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その61



 現在のイグラード王宮宮殿は、比較的新しく建て替えられたものなのだと説明してくれたのはダイアーさんだったか、他の誰かだったか。

 うろ覚えの記憶を思い返しながら、私はなるほどなぁと実感を持って、どこか懐かしい、しかし見覚えの無い宮殿の中を歩いていた。

 どこか成金じみた、華美に過ぎる壁の装飾は、それでも様式等が似ているように見えるので、恐らくは建て替えられる前の宮殿内という事なのだろう。

 

 それについて疑問を持たない訳でも無かったが、私は切羽詰まった問題から、ともかく歩くことに集中して先を急いだ。その問題というのは他でも無い自身の事で、ぐずぐずと歩きづらい足元の感触に、私は何度目かになる大きな溜息を吐いた。

 歩きながら視線を落とせば、これもグラディエーターサンダルと呼ぶのだろうか、幾つもの複雑な交差が張り付いて窮屈そうに素足を締め上げる皮の靴が見える。ヒールもぺたんこで、本来なら歩くのに最適な機能性を持っていそうなものだが、雨に濡れそぼった今、かぽかぽと私の歩みを妨害するだけの妙に重いサンダルに過ぎない。

 

 私は一刻も早くこの状態から抜け出したくて、一心不乱に自室を目指していた。

 だったら、「脱いじゃえば良いじゃない、ケーキを食べれば良いじゃない」とも思うが、以前裸足で走り回って怒られたことを思い出してすぐにその考えを追い払う。

 薄着だったこともあって身体が濡れている事はそこまで気にならないのだが、やっぱりこの歩きづらさには辟易する。

 私は王様の居た離宮から歩き通しだった足をとうとう止めて、通路の曲がり角に置かれた美術品の影に隠れて休憩を取る事にした。


 床の上にぽたぽたと水が落ちる音を聞きながら、私は悪趣味且つデカすぎな美術品という名のオブジェクトを見上げた。

 確か、これも息子が金に明かせて購入した物だったと思うが、本当にこれが良いと思って買ったというなら、そのセンスには脱帽する他ない。まだしもこれが安い買い物であるなら笑って済ませる事もできようが、下級の役人数人分の年収にあたる額と知った今では、もはや絶望である。

 小さく溜息を吐きながら、少しずらせた視線の先には透明度の高い大きな窓ガラスが見えて、泣き出しそうな空に遠雷の音が蠢くように響くのが聞こえる。

 嵐のピークは過ぎたようだが、ガタガタとガラスが震える音が不穏に感じられて、私は止めていた足を再び動かすべく謎オブジェクトの影から歩み出た。

 

 すると、間が悪かったのか、丁度角を曲がってきたピアースさんと肩がぶつかってしまった。

 よろりと、私はたたらを踏むが、長身の彼女にはそれほどの衝撃でも無かったようで、そのまま何事も無かったかのように己の目的地へと進んでいく。

 それから何人か、見知った侍従や貴族ともすれ違うが、皆は一様に私を無視して、結局誰とも一口たりとも言葉を交わすことなく、私は自分の部屋へとたどり着いた。

 そして、濡れたドレスに、さて、どうしようかと腕を組んでいると、今しがた閉じたばかりの扉の外から、幾人かの足音がドタドタと通り過ぎていくのが聞こえた。

 物静かなこの宮殿で珍しいと、私が興味を引かれて扉を開くと、慌てた様子で廊下を走る兵士達の後姿が見える。それに続くようだったダイアーさんに慌てて声を掛けると、さすがに反応して振り返った彼女が取り乱した口調で言った。


「ネ、ネストール王が、何者かに殺されましたっ・・・」

「・・・っ!?」


 そんな馬鹿な事が・・・?

 彼とはつい先程離宮で別れたばかりだ。

 忙しい政務の中の一時の逢瀬を楽しんで、そして、帰る途中に突然の雨に降られた。

 すっかり冷えてしまったとは言え、彼に抱かれた熱はしっかりとまだ手の中に残るようだし、彼の胸を抉った感触もしっかり・・・と?


「お、お妃様、その手はどうなされたのですか?」


 何だか混濁する記憶に目をしばたかせていると、ダイアーさんが震える手で私の方を指さした。

 疑問に思って自分の手を目の前に持ち上げると、それは真っ赤に染まっていて、雨に濡れたせいか乾く事なく滲むように指先から肘に向けて滴っている。


「な・・・に、これ?」

「そ、その血は、もしや・・・衛兵!衛兵をここにっ!」


 直後に、大きな声で叫び出すダイアーさん。

 私は、そんな彼女は見たことが無いと、ぽかんとなって自分の手と見比べる。

 が、すぐさま駆けつけた兵士達に拘束される段になって、馬鹿げた嫌疑が自分に掛けられている事に気づいた。


「ち、ちがうっ!ワタシはやってない!」

「姫様・・・」

「ちがうっ、なんで、そんな目で見るの!?」

「申し開きは、どうか詰め所の方で」

「ちがう!私はっ・・・」


 必死に自分への疑いを否定しながら、しかし私はどこかで認めてもいた。

 あの生々しい感触、途切れゆく呼吸の音、近くへと落ちた激しい雷鳴が、それをかき消したあの瞬間を。

 でも・・・。


「ちがう!私は、ネストールさんを殺していない!」




 悲しそうに見つめるダイアーさんへと伸ばした指先が、何か暖かい物に包まれているのに気付いて、私は、急速に自分の意識が覚醒していくのを感じた。

 そして、瞼を開いた先で、伸ばしていた手の甲がちゅっちゅと口付けされている様が見えて、眠気も一瞬にして吹き飛んだ。 


「ああ、目覚めましたか、アカネ様。ひどくうなされていたようですが、大丈夫ですか?」

「な、なに、ナニワ金融ど・・・ちがっ!」


 私は思い切り至近から届いた声にも驚いて、そら最高裁判所の裁判長かて即有罪って言いまっせと、積極的なセクハラぶりを見せるネストールさんを咎めた。そして、すぐさま取り戻そうと手を引いたのだが、素早く反応した彼の手に再び捕えられる。


「何をしてるんだ、ですか?見ての通り愛でているのです。何せ、随分と会えなかったのですから、これくらいは許されるべきでしょう?」


 そう言いながら、ネストールさんは妖しく笑って再び私の手に唇を近づけた。

 薄く唾液に濡れた手の甲が、彼の吐息に晒されて冷やりとする。

 

 こういう不意打ち的な悪戯はイグラードでもあったが、私の心が読めるネストールさんは困惑しているのが分かればすぐに止めてくれた。

 でも、今の彼は止めてくれなくて、私は、常ならぬ彼の雰囲気に制止の声もあげられないでいた。

 

「・・・・・・っ」

「っと」


 が、流石に今の自分の体勢が、ネストールさんに赤ちゃんのように抱かれている事に気付いて体が動いた。

 必死にどたばたと暴れた甲斐あって、至極残念そうに彼の手が離れていく。

 

「お、おろ、おろ」

「はいはい、降ろしますよ・・・さあ、これで良いでしょう?」

「・・・・・・」


 そのまま、背中と膝の裏を持たれた体勢のまま、すとんと地面に降ろされる。

 地面の堅い感触に安堵の息を吐きながら、私はにこにこと悪びれもせずこちらを見つめるネストールさん・・・の胸の辺りを睨んだ。くっ、相変わらずキラキラしい。

 それにしても、何というか、彼はもっとストイックだったような気がするのだが。

 そりゃ、まあ、久しぶりに会って思うところが、私にも無い訳じゃ無くも無く無く無いけれど。


「それじゃ、無いんじゃないですか?」

「ぐっ・・・」


 何だか久しぶりの感覚である。

 そして、多少なりとも余裕を取り戻した私は、周囲を見渡して自分達が陥っている現状を思い出した。


「『無限回廊』・・・か」


 ぺたりと自分が座り込んでいる地面からは、奥に行くにしたがって段々と暗くなっていく通路が、綺麗なグラデーションを描いて四方へと続いている。どうやら私達は十字路の中心に居るようで、見覚えのある通路が前後左右へと伸びているのを確認して、心底から重い溜息を吐いた。

 この4つの通路の先全てに、あの荒唐無稽な構造が続いていると思うと吐き気すら覚える。

 


「そのようですね。上・・・とは限らないですが、便宜上先程まで居た神殿の部屋を『上』として、そこで聞いた時には半信半疑でしたが、名に違わない奇妙な空間のようですね」


 私の溜息に軽く笑ったネストールさんが、すっと手に持った縄を持ち上げた。

 恐らく彼を拘束していた縄だろう。見れば、綺麗に切られた断面がこちらに向けられている。


「実はあまり口付けし過ぎて手がふやけてもと思い、間隔を置くために近くを調べていたのですが・・・」

「ちょっ・・・!?」

「冗談です。で、調べていたのですが、これを見てください」

「・・・・・・」


 じと目になって、私はネストールさんが示した先に視線を移した。

 というか、絶対、彼は変わってしまったように思える・・・いや、元々こんなだっけ?

 と、なかなか懐かない小動物RPじみた動きを見せる私に構う事無く、彼は口を開いた。


「この縄、長さは大体6メートル程あるんですが、これをあなたの腰と私の手首に結びつけて少し通路を進んでみたんです」


 いつの間にやら、というか明確に私が意識を失っていた間になのだろうけど、指された先である私のやや監禁生活で何らかの数値が増したらしい腰には、確かに縄が巻き付けられているのが見える。


「そうすると大体6メートル丁度辺りで、この場へと戻ってきてしまったのですよ」

「・・・・・・」

「この十字路、不思議と3メートルも進めば、ある距離を境に後ろの光景が全く見えなくなるのです。真っ暗になってね。ですが、手にある縄は間違いなく後方へと続いていて、そして、言ったとおり、残る3メートルを進むと貴女のいる場所へと戻る訳です」

 

 常識の通じない「無限回廊」なら仕方ない。

 まっすぐ進んでも何故か戻っちゃって堂々巡りくらいは想定内とも言える。


「それで、ですね、実は貴女の唇が血で汚れているのに気付きまして、拭うものも無く仕方なく私の唇で綺麗にしていたところ、あまりに繰り返して唇がふやけてもと思い、間隔を置くために何度か歩いて同じ事を繰り返してみたのですが・・・」

「・・・じ、冗談だよ、ね?」

「・・・・・・・繰り返してみたのですが、やはり結果は同じでした」

「・・・・・・」


 こ、こやつ・・・。

 空恐ろしくなった私は、ごしごしと唇を手で拭った。

 そして、自分の腰から伸びる縄が通路の1つに伸びている事と、更にはその対面の通路から戻ってくるように何本もの縄がまた同じ通路の先へと伸びているのが確認出来た。って、何だこれ、数多くの縄がまるで事故現場のキープアウト的に通路間に巡らされている。


「試行回数は27回。行った数だけの縄が、こうしてぴんと張っている訳です」

 

 そう言いながら、ネストールさんはぐいと手元の縄を引っ張った。

 すると、当然私の腰へと結ばれた縄にもそれは伝わって、引っ張られる感覚を味わいながら、目の前の27本だかの縄が揺れる様子も見て取れた。


「・・・ネ、ネストール、さん」

「なんでしょう?」

「そ、その縄、捨てよ」

「そうですね」


 私は自分の腰にあった縄をぺいと投げ捨てると、足先で壁際へとどけた。

 途端、宙に巡らされていた27本の縄も張りを失って、とさりと地面に落ちる。


「この縄の先は、一体どうなっているんでしょうねえ」

「・・・・・・」


 

 その後、私の目覚めを待って行うつもりだったというネストールさんの言に従って、現在の所持品に関する確認が行われた。





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