その57
とりもあえず、私は蓑虫状態だった上半身の毛布をはだけて、傍らの椅子の方を「どうぞ」と指さした。
私自身は壁際に座り込んでいるような格好なので、どうにも妙な位置関係となるが、客を迎えるべき調度が無さすぎるので仕方ない。
だが、リュカちゃんは相当に参っていたようで、脇目も振らずに壁際へと走り寄ると、そのまますとんと私の隣に腰を下ろしてしまった。
膝を抱える手先が震えているのが分かって、私は自分の足を包むだけだった毛布を彼女にも掛けてやった。
「あ、ありが・・・」
答えるその小さな声すら震えていて、語尾は遠く鳴る雷の音にかき消された。
雷鳴にびくりとしたリュカちゃんの肩が私に当たって、余程雷が苦手なのだなと心配になって隣を見やった。
彼女の服装は寝る間際、或いは寝ている最中だったのか非常に薄着で、多分、普段の貫頭衣の下に着ていた物だろう袖無しのシャツから細い二の腕が覗いている。普段は健康的に映る褐色の肌も、今は薄暗い部屋の中で不安そうに沈み込むだけで、僅かに鳥肌が立って見えたのも見間違いでは無いだろう。
私は毛布をリュカちゃんに押しつけるようにして立ち上がると、机の上の小さな燭台に火を灯して足元に置いた。
だが、彼女の隣へと戻った途端、ぴかぴかと激しく光った稲妻に、あまり意味は無かったなと肩を落とした。
そして、激しく室内を照らし出す稲光の後、来るだろう雷の音に備えてリュカちゃんがぎゅっと体に力を入れるのが、隣に座る私にも分かった。
ガーン!
つんざくような轟音がびりびりと室内に響く。
悲鳴をあげる余裕すら無かったのか、ひゅっと息を飲む音だけが聞こえて、自分の膝に深く頭を埋めたリュカちゃんは、そのまま動かなくなってしまった。もはや、動いて見えるのは震える剥き出しの肩先だけで、私はどうしたものかと頭を悩ませながら、自分の方の毛布を彼女の肩に掛けた。
毛布の暖かみに僅かに顔を上げる気配があったが、直後に続いたひっきりなしの雷鳴にすぐさま俯けられて、結局リュカちゃんが私に何かを言う事は無かった。
その様子をまるで自分みたいだなと眺めながら、おずおずと彼女の背中に手をまわして過ごした時間は2時間位だっただろうか。
ようやく激しかった雷も止んで、その代わりに増した風の音がびゅうびゅうと上から聞こえてくる。
雨足の方も遠のいたらしく、窓から吹き込む余韻のような風に、足元の蝋燭の火が激しく左右へと揺らされた。
案外消えないものだなとその火を見つめていると、やがて、石の置物のようだった隣から身じろぎする音が聞こえた。ごぞごぞと毛布に埋もれていた頭を起こすと、彼女は恥ずかしそうにこちらを向いて口を開いた。
「ご、ごめん、アカネちゃん。ワタシ、本当に雷は駄目なの・・・」
「うん」
目尻を拭いながら言う彼女に、私は出来るだけ素っ気なく答えた。
何というか、こういう時って妙に感情を見せて反応すると駄目な気がするのだ。恥部だと思える弱みを見られて、私なら見なかったことにして欲しいと思うし。多分、リュカちゃんもそういうタイプな気がする。
それから、またしばらく無言のまま時間が経って、でも気まずいだとかそういう感じでは無く、遠のく雨音に耳を傾けながらゆっくりと過ごしていると、「ねえ」と隣から遠慮がちに声が掛けられた。
「アカネちゃんって、何か恐い物はある?」
「こわい、もの・・・?」
そりゃ一杯ある。
というか、恐くない物の方が少ない気がする。
あらゆる他人と接するのが恐いし、あらゆる知らない事、未知の事に遭遇するのが恐い。
例えば、さっきの雷を私が恐がらなかったのだって、雷は基本的には高所に落ちて石造りの半地下のようなこの場所がまず安全だと知っていた事が根底にある。これが知識の無い状態だったら、リュカちゃんのように取り乱して、いや、私の事だからわんわんと大泣きしもしていただろう。だから、気にすることは無いんだよと、彼女の方を窺うと、どうやら純粋に疑問に思っての問いだったようで、普段のリュカちゃんからは珍しい興味の色が瞳に宿っていた。
「うん。ワタシが、その、雷が恐いのはわかったよね?でも、ワタシが恐かったのは雷そのものじゃなくて、昔、雷の時に起きた事なの。そういう、なんて言うのかな、周りもひっくるめて恐くなっちゃうような、そういう恐い物」
ほとんど初めて聞くリュカちゃんの饒舌ぶりに驚きながらも、私は彼女の言わんとしている事を感じ取った。
いわゆる、トラウマというやつじゃないだろうか。
本来の心的外傷という意味ではなくて、比喩的な深い心の傷という意味でだけど。
何かしらの事象と共に、その時のシチュエーションも含めた全てが対象となるような、強烈な恐怖。
「・・・ある、よ」
それで言うなら、私にとってはあの夏の日の体験がそうだった。
そして、それで恐くなった物と言えばやっぱり・・・。
「そう。ねえ、アカネちゃん、ワタシね、ワタシは人間が恐い」
「えっ・・・?」
「雷が恐くなったのって、ある人が恐くなったからなの。それ以来、誰も彼もが恐いの。ずっと友達だった人も恐くなって・・・」
再び、膝に掛かった毛布に額を付けて言うリュカちゃんに、私は強烈なシンパシーを感じてすぐに口を開いた。
「・・・私も」
「アカネちゃん?」
「私も、人が恐い」
思えば、人ほど未知の物はない。
初めて会った他人との関係性、それがどんなものになっていくのか。
自分にとって有益?それとも無益?
相手にとって私は有益?それとも無益?
そして、無益だと断じて、それでも昨日までと同じように笑えるその神経が、私には恐くて堪らない。
「ワタシと同じね、アカネちゃん」
すると、リュカちゃんは伏せていた顔を起こして、濡れ光る紫紺の眼で見上げるように私に囁いた。
その声はとても小さくて、でも、不思議と風鳴りの音が耐えない中でもよく聞こえた。
「だから、友達になりましょう?」
「えっ・・・?」
だから、続いた彼女の唐突な言葉に、私は心底驚いた。
いや、だって、友達に「なろうぜ!?」って言ってなるのってフィクションの中だけじゃない?
そりゃあ、極めて外向的な人はそうなのかもしれないし、そういうのに憧れみたいなものも感じ無くは無い。でも、そもそもリュカちゃんのこと、私は既に友達だと思っていたんだけれど・・・。
と、微妙な彼女との齟齬に私が言葉を詰まらせていると、触れ合うようだった肩の重みが消えて、のぞき込むように体を傾かせたリュカちゃんが、その印象的な紫の瞳でじっと私を見つめて続けた。
「それでね、友達になるなら、色々と準備がいると思うの」
「じゅん・・・び?」
「そう。例えば、同じ服を着てみたり、って、これはもう済んでるね」
言いながら、見つめた先の自分のお古である私の服に触れて、リュカちゃんはにこりと笑った。
その様子を見て、私は、なるほど、彼女のやりたい事というのは、ペアルックみたいな事なのかなと見当を付けた。同じ服装とかは、結果的にはそうなってしまっているが、かなりこっ恥ずかしいものがある。でも、元の世界でも小中学校の時なんかはお揃いのアクセサリーなんかを友達と買って何が楽しいのかきゃっきゃっと喜んだりしたものだ。恐らく、リュカちゃんが言うのもそういう事では無いだろうか。
いきなり友達云々と言うから何事かと思ったが、よく考えてみると、この神殿にはマッチョ僧侶がいるばかりで彼女と同年代の人は見かけていない。きっと彼女には、そういう事に対する憧れのようなものがあるのだろう。
そう思った私は、実に気楽に、少し自身も楽しくなって、「それで?」と先を促した。
「うん、それでね、他にはそうだなあ、一緒にお風呂に入って、同じように香水を付けるのも良いかも。それで、同じようにベッドで寝るのっ」
はしゃぐように指折って言う彼女は本当に可愛らしくて、私は初めて見るリュカちゃんの浮かれた姿に、一緒にお風呂はキツいかなと思いながらも、うんうんと頷いて返した。
「それでね、アカネちゃんも、同じように、好きな人を殺すの」
うんう・・・って、え?
「・・・いま、なん、て?」
いきなりの場にそぐわない言葉に、私は浮かべていた笑顔を引きつらせて彼女に聞き返した。
そんな私の戸惑いの声を受けても、変わらずリュカちゃんは楽しそうな表情で、跳ねるように答えた。
「だからぁ、アカネちゃんもワタシがやったみたいに好きな人をその手で殺すの。そうすれば、ぜーんぶ同じ。ワタシ達はお友達になれるわ」
「じ、冗談・・・だよ、ね?」
油の切れた人形のようにぎこちなく首を横に向けて、私は彼女にもう一度聞き返した。
「冗談じゃないよ。あ、それとも、アカネちゃん、あなたが好きなんじゃなくて、相手の人の片思いなのかな?」
いや、そういう問題じゃなくてっ?
かみ合わない会話に舌先が乾いていくのを感じながら、私はとある性悪そうな軍師の顔を脳裏に浮かべた。
どういうつもりでリュカちゃんがそんな事を言っているのか分からないが、何にしても彼を殺すなんて不可能だ。彼は遠く離れたイグラード王宮で今も政務に奮闘しているだろうし、心情的な事はさておいて、いざ危害を加えるとなっても物理的にまず不可能である。
「ああ、分かった。イグラードは遠いものね、その事を気にしてたんでしょ?ふふ、でも大丈夫よ、アカネちゃん」
「・・・?」
すると、私の考えを先回りするように笑って言ったリュカちゃんが、肩を竦めて毛布から引き抜いた右腕を、すっと私の方へと差し出した。
突然の彼女の行動を怪訝に思っていると、鼻先に伸ばされた彼女の手の平からぼわりと立ち上った霧に視界が霞む。
驚きに身を引いて、それでも不定形の霧が形を変えていくのをどこか懐かしい気持ちで見つめた先、完成したのは直径30センチ程の丸い鏡面だった。
「こ、これって・・・『写し身』?」
見覚えもある筈である、その見るからに不自然な霧のモニターとも呼ぶべきそれは、イグラードでの記憶も新しい「写し身」の魔法に違いなかった。
魔法が使えたのかと、驚愕の思いでリュカちゃんの顔を見ると、しかし、彼女の方は妙に不満気な表情で「こんなものかな」と小さく呟いたのが聞こえた。
「じゃあ、よく見ててね・・・ほら、この人、見覚えあるでしょう?」
「・・・・・・っ!」
そして、起動の遅いパソコンを見守るように、凝視した先で段々と浮かび上がるようにして映し出されたのは、ネストールさんとミルナーの姿だった。
懐かしいと言うには早いが、こみ上げるような思いに胸元をかき抱いていると、更に鮮明になった「写し身」の魔法が、辺りの風景も浮かび上がらせていく。
どこかの山の中だろうか。
鬱蒼と緑が生い茂る暗い山道を、長いマントに身を包んだ2人が頻繁に周囲を見渡しながら進んでいるのが見える。
そして、その山の木々に紛れるようにして、大勢の人影が彼らを取り囲んでいる事が見て取れた。
その人影はいずれもが武装していて、特徴的な白いトーガが斜めに掛っているのを見るにつけ、私はそれらが神殿で見慣れた僧侶達であることに気付いた。
「な、なんでっ!?」
「何故って、彼らはここを守る事が仕事だから。それに、ほら、ここって神殿からすぐの場所だよ。よかったね、アカネちゃん、これですぐ殺せるよ?」
伸ばされた彼女の腕を掴んですがるように問いかけた私に、答えるリュカちゃんの口調は変わらず楽しそうで、変化と言えば、揺れる映像に僅かに眉根を寄せた事くらいだった。




