その55
ダンジョン攻略メインのゲームにおいて、いつも私を悩ませるのが帰るタイミングの見極めだ。
戦闘や各種トラップによって刻一刻と疲弊していく体、だが、時間を掛けて到達した奥地で得られる利益は大きく、進めば更にリターンは増す。再度ここまで来る労力を思えば、多少の消耗には目をつむってでも先を目指すべきであり、大抵、ゲームでは私もそうしてきた。で、案の定、無理が祟って思わぬ場所でボスに遭遇して全滅し、あの時帰っていれば!グギギ・・・となるのだけれど。
というか、ああいうダンジョン物のゲームでのボスっていらなくない?あのジャンルって、回復アイテムとかの状況の引き算に頭を悩ませつつ、奥地での僅かな足し算の積み上げを画策するような、予定を描く作業が楽しいんであって、突発的な「ボスとエンカウントした!残念、レベルがもう一つ二つ足りなかったね♪」っていう驚きは、正直必要無いと思うんだ。
つまり、何が言いたいかというと、大抵は奥にいるボスに会う頃にはこっちはボロボロな訳だから、この先ボスがいるよって警告はあらゆるダンジョン物ゲームにおいて義務づけて欲しい、むしろ、国際機構的なもので法令化して欲しいといっても過言じゃなく・・・。
「って、違う」
何だか話がずれてしまった。突然のボスバトルに数多の鑑定品とレベルアップが露と消えた、あの救いの無いダンジョンRPGは、まだ私の部屋に積まれているだろうか。ショックのあまりについフリスビーとしての役目を与えてしまったディスクを思うと、自分もあの頃は若かったなと思える。
少なくとも、今の私はどれだけ不条理な迷宮でも、歩みを止める事なく進めるのだから。
紐を結ぶように弧を描いて見せた冗談のような通路は、あれから新たな分岐路も無く延々と真っ直ぐに続いている。
その直線を歩きだして、1時間、いや、2時間は経過しただろうか。
ハクジャが掛けた道案内的魔法は、確か夜明けまでは保つと言われていた筈だ。
夜更かしを楽しんでいた時刻からの出発を考えると、私がこのダンジョン的通路で過ごせるタイムリミットは大体4、5時間程度だと考えられる。つまり、部屋まで帰る事を考えるなら、そろそろ「帰るタイミング」と言っても良い頃合いだ。もちろん、時間経過に関しては体感に次ぐ体感なので正確性は皆無な訳だが、先述のような冴えない全滅パターンを考えると頭を迷わせるにふさわしいタイミングとも言える。
しかし、ここで問題が一つ。
ゲームであれば残る回復アイテムや体力と相談して「帰るタイミング」を計った訳なのだが、現実である今、私の体力は不思議なことに全く損なわれていなかったのだ。
「やばいドーピング的な何かじゃなければ良いんだけど・・・」
私は、満ち溢れる体力故に、今や、軽いジョギング程度の早さとなった自分の歩む速度を省みて、ひとりごちた。
元の世界では、登校時の自転車での道行きだけで全体力の7割強を毎日失っていた私である。疲れ知らずの現状は明らかに異常事態だった。でもって、原因は間違いなく、あのセクハラ吸血鬼もどき犬もどき男に飲まされた血液だと思われる。
嫌悪感がぶり返してきた私は、引っ張るようにして、服の襟元をごしごしと顔に押しつけた。
思ったより口許に血は付いていなかったようで、何度か拭ったというのに服の汚れは少ない。
それでも、食事をこぼしたような襟元の惨状に、私は深くため息を付いた。
そして、おもむろに、関西方面の人の歩道を渡る速度にも決して負けなかっただろう歩みを緩めて、立ち止まる。
「さて、どうしようかな・・・」
私は、右の壁に連なるようにして灯る魔法の明かりを見上げて、迷うように言った。
体力は謎の魔法的な効果で満ちているし、不条理なボスみたいな障害も今のところ無い。でも、この「物理法則って何それ、おいしいの?」な道行きを考えると、唯一のガイドである魔法の明かりが消えるような状況は何としても避けたい。となると、やっぱり引き返すべきなのだけど・・・。
壁に肩を付けて、歩き続けたせいで火照った足の裏をすりすりさせていると、水の流れるような、ちょろちょろという音が聞こえてきた。
音の出所を探って辺りを見回してみると、通路の隅に窪みがあって溝のようになっている事に気づく。排水溝か何かなのだろうか、溝は通路の先の方まで続いており、結構な量の水が流れて来ている。振り返って確かめてみると、歩んできた通路の方にも当然、溝は続いていて、何故私はそれに気付かなかったのかと首を傾げた。
「これだけ水の音がしてたんだから、気付きそうなものだけど・・・」
言いながら、見る限りは綺麗そうな水の流れに、私は、ちょんと足先を浸けてみた。指先から感じる冷たさが実に気持ちよく、ぱしゃりと足湯のようにして足の汚れを落とすと、私は通路の奥をじっと見つめた。
このおかしな通路だと気付かなかったのも仕方ないかなとため息を吐いて、私はやっぱり先に進んでみる事にした。
多少なりともリフレッシュ出来たというのもあるけれど、ここまで来てただ帰るというのも腑に落ちないというか。
それに、私をここに連れてきたレーマ教団の教主様には私も興味がある。オルランドの内乱を利用してまで連れてきて、その癖一度も姿を見せないというのは謎と言えば謎だし。ハクジャの言いなりの様で癪だが、やはり教主がどんな人なのかだけでも見ておきたい。その上で「ぼくと契約して、自由にしてよ!」と交渉出来たらベストなのだけど、そうは上手く行かないだろうな。私の口だと数時間は掛かるだろうし・・・。
そんな事を考えながら、いい加減慣れた薄暗い通路を、再び魔法の明かりに沿って進んでいると、併走するようだった足元の溝からの水音が急激に増してくるのが分かった。
歩きながらのぞき込んでみると、水量も溢れそうな程に増しており、水源が近いのかなと心がはやった私は先を急いだ。
そして間もなく、十数メートルを進むと、あれだけ長かった通路がぶつりと途切れて大きな部屋へと行き当たった。
仰ぎ見ると、右の壁に灯っていた魔法の明かりもそこで途切れていて、私はここが目的地なのかと周囲を確認するように見渡した。
その部屋には無数の大きな柱が規則的に立っていて、それに固定されている松明が室内を明るく照らしているのだが、四方に目を凝らしても部屋の境界が見えず、ここが相当に広い空間である事が分かった。
そんな広間とも言うべき部屋の中ほどには、ピラミッド状の外観を持つ大きな岩塊があった。暗がりにとけ込むように見える頂点辺りからは膨大な量の水が流れ落ちており、どうやらこれが通路に流れていた水の源泉らしかった。
私は飛沫が体にかかるのも構わず、滝のような轟音と共に流れ落ちる水にしばし見入った。
そして、ごぉと流れる足元の水に手を付けようと腰を下ろした時、水音に紛れる別の音が、微かに私の耳に聞こえてきた。
再び辺りを見渡すが、滝の音に掻き消えてしまって音源が全く分からない。
私は、ここが目的地、すなわち教主の居る所だと言う事を思い出して、中腰の体勢のまま、忍ぶように広間を散策してみる事にした。
柱の影から影へと隠れながら移動を繰り返していると、しばらくして一際明るくなっている場所が正面に見えてきた。
注意深く窺ってみると、人影もあるようで、私は殊更足音に気を付けて歩みを進めた。
こういう時に裸足というのは都合が良い。近くで滝が立てる水音にも助けられて、運動音痴の私にしては見事に無音のまま、明るくなった場所に間近い柱の影へと到達した。
「・・・・・・」
息を殺して覗き見ると、やはり人が居たようで、ごつい体躯にトーガを巻いた僧侶が、木枠のような物で四角く仕切られた場所に相対して立っている。両端には私の背丈程の台座があって、その上では中央の四角い枠組みをライトアップするように篝火が燃えていた。
じっと目を凝らすと、どうやらその木枠のような物は支えのようで、真ん中に布のような物が掛かっている事が分かった。いわゆる御簾というやつだろう、その奥に、教主らしき影がゆらゆらと揺れているのが見える。
影の映り方にも寄るのだろうが、中にいる教主らしき人物はかなり大柄のようで、手前に居るマッチョな僧侶と比べても遜色が無い。というか更に巨漢にも見える。
まさか教主までマッチョなのか、いや、むしろそれが自然かもと私がげんなりしていると、用件が終わったのか、何やら報告するようだった僧侶がトーガを払って身を翻した。
って、こっちに来る!
私は慌てて、いや慌てたら駄目なんだと心に言い聞かせて、ぴったりと柱に背を付けて影に身を潜めた。
余談だが、私は隠れんぼの時に隠れていると笑ってしまう派だ。
何がおかしいのか自分でも説明に困るが、鬼が近づく程におかしくなって、笑い声で見つかる事が常だった。
ただ、そんな私も、さすがに今の状況では笑える筈も無く、息を潜めて僧侶が通り過ぎるのをただひたすら待った。
「ぷっ」
弁髪・・・だと!?
通り過ぎた禿頭の筈の僧侶の後頭部、頭頂辺りからは、背中の中程まで髪が伸びていて、三つ編み状のそれがぷらぷらと揺れていた。
その某ラーメンな男のような佇まいに、私の口からは堪え損ねた笑い声が漏れ出てしまう。
というか、私が見たマッチョ僧侶は全員禿頭だった筈だ。何でこの人だけ弁髪なの!?お洒落さんなの?それともリーダーなの?指揮官機なの!?後期生産型なの!?強行偵察型なの!?
と、混乱の局地にあった私だったが、幸いにも見つかる事は無かった。
どうやら滝の音に紛れてくれたようで、弁髪僧侶はそのまま振り返ること無く、私が通ってきた通路とは別の方へと去っていった。
た、助かった・・・。
私は、胸をなで下ろして、その場にずるずると座り込んだ。
気が抜けてがくりとなった頭が背中の柱にごつんと当たるが、その痛みも気にならないくらい安堵して、私は反らせた喉を伝う汗を拭った。
そして、何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、私は再度、教主がいると思われる御簾の方へと視線を向けた。
今頃疼きだした頭の痛みに顔をしかめながら目を凝らすと、僧侶が居なくなったお陰で見通しが良くなり、御簾が風に波打つ様までをはっきりと見る事が出来た。しかし、すだれ掛かった薄布の向こうには揺らめくような明かりがぼぉと見えるだけで、つい先ほどまで見えていた教主らしき影は見あたらない。
ところで、また余談なのだが、みなさんは蛇の聴覚がかなり弱い事をご存じだろうか。
何となく感覚の鋭いイメージがある蛇だが、それは間近の温熱動物の存在を感じ取るべく発達したピット器官、ある種の熱センサーがあるからで、聴覚だけをとって見れば、構造的にも蛇の耳は皮膚内に埋もれており、空気を伝わる音等に対しては鈍感と言って良い。
しかし、その反面、皮膚感覚に優れていて、地面を伝わる振動やそれにまつわる音には敏感なのだ。
つまり、それはつい漏らしてしまった笑い声が聞こえる事は無くても、音が出る程に柱にぶつけてしまった振動は感じ取れるという事で。
教主の姿が無い事におかしいなと首を傾げながら、覗き込むようにしていた上体を柱の影へと戻すと、私の眼前では、白くて馬鹿でかい蛇が、鎌首をもたげてこちらの様子を窺っていた。
ちろちろと見え隠れする長い舌を見上げながら、私は、道理で御簾の向こうの影がいやに大きく見えた訳だと内心で手を打った。
そして、しゃあという音と共に開けられた口から覗く長大で鋭い牙を見て、自分の口べたぶり以上に重大な問題から、教主様との交渉は無理らしい事を悟った。




