した事は隠していませんよ。ただ、私が嵐に乗じて救出に行くという情報を、ジェナス王を通じて姫様に流しただけです。それで、あの裏切り者にも気取られてしまった訳ですから、結果的にはとんとんという所でしょうか」
あ、呆れた・・・。
確かに、あまりに都合の良いタイミングでの姫様の乱入だとは思っていたけれど、まさか守るべき国の姫を利用するなんて。
予想外の答えに、私は、上向かされたままの目を2、3度しばたたかせる。
ん、でも、おかしいぞ。
イグラード王国第一主義の彼が、恐らくは陽動にと言えど、キャンベル姫様を使ったりするだろうか?
聞く限り、あわよくばって感じだったみたいだけど、それでも彼らしくないというか・・・。
すると、タコ口のまま疑問に眉根を寄せた私の顔がよほど面白かったのか、「失礼」と言って横を向いて小さく吹き出してから、ネストールさんは爽やかな笑顔を蘇らせて言った。
「それと言い忘れていていましたが、私、実は軍を既に辞めているのです」
「・・・・・・は?」




